見ることの責任性について
Seeing, knowing, and Commitment/Involving in Practice
◆ 課題文
「この小児の問題こそが当時の最大の未認定問題であった。先輩たちの研究はほぼ核心にふれる ものであったが、なぜか数年放置されていた。急いで調査しなくては先輩たちに遅れをとるとばかりに私はあせった。その結果、この母子を診察のために頻繁に 呼び出すこととなったのである。
ある日、母親がいった。
「先生たちに何回も何回も診てもらうのはありがたいばってん、いったい、いつになったら結論 がでるとですか、もう六年も七年もたってますばい。それに呼び出されて、この子ば連れてくると一日がかりで、一日の日雇い賃金がパーになって、生活が苦し かとです」。
私は返す言葉がなかった。大学院生の私の身分では日当を払うだけの金はなかった。そこで私 は、一軒一軒患者の家を訪ねる調査に切り換えた。そして、そこで見たものは、すさまじい貧困と差別であった。大学を出たばかりの若い私には、それがどうい うことか、理解をこえていて、わからなかった。ただ、彼らはなにも悪いことをしていない。彼らはただ魚をたべただけではないか、それがどうして、このよう に差別され、隠れるように生活していかなければならないのか?という憤りを感じた。その憤りをエネルギーに、私(原田)は調査をすすめた。(熊本大学医学 部の)立津教授の指導よろしく、その結果をまとめた論文が、予想もしなかったことだが、一九六四年の日本精神神経学会賞をもらった。これも、私と水俣病と の関係を決定的にした要素のひとつとなった。患者たちに大きな借りをつくってしまったのである。私は、水俣でおこっていたことを、その現場にいって見てし まったのである。それは、患者の悲惨であり、地域での差別であり、はげしい労働者の争議であった。
見てしまうと、そこになにか責任みたいな関係ができてしまう。見てしまった責任を果たすよう に、天の声は私に要請する。そして、なぜこのようなことになるのか、なにが問題なのか、知りたいと思った」[原田 一九八九:二頁、( )ならびに改行等 は引用者が補った]。
出典 原田正純『水俣が映す世界』東京:日本評論社、一九八九年
◆ 議論のためのテーマ
見ることが、無条件に〈責任の関係〉をつくってしまうとは考えられないように思われる。見ることが〈責任の関係〉をつくりあげる条件とは何 なのか? 臨床コミュニケーションの観点から考えてください。
【ちゅうい】以上のテーマで議論をおこなう人は、ここから先を読まないでください。実際の授業では、6人のグループでの議論 (30分)とプレゼンテーション(各グループ5分以内)ならびに、参加した講師以外の教員(2名)のコメントの後に配布しました。
グループ討論・プレゼンテーションの後に配布
■ 講義担当者(池田)によるコメンタリー[事前準備]
「この文章は、有機水銀中毒症の患者と家族が過酷な社会状況のもとに置かれていることを、社会的不正義という一般論からではなく、人びとの 日常生活における具体的な苦悩から説き起こしている。私はまずこの点に注目したい。また、水俣病研究において重要な資料となっている初期の臨床研究データ が、患者と患者家族に負担を強いられる状況のもとで採集されたことを知ることができる。原田は科学としての医学に回収される図式を拒絶し、何よりも個別で 具体的な医療の立場を実践しようとする。このエピソードから言えることは、それもかなり不遜な言い方だが、原田はアームチェアの実験医学者の立場という存 在論的欺瞞に気づき、彼じしんのフィールドワークを通して社会医学の真の実践者になったという構図——ただしこれは良心的な社会科学者にとってはどこかし らデジャヴ(既視)の体験を呼び起こす——がここにはある。
しかしながら、この美しい物語にも何か気になることがある。私が授業を通して学生と共に考えていることは、原田が言う「見てしまった責 任」ということである。ここで言う「見る」ことは、「知る」という言葉に言い換えてもよいだろう。あることを知るということが、本当に責任を感じることに 繋がるのだろうか、というのがここでの疑問である。
反証を挙げなくても、見るという実践が何かの社会的関与としての責任を一義的に生みだすとは言えないことは明らかである。しかし、屁理屈 を捏ねなくても、わたしたちはこの表現が分かってしまう、つまり正しい(あるいは共通の)隠喩的表現として理解してしまうのはなぜだろうか。私はこう考え る。原田は、見る・知る・関与する(=行為する)という知覚体験を隣接的にそして重ね合わせて表現している。つまり、それらが同時におこるような社会的な 文脈が実際に存在することを言外に述べているのだ。それは特定の条件下でおこる偶然の産物であるが(そうでないと、われわれは容易に反論を思いつかな い)、説明がされた事後では、見る・知る・関与する(=行為する)という隣接的な知覚体験は相互に必然的結びついたものに変わっているということである。 だから彼の問題提起は「重い」のだ。
単純に言えば、見ることが行為者に対して何らかの長期的な関与——それも道義的なもの——を引き出したということである。もちろん、この 結びつきはどんな場合でも無条件にそうなるのではなく、ここでは語られていないなにか別のものが媒介しているのではないかと私たちは考えるべきなのだ」。
出典:池田光穂、「水俣が私に出会ったとき:社会的関与と視覚表象」『水俣からの想像力:問い続ける水俣病』丸山定巳・田口宏昭・田中雄次 編、Pp.123-146、熊本市:熊本出版文化会館、2005年3月
■ 現場でのコメンタリー[当日での発言]
・やじ馬=参加論(野次馬は傍観者でありながら身体のヘクシスは事件現場に向かっており、それは実質的に参加しているのも同様であるという 議論)という観点から、見る/知ることを、関与に関連づけて論じたらどうなるだろうか。
・見ないと参与できないのか、というアンチテーゼをたてて議論したでしょうか?
■ 知ることと知らないこと
知ることと知らないこと(理解している/理解していないこと)は、知ることの時間的経緯から、既に知っていることから今後知り得るという可 能態で表現されるという別の次元の組み合わせで四象限理解が可能である。課題文の内容から、このとの関連性を説明すると、次のように言えることができる。 既知の知が「自分の未来のあり方」を規定すると共に、未来における「未知の無知」という状況の回避することができ、未来に対して自分じしんを「理解可能な 知」に誘導することができる——可能性がある。
■ pdf によるプリント
臨床コミュニケーション2・2007年11月29日配布分(約312k)
■ 写真
熊本地方裁判所(1972年10月11日:写真・毎日新聞)http:
//mainichi.jp/graph/minamata/0916nosari/011.html
■ 文献
池田光穂「政治的暴力と人類学を考える」
● 【臨床コミュニケーション2】 にもどる