書評:『水俣学研究序説』原田正純・花田昌宣編
書評子:池田光穂
初出:水俣病センター相思社『ごんずい』102号、2007年11月25日
『水俣学研究序説』原田正純・花田昌宣編 二〇〇四、藤原書店
評者:池田光穂(いけだみつほ) 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター
ある図書検索で調べてみると、書名に「水俣学」と入った本やブックレットは合計一〇種類あり、その初出は二〇〇二年である。編者らは熊本学園大 学の中に水俣学の研究拠点を作ろうとしてきた。本書に収載されている幾つかの論文は、この後に公刊された『水俣学講義』(日本評論社、二〇〇四〜二〇〇 七)の三巻と内容的に重なるものがある。研究序説という仰々しいタイトルが本書には冠されているが、編者らの思いはむしろ「学」という権力の負の側面を極 小化したい配慮で満ちている。
言うまでもないが、水俣学とは当世流行りの地域学や地元学という類のものではない。水俣病事件に関するさまざまなこれまでの学問が犯してきた 偏向や狭隘化を批判し、総合化という回路を通して、その袋小路から脱却する試みの場(=空間)の理念の提唱である。この理念は編者の一人である原田正純に よる序章や、巻末を飾るシンポジウム記録の発言のいたるところで主張されている。水俣病事件を取り扱う学問を集結させる・・・この試みは先の『講義』シ リーズできちんと成果は出ている・・・だけでなく、そこに集い共に議論と対話を重ねることで、それぞれの学問が自ずと発揮する狭隘化やセクト主義、あるい は既存の政治権力との妥協を、拒絶しつつ自由になることである。この新しい精神性の提唱と〈場の提供〉に評者は敬意を表する。
水俣学の実質的な提唱者である原田は、シンポがおこなわれた九九年当時、まだ生まれてもいない・・・冒頭で述べたように文献的誕生はその三年 後だ・・・この学問の行く末を危惧している。つまり(一)ひとつの学問として権威化する、(二)学派形成のように専門特化する、(三)現場から離れて研究 室でのパズル解きのように学問オタク化する、そして(四)ときの政治権力に奉仕するようになる。これらから自由になれというのだ。全く「異議ナシ!」と言 いたい。ただしこれらは、それを要約した評者自身の表現であり、原田の表現ではないことをお断りしておこう。念のため。
原田はこの実践理念に「学」と附すことを躊躇している。原田はフィールド医学の立場から水俣病事件に深く関わり、実質的に当事者とまで言える 資格をもっているかのように思われてきた。その第一人者・原田においてすら、自らが学んできた学問観を崩壊させた川本輝夫の一連の根源的質問に、今なお明 瞭な回答ができないからである。この川本の問いから、評者が理解した趣旨はこうである。専門家と非専門家の認識の違いは、学知の深さによって峻別されてい るのではない。その違いは学問がもつ政治権力性によって、虚構として維持されているに過ぎない。現場からものを考える人は、そのような形式に拘束されてい ないので、理不尽な学問に対して根源的な再考を促すことができる。フィールドという現場において、専門家はなぜ素人たちの情念に身をまかせ、彼/彼女らの 経験知に耳を傾けないのか。そういう悲痛な訴えを原田がじゅうぶんに意識化していることは、一連の発言から容易に推測することができる。
だが、時の権力に奉仕する「大学を解体せよ!」と言ったかつての学生たちは、今や社会管理の枢要な地位につき、他方、今日びの若者は「学問の高 邁な理念はどこ吹く風」と単位取得に専念する。あるいはかつての学生気質からは想像もできないのだが、最近の学生は結構マジメにボランティア活動に専念し たりもする。これも言い方は古いが、昨今の〈新人類〉には、社会闘争への参加を呼びかけるパトス=情念を持てとも、諸悪の根源たるリアルポリティーク=現 実政治に革命的警戒心を失うなと言っても絶対に通用しない。
いま大学では、まさに専門家と非専門家の間の〈コミュニケーションの障害〉を取り除くべく、科学技術コミュニケーションやコンセンサス会議、 さらにはサイエンスショップなどが構想されている。それを組織存続のための改革の目玉にしようとさえしている。このような試みを支援する文部科学省の当局 関係者は、密室化・オタク化しモラルハザードの温床になっている科学者集団を反省自覚させ、ステイクホルダーたる〈市民の皆様〉へ説明責任を果たさなくて はならないと説教する始末である。
しかし本書中のシンポの発言者が巻末において正しく批判指摘するように、公害教育は環境教育へとそのイデオロギーを脱色中和されただけではな い。かつて未必の故意を限りなく実践したと思われる行政関係者が、今ではそしらぬ顔で子供たちに環境保護の重要性を説くことも行われている。そこにすっぽ り抜け落ちているのは、研究教育者のリフレクシヴィティー(=自己内省性)である。
篤実な水俣学の積みかさねにより、水俣病事件の解明の科学は進歩したかもしれない。しかし、水俣病事件を取り巻く社会環境もまた変化してお り、これらの間の〈社会的測量〉は欠かせないはずだ。水俣学がブランド価値として大学の知名度をあげることに貢献しているとしたら、その利益は当然、水俣 に住んでいる人間を含めたすべての生き物たちにも還元すべきだろう。次回の連続講義はぜひとも大学のキャンパスではなく〈水股郷〉とも記されたこともある 水俣の地でおこなわれることを評者は強く希望する。
この書評を当該紙に掲載したところ、この文書(書評)は、学園大水俣学派への熱いエールなのか?それとも皮肉にちかい批判なのかどちらなのか? という質問を受けるようになりました。
書評の当事者としては、どちらのほうに読んでもらってもかまわないし、また、そのどちらでもないでしょう。書評というのは、白か黒かという議論 ではないということです。
池田光穂「水股(水俣)が私に出会うとき」のほうもお楽しみください。
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