病める身体「について/を通して」語ること
2008年度 第1学期臨床コミュニケーション I
担当: 西村 ユミ
■本授業の課題
1.がんの“痛みを通して”書かれた下記の記述から、“痛み”あるいは“痛みを生きる”こととして、フランク(傷ついた物語の語り手)は何を訴えたかったのかを話し合ってみてください。
=「痛い」という経験は、私たちに何をもたらしているのか?
2.1で話し合ったことを参考にして、私たちは、“他者の痛み(一時的な痛みというよりも、長期にわたって苦痛を経験させるような痛み)”をどのように理解しているのかを考えてみてください。
→痛みは他者の身体に起こっているとだから、理解できない?
→痛みは主観的な経験だから、理解するのが難しい?
■時間配分
16:20〜16:45 導入
16:45〜17:25 グループワーク
17:25〜17:45 発表、まとめ
■グループ(1G:5〜6名)
・「司会」と「発表者」を決めて、簡単な自己紹介を行ってから、グループワークをはじめる。
■痛みを通して考える(アーサー・フランクからの引用)
「医師がどのように私のがんを発見したのかは、がんの体験のなかでは二義的なものである。そういったことよりも私のからだで体験したことのほうがはるかに重要だ。この話は、痛みから始まる。医学は多くの重篤な痛みを軽減することはできる。だが、いまだに痛みを征服することには成功していない。がんの痛みは病いの初期、医師が病いに気づく前と予測のたたない最終段階に、もっとも痛切に体験される。幸いにも私は最終段階にはいたらなかったかが、初期の痛みは経験した。
痛みは病いに対するからだの反応である。多くの人が病いという言葉から連想するのは痛みであり、もっとも恐れるのも痛みである。がんを生き抜くうえで痛みがもっともつらい部分であるかどうかはともかくとして、筆舌に尽くしがたいものであるのはたしかだ。痛みを表現する言葉はたくさんある。鋭い痛み、ずきずきする痛み、刺すような痛み、焼けるような痛み、鈍い痛みというのもある。しかし、こうした言葉では痛みの体験を表現することはできない。我々は「痛みを生きる」ということがどういうことかを表現する言葉をもっていない。痛みを表現できないため、言えることはなにもないと我々は思い込んでしまうのである。しかし沈黙すれば、痛みのなかで孤立するしかない。その孤立が痛みをますます増大させる。自分が病気だと思った瞬間に気分が悪くなるのと同様に、痛いと思うだけで痛いのである。
私の痛みは、腰にできた二次腫瘍が圧迫されたのが原因だった。横になると、しばらくのあいだだが、痛みはさらにひどくなった。とうとう腰の少し上、肝臓のあたりを万力で締め付けられるような圧迫感で朝早く目が覚めるようになった。しばらくすると夜中に痛みで目が覚めるようになり、そのまま眠れなくなった。それが数日つづくと、疲れが堆積し、眠くてしょうがないのだが、それでも眠ることができないのだった。覚醒とまどろみの中間の状態で、幾晩もすごした。つねに痛みにさらされていた。
そういう状態だったから、私の痛みは夜と切り離すことのできない関係をもつことになった。腫瘍は私のからだを占領すると、心も支配するようになった。闇は痛みの孤独をいっそうきわだたせる。苦しむものはやすらかに寝入っている人たちから切り離されているからである。暗闇のなかで、痛みに苦しむ者の世界はばらばらになり、秩序を失う。 (略)
理解できないものに支配されると感じたとき、人は我々を脅かすものについて神話をつくる。痛みを神にまつりあげたり、闘うべき敵にしてしまう。そして痛みが我々に罰を加えていると考える。だれでも何かしら悪いことをした覚えがあるからである。我々は自分を呪い、慈悲を乞う。しかし、痛みは自分の体の一部であり、その事実以上の顔をもたない。痛みは自分自身なのである。私のからだが何かおかしいと信号を発しているのだ。外部の何かではなく、からだ自身が語りかけようとしている。痛みとはからだの外にあるものとの闘いではなく、からだが元にもどろうとするときの反応なのである。
しかし,痛みをからだの一部と考え、自分で引き受けてしまいすぎるのも、孤独におちいる危険がある。孤独は無秩序の始まりである。健康なとき、からだは自分と一体となって働き、環境とも調和している。眠れば心地よく休むことができる。目が覚めれば、すぐにも活動できる。しかし痛みがあると、休みと活動のリズムが失われる。からだのリズムが失われれば、計画も夢もなくなる。そして秩序が失われ、無秩序が支配するようになる。
人が寝ている夜には眠るのが自然である。休息すべき時間に眠らないことは、健全な生活のサイクルが失われることを意味する。それまで眠りを妨げられたことのなかった私はからだの痛みに起こされ、目覚めていなければならないことの理不尽さを意識するようになった。私は眠っている人々から切り離されたのである」。(p.42-45)
■引用・参考文献
アーサー・W・フランク著、井上哲彰訳『体の知恵に聴く』、日本教文社、1996年
アーサー・W・フランク著、鈴木智之訳『傷ついた物語の語り手』、ゆみる出版、2002年
■参照リンク(印刷物は5月27日の授業で配布しました)
池田光穂「他者の痛みと嘘つきのはじまり」
著者:アーサー・W・フランク、カナダの医療社会学者
「・・・著者は、ふたつの重病を体験する。39歳のときに心臓発作を体験し、その1年後にがんの宣告を告げられる。本書はその体験をもとに、ひとりの人間として、患者として病いとは何かを鋭く考察したものである。著者は痛烈かつ辛辣に医療を批判しつつ、病いの体験を恐ろしいまでに率直に、赤裸々に語っていく。そして著者の手によって病いというものがわしづかみにされ、その内側から探求されていくのだ。普通に日常生活を送っていた者が患者へと変化するときに生まれる様々な感情、がん患者に賦与される烙印(スティグマ)、痛みにあえぐ孤独な夜、からだの驚異の発見、回復の祝祭、ケアの問題、生と死・・・・・・。病いをめぐる事象がことごとく見事なまでにえぐり出されている。」(訳者解説より)
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