うそ(嘘)
2008年度 第1学期
ディスコミュニケーションの理論と実践
2008/05/22 第6回 ディスコミュニケーションの理論と実践 (担当:西川勝)
★テーマ:【うそ】
★参考文献:浜田寿美男著、『〈うそ〉を見抜く心理学 「供述の世界から」』、NHKブックス、2002年
・(8)人のことばは、どのようにでも物語を織り上げ、ときに現実を逸脱し、あるいは隠蔽する。しかもそうして織り上げられた物語を前にして、第三者がその真偽を見抜くのは、容易ではない。
・(11)ことばは本来、対話である。そして対話には他者がいて、自分と他者をつつむ場がある。逆に言えば、場が自分と他者との対話関係を左右し、その対話の中に自分のことばが組み込まれる。
・(12)人は自分を有利な状況に置こうとして、ときに「さもしいうそ」をつく。しかし他方では人は関係の圧力に屈して、自分を追い込む「悲しいうそ」をつかざるをえないこともある。
・(23)人はともすると、自分がいま生きているここの位置から、他者が過去に生きたはずの向こうの世界に一気に飛び込んで、その世界を明るく照らし出せるかのように錯覚する。その錯覚を支えるのがことばである。
【グループワーク】
短編小説『客間の珍事』(作:白小易、訳:柴田元幸)を読んで、お互いが自由に感想や意見を述べてください。
そして、娘の問いに答える可能性をグループで検討してください。
客間の珍事
白小易(中国)
家の主人は湯呑みに茶を注ぎ、客の前にある小さな卓の上に置いて、湯呑みにかちんとふたをした。客は二人。父と娘である。何か思い出したのか、主人は卓の上に魔法瓶を置いて、そそくさと奥の部屋に入っていった。二人の客は、引出しが開いて何かがさらさらこすれる音を聞いた。
二人はそのまま客間に坐っていた。十歳になる娘は窓の外の花を眺め、父はいままさに湯呑みのふたを取ろうとしていた。と、その矢先、客間のなかに、がしゃんと音が響きわたった。何かがめちゃめちゃに壊れてしまったのだ。
魔法瓶だった。魔法瓶が床に落ちたのだ。娘はとっさに後ろをふり返り、息を呑んでまじまじと眺めた。妙な話だった。二人とも、指一本触っていないのに。たしかに、主人が卓に置いたときも決して安定して立ってはいなかった。でもそのときにも落ちはしなかったのだ。
魔法瓶が割れる音を聞いて、主人が角砂糖の箱を手に、奥の部屋から飛び出してきた。床から湯気が立っているのをぽかんと見て、主人は「いいんです!いいんです!」と言った。
父親が何か言いかけた。それから、呟くように、「すみません、私が触っておとしてしまったんです」と言った。
「いいんです」と主人は言った。
あとになって、家に帰ってから、娘が「おとうさん、ほんとに触ったの?」と訊いた。
「いいや。でも父さんのすぐそばにあったからね」
「でも触らなかったじゃない。私、見たもの、窓ガラスにお父さんが映ってるのを。じっと動かないで坐ってたわ」
父親は笑った。「では、落ちた原因は何だと思うかね?」
「魔法瓶がひとりでに落ちたのよ。茶卓がでこぼこだったのよ。李さんが置いたときも安定してなかったもの。ねえ父さん、触ってもいないのにどうしてあんなこと・・・・・・」
「仕方がなのさ。触って落としてしまったんです、と言ったほうが通りがいいんだよ。弁解すればするほど信じてもらえなくなることが世の中にはある。話が本当であればあるほど、嘘のように聞こえてしまうんだよ」
娘はしばらくのあいだ、じっと黙って考えこんでいたが、やがて言った。「あれしか説明する方法はないの?」
「あれしかないね」と父親は言った。
(『Sudden Fiction 2 超短編小説・世界編』文春文庫、1994)
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