ディスコミュニケーションの理論と実践
2008年度 第1学期
Theories and Practice on Dis-communication
第 1回
4月10日 西川 テーマ:オリエンテーション、ディスコミュニケーションを考える
参考文献:
西川勝、『ためらいの看護』、岩波書店
当日配布資料(pdf, Mnishikawa080410.pdf, 248k)
第 2回
4月17日 西川 テーマ:眼の言葉 [→授業「眼のことば」へのリンク]
参考文献:
-久保田テツ、『DVD:眼の言葉』
-ALSと共に生きている中水浩貴のWEB (http://tokunoshima.web.infoseek.co.jp/nanten/)
第 3回
4月24日 西川 テーマ:お墓まいり
参考文献:
-草島恵理子、『DVD:お墓まいり』、2007年阿倍野ヒューマンドキュメンタリー映画祭入賞作品
第 4回
5月8日 池田 テーマ:本物のコミュニケーション?偽りのコミュニケーション?あるいは?
参考文献:
-池田光穂「イライザあるいはヴァーチャル・オードリー物語」 (URL: http://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/070517disCO.html)
-池田光穂「イライザの父の怒り」 (URL: http://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/070517disCO2.html)
第 5回
5月15日 池田 テーマ:火掻き棒事件をめぐる〈熱い〉[=厚い]記述
参考文献:
-池田光穂「火掻き棒事件をめぐる〈熱い〉[=厚い]記述」 (URL: http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/080401hikaki.html)
- 池田光穂「偽りのコミュニケーションデザイン」(2008臨床コミュニケーション1の授業資料)
ハンドアウト[火 掻き棒事件資料080515.pdf]
第 6回
5月22日 西川 テーマ:うそ (嘘)
参考文献:
-浜田寿美男、『<うそ>を見抜く心理学』、2002年、NHKブックス
第 7回
5月29日 西川 テーマ:レトリック
参考文献:
-佐藤信夫、『レトリック認識』、1992年、講談社学術文庫
第 8回
6月5日 西村 テーマ:言葉を失うこと
参考文献:
VTR『あせらないけどあきらめない』
第 9回
6月12日 西村 テーマ:言葉を失うこと(パート2)
参考文献:
VTR『あせらないけどあきらめない』
第10回
6月19日 西川 テーマ:理解と誤解
参考文献:
-奥村隆、『他者といる技法 −コミュニケーションの社会学』、1998年、日本評論社
第11回
6月26日 西川 テーマ:共有と対立
参考文献:
-信田さよ子、『愛情という名の支配 −家族を縛る共依存』、1998年、海竜社
第12回
7月3日 西川 テーマ:破壊性と創造性
参考文献:
-浦河べてるの家、『べてるの家の「非」援助論』、2002年、医学書院
第13回
7月10日 全員 まとめの授業
第14回
7月17日 最終試験
第15回
予備日・補講
● 【授業】にもどる
□ キーワード:ディスコミュニケーション、理解と誤解、共有と対立、破壊性と創造性
□ 講義目的
1. ディスコミュニケーションを理論的に考察する。
2. ディスコミュニケーションを実践的に理解する。
3. ディスコミュニケーションの両価性からコミュニケーションデザインの可能性をさぐる。
□ 講義内容
本講義は、ディスコミュニケーションを失敗したコミュニケーションあるいは不完全なコミュニケーションと捉える従来の視点から一歩踏 み出して、ディスコミュニケーションの破壊性と創造性をダイナミックに捉えなおそうとします。
毎回の講義は、様々なタイプのディスコミュニケーションについての理論的考察を行うと同時に、グループワークを体験することを通して コミュニケーションデザインに応用可能な実践的理解を深めます。
● ディスコミュニケーションとは
コミュニケーションには「伝達」「理解」「共有」「相互交流」などの機能があります。このコミュニケーションが失敗することや不全の状 態をディスコミュニケーションと呼びます。
人間が社会生活を営む上で、コミュニケーションは重要な働きをします。しかし、実際のコミュニケーションは理想どうりに実現されること が少なく、さまざまなディスコミュニケーションが満ちあふれています。日常生活の小さな誤解から、深刻な社会問題に発展する大きな対立まで、ディスコミュ ニケーションは社会生活の中でさまざまな姿を現しています。
● ディスコミュニケーションから何を学ぶ のか
大学や大学院で学ぶ諸君は、自ら選んだ専門分野の高度な知識を身につけ、その専門性で社会に貢献することを目指しているでしょう。複雑 に役割分化した現代社会において、専門家の果たす役割は非常に重要です。
同じ領域の専門家、自らの専門性を高め、その学問領域を高度に発展させるためにも、相互に専門用語を駆使して、概念的な知識を交換し検 証しています。専門家どうしのコミュニケーションは概念的な理解、つまり認識知にもとづくものです。
このよような高度な専門知識は人間生活を向上することに貢献しましたが、他方で別の領域の専門家や一般の人々との円滑な交流や相互理解 の妨げの原因にもなっています。あることを理解することには、認識知や実践知のという別種の「知」があるにもかかわらず、この事実が忘れられているので す。
このような「知」の不十分な理解にもとづく、コミュニケーションの失敗や不全がディスコミュニケーションなのです。
ディスコミュニケーションを学ぶことで、良好なディスコミュニケーションを可能にする要因を知ることができます。概念化することの困難 な臨床知や実践知を、ディスコミュニケーションの分析から浮かび上がらせ身につけることは、専門家を目指す諸君にとっては必須の課題です。
● ディスコミュニケーション再考
このように考えるとディスコミュニケーションは人類にとって不必要なばかりでなく解消されなければならない絶対悪のように思われます が、必ずしもそうではありません。不必要な情報を遮断する。コミュニケーションの尺度を測定する。人間生活におけるコミュニケーションの基本的役割を考え る。これらの作業をおこなうためには、ディスコミュニケーションに関する根本的考察もまた不可欠になります。
● 本講座では
受講者はディスコミュニケーションの理論的考察を、教員の講義を初発の契機としてグループワークを通して深めてゆきます。異なる専門領 域の受講者は、議論のなかで自らの立場を相対化する必要に迫られるでしょう。ディスコミュニケーションを実践的に経験することで、具体的な応用力に結びつ く知恵を体得することが狙いです。
※以下の情報は臨床コミュニケーション(I) のシラバスから再掲したものです。
臨床コミュニケーション
臨床コミュニケーションとは、人間が社会生活をおこなうかぎり続いてゆく、ある具体的な結果を引き出すためにおこなう対人コミュニケー ションのことを言います。ここで言う臨床とは、狭い専門領域としての臨床(clinic)ではなく、その現場における実践状況(human care in practice)のことをさします。臨床コミュニケーション研究において、このような脱専門領域の意識を共有することは重要です。なぜなら臨床コミュニ ケーションとは、専門家どうしの対話のみならず、専門家と普通の人(例えば患者など)、そして日常経験の中に生きる普通のひとどうしの対話などから成り 立っているからです。
ディスコミュニケーション
コミュニケーションの不在や失敗を、私たちはディスコミュニケーションと呼びます。ディスコミュニケーションは良好ではないという点 で、いちはやく「問題の発見」や「改善や治療」の必要性が叫ばれます。しかし、劣悪な関係性であれば、コミュニケーションを遮断することが最善の選択にな ることだってあるはずです。我々はコミュニケーションとディスコミュニケーションの様式を深く学び、それらを上手に操ることも必要なのです。良好なコミュ ニケーションを目指す人は、ディスコミュニケーションについての深い理解が不可欠です。
本講座では
このような「知」のあり方を自覚するために、様々な専門領域の大学院生どうしの討論をおこないます。各自が専門領域以外の者と円滑にコ ミュニケーションを図る能力、プレゼンテーション能力、および社会的判断力を身につけることを通して、ディスコミュニケーションを解消するための具体的な スキル学習を目指しています。
具体的には
異文化間、医療現場、紛争の現場における臨床コミュニケーションの特徴と課題を理解するとともに、参加者が自分たちの生活の場面から ディスコミュニケーション事例を持ち寄り、そのプレゼンテーションと解決のための討論を通して、各領域におけるコミュニケーションの可能性と限界を明らか にします。そして、この臨床コミュニケーションの将来の課題を皆さんとともに模索してゆきます。
さらに学びたい人は
第1学期に開講されている「ディスコミュニケーションの理論と実践」、第2学期に開講する「臨床コミュニケーション II」「現場力と実践知」があります。また夏期集中講義「医療対人関係論」では、この授業のより具体的でかつ先進的なかたちで受講することができるでしょ う。より少人数で、テーマを絞ったグループ討論で、学びを深めることができます。
これらの一連の授業の関連性について示したものが以下の図です。上下の軸は受講者が指向するレベルの局面を、左右の軸は受講者の解決し たい問題の質を表現しているものです。受講者は、本人の関心に応じてどのような授業から入門されてもかまいません。
● 【授業】にもどる