偽りのコミュニケーションデザイン
On fake-making
communication-design
今日は、あるコミュニケーションが破綻した状況(=具体的には食品偽装が発覚した)に、その状況におかれた行為者がどのように状況を修復・回復 ないしは破局的終末を迎えるのか(=行為者による新規のコミュニケーションデザイン)について考えたい。
まず、情報統制に関するアーヴィング・ゴッフマンのテーゼを読んで見よう。
〈情報統制に関するゴッフマンのテーゼ〉 「どんなチームでも、そのチームのパフォーマンスがつくりだす状況の定義を維持することをもって、あらゆる目標に優先する目標とし ている。このような姿勢は、いつかの事実についてはコミュニケーション過多になり、他の事実についてはコミュニケーション過小を生じる。パフォーマンスが 演劇化しているリアリティの脆弱さとそれについて必要とされる表出的整合性は不可避である以上、パフォーマンスの進行中、もしそれらに注意が向けられれ ば、そのパフォーマンスが人に抱かせている印象を混乱させ、そのパフォーマンスへの不信を招き、あるいは、そのパフォーマンスじたいを無用にするかもしれ ない事実が存在する。このような事実は〈破壊的情報〉(destructive information)を提供するといってよかろう。以上のことから、多くのパフォーマンスにとってのひとつの基本的問題は、情報統制 (information control)の問題である。すなわち、現にオーディエンスに対して定義が行われている状況に関する破壊的情報を、オーディエンスに渡してはならないの である。言いかえれば、チームは秘密を保持し、その秘密を漏らさないでおかねばならない」(ゴッフマン1974:164 ただし訳文は変えた)。 "One over-all objective of any team is to sustain the definition of the situation that its performance fosters. This will involve the over-communication of some facts and the under-communication of others. Given the fragility and the required expressive coherence of the reality that is dramatized by a performance, there are usually facts which, if attention is drawn to them during the performance, would discredit, disrupt, or make useless the impression that the performance fosters. These facts may be said to provide "destructive infromation." A basic problem for many performances, then, is that of information control; the audience must not acquire destructive information about the situation that is being defined for them. In other words, a team must be able to keep its secrets and have its secrets kept,"(Goffman 1959:141). |
[問題]
今日において常識化しつつある社会的組織の〈透明な情報公開〉の原則は、〈情報統制に関するゴッフマンのテーゼ〉に一見矛盾するように思わ れる。
これは社会の組織化に関する我々の〈常識〉が変わったからであるのか——すなわち時代は〈情報統制〉から〈情報公開〉の原則に推移したから なのだろうか。その場合は、〈情報統制〉から〈情報公開〉への「推進力」になったものはいったい何であろうか。
あるいは、それらの原則を適用させる[下位の]社会的範疇は、依然として存在するゆえに、この2つの行為原則は共存可能なのか。もし共存 可能であれば、どのような使用ルールが考えられるのか。
【資料編】
【グループ発表と4名の教師コメント後に配布した資料】
【参照】沈黙の(排除)コミュニケーションデザイン
戦前ニューヨーク市の都市計画家にロバート・モーゼス(Robert Moses, 1888-1981)がいた。モーゼスは黒人を差別する人種主義者だった。当時、彼がニューヨーク市からロ ングアイランドのジョーンズビーチ公園にむかう公園道路の設計を担当することになった。モーゼスは公園道路を横断する200ほどある陸橋の高さを普通乗用 車がくぐるには十分な高さはあるが、バスがくぐるには低すぎて通れないようにデザインした。自家用車を利用する人たちはドライブすることができるが、公共 交通であるバスにたよる人たちには、ジョーンズビーチへはアクセスできないようして、自分の理念を実現することができたのである。(原出典はラングドン・ ウィナー「人工物に政治はあるか」『鯨と原子炉』紀伊國屋書店、2000年)
居住地などにおいて、新しい富裕層が入ってきて、利用料・使用料が上がるなどの旧住民にとっての排除につながる現象を「ジェントリフィケーション」と呼びます。
「ジェントリフィケーション(gentrification) とは、都市において比較的貧困な層が多く住む中下層地域(インナーシティなど都心付近の住宅地区)に、再開発や新産業の発展などの理由で比較的豊かな人々 が流入し、地域の経済・社会・住民の構成が変化する都市再編現象である。日本語では、高級化、中産階級化、階級浄化などの訳語があてられる。価値判断を離 れれば、「都市再編に基づく地価上昇」と簡単に定義することもできる(そのような研究者もいる)。これにより、貧困地域の家賃・地価の相場が上がり、それ まで暮らしていた人々が、立ち退きなどによって住居を失ったり、それまでの地域コミュニティが失われたりすることが問題となる。」#Wiki.
"Gentrification is a process of changing the character of a neighborhood through the influx of more affluent residents and businesses.[1] This is a common and controversial topic in politics and in urban planning. Gentrification often increases the economic value of a neighborhood, but can force out low-income residents due to the increased cost of rent and higher cost of goods." - #Wiki.
これは言い方を変えると、イスやベンチは、心地よく座ったりくつろげるように人間に対してアフォードされていることなのだ(→「アフォーダンス」)