ディスコミュニケーションとコミュニケーションデザイン
「ゴッフマンと情報公開とミートホープ事件」
テーマ:"Goffman, Information disclosure, and MEATHOPE CO. "
*) *My parodic title comes from the Steven Soderbergh's film work, "Sex, Lies and Videotapes," 1989.
今日は、あるコミュニケーションが破綻した状況(=ディスコミュニケーション状況にある時)に、その状況におかれた行為者がどのように状況を修 復してゆくのか(=行為者による新規のコミュニケーションデザイン)について考えたい。
取り扱う資料は多く、議論も一見複雑そうに見える。しかし受講生(院生・学生・社会人)は、本授業の教師が提供する資料の山が、いくつかの「単 純な論理」の偽装(camouflage)であることを見抜けば——学生の評価とは裏腹に教師の業界では授業に大量の資料を配布する者は未熟であると言わ れる——それほど難しくない。
いくつかの「単純な論理」とは、(1)一般的に社会集団は情報を統制するという性質をもつと長年のあいだ指摘されてきた。(2)現代の社会では 組織の情報公開は、その信用と組織内倫理を保証するために有効であり、また場合によっては不可欠だと言われている。(3)秘密の暴露はしばしばスキャンダ ルになるが、その重大さは秘密がもつトンデモなさ(eccentricity)よりも疑念が抱かれていた内容への類似性(fusibility)に相関を もつようだ、という3点に集約される。
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【課題】
以下の資料を読みなさい。この課題の出題者はグループ内での討論者に対して次のような点に留意した議論を行うことを期待する。なお、授業で おこなう議論は【問題1】だけでよい。【問題2】は討論後のレクチャーないしは授業終了後のウェブ(http://cscd.osaka- u.ac.jp/user/rosaldo/070413disCOM0a.html)で公開する予定である。
[問題1]
今日において常識化しつつある社会的組織の〈透明な情報公開〉の原則は、別項にあげた〈情報統制に関するゴッフマンのテーゼ〉に一見矛盾 するように思われる。
これは社会の組織化に関する我々の〈常識〉が変わったからであるのか——すなわち時代は〈情報統制〉から〈情報公開〉の原則に推移したか らなのだろうか。その場合は、〈情報統制〉から〈情報公開〉への「推進力」になったものはいったい何であろうか。
あるいは、それらの原則を適用させる[下位の]社会的範疇は、依然として存在するゆえに、この2つの行為原則は共存可能なのか。もし共存 可能であれば、どのような使用ルールが考えられるのか。もし、この問いかけが抽象的すぎるならば、資料に挙げているミートホープ、ウィキノミクス(=情報 技術の発達と参加概念の拡張によって提唱された新しい経済哲学)、経営学者による情報公開に関するエッセイなどの具体的事例において「〜の場合は〜すべき だ」という形で答えを出してください。
[問題2]
ミートホープ(牛肉ミンチ偽装)事件の報道において、ファミリー企業である田中稔社長[当時]が偽装の事実を認めなかった記者会見の席上 で突如として説諭した長男・田中等取締役[当時]の言動により、報道の焦点は偽装の有無ではなく、偽装の内容に焦点が移行していきました。記者会見での取 締役の言動やその後の経営するレストランの仕入れ中止[資料]という〈情報公開〉は、〈情報統制に関するゴッフマンのテーゼ〉からはどのように説明される だろうか。また仮想の問題として、これらの言動の背景にもし〈破壊的情報〉というものがあれば、それにはどのようなものが想定されるのか、考えてくださ い。
社会学的現実:〈情報統制に関するゴッフマンのテーゼ〉
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【教訓】[→出典はこちら][ゴフマン『行為と演技』(1959)ノート]
(1)組織というものは、たいてい悪い組織である。
(2)よい組織というのは、探究すべきものである。あるいは探究すべき価値があるものである。
(3)したがって「よい」ということが、我々がまず明確に定義しないと、よい議論というものははじまらない。
【資料編】
■公的機関における公開原則
「この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を 図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に 資することを目的とする」(『行政機関の保有する情報の公開に関する法律(情報公開法)』平成11年)。
■内部告発者の法的保護
「(目的)第一条 この法律は、公益通報をしたことを理由とする公益通報者の解雇の無効等並びに公益通報に関し事業者及び行政機関がとるべ き措置を定めることにより、公益通報者の保護を図るとともに、国民の生命、身体、財産その他の利益の保護にかかわる法令の規定の遵守を図り、もって国民生 活の安定及び社会経済の健全な発展に資することを目的とする。
(定義)第二条 この法律において「公益通報」とは、労働者(労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)第九条に規定する労働者をいう。以 下同じ。)が、不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的でなく、その労務提供先(次のいずれかに掲げる事業者(法人その他の団体 及び事業を行う個人をいう。以下同じ。)をいう。以下同じ。)又は当該労務提供先の事業に従事する場合におけるその役員、従業員、代理人その他の者につい て通報対象事実が生じ、又はまさに生じようとしている旨を、当該労務提供先若しくは当該労務提供先があらかじめ定めた者(以下「労務提供先等」とい う。)、当該通報対象事実について処分(命令、取消しその他公権力の行使に当たる行為をいう。以下同じ。)若しくは勧告等(勧告その他処分に当たらない行 為をいう。以下同じ。)をする権限を有する行政機関又はその者に対し当該通報対象事実を通報することがその発生若しくはこれによる被害の拡大を防止するた めに必要であると認められる者(当該通報対象事実により被害を受け又は受けるおそれがある者を含み、当該労務提供先の競争上の地位その他正当な利益を害す るおそれがある者を除く。次条第三号において同じ。)に通報することをいう」(『公益通報者保護法』平成18年施行)。
■「牛肉ミンチの品質表示偽装事件」の発端
「2007年6月20日、北海道加ト吉(加ト吉の連結子会社)が製造した「COOP牛肉コロッケ」から豚肉が検出されたことが報道された。 加ト吉が事実確認を行ったところ、北海道加ト吉には原料の取り扱いミスはなく、ミートホープの責任者は加ト吉に「納入している牛肉に豚肉が混ざっていた」 と報告した」。
出典:ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/ミートホープ)
■報道事例——記者による腹話術(ventriloquism)風の「内部告発者の語り」
[リード]ミートホープ元幹部が告発「私は農水省を許さない」
「肉ならば何でもミンチして混ぜて、牛肉と偽っていたミートホープ。偽装牛肉、賞味期限切れ、水増し牛肉と、不正は底なしの様相を呈してい る。元幹部の生々しい告発——。
私は去年の4月、苫小牧市にある農水省北海道農政事務所の出先機関にミートホープの偽装牛ひき肉のサンプルを持ち込み、「調べてくれ」と 言いました。もう我慢の限界だったからです。ミートの人間であれば、誰もが肉の偽装を知っています。工場には何百箱もの牛血球加工品が転がっていた。牛の 血で作った液体です。それをひしゃくで豚肉にかけるんです。投入原料日報を見れば、何を混ぜていたかも分かる。牛ひき肉コロッケ用には豚の心臓、牛の二度 びき肉。これは骨とか筋とかが入っていて、捨てる肉なんです。それを集めてきて入れていた。牛肉ダイヤ肉には舌フィーレ。これは舌の一番奥にある硬い肉 で、ふつうは使わない。鴨肉を混ぜたのは、中国の鳥インフルエンザで、中国産の在庫が売れなくなって余ったからです。肉にはホースで水をかけて、量を増や す。和牛とか北海道産牛とか納入したことになっているけど、倉庫のどこにもない。みんなが知っていたんです。
こんなことを続けていたら、いつか捕まると思った。だから、農政事務所を訪ねたのに、その対応は呆れるばかりでした。
私はミートホープでしかるべき役職にいました。その名刺を出して、担当者と話をした。出てきたのは指導係長でした。当事者の私が身分を明 かして、「ここの肉はおかしい」「話を聞いてくれ」と言っているのに、その係長は「誰が作った肉か分からないので信用できない」と言うのです。ガッカリし た私はその足で工場に戻り、今度は会社のシールを張ったひき肉を持って戻った。ところが、今度も門前払いを食わされたのです。
ミートホープの肉がおかしいと行政側に告発したのは私が初めてではありません。去年の2月にもミートホープのOBと思われる人が同じ指導 係長に情報提供をしている。このときも在庫に関する台帳や原料の表示などの資料を添付しているのに、「今後何かありましたらお願いします」で済まされてい た。
しかも、今度の問題が発覚して、農政事務所に抗議に行ったところ、指導係長は雲隠れし、課長は「出て行け」などと言う。私の告発もなかっ たことにされていました。
農水省は何事もなかったかのように「改善策」を発表して、済まそうとしていますが、冗談じゃない。こういう対応の役所に食の安全は任せら れません。
【2007年7月2日掲載】」 出典:ライブドアニュース(http://news.livedoor.com/article/detail/3222498/)
■報道事例——事実認定のための「客観的データ」の指摘
[リード]ミートホープ 肉に着色、水で増量か 偽装の実態が日報から次々
「【苫小牧】偽装「牛ミンチ」を出荷していた苫小牧市の食肉加工製造卸会社「ミートホープ」(田中稔社長)が、昨年七月に製造した製品で、 通常は製造過程で減少するはずの製造量が、逆に十キロも水増しされていたことが二十三日、同社の内部資料「投入原料日報」でわかった。製品に水を加えて増 量していた疑惑がある上、「牛ひき肉」の材料の半分近くに豚の心臓を使い、血液で着色するなどの偽装疑惑も浮上している。
昨年七月十四日付の「投入原料日報」によると、「ビーフパウダー」という商品は、機械に投入する原料の量が、豚の心臓「豚心」百八十キロ と二度びきした肉「牛2」二百八十キロの計四百六十キロだったにもかかわらず、製造量は原料より十キロ多い四百七十キロと書かれていた。
別の食肉加工業者によると、ひき肉の製造過程では、機械に肉がついてしまうため、原料に対し製造量が増えることはないという。ミート社は 鶏肉の場合でも「肉十五キロに水五キロを混ぜ、二十キロにした」との情報もあり、水で肉の量を増やす偽装がひんぱんに行われていた可能性もある。
北海道新聞社が入手した日報は、二○○六年七月五日から同十四日までの間の計八日分で、原価管理をするために、商品名や原料、製造量など 六項目を記載。同社の中島正吉工場長が「田中社長に原料について相談する時、自分がメモした」と認めている。
同じ七月十四日付の「十勝産牛バラ」ひき肉の原料は、「豚心」二百キロと、「牛2」二百八十六キロで、原料の四割を豚の心臓が占めた。元 従業員の男性は「豚の心臓とくず肉を細かくひくと、見た目は何の肉か分からなくなる。血液で赤く着色すれば、牛だと思ってしまう」と証言する。
また、同日付のオーストラリア産ビーフの原料欄には羊肉を意味する「ラムクズ」と書かれ、七月十二日付の牛バラひき肉の原料欄には「カモ ササミ」との記載もあった。この元従業員は「種類にかかわらず、余った肉でひき肉を作っていた」と明かす。
このほか、○五年十二月二十七日付の在庫管理表には、三カ月以上前の九月十日に賞味期限が切れた冷凍ウインナの記載もあった」。
出典:北海道新聞(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/33982.html)
■報道事例
[リード]社長「偽装を指示」認める 7、8年前から牛ミンチに豚混ぜる
「北海道苫小牧市の食肉加工販売「ミートホープ」が豚肉を混ぜたひき肉を「牛ミンチ」として出荷していた問題で、同社の田中稔社長(68) は二十一日記者会見し「七、八年前からコストを下げるために牛肉に豚肉を混ぜるよう指示した」と述べ、自ら偽装を主導していたことを初めて認めた。前日ま での説明を一転させ、あらためて謝罪した。 ……
「本当のことを言ってください」。食肉加工販売のミートホープの田中稔社長が一転、関与を認めたきっかけは、長男である等取締役(33)の 言葉だった。
北海道苫小牧市にある本社二階の広間で始まった記者会見。報道陣から質問が浴びせられ、田中社長は不利な状況になると、次第に歯切れが悪 くなった。 「やったなら、やったと認めてください。あいまいな表現はやめて、本当のことを言ってください」。突然、沈黙を破ったのが同席した等取締役。泣きそうな 表情で田中社長の方を向いた。
田中社長は正面を向いたまま「(混入を)指示したことがある」とようやく認めた。……」。
出典:中日新聞(http: //www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007062202026117.html)
■報道事例
リード:ミートホープから仕入れやめました 長男の飲食店が広告
「2007年07月04日08時01分 偽装牛ミンチ問題で、食品加工卸会社ミートホープ(北海道苫小牧市)の前取締役で、田中稔社長の長 男が経営するバイキングレストラン(本店・同市)が3日、「食肉の仕入れ先を信用できる業者に変更した」とする広告を新聞に掲載した。ミートホープの元幹 部は一連の偽装食品の一部がこのレストランに出荷されていたと証言している。
「お詫(わ)びとお知らせ」と題した広告は、94年の開業当時から、レストランがミートホープから肉などを仕入れてきたと説明。今後は、 原材料受け入れ時の品質点検や賞味期限の点検などを励行するとしている。レストランは、偽装が明るみに出た後、すでに仕入れ先を変更している。
ミートホープは田中社長の一家で役員を固め、長男も記者会見にたびたび出席していた」。 出典:朝日新聞(http://www.asahi.com/national/update/0703/TKY200707030496.html)
■所轄官庁の責任のなすりつけあい——泥仕合
リード:ミートホープ告発放置調査、事実上打ち切り 農水省と道[庁](2007年07月11日)
ミートホープの内部告発文書を渡したか否かで農林水産省と北海道が対立した問題で、両者が11日、札幌市内で協議した。両者は「これ以上 の調査は困難」との認識で一致。調査は事実上打ち切られた。/ この問題を巡っては、06年2月に内部告発を受けた同省北海道農政事務所が、同3月24日に告発文書を道庁に持参して担当者に手渡したと主張。道は「当 日、担当者は出張中だった」と受理を否定。双方の検証チームによる調査でも結論は変わらなかった。/ 3時間に及ぶ協議の後、道庁で会見した双方によると、出席した当事者からの発言はなく、互いに質問し合うこともなかったという。客観的に手渡しの有無を 裏付ける新たな資料が出ない限り調査を続行できないと判断したという。 見解が相違したままの決着について、同省の貝谷伸審議官は「組織として率直に反省し、おわびしたい」と話した。
出典:朝日新聞 http://www.asahi.com/national/update/0711/TKY200707110491.html(2007年7月12 日)
◆〈過ちを犯さないことは正しくふるまうことではない〉の図 (池田光穂・原図 2008)
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◆〈専門家はしばしば事例から過度の一般化をおこない、みずから誤謬の墓穴に入る〉という事例を紹介します。
■告発は善——畑村洋太郎・東大名誉教授の主張
「企業や組織の中には「悪いとされていることを平然とする人種*」が3%、逆に「不正は絶対にしない」という良識人が3%、そして残りの 94%**は「おおかたは善意で動くが時と場合によっては、ほどほどの悪いことをする」という人種に分かれると言います。……ある組織が社会に対して失敗 を隠蔽しようとウソをつき始めた場合、それは加速度的に「成長」し、最終的には司法の裁きを受け、社会的信用をなくすという大打撃を受けることになりま す。ところが、組織全体(94%+3%)でウソをついている場合は、表ざたになりにくいもの。大打撃になる前に、早めにそのウソの輪を切るためには、社内 にいる一部の良識人(3%)による内部告発しかないのです」(畑村 2006:144)。
【文献引用に関する池田の注釈】
*畑村(2006)が言う「人種」という用法は今日の人類学の学問に照らし合わせれば根本的誤りで非科学的用語法です。ここで言う人種は 「心理的性格をもつ人たち」と読み替えてください。**また畑村はこの百分率で示される数字の客観的根拠を示していないのでそれを「客観的事実」として引 用することはできません。ただし数字の多寡はともかく我々の「経験的事実」としてはそれほど矛盾しないように思われます。
■ウィキノミクスという新世界——多幸的新世界(euphoric New World)
「従来、人々の大半は、大量生産された製品を消費するだけ、硬直的な組織で上司に言われたことをするだけなど、経済において限られた役割し か果たせなかった。選挙で選ばれた議員でさえ、ボトムアップの意思決定にいい顔をしないものである。一言で言えば、ほとんどの人は循環する知識、権力、資 本の輪から外れており、経済世界の片隅にやっと引っかかったような参加しかできなかったのだ。/この状況は、現在、大きく変化しつつある。情報技術が普及 して、コラボレーションや価値の創出、競争が行えるツールを誰でも使えるようになり、普通の人々が革新や富の形成に参加できるようになったのだ。すでに何 百万人もの人々が自発的参加によるコラボレーションを行い、世界的な優良企業に匹敵する財やサービスをダイナミックに生みだしている。これは「ピアプロダ クション」やピアリングと呼ばれる形態で、無数の人と企業がオープンなコラボレーションを通じて業界に革新や成長をもたらすことを指す」(タプスコットと ウィリアムズ 2007:19-20)。
【文献引用に関する池田の注釈】
ウィキノミクスは、ウィキペディア(Wikiという文法で書かれたウェブ上の百科事典)とエコノミクス(経済学)の合成語。情報技術の発達 と大衆の参加概念の拡張によって提唱された新しい経済哲学のことである(タプスコットとウィリアムズ 2007)。
■経営学者が勧める〈妥協的〉情報公開——モラルハザードの原因?
「それではこれほどまでに、情報公開が流行する理由はどこにあるのだろうか。その理由を、情報を受ける側と提供する側に分けて考えてみよ う。まず、情報を受け取るにはどのようなメリットがあるのだろうか。いうまでもなく、これまで知らなかったことを知ることになるのだから、その情報を基礎 に利害関係者とより優位に交渉することが可能になる。……概ね、情報公開政策には、情報の受け手の側に分かりやすい利点があり、経済社会の民主化と相俟っ て情報公開が流行する理由は、明白である。先進資本主義諸国の証券規制機関が、企業の情報公開を促す規制を概ねもっている理由もここにある。……問題は、 情報公開を行う側の積極的な利点が、容易には見出せないことであろう。企業人ならば、一つ一つの情報からは無理でも、複数の自社情報を比較総合されること によって、自社の生産・経営上の機密が意外にも漏れうる可能性があることを心配するのは当然である。したがって一般的にかつ歴史的にも企業人は、情報公開 には消極的である。しかし考えようによっては、情報公開は、企業にとって思わぬメリットを有していることをここで付言しておこう。メリットがある最大の領 域は、実は企業が情報こ公開する直接の対象は、株主や地域住民、労働者等、総称して一般大衆であるが、当該一般大衆と企業の関係ではなく、対政府との関係 の中に存在する。……情報公開の第二のメリットは、広告宣伝のメリットに似ている。広告宣伝を自社の製品紹介だと単純に考えている経営者は少ないであろ う。広告宣伝の重要な効果は、大衆の意識を変えて(自社)製品が、人々の生活に組み込まれたときの生活の変貌を見せ、それに憧れを持たせることにある。決 して製品だけを見せるのではなく、当該製品(サービス)を用いたときの生活様式の提言と説得である。同じことが情報公開にもいえるのであり……/以上でお 分かりのように「正直こそ最良の方策」とか「事実を見せていれば世間様は分かってくださる」とかいった発想で情報公開を考えなくてよい、あるいは考えては いけないと言ったほうがよいかもしれない。情報公開政策は企業にとって、実施することによって劇的ではないが着実に利いてくる、あくまでも一種の経営政策 なのである。決して「正直」とかいった倫理に裏打ちされる必要はなく、経営政策すなわち損得計算の次元で実施する必要が出てくる政策なのである。極言すれ ば、嘘はいけないが、自社に関する事実を、自社に有利なように再整理して公表することは、私的利益を追求する企業の形成政策として適ったことなのである」 (山地 2003)。
【文献引用に関する池田の注釈】
みなさんが読んでみて一目瞭然と思われるが、この山地教授の議論は愚見ないしは香具師風の衒学である。もしこのことが分からない学生にはこ う考えてみることをおすすめする。つまり、ここでの企業を大学教授と言いかえ、企業のステイクホルダーを学生だと言いかえてみたまえ。大学教授が正直や倫 理の原則で学生の指導をしていないことを、学生じしんが確信をもてば、その教授に対する学生の〈信頼〉は揺るぐはずだ。正確に言えば山地教授は情報公開に 関わる行動と信念に異なった基準のルールを適用せよと主張しているのである(ダブルスタンダードの誤謬)。もし企業ならこのような行動原則を採用すればモ ラルハザードが起きることは必須である。そういう主張は、利害関係者が聞いた時にその人への信用を下落させるということに気づいていない。つまりゴッフマ ンのいう情報統制に成功していないということになる。そのために[アドバイスとして経営者は決して]鵜呑みにしてはならないと助言したくなるが、学者が経 営者向けにどのような言説を弄するのか——すなわちどのような行為選択と当事者にとっての理由づけを持つべきなのかという主張の、ひとつの典型例になると いう引用である(我々にとって研究材料ならびに他山の石になるという謂いである)。
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◆ここからは、以上の問題を発展させて、さらに考察を深めたい(=拡張したい?)と思います。
■よきこと・目的・行為——アリストテレス『政治学』第7巻第13章(1331b,20-30)
「ところで、すべての場合によさが生じるのは二つのことに依存する。その一つは行為が目指す的、すなわち目的を正しく見据えることにある。 他はその目的に達する行為を見いだすことにある。というのは、これらの二つのことがたがいに合致しないことも、合致することもありうるからである。たとえ ばときとして、的は正しくおかれているのに、人は行為においてそれを当てるのに失敗することがある。またあるときは、目的に向かうあらゆる手だてに成功し ているのに、目的の立て方が間違っていることがある。またあるときには、いずれをも誤ることがある。たとえば医術の場合は、身体が必要とする健康がどのよ うな性質のものか判断を誤り、同時に彼が想定した目標に対して効果的に働く手段を選ぶのに失敗することがある。技術と知識の分野ではこれら二つ、目的とそ れに向かう実践が掌握されていなければならないのである」(アリストテレス 2001:378-379)。
■うそに関する研究について(2008年4月22日授業での池田光穂のコメント)
嘘については、古代より哲学者や宗教の宣教者たちが死ぬほど(つまり滅茶苦茶)議論をし、説教を垂れてきました。嘘を虚偽とは異なるという 主張をおこなうのであれば、嘘と虚偽が定義として何を共有し、何を相互に関連性をもたないのかを明らかにしなければなりません。普通の人の普通の用語法で は、嘘も虚偽に大きな峻別をつける慣用法はありません。念のため。
さて、現代の哲学者も嘘についてよく議論をします。嘘の能力とは(逆説めいていますが)人間が理性的判断力をもつことゆえにもつことができ る能力だからです。さて、嘘をめぐる議論は大きくわけて2つに分けられます。ひとつは、(1)嘘の論理に関することです。もうひとつは(2)嘘と信頼性に 関するものです。
(1)嘘の論理は、ご存じのように「すべてのクレタ島人は嘘つきであるということをクレタ島人が言う」というクレタ島人のパラドクスをどの ように解消するかという論理的な手続きに関するものです。論理的な逆説は、言葉の不完全性について人間を気づかせたと同時に、言葉の使用とは自己言及的な ゲームであることにも議論を広げることを可能にしました。
「wを「自分に述語づけられない述語である」という述語とします。そのとき、wは自分自身に述語づけられるでしょうか?いずれの答えか
らもその反対が帰結します。それゆえ、wは述語ではないと結論ぜざるをえません」——ラッセルからフレーゲへの手紙(1902)
他方(2)嘘と信頼性の関係ですが、信頼性(=ゲーム論的には相手が誠実であることを賭けること)を担保(掛け金)にすると、嘘はジョーク になりうる可能性があり、嘘はかならずしも、つまりいつもいつも「とんでもない倫理的違反」にはならないことだってあるからです。この場合、嘘は正確にい うと虚偽ではなく、誇張(=ほら吹き)や修辞の領域の技法の延長上に位置づけることができます。信頼性と抱き合わせだと嘘は、かならずしも倫理的に排除す るものではなくなります。嘘も方便と言えるのは、誠実性の審級を持ち込んだ時だけです。
というわけで、信頼性が要求されるコミュニケーションの世界では、一見嘘は排除されるべき異物のように感じられますが、嘘が面白く愉快なも のとして無毒化されるには信頼性が不可欠という、これまた逆説的な状況が生まれるのです。
●他者の痛みと嘘つきのはじまり(池田光穂)
神経学者アントニオ・ダマシオ(2005)が主張する説で、外部からある情報を得ることで呼び起こされる身体的感情(心臓がドキドキした り、口が渇いたりする)が、前頭葉の腹内側部に影響を与えて「よい/わるい」というふるいをかけて、意思決定を効率的にするのではないかという仮説。この 仮説にしたがうと、理性的判断には感情を排して取り組むべきだという従来の「常識」に反して、理性的判断に感情的要素はむしろ効率的に働くことになる。
ソマティック・マーカー説に従うと、ミートホープの元社長は、長男の重役から偽装の有無について述べるように、記者会見の席上で突然詰問さ れたが、その時の動揺(=感情体験)は結果的に社長の理性的判断(=正直に述べることがより 合理的である)の効率性を促したということになる。
中途半端な心理学風の説明であると、その時点で社長の外堀は埋められていたので、長男の説諭に正直に答えるほうが、パフォーマンスとして有 利に自分の行動を導いたと解釈することが可能である。しかし、あらゆる心理学風の衒学同様、この説明は(脳生理学的な説明がうまくいく)瞬間的な社長の判 断にも、また中長期的には、社長は会社の経営を破綻させ法的に処罰させられるという(中長期的な視座をもつ法社会学な解釈ではうまく説明されるような)こ とを上手に説明することができない。おまけに、社長は(たとえ弁護士の勧めがあったとしても)控訴をせず、罪に服したという事実もまた、正直に長男の説諭 に反応したことのなかに、感情と理性の調和をその行動のなかに読みとることができる。つまり社長は本人が仮に社会的体面で「偽装」を積み重ねていたとして も、本質(=脳に)おいては至極誠実(=よき道徳をもつ)であったと言うことができる[彼は自分が犯した罪だけを償えばよいことになる]。ソマティック・ マーカー説は(十分に証明されていない科学的実証を先送りにはするが)それほど荒唐無稽とは言えまい。
長男の臨機応変のこの説諭劇は、やはり少なくとも重役のレストランがミートホープの関連企業である印象を軽減し、レストランの経営危機—— 消費者が「このことを知らない」場合は危機にはならない——から救うことになったと、結果的には言 える。事実、長男は、この後で自分の経営するレストランの顧客にわかるように店頭でミートホープからの食材の納入は行わないことを宣言している。
◆偽装の〈現場感覚〉
01「中国産野菜を国産と偽装、販売したとされる長崎県島原市の食品製造会社「N食品工業」(破産手続き中)。同社前社長の父で実質的な経 営者、K(56)ら3容疑者が不正競争防止法違反(虚偽表示)容疑で逮捕された。元社員や関係者らは毎日新聞の取材に対し「偽装は03年の会社設立当初か ら」と証言。偽装工作には他の社員も加わっていたという。
02「元社員によると、中国産の野菜は児島容疑者ら一部の役員・社員が開封し、パートらが「国内産」と書かれた袋に詰めて出荷。この作業は 「リパック」「詰め替え」の隠語で呼ばれた。/ 中国産里芋を「国産」と書かれた段ボール箱に移し替える「どっこいしょ」と呼ばれる作業もあった。休日に数人の社員が集められ、毎回5トン分を移し替えた という。
03「買値が1キロ200円で、売値は1000円。とにかくもうかった」(別の元社員)。作業が終わると、幹部から1万円の入った封筒を配 られたという。元社員は「いけないことと思っていたが、引き返せなくなった」と吐露した。
04「長崎県警幹部は「多かれ少なかれ、業界全体で偽装をしているのでは」と指摘。容疑者の一人が調べに対し「うちだけではない」と言明し ているからだ。」(出典:http://mainichi.jp/seibu/news/20080624sog00m040007000c.html 2008年6月26日)
関連用語の解説:「現場力」
文献
クレジット:
「ディスコミュニケーションの理論と実践」第13回 2007年7月12日 ディスコミュニケーションとコミュニケーションデザイン 池田光穂