未知なるものとの対話
半世紀以上も前の日本における身の上相談の連続性と非連続性について
担当:池田光穂
「身の上相談」
「私は三男一女の父親です。家内は16年前に亡くなりました。子どもたちが不憫だったので、再婚はしませんでした。子どもたちはこのことを多と してくれました。子どもはみな結婚しました。8年前に息子が結婚したおり、私は町内の別の家に隠居しました。このようなことを申し上げるのはきまり悪いの ですが、実はこの3年、日陰の女と交際してきました。女から身の上を聞いて気の毒になり、少しばかり金を出して身請けしたのです。礼儀作法を仕込んで、身 の回りの世話をしてもらっています。女は責任感が強く、驚くほど倹約上手です。ところが、息子たちとその嫁、そして娘とその婿は、このことで私をさげす み、赤の他人のふりをします。子どもたちを責めているわけではありません。私の咎(とが)ですから。
女の両親は事情がのみ込めていない様子でした。嫁入りする年頃なので、娘を返してほしいと手紙を寄越しました。そこでじかに両親に会って、事 の次第を説明しました。先方はひどく貧乏していますが、たかりをするような人たちではありません。娘のことは死んだものとあきらめ、今のままにしておくこ とを承知してくれました。娘自身も最後まで私のそばにいたいと言っています。しかし、私たちの年齢差は親子ほども開いていますので、親元に帰してやろうか と、ときどき考えることもあります。子どもたちは女のことを財産目当てだと考えています。
私は持病があり、寿命はあと1年か2年しかないと思います。どのような方針で臨めばよいのかご教示いただければ幸いです。最後に一言申し添え ますと、女はかつてこそ日陰者でしたが、それは、よんどころない事情でそうなったのです。女は気立てがよく、その両親も金銭目当ての人たちではありませ ん」(ベネディクト 2008:176-177)。
註)日陰の女、日陰者は、[著者によると]「身売りして飲み屋で客を取っていた女」(op. sit , p.499)。
課題
(1)この「身の上相談」の情報から、この物語に登場する人物のすべてをあげて、彼/彼女たちがそれぞれこの事案に対してどのように考えている か見解をまとめなさい。
(2)この男性(三男一女の父)に対して、あなたはどのような道徳的心証をいだいたでしょうか。この男性の心理状態のみならず時代的および社会 的背景(1940年代中頃の日本のジェンダー関係、政治経済状況)などを無視しても/考慮してもかまいません。あなたの道徳的心証をなるべく詳細に記述し てください。
(3)みなさんは[先のような考察に立脚して]どのような観点、どのような立場からでもよいので、この男性に対してアドバイスしてください。
出典:
ベネディクト、ルース 2008『菊と刀』角田安正 訳(光文社文庫)、東京:光文社
■ 課題に取り組んだ講義提案者じしんのワーク
1週間後の授業では持ち寄った課題について、各班(5-6名)に分かれて約35分議論をおこ ないました。
議論の最終的な目標は、この男性の「身の上相談」に対してアドバイス(助言)をおこなうこと でした。また、その際に留意することは、各人の意見の多様性と、そのような助言に至った理由には、課題の(1)と(2)に関する推論が何らかの形で助言に 反映されていることを確認するためです。
臨床コミュニケーション2 池田光穂(阪大CSCD)
(1)この「身の上相談」の情報から、この物語に登場する人物のすべてをあげて、彼/彼女たちがそれぞれこの事案に対してどのように考えている か見解をまとめなさい。
以下の8つの個人ないしは集合的人格が登場する。
1.本人(三男一女の父)
身の上相談をもちこんだ本人。余命がいくばくもないことを悟り、「日陰の女」と同棲することをめぐって、息子・娘およびその嫁婿たちとど のような人間関係を持つべきか(あるいはどのように解消すべきか)悩んでいる。現在の自分の身の処し方に「咎(とが)」を感じているので、現在の内縁の妻 との解消も身の処し方のオプションに入っている。
2.家内(故人)
各人の想い出あるいは心のなかに“存在”する。性関係においては「日陰の女」と同質の存在であり、子どもたちとの関係においては代替不可 能な存在。本人の妻および子どもたちの母としてかつて実在したが、心のなかに“存在”することだけが、この問題に対する唯一の関わり方である。したがって この事案に対して特定の考えをもたない。
3.子どもたち(集合的人格)
すでに社会人であり、本人(父)とは独立した人格をもちと自己決定を行使できる。本人(父親)にとって、内縁の妻(=日陰の女)の存在を 嫌悪しており「赤の他人のふり」(=無視)をする。ここから、父親には内縁の妻との関係を解消してほしいと願っている。子どもたちは、内縁の妻が隠居した 父親の財産を狙っていると考えている。
4.8年前に結婚した息子(末息子?)
三男の息子の末と推測できる。考えている内容は、上掲3.と同じ。
5.「日陰の女」
本人(夫)の弁(=「娘自身も最後まで私のそばにいたいと言っています」)によると、現状には満足している。本人は彼女に具体的相談をし ている形跡なし。つまり身の上相談の圏外にいる。
6.息子たちとその嫁(4.を含めた3人とその配偶者)
考えている内容は、上掲3.と同じ。
7.娘とその婿
考えている内容は、上掲3.と同じ。
8.女の両親
「死んだものとあきらめ、今のままにしておくことを承知」している。ただし身の上相談の圏外にいる。
(2)この男性(三男一女の父)に対して、あなたはどのような道徳的心証をいだいたでしょうか。この男性の心理状態のみならず時代的および社会 的背景(1940年代中頃の日本のジェンダー関係、政治経済状況)などを無視しても/考慮してもかまいません。あなたの道徳的心証をなるべく詳細に記述し てください。
私は、自己のジェンダーや社会的役割(父親)としての経験から、この本人の立場につよく感情移入あるいは共感するものである(=ただし彼の 心の咎を感じるということについて共感しない)。したがって自分が彼と同じ状況におかれたときには、息子娘や嫁婿のことを気にせず、我が道を行けという声 援をしたくなるような感情が先立つ。このような感情を私じしんがもつことは、この事案に対する私の道徳的心証は、この男性は何ら悪いものとは思えない。た だし、私のもう一つの道徳的感情の源泉である、理性的判断をつねにもつべき教員(学者)からは、フェミニストからの観点による批判も考慮すべきだと思い抱 く。つまり、時代や社会状況を配慮してもなお、日陰の女を最初から一個の人格・人間として本当に対等に扱ってきたのだろうかという道徳的非難の感情を僅か ばかりかもしれないが抱く。
(3)みなさんは[先のような考察に立脚して]どのような観点、どのような立場からでもよいので、この男性に対してアドバイスしてください。
先のような道徳的理由から、この男性には「息子娘や嫁婿のことを気にせず、我が道を行けという声援」を送るが、同時に、彼女に一個の人格・ 人間として本当に対等に扱ってきたのかを自問させようとするだろう。息子娘や嫁婿との人間関係の改善には、自分の心情を理解してもらうように時間をかけて 話し合い、不必要な感情の齟齬を少しずつ解消してゆくしかないと説得するだろう。
【授業提案者のねらい】
・他人への身の上相談という道徳的判断には、熟慮しようとしまいが、(i)自分ならどう感じるだろうか、という他人の経験を自分の経験(= 思念)の内部に取り込むというモーメントと、(ii)自分ならどう判断し行動するだろうか、という自分の思念を、他人の経験の総体(=生活世界)のなかに 埋め込もうという別のモーメントが働いていないだろうか。こういう2つのモーメントはふつう反省的・内省的とよばれる思考活動のレパートリーの変奏である が、両者は微妙に異なっている。
・道徳的判断や、反省(内省)という知性的判断には、感情という要素が深くかかわっている。にもかかわらず爾来、感情は「正確な」道徳的判 断や内省(反省)を鈍らしたり、誤る原因と長いあいだ思われてきた。
文献
- ベネディクト、ルース『菊と刀』角田安正訳、光文社文庫、東京:光文社。
- ダマシオ、アントニオ『感じる脳』田中三彦訳、東京:ダイヤモンド社。
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