遠隔地対人コミュニケーション
virtual "tele-existence" communication by mobilephone
今日は、モバイルフォン(すなわち携帯電話)がもたらした遠隔地にいる人があたかも存在する(tele-existence)複雑な参与的コ ミュニケーションについて考えてみよう。遠隔地の相手が「いま」「ここ」という場を再現すると言われたモバイルコミュニケーションだが、どうやら「いま」 「ここ」という仮想現実が所与の実体となったとき、人はどのようにしてコミュニケーションを操っているのか、あるいはコミュニケーションによって人はどの ように操られているのか、について考えてみたい。Anyway, DX originally means Long Distance Communications. so, F*UC*K O*FF Japanese METI.
以下は、携帯電話の〈かけ手〉と〈受け手〉の会話である。会話の内容から、受け手の近くには「ママ上」(ままうえ)あるいは「お母さん」とよば れる人がいることがかわるので、そのような状況を想像しながら、記録を読んでください。
【かけ手】 なにしてんの? 今
【受け手】 カーテン、買いにきた。 【かけ手】 カーテン? なんでカーテンなんか買いよん? 【受け手】 カーテン替えよ〜と思って。 (省略) 【受け手】 今、ママ上とカーテン見てんねんで、ママ上と 【かけ手】 あれ?ほんと?そしたらあかんがな、あんまり邪魔したら 【受け手】 いや、別に(ハッ)、いや別に(ハッ)…全然 【かけ手】 うそ、カーテン選びなさいよ、じゃ〜 【受け手】 も〜、選んだ。 【かけ手】 選んだんか。 【受け手】 も〜、決めてん。 【かけ手】 ママ上が話し相手がおらんくって、さみしがるがな。 (0.5秒ほどの沈黙) 【受け手】 お母さんはひとりでえらんどるん、なっ(0.5秒)ねっ、カーテン 選んどる時に、お母さんひとりにさせたらあかんでって、いってんで、しゃべっているときに 【かけ手】 そうよ、ジェントルマンやからな。 (0.3秒) 【受け手】 誰か知らないけれど 【かけ手】 ウフフ フフフ 【受け手】 ハハハ[後半フフフに重なって] |
受け手の側にいる「お母さん」が聞こえる2人の会話は、下記のとおりである。
【受け手】 カーテン、買いにきた。 【受け手】 カーテン替えよ〜と思って。 (省略) 【受け手】 今、ママ上とカーテン見てんねんで、ママ上と 【受け手】 いや、別に(ハッ)、いや別に(ハッ)…全然 【受け手】 も〜、選んだ。 【受け手】 も〜、決めてん。 (0.5秒ほどの沈黙) 【受け手】 お母さんはひとりでえらんどるん、なっ(0.5秒)ねっ、カーテン 選んどる時に、お母さんひとりにさせたらあかんでって、いってんで、しゃべっているときに 【受け手】 誰か知らないけれど 【受け手】 ハハハ |
※出典:見城武秀「第8章「他者」がいる状況下での電話」『モバイルコミュニケーション:携帯電話の会話分析』山崎敬一編、Pp.161- 162、大修館書店、2006年
原文には、会話分析手法によるトランスクリブション記号で表記されているあるが、引用者(池田)はそのような表記法は学問的にはナンセンスで冗 語法だと思うのでここでは採用せず、一般的に使われる会話の表記とした。
[問題]
この会話例は、携帯電話が【かけ手】と【受け手】の二者間の双方向のコミュニケーションであるのに、(双方が知っている)第三者がそれらの うちのどちらかの近傍に存在するために、三者間の間にコミュニケーションの環ができていることにあるように思われる。
このような観点に立って、この会話は、三者のコミュニケーションにどのような意味をもつのか、ひとつひとつの発話を解釈・分析してくださ い。
[文献]
山崎敬一編『モバイルコミュニケーション:携帯電話の会話分析』大修館書店、2006年
E・ゴッフマン『集まりの構造 : 新しい日常行動論を求めて』丸木恵祐・本名信行訳、誠信書房 、1980年(Erving Goffman, 1963. Behavior in public places : notes on the social organization of gatherings . New York : The Free Press.)
[ポストスクリプト]
受講学生は、会話のシークエンスを追いかけながら、直接の話者や第三者の巻き込みのシグナルを的確に読みとり、その箇所を指摘することがで きた。あるいは、コードチェンジとよばれる会話における重要なキー(鍵)=暗号(コード)を指摘することもできた。
私は授業で、受講学生に対して注意を促したのはつぎの2点である。
(1)会話記録から、実態を再現するのは難しい。とくに真偽関係の証明は実質上できないといってもよい。我々ができるのは、記録から、妥当 な解釈を導きだすことである。にもかかわらず、何が「妥当性」を保証するのかについては困難を極める。ただし、その作業がなぜこれほど楽しいのだろうか。 人は推理小説(ミステリー)を楽しむような想像力をもっていると思わざるを得ない。
(2)このような会話分析をおこなう時に重要なことは、(A)フレーム内推論、と(B)フレーム外推論(あるいはメタコンテクスト推論)と いう形式的区分を守りながらまず、両方の推論を別々におこなうことが重要であり、それらの間の論理的混同(推論の根拠をしばしば跳躍して両者を混同する) を避けることが重要である。ただし、この後に、フレーム内外の論理的調和性ないしは不能性についてきちんと吟味することを私はみなさんに勧めたい。