ペルナンブコの体罰
Los castigos corporales, o abuso infantil de Pernambuco, Brazil
課題:
まず、次の2つの文章を読んでください。そして(1)ブラジル・ペルナンブコ州の漁師(1947年)たちは、子どもの体罰に対して、どのよ うに考えているのか分析してみましょう。つぎに(2)この分析は、SESIの加盟員たちに対して、具体的にどのようなプロジェクトや介入(=社会的実践) に際して、役立てることができるでしょうか。
SESI(ブラジル産業社会奉仕団)ブラジル・ペルナンブコ支部 1947年
■体罰の理由
「そのころ、私たちはレシーフェ、沿岸部のゾナ・ダ・マッタ(サトウキビ栽培地帯)、アグレスチ、セルタンの入口に近いあたりで、学童をも つ約千世帯の家族にアンケート調査を実施していた。SESIはそれらの諸地域に拠点やセンターをかまえ、加盟員とその家族に医療・学校・スポーツ文化施設 などの支援活動をおこなっていたのである。
調査といっても手のこんだものではなかった。ただ親たちに子どもとの関係について問う、いたって簡単なものであった。質問は〈褒めるこ と〉と〈罰すること〉に関するもの。もっともよくおこなわれる、子どもへの罰の方法、その理由、子どもの反応、そして親が期待したように子どもの行動が変 わったかどうかというようなことだ。……
親たちがどこまで制限だてを、子どもの気ままな行動を許していたのか、それは私にはよくわからない。そうではなくて、漁師たちは、自由を 重んじながらもかれらの文化的伝統にしたがって、自然、世界、海そのものが課する制約をあてこみ、子どもたちが思い通りにはならない自然の掟を自然そのも のを通して体得することを期待していたのかもしれない。……子どもたちはじつに自然なやり方で、できることとできないことの区別を学んでいくのであった。
「彼ら(漁師たち)は自分を自由と感じ、誇り高く生きていた。七つの海とその神秘とともに生き、自分たちが「知恵の漁法」と呼んでいるノ ウハウを駆使して生業に従事するかれらの誇りを、私はカイサーラと呼ばれるココナッツ小屋で、夕陽をあびながら興味深く聴いた。だが一方で、彼らは無慈悲 に収奪され、搾取されていた。搾取するのは、彼らの厳しい労働の果実をただ同様の値段で買い叩いていく仲買人であったり、彼らに漁具を買う金を融資してい る高利貸たちである。……
子どもがよく学校を休むのはなぜか、という質問項目があった。親と子どもが別々に回答するようになっていた。生徒の答えは「俺たちは自由 だから」というものであった。親たちは、「あいつらの自由だからな。そのうち来るようになるさ」であった。
他の地域での罰のありさまは、いろいろだった。木の幹に子どもを縛り付けておくという親、何時間も部屋に閉じこめておくというお仕置き、 ごつい木べらで掌を叩く「ケーキ」(叩いた後に腫れ上がるためにこの名がつく)、乾いたトウモロコシの粒の上に跪かせるという体罰もあった。革の鞭でひっ ぱたくというお仕置きは、革サンダルの産地として名高いゾナ・ダ・マッタの習慣になっていた。
大した悪さでもないのに、こんな罰が適用されるのであった。調査員に対して、親たちはしばしば言うのだった。「こっぴどいお仕置きという ものは、子どもを強くするのですよ。これからのやつらの人生はどぎついですからな」「叩けば叩くほど、ガキはマッチョになってゆくんでさ」」(pp.23 -25. 文言は多少変えた)。
※SESI(ブラジル産業社会奉仕団)ブラジル・ペルナンブコ支部 1947年
■セミナーでの出来事
「私(パウロ・フレイレ)はジャン・ピアジェ(=スイスの著名な発達心理学者)のすぐれた研究を下地にして、子どもの道徳意識について、罰 に対する子どもの心的表象について、罰の原因となる行為と下される罰の釣り合いに、当のピアジェの名を引用して、長々と論じたてていた。親子のあいだの対 話的で、情愛のこもった関係が体罰にとってかわらなければならぬと、私は力説した。
話が終わった時、歳のころ40歳くらいの、まだ若いのに老けた感じのする男性が立ち上がって、発言を乞うた。……
『先生、わしはあなたのお宅に行ったことはありません。しかしお宅のようすを先生に聞かせることができます。あなたのお子さんは何人です か、お子さんは男の子でいらっしゃいますか?……(フレイレは女3人、男2人と答える)……そうですか、先生。先生のお宅は一戸建てでしょう。いわゆる庭 付きの家ですね。たぶん夫婦の部屋もあるでしょう。それから居間と3人のお嬢さんたちの部屋。……お二人の男のお子さんの部屋もありますね。シャワーが あって暖かいお湯がでます。……
『先生の場合は確かに疲れてご帰宅であっても、そこには湯上がりのこざっぱりした身なりのお子さんたちがいらっしゃいます。お腹を空かせ ることもなく、すくすくと美しく育った子どもさんたちです。(しかし)わしらが家に帰って出くわすガキたちは飢えてうす汚く、のべつまくなしに騒ぎ立てて いるガキたちです。わしらは朝の4時には眼をさまし、辛くて悲しい、希望とてない1日を、また今日も繰り返さなければなりません。わしらが子どもを(体罰 として)打ったとしても、その打ち方が度を超したとしても、それはわしらが子どもを愛していないからではないのです。生活が厳しくて、もう、どうしようも ないです」(pp.29-32. 文言は多少変えた)。
文献
Paulo Reglus Neves Freire (Recife, Pernambuco, 19 de septiembre
de 1921 ― São Paulo, 2 de mayo de 1997) fue un educador brasileño y un
influyente teórico de la educación.
さらなる復習のための文献
ヤング、ロバート「空間と土地」『ポストコロニアリズム』本橋哲也訳、特にPp.66-71, 岩波書店.2005年
復習のためのヒント
1.子どもを教育するとはなんだろう?:識字・知識伝授・訓育・訓練・社会化・創造性育成、等々
2.大人にとって子どもはいったいどのような存在なのか?:〈小さい大人〉〈エイリアン〉〈異文化に棲む人〉〈対等な他者〉等々
3.なぜ近代社会は、教育制度を整備し、子どもの人権を尊重するようになってきたのか?
4.教育を通して、大人と子どもが対等な〈対話〉は果たして可能か?あるいは、それができるためには、どのような社会状況が達成されていな ければならないのか?
5.大人による子どもへの〈庇護〉を十全なものにすることと、大人との〈対等な対話者〉として権利保全するとを、同時に成就することは可能 か? それを可能にする社会的条件とはなにか?
■アネクドートと追加の議論の提案
フレイレ『被抑圧者の教育学』は1970年に英訳されたが、アメリカ合州国
からの女性の批判の手紙が、当時フレイレが滞在していたジュネーブのもとに多数送られてきたという(上掲『希望の教育学』に所収)。その批判の趣旨は、フ
レイレの言葉づかいのなかに見られる男性優位的な発想だという。このエピソードからも男性中心的なテーマを我々は感じることができるだろうか?
リンク
資料
教科書
- 韓敬九・桑山敬己編『グローバル化時代をいかに生きるか:国際理解のためのレッスン』平凡社、2008年
グローバル共生社会論(大阪大学大学院コミュニケーションデザイン科目 2009)
グローバル共生社会論03 担当:池田光穂(電子メール:送り先)April 27, 2009
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