はじめによんでください
医療人類学2009
医療人類学とは、健康と病気を対象にした人類学的研究のことです。
病むことと、その対応については、さまざまな様式があり、伝承や文化はそれに応えてきました。
また、ほとんどの社会には病いを治すことができる、あるいは治す能力があると周りの人から評価される専門家がいます。
彼らは、薬草や手術などの知識と技法をもち、それらは何らかの宗教的活動(シャーマニズムや呪術など)と関連することが多いのです。
人文社会科学に対する医療人類学という学問の最大の功績は「人類にとって医療とは多様な顔をもつ実践の集合体であり、西洋近代医療はそのひ とつの姿にすぎない」ということをさまざまな具体的事象(=例えば医療の民族誌、医療民族誌、medical ethnography)の提示を通して明らかにしたことでした。
アジアには、中国医学や韓医学、あるいはフィリピン島嶼社会医学、インドシナ地域医学、チベット医学など、おびただしい地域的な特色をもった医 療があります。
同一社会において医療についての考え方が複数存在し、かつ共存している状態を、多元的医療体系(pluralistic medical system)といいます。そして、人びとが複数の医療体系を横断的に利用する行動がみられる時、それを多元的医療行動(pluralistic medical behavour)と言います。
どのような社会には、おおかれこの多元的医療体系と多元的医療行動がみられます。このような医療の複合的状況を分析するための議論や生活信 条を医療的多元論(medical pluralism)と言います。
医療的多元論がとなえられる以前には、近代西洋医療が隆盛(=人びとがそれを信じ利用し疑うことをしない状況)すれば、伝統医療はやがて衰 退するだろうと、しばしば言われてきました。つまり、伝統医療は迷信にほかならないというわけです。
しかし、西洋近代医療のすべてが、うまくいかないという事実が明らかになるにつれて、伝統医療や、非正統とみなされてきた医療を「科学的に 評価」しようとする動きが出てきます。代替・補完医療(だいたい・ほかんいりょう)と呼ばれるものが、このような再評価の検討対象になりましたが、それら の多くに、伝統医療が含まれています。
また、近代国家は、国民のプライドに訴えかける伝統や正統性のシンボルに、しばしば伝統医療を使うことを忘れませんでした。ナショナリズム がさかんになった国家では、近代医療と伝統医療のそれぞれの勢力が、正統性をめぐって争うことがしばしば見られてきました。
21世紀は、アジアの広域的地域で医療的多元論がさらに進展すると予測されます。(新興感染症の流行は、おもに公衆衛生対策のほうで近代医療を 中心に行われますので、個人や家族の健康維持のために利用されることが多い伝統医療は、これらの流行病の蔓延の影響を受けません。むしろ、伝統医療への過 度への信仰により適切とは言えない極端な信頼や熱狂がおこる可能性があります)。
進化生物学の成果を取り入れつつ、生物医療(=biomedicine、バイオメディシンと呼ぶこともありますが、近代西洋医療の生物学的 部分が肥大化し拮抗する社会医療とのバランスを欠いた生物学中心主義的医療のことです)への批判的発展により、医療人類学は今後ますます社会的影響力を増 していくかもしれません。
この学問の成功は、医療人類学者にとって好ましいものですが、生物医療のように、自己批判能力を失うようになるのも、禁物です。地球環境や 人間の生体(=内部環境)と同様、医療人類学という学問もまた、バランスのとれた発展を遂げないかぎり、その未来は明るくないでしょう。
2009年2月9日 国立民族学博物館にて:第368回国立民族学博物館・友の会後援会:講演オリジナルタイトル「医療人類学の現在:癒しの多 様なかたち」
■
◆ リンク
Copyright Mitzub'ixi Quq Chi'j, 2009