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保健医療社会学における「問題にもとづく学習」手法の可能性について
The
Potencialites of Problem-Based
Learning (PBL) in Medical Sociology
保健医療社会学における「問題にもとづく学習」手法の可能性について
池田光穂(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)
第35回日本保健医療社会学会大会、熊本大学・大学教育機能開発総合センター、会場4「健康をめぐる情報と概念」教室D201、2009年5月 16日
【要旨:予稿】
問題にもとづく学習(Problem-Based Learning, PBL)とは、問題に取り組む行為者の実践(=行為)のことであり、かつまた学習者(=主体)や、その学習場所(=環境)などを包括する概念によ る方法論のことをさす[→リンク]。狭義には、医師等の養成を目的とする高等教育の文脈にお いてPBLは、少人数グループ学習(Small Group Learning, SGL)と自己主導学習(Self Directed Learning, SDL)という特徴をもったチュートリアル教育――――手引文書(tutorial)と指導者(tutor)による少人数指導制――――のことを意味す る。
PBL教育は、1969年にカナダ・ハミルトンで誕生し、1980年代に欧米の複数の医学校のなかで、その手法の採否や体系的知識習得型学習 との教育効果の優劣をめぐってさまざまな論争を巻き起こしたが、現在では、自然科学のみならず、社会科学の教育分野で、改良がなされて、多様な変異型をも ちながら、席巻するとは言えないまでも、ほぼ定着をするに至っている。 我が国では、1990年代後半から、医学部教育の現場で試験的に採用され、自然科学教育(とりわけ理工学分野)の初学者への教育や、中学・高校生向けの 学校外セミナーなどの大学の社学連携活動などにその手法が流用され、これもまた多様な展開と現場での実践知の積み重ねが試みられている。
本発表の目的は、PBL教育についての現状、とりわけ医学・歯学・薬学・看護学(これらを総称し保健学と呼ぶ)におけるPBL教育の導入状況 における、保健医療社会学との関わりについて考察する。とりわけカリキュラム編成とその内容構成の観点に着目し、これらの保健学関連の授業のなかで保健医 療社会学のプレゼンスをどのように考え、この学問領域のいかなる性質を高めるべきかについて考える。
このような目的を成就するためには、(1)保健学領域におけるPBL教育と、ディシプリンとしての保健医療社会学の関係性、(2)PBL教育 内部における保健医療社会学の「介入」の位置づけの有無やその程度、そして(3)これらの考察を経た具体的なカリキュラムの提案、さらには(4)学際的性 格をもつ保健医療社会学そのものの教育におけるPBL手法の導入の可能性、について構想する必要がある。
これらの論点を整理する過程のなかで、人間の学習過程の一般的共通性(=普遍)を前提にするPBL教育が、SDLにおいて学習主体を先験的に 設定し、集団的行為過程における文化という「変数」や「媒介物」を考慮しないあるいは過小評価してきた事実が明らかになる。またPBL教育は問題解決のプ ロセスを通して行為者を自発的な学習者へと訓育することを理想とするが、問題解決そのものがしばしば自己目的化し、行為者を解決中心の功利主義者へと結果 的に仕立て上げるというジレンマもある。
他方、PBL学習のスタイルは、自己内省的過程を含み、あらゆる知識習得の可能性を妨げるものではないので、教育現場における体系的知識習得 型学習スタイルのマンネリズムを打破するのみならず、より積極的には再帰的な自己意識をもち現場の組織秩序を変えてゆくユニークな学習者を多く生み出すこ とも期待できる。またPBL教育の導入過程は、それまで未経験な教育者そのものを計画・立案・実行を通してPBL学習の現場に誘うことにもなる。
以上のような観点から、大学のなかで導入されつつあるPBL教育、チュートリアル教育、対話型教育などの教育手法の改革改良は、今後の保健医 療社会学の未来像を模索するために貴重な試金石になると考えられる。
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発表の目的
保健学(医学・歯学・薬学・看護学)におけるPBL(Problem-Based Learning)導入状況での、保健医療社会学との関連性について考察する。カリキュラム編成とその内容構成の観点に着目し、これらの保健学関連の授業 のなかで保健医療社会学のプレゼンスをどのように考え、この学問領域のいかなる性質を高めるべきかについて考える。
発表の手順
日本の医学教育の内容や手法は、保健学全般の教育内容に影響を与えてきた。そして、第二次大戦後の日本の医学教育は、タイムラグがあるものの、 米国の医学教育から多大な影響を受けてきた。その経緯を解説する。
変貌する医学教育改革の代表例として能動的学習手法のひとつであるPBLを取り上げる。PBLに着目する理由は、それが大学教育全般の改革と多 くの共通点をもつからである。その特徴を指摘する。
PBLの特色を明らかにした後、保健医療社会学は、それらの教育改革にどのように関わるのか(予稿集には「介入」と記述)/関わらないのかにつ いて考える。その道筋を提示する。 最後に、保健医療社会学という学問が教育手法としてPBLを導入することを想定した時、先行している状況から、未来において直面する解決すべき課題と、こ の学問そのものに与える「よい影響」すなわちこの学問の伸展の可能性について考える。
1990年代までの米国医学教育
1960年代
→ 行動科学・コミュニケーション教育を中心とした全人教育 → 包括医療教育としての臓器別統合型カリキュラム → プライマリ・ケア医養成のための地域志向型教育
1970年代
→ PBLチュートリアル教育の構想と先行実施
1980年代
→ GPEPレポート(AAMC:米国医科大学協会, 1984) → ニューパスウェイ=詰め込みではない学習主体教育(ハーバード大学医学校) → OSCEの開発(コミュニケーション技能評価を含む)
1990年以降の米国医学教育
1990年代 → OSCEの本格化(Objective Structured Clinical Examination: 客観的構造化臨床試験→客観的技能試験) → PBLの世界中への広がり 2000年代 → Outcome Based Education → プロフェッショナル教育 → 多職種間コミュニケーション → ポートフォリオ評価
日米の医学教育比較(図版の引用)
http://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/090124med_edu.html
問題にもとづく学習
学習者じしんが中心となり、反省的反復の作業をともないながら、実践される少人数グループの教育手法ことを、「問題にもとづく学習」とよぶ。
医学・歯学・看護学・環境科学・法律実践・工学などのように実践の場での問題解決などが職業的スキルとして重要視される教育課程でしばしば採用 されている。
Problem-Based Learning
反対語は系統的学習(systematic Learning)あるいは受動的学習
1969年カナダのマックマスター大学のハワード・バロッズが嚆矢(と言われる)
「具体的な問題提示が学習者をして勉学せしめる」という学習観
SGL・SDL・PBLの3セットメニュー
2つのPBL
Problem-Based and/or Project-Based
具体的な学習課題を立てて少人数グループでプロジェクトを完遂させる「プロジェクトにもとづく学習」のアクロニムもまたPBLである。
後者のPBLは、これまで実習や演習と呼ばれてきた学習課題のより発展形態だと考えればよく、ほとんどあらゆる学問分野の教育課程で採用するこ とが可能である。
問題(problem)が与えられてもプロジェクト(project)が与えられても、少人数グループ学習では具体的な課題について洞察、観 察、対話、交渉、反省、学習の再構築という過程が見られる点で、奇しくも2つのPBLは共通点が多く、また、その教育理論の検討においても協働できる可能 性が高いところが興味深い。
PBLの学習観(Learning view of PBL)
PBL is any learning environment in which the problem drives the learning. That is, before students learn some knowledge they are given a problem. The problem is posed so that the students discover that they need to learn some new knowledge before they can solve the problem.(source: http://www.chemeng.mcmaster.ca/pbl/PBL.HTM, 最終確認日2009年4月10日)
「問題にもとづく学習とは、問題の提示が学習をやる気にさせるような、あらゆる[形態の]学習環境のことである。そこでは、学生たちは何か知識 を学ぶ以前に、すでに学生たちにある問題が与えられている。自分たちが問題を解くことができる以前に、学生たちじしんが何か新しい知識を学ぶ必要がある ぞ、ということを学生たちが発見するように、まさに問題が[学生たちに]し向けられているということなのだ」
小グループ学習(SGL)
SGLはSmall Group Learning のアクロニム(=頭文字略語)
6±1がゴールデンナンバーズ
このグループごとに1名のチューターがつく
グループはチュートリアルという指令書から解くべき問題を探究してゆく
チューターの介入は最小限で、学習の強度やスケジュールはすべてグループの裁量に委ねる。
自発的学習(SDL)
SDLは Self-Directed Learning のアクロニム
SDLは自己中心主義のことではなく、学習の自己管理や主体性の尊重のこと。
SDLはSGL(小グループ学習)における協調性・協働性・相乗性[シナジー]に欠かせない資質でもある。
SDLは、学習におけるTQC(Total Quality Control)を動かす「エンジン」のようなもの。
学習を喚起する質問
「ここに故障したトースターがあります、これを直してください。でなければ、少しばかり要求を譲歩して、ちょっとでも使えるようにしてくださ い」
ネバダ大学医学校PBLのチュートリアル・ケース『ゲロ吐き少年!のケース』では、11項目の情報が盛り込まれているが、最初の解説は「1.ラ ンディ・ミルバーンは10歳の男性で、母親に連れられて君のオフィスにやってきたが、彼は虚弱、喉の渇き、そして継続する嘔吐発作を訴えている」 という一文のみ
PBL展開にとっての制限要因
チューターなどのマンパワーが必要。これまでの報告ではチューターの〈実践知〉や〈現場力〉についての考察がほとんどなされてこなかった。
系統あるいは受動的学習に比べると学習者へのプレッシャーをかけないので、学習集団に対して均質な学習効果を予想することが困難。
学習者がもっている価値観や文化的背景がグループ学習の形成や運営にどのような効果を及ぼすかが不透明である。
PBL要請の社会的理由
オトナの教育:系統学習や受動的学習では、判断力をもつ大人を説得できない。学習者の主体性にまかせる教育が重要(ニューパスウェイや「ゆとり 教育」と関連する)。また大学はもはやモラトリアム学生の滞留場でなくなりつつある。あるいは大学内部の機能が社会に向かって外展しつつあり、能力向上の 一時的セミナーが隆盛。
情報爆発: 知識や技能のターンオーバーのサイクルが短くなり、まなぶべき情報量が増大すると、系統学習や受動的学習ではたちいかなくなる。記憶や技能を多くはコン ピュータやマシンに委ね、判断力、想像力、創造力を陶冶しつつ、それらの機器を柔軟に使いこなすための教育が重視されるようになった。
コミュニケーション:専門職支配を乗りこえ、分業体制が洗練化しつつある。そこでの主体は倫理規範を自ら陶冶し、リスク分散の技法を身につけ、 多種多様な他者と良好な関係をたもちつつ、柔軟に対人関係をその都度構築してゆかねばならぬ。対人コミュニケーション能力そのものが有力な社会関係資本の ひとつになる。
Episode IV: A NEW HOPE
【Episode IV: A NEW HOPE】 大阪大学CSCD・ワークショップ「福祉・看護・医療における人文・社会科学の挑戦」での出来事(2006年1月7〜8日,吹田市)
医療社会学(Sociology of Medicine)を大学の研究教育科目として確立すべきだという主張と、臨床社会学を標榜する実践派がより現実の諸問題にコミットすべきだという主張の 間で、活発な議論が展開した。物語のはじまり。
PBLと保健医療社会学
【関わり方の分類】
1. 保健学領域におけるPBL教育を、純粋に観察対象として客体化し、その実態を価値中立的に分析する(〜 of medicine)。
2. プログラムの同僚として参与観察しつつ、出てきたデータ解析やそれについての観想を同僚と共有する(〜 in medicine)。
3. プログラムの同僚として参与観察しデータ解析を共有しながらも、彼らの主体的判断に最終的にゆだねる(〜 in action; action research)。
4. 得られたデータのみならず、プログラムの同僚と利害を共有し、その専門分野の知識や技能を積極的にPBL教育に還元する(〜 for medicine)。
構想を要する点
(1)保健学領域におけるPBL教育と、ディシプリンとしての保健医療社会学の関係性
(2)PBL教育内部における保健医療社会学の「介入」の位置づけの有無やその程度
(3)これらの考察を経た具体的なカリキュラムの提案
(4)学際的性格をもつ保健医療社会学そのものの教育におけるPBL手法の導入の可能性
克服すべきポイント
【克服すべきポイント】
人間の学習過程の一般的共通性(=普遍)を前提にするPBL教育が、SDLにおいて学習主体を先験的に設定し、集団的行為過程における文化とい う「変数」や「媒介物」を考慮しない、あるいは「変数や媒介物」としての文化を過小評価してきた事実をどう克服するか?
PBL教育は問題解決のプロセスを通して行為者を自発的な学習者へと訓育することを理想とするが、問題解決そのものがしばしば自己目的化し、行 為者を解決中心の功利主義者へと結果的に仕立て上げるというジレンマの超克は?
PBLポテンシャル
【PBLポテンシャル】
PBL学習のスタイルは、自己内省的過程を含み、あらゆる知識習得の可能性を妨げるものではないので、教育現場における体系的知識習得型学習ス タイルのマンネリズムを打破する。
再帰的な自己意識をもち現場の組織秩序を変えてゆくユニークな学習者を多く生み出すことが期待できる。
PBL教育の導入過程は、それまで未経験な教育者そのものを計画・立案・実行を通してPBL学習の現場に誘う。
【まとめ】以上のような観点から、大学のなかで導入されつつあるPBL教育、チュートリアル教育、対話型教育などの教育手法にかかわる改革や改 良は、今後の保健医療社会学の未来像を模索するための貴重な試金石になると考えられる。
謝辞
PBLの医療思想史に関する意味については佐藤純一教授(高知大学)ならびに日米の医学教育におけるPBLの位置づけについては藤崎和彦教授 (岐阜大学)から貴重な助言をいただきました。
本研究は第16回ファイザーヘルスリサーチ振興財団より研究助成を受けた「サイエンスショップにおける臨床研究の可能性に関する基礎的研究―日 本における社会的・倫理的課題の検討」(代表者:西村ユミ)および大阪大学GCOE「コンフリクトの人文学国際研究教育拠点」研究プロジェクト「在日外国 人支援の現場における参与実践」(代表者:池田光穂)における支援を受けました。
以上の関係の方々に深く謝意を表します。なお、この発表における見解ならびにその責任はすべて発表者(池田光穂)にあり、上記研究者ならびに支 援団体の見解ではありません。
ここで使われたスライド画像のpdf はこちらです[→ KumaMoto2009.pdf]※ ただし文書をみるにはパスワードが必要です。メールにて問い合わせください。
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