資質があるにもかかわらず「最近消耗しすぎ」と自覚する若手研究者たちへのアドバイス
【1】現在の勤務時間や、勤務時間以外の時間で、どれくらい「自分の資質向上」に使える時間がありますか?
この「資質向上」という言葉は、正確には定義できません。なぜなら、たんなる時間つぶしといわれる推理小説を読むことも、長い眼でみた り、なにか創造的な仕事をしている時には役立つかもしれません。資質向上と思っていなくても「結果的」になる場合もあるし、逆に、資質向上のための時間と 労力の投下(=例:外国語の学習)が思ったよりも見合った投下資本を[少なくとも短期的に]回収できないこともあります。
だから、あまり普遍的・一般的な意味での、「自分の資質向上」に使える時間はどれくらいか、ということに答える必要はありません。むし ろ、「自分の資質向上に対して時間をあなた自身が時間投下しているか?あるいはそういう意識はあるか?」というのが私の質問趣旨です。
あなたは、現在受け持たれている仕事を、もうひとりの別の方の想定外の退職で、労力が増えることになる、ということを問題にしていまし た。 でも、別の視点からみると、(1)仕事を単独で仕切れる、あるいは(制度が許せば)その欠員分を、(2)自分の気心を許せる、そしてその能力において信 頼できる別の補充を要求できる権利が発生した、と考えることはできないでしょうか。まあ、現実は厳しいですけど……こういう逆転の発想です。
もし、そのような逆転の発想で、世の中が進むとすれば、あなたは、これまでの現場の仕事において、単に労働提供や指導にかかわる労力の損 失とだけ考えるのではなく、これまでの現場の仕事に従事することで、あなた自身が得をしたことはないのか?_もしあるのならそれは何か? また、得られた利得を、別のものに投下して、利得を増やすことができるのか?_できるのであればそれは何か? 冒頭の質問は「時間」に限って言いましたが、このラインに沿って質問を言い換えると……
【2】自分の時間や与えられた労働条件下の仕事を、あなた自身の資質の向上にどれくらい使っているという、自己認識があるでしょうか?
もし、なにか(自分自身が)浪費している、ないしは(他の誰かや制度という外部要因によって)搾取されている、と感じられるのであれば、 それらのマイナス要因を軽減してゆく必要があるのではないでしょうか? そのことが何かというのは、最終的にご自身が判別しなければなりませんけど、すく なくとも、そのことを明らかにするのは、多少なりとも、あなたの現在の「緊張」をほぐして、先の「資質向上」にあなたがもっているエネルギーをもっと効率 よく投入できる心のゆとりを生むことができるのではないでしょうか?
■ クレジット
資質があるにもかかわらず「最近消耗しすぎ」と自覚する若手研究者たちへのアドバイス、2009年
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