「病気の予防」をめぐるコミュニケーション
2009年度 第1学期 臨床コミュニケーション1
何について語らざるを得ないのか
担当:大北全俊
I 「病気の予防」をめぐるメッセージ:グループワーク
(N.Guttman and C.T.Salmon, “Guilt, fear, stigma and knowledge gaps: Ethical issues in public health communication interventions”, Bioethics 2004 ;18(6):531-552)
II HIV感染症をめぐるコミュニケーション
1 さまざまな場面で:予防医学の軸に基づく整理など
2 communication intervention
III HIV感染症の「一次予防」をめぐるコミュニケーション
1 HIV感染症の一次予防を規定する主な法規範
(1)感染症予防法
(2)後天性免疫不全症候群に関する特定感染症予防指針(以下、予防指針)
(3)後天性免疫不全症候群に関する特定感染症予防指針見直し検討会報告書
2 1999年の予防指針成立当時の関連する発言より
「特定感染症予防指針のスピリットをお話しますと・・・まず第一のスピリットが、性感染症の問題は倫理、道徳という問題というより、国民の生涯にわたる健康上の大きな問題である、モラルからヘルスアプローチというような発想をしたということでございます。」
厚生省結核感染症課長(当時) 中谷比呂樹の発言
(2000年11月24日 厚生省「STD/HIV予防のための啓発活動に関する研究班 第1回公開セミナー 性感染症/エイズ流行の現状をどう考えるか」にて
厚生科学研究費補助金エイズ対策研究事業 “性感染症としてのHIV感染”予防のための市民啓発を、各種情報メディアを通して具体的に実施実行する研究計画 平成12年度 総括研究報告書67-8頁)
3 「後天性免疫不全症候群に関する特定感染症予防指針見直し検討会報告書」(2006)
■普及啓発及び教育(指針第七)
「科学的根拠に基づく普及啓発及び教育を実施することが重要であるとともに、こうした国民に対し行動変容を促すには、感染の危険性に曝されている国民へ向けた働きかけのみならず、それらを取り巻く家庭、地域、学校、職場等へ向けた普及啓発及び教育についても積極的に取り組み、行動変容を起こしやすくするような社会的環境を醸成していくことが必要である。
特に、青少年に対する社会教育においては、感染を予防する観点から、無防備な性行動を低減する必要があり、そのためには、無防備な性行動を抑制するとともに、必要に応じてコンドームの使用の普及を図ることが重要であるが、それらの前提として、お互いの身体や心を思いやる心の醸成を図るとともに、豊かな人間関係を構築できるコミュニケーション能力の向上を図っていくことが大切である。」 「具体的には、例えば、家族と日常会話の頻度が高い若者ほど初交年齢の遅延や性交経験比率が低いという調査研究結果からは、家族間のコミュニケーションを促進する普及啓発や対策が必要と考えられる。また、地域的な繋がりの中での教育という意味では、医師、教師、PTA等、色々な人々の関わりが重要であり、特に、地域の保健所等による相談の充実も有効と考えられる。」
「なお、普及啓発の対象に、青少年や同性愛者等の個別施策層を設定する場合においては、上記の方向性を踏まえ、行動変容を個々人の自己決定にのみ期待するのではなく、行動変容を起こしやすくするような社会的環境を醸成していくことが必要不可欠という認識に立つべきである。」
「とりわけ、青少年対策に当たっては、都道府県等を中心に関係機関が連携し、青少年を取り巻くマスメディア、家庭、地域、学校等の社会的環境を改めて見直す必要がある。」
4 特に青少年に向けた予防の取り組みをめぐって
(1)木原雅子(京都大学大学院医学系研究科社会疫学分野准教授)によるもの
A 『地方自治体における青少年エイズ対策/教育ガイドライン ?若者の性行動の現状とWYSHプロジェクトの経験? 』(右:報告書の頁数/左:ガイドラインの頁数)
(厚生労働省「HIV感染症の動向と予防モデルの開発普及に関する社会疫学的研究班」若者予防グループ(WYSHプロジェクト) 代表 木原雅子)
B 『10代の性行動と日本社会 ?そしてWYSH教育の視点(以下、10代の性行動)』 (木原雅子 ミネルヴァ書房)
■A ガイドライン「はじめに」より
・現在の「若者の性行動の現状は深刻」であること
・若者の深刻な性の現状は「私たち大人が作り上げた脆弱な社会」の必然の結果
↓
「エイズ予防はわが国にとって容易な課題ではありません。なぜなら、それは現代社会の脆弱性そのものを問うことでもあるからです。技術教育だけではなく、日本社会が失ったものを再構築する努力が求められていると思われます」
■コネクティドネスモデル
「家族と全く話をしない生徒は、する生徒に比べ、性行為を容認する意識(性意識)・性経験率は2倍以上も高く」
「毎日を一生懸命生きていないと感じている女子はそうでない女子に比べて、性意識は約2.5倍、性経験は約3.5倍高く・・・特に女子において、人生の生きがい感が、性意識・行動に影響与えている可能性がある」(76/13)
「人間同士の有機的なつながり(コネクティドネス connectedness )は、情報や規範や心を伝える力をもち、社会のエコロジー(有機性)を保つ働きがあります。」(『10代の性行動』73)
「若者の社会帰属感の衰え、疎外感、孤独感、自分が価値ある人間と思えない、飽きやすい、切れやすい、やる気がないなど、様々な「症状」が生じるといわれ、性行動とも関係します」(77/14)
「若者たちは、碇を解かれ、漂流する小舟のように見えます。漂う小舟は、強い風雨に吹き曝されて、今にも難破しかねない様子なのです。」(『10代の性行動』57)
■社会の再構築
「性行動は複雑な社会文化現象であり、個人のスキルや自己決定といった個人的レベルだけに問題が矮小化されるべきではありません。それは、結局「自己責任」論につながるからです。私たちは、問題解決のためには、個人への情報提供と同時に、社会のあり方を再構築する視点とそのための努力が必要であると考えています。」(80/17)
■WYSHプロジェクト:Well-being of Youth in Social Happiness
「予防を技術ではなく、高い社会的価値に結び付けようという意図を込めたものです」(81/18) 「WYSHプロジェクトは、若者(オーディエンス)に対する徹底した調査に基づくこと、対象者だけではなく、それを取り巻く人々(セカンドオーディエンス)をも対象とすること、そして、予防教育を、知識技術教育の観点を超えて、人生の夢・希望や人としての生き方という、より根本的な価値観の中に位置づけようとするところに特徴があります。WYSHプロジェクトのSHを social happiness としているのはその意味であり、WYSHプロジェクトで行う教育を、私たちは、「希望教育」「生きる教育(生教育)」と呼んでいます。」 (『10代の性行動』117?8)
■WYSH教育モデルのメッセージ
i 誰にでもリスクがあること
ii 「時間をかけて丁寧な人間関係を築くことの大切さを伝えることです。・・・行動変容が、単に病気を避けるというネガティブな目的のためではなく、より充実した生き方を実現するために必要であることを伝えたいと思うからです」(95/32)
*気付きの教育
「自分たちで考え、意見を出し合い、自分の考えを確認したり修正したりする場を提供するにとどめるということです。子どもたちの気づく能力を尊重することが大切です。」 (『10代の性行動』136)
(2)池上千寿子(特定非営利活動法人ぷれいす東京代表)
■『厚生労働科学研究研究費補助金・エイズ対策研究事業 HIV感染予防対策の効果に関する研究2003?2005年 主任研究者:池上千寿子』より
「高校生世代を代表とした「性の健康」についての健康教育教材パッケージの開発」
映像教材“Let’s CONDOMing”を併用しながら
「性の健康」とは何かを理解する、多様なセクシュアリティを受容できる、「性の健康」に関する行動について自己決定が出来るなど
「セックス・ポジティブな態度や、性の保健行動(例:パートナーとコンドームについて話す)によって、良好な対人関係や自己決定という報酬を受ける様子を観察し、そのような態度は価値があることを学習する。」(12)
「(映像教材に基づくモデル学習によって)セクシュアル・ヘルスについて他者とどのように話せばよいか、どう行動したらよいか、そして何が大切かを学ぶことができる。さらに、科学的知識の学習ではなく、行動や価値観を学習できる。」(44)
■『若者の性と保健行動および予防介入についての考察』(日本エイズ学会誌5 2003)より
「若者の性の健康を促進するためには、愛やモラルに頼るのではなく、具体的な健康管理のスキルの習得が必須であることがわかる。しかもこのスキルの獲得は、個人の行動にだけ焦点をあてるのではなく、ジェンダーおよび社会の性的価値観や態度にも踏み込む必要があるといえよう。」(52)
「性の保健行動科学については、競合する動機を克服し、まずは保健動機が優先されるという「動機のほりおこし」および「動機の継続」への支援が必要なのである。」(53)
「予防介入の目的は、若者の責任ある行動をしたいという意欲および能力をひきだし、それを継続させること、につきよう。この目的にてらすと保健行動の誤解を温存している教育および保健行動の阻害要因とジェンダーの伝統的規範を強化しているメディアメッセージは、若者の意欲をそぎ、能力をひきだすのではなく芽をつんでいる、といわねばならない。」(53)
「性の価値観の多様性と自己決定の重要性および性行動のリスクとリスク回避の「かっこよさ」に「気づく」ことは動機のほりおこしにつながる。」(53)
■「HIVと共生し、“性の健康”を促進する環境とは」『エイズ・STDと性の教育』 (十月舎、2002)より
「UNAIDS(国連合同エイズ計画)を中心として、若者に対して実施されてきた従来の予防啓発プログラムを検討し、「有効な」プログラムが持つべきコンセプトが新たに指摘され始めました。・・・それは、「既存の性的価値観や性の規範、ジェンダーを見直せ」ということです。」
「個人は、その属する社会から独立した存在ではありません。ここで腹を括って社会を見直しよりヘルシーな環境へと変えていくという大きな視野と長期的展望を共有したいものです。」(108?110)
■風間孝(中京大学教養部准教授)の考え:「エイズ感染爆発言説の陥穽?若者の性行動のリスク化と異性愛主義?」『身体をめぐるレッスン 4』(岩波書店、2007)より 「(木原による性行為の人数に関する記述には)若者の活発な性行動そのものを「悪」とみなす概念が背景に存在しているといえるだろう。若者の性行動そのものがリスク(病理)化されているのである。(中略)相手の人数を減らすべきであるといった考えは、特定の相手=安全というモラルに逆戻りしかねないのではないか。それよりも、セイファーセックスをするかしないかが重要であり、・・・性行為とは他者が介入できない領域であることを認めた上で、性的自己決定能力を養っていくことが不可欠であると考えている。」(186)
「(木原のコネクティドネスに関する分析)の背後に存在するのは、性行動の活発化やHIV感染を含む様々な社会問題に対処するには、現代日本においてコネクティドネスをもった共同体を再興させるべきであるという価値観・・・「村」の再興とは、後期近代社会において、伝統的な共同体を再興することを意味しているといえよう。(中略)むしろエイズという社会問題を克服するために、私たちに要請されているのは、近代の性規範に代わる、多様な性のあり方を尊重する社会を構想することではないだろうか。」(190?5)
「性行為におけるHIV予防は、誰からも強いることが出来ない状況下において、相手との同意を通して遂行されるほかない。まずは、いつ、どこで、誰と、どのような行為をするかを自ら決定する能力(性的自己決定権)を涵養するほかに予防行動をとる前提条件は形成されないのである。こうした能力を社会の中で育むためには、性を隠さず、パブリックな問題としての位置づけを与え、性をそれ自体として肯定することがその基盤となるであろう。(中略)HIV感染が拡がりを続けるなか、いま日本社会に要請されているのは、若者の性行動を規制したり、特定の性のあり方を規範化し押しつけることではなく、多様な性のあり方を含め、性をポジティブなものとして肯定し、語っていくことであり、性を通して人生を高めることが可能であるという社会的合意をつくっていくことにあると思われる。」(196?7)
5 木原雅子の論と池上千寿子(風間孝)の論の差異と共通点
(1)差異
・自己決定の位置づけ
・求められている社会像
木原雅子:
日本社会が失ってしまった有機的つながりの再構築 (風間の分析によれば「伝統的な共同体」)
上野・風間: (既存の「近代的な」性規範に代わり)性をポジティブなものと肯定し、多様性を尊重する新たな社会
(2)共通点
・自己決定とともに社会的環境の影響を重視していること
・性をより安全な行動に変える行動変容は、単なる行動を変えるといった技術的な問題ではなく、そのひとの「価値観」の変更であるという認識(気づきの問題であるという認識)
・個々人のみの「価値観」の変更ではなく、社会的な「価値観」の共有を働きかけていること
・「健康であること(HIVに感染しないことなど)」を実現するために、丁寧に時間をかけて豊かな人間関係を気づくこと、「ありのままの自分を好きになること」、「責任ある行動をとる」こと、性へのポジティブな態度、コネクティドネスの回復、性の多様性を尊重することなどの、単なる疾病予防とは別のある「価値」を実現することが語られているという論理構成
6 「われわれ」はこれらHIV感染症の予防のメッセージをめぐって、どのようなコミュニケーションの可能性があるか?
クレジット:「病気の予防」をめぐるコミュニケーション :何について語らざるを得ないのか:大北全俊
臨床コミュニケーション
臨床コミュニケーションとは、人間が社会生活をおこなうかぎり続いてゆく、ある具体的な結果を引き出すためにおこなう対人コミュニケーションのことを言います。ここで言う臨床とは、狭い専門領域としての臨床(clinic)ではなく、その現場における実践状況(human care in practice)のことをさします。臨床コミュニケーション研究において、このような脱専門領域の意識を共有することは重要です。なぜなら臨床コミュニケーションとは、専門家どうしの対話のみならず、専門家と普通の人(例えば患者など)、そして日常経験の中に生きる普通のひとどうしの対話などから成り立っているからです。
ディスコミュニケーション
コミュニケーションの不在や失敗を、私たちはディスコミュニケーションと呼びます。ディスコミュニケーションは良好ではないという点で、いちはやく「問題の発見」や「改善や治療」の必要性が叫ばれます。しかし、劣悪な関係性であれば、コミュニケーションを遮断することが最善の選択になることだってあるはずです。我々はコミュニケーションとディスコミュニケーションの様式を深く学び、それらを上手に操ることも必要なのです。良好なコミュニケーションを目指す人は、ディスコミュニケーションについての深い理解が不可欠です。
本講座では
このような「知」のあり方を自覚するために、様々な専門領域の大学院生どうしの討論をおこないます。各自が専門領域以外の者と円滑にコミュニケーションを図る能力、プレゼンテーション能力、および社会的判断力を身につけることを通して、ディスコミュニケーションを解消するための具体的なスキル学習を目指しています。
具体的には
異文化間、医療現場、紛争の現場における臨床コミュニケーションの特徴と課題を理解するとともに、参加者が自分たちの生活の場面からディスコミュニケーション事例を持ち寄り、そのプレゼンテーションと解決のための討論を通して、各領域におけるコミュニケーションの可能性と限界を明らかにします。そして、この臨床コミュニケーションの将来の課題を皆さんとともに模索してゆきます。
さらに学びたい人は
第1学期に開講されている「ディスコミュニケーションの理論と実践」、第2学期に開講する「臨床コミュニケーション II」「現場力と実践知」があります。また夏期集中講義「医療対人関係論」では、この授業のより具体的でかつ先進的なかたちで受講することができるでしょう。より少人数で、テーマを絞ったグループ討論で、学びを深めることができます。
これらの一連の授業の関連性について示したものが以下の図です。上下の軸は受講者が指向するレベルの局面を、左右の軸は受講者の解決したい問題の質を表現しているものです。受講者は、本人の関心に応じてどのような授業から入門されてもかまいません。
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