JICAに向かって撃て!
あるいは「ヤマザキJICAを撃て!」
【おことわり】このページでは、 JICA(国際協力事業団、現「機構」)およびJOCV(青年海外協力隊)と、その末端の機構で働くボランティアがおかれた政治力学や地政学に関する理論 的問題について論じます。したがって、これはあくまでも思考実験であり、ここで登場する団体に属している/属したことのある特定の個人について議論するも のではありません。なお、この内容については、2009年6月10日のJOCA近畿支部におけるJOCVのベテラン友好組織での会合において発表されたも のです。そこでは真摯な意見交換がなされましたが、この内容の修辞上の改善についてのアドバイスこそあれ、内容についての強い異論はなく、概ね私の主張に ついて考えるべき重要な課題として受け止めていただいたことを、関係者一同に対して感謝いたします。
命題1:JICAはJOCVの上部組織である。つまり「兵隊で言えばJICAは上官であります」。JICAを批判することは我 が心のJOCVを批判することでもある。 命題2:JICAは日本の政府系の高度に官僚化された組織である。したがってJICAを批判することは、日本政府を批判するこ とでもある。 命題3:JOCVに参加できるのは日本国籍保有者のみである。したがってJOCVのメンバーはすべて日本人である。JOCVを 批判することは、追求する責任の範囲こそさまざまであるが、自分自身(日本人)および日本政府を批判することと無縁ではない。 |
■ある新聞報道から
「【イスラマバード=酒井圭吾】治安悪化の一途をたどるパキスタンから、国際協力機構(JICA)が青年海外協力隊とシニア海外ボランティ アを近く撤退させることが[2009年6月:引用者]8日、明らかになった。/イスラム武装勢力タリバンによるテロが頻発し、安全確保が困難になったため だ。/パキスタンでは現在、首都イスラマバードや東部ラホールなどで計20人が障害者支援や理科の教育などにあたっている。ただ、国内では国連や民間活動 団体(NGO)職員の拉致事件も発生しており、活動の危険度が高まっている。/青年海外協力隊とシニアボランティアは、日本の知識や技術を途上国の発展に 役立てる制度」(出典:headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090609-00000060-yom-int)[引用文中の/は 改行あるいはパラグラフ分けの徴です]。
■私のコメント
読売新聞報道のヘッダ「パキスタンから青年海外協力隊撤退へ…タリバンのテロ頻発で」の内容を見て、協力隊は弱腰軟弱と言わないでほしい。 協力隊はもはや個々の隊員の「戦力」という観点から重要なのではなく、テロリズム「戦争」のソフトターゲットになるという「潜在的リスク」という観点から 日本政府の保護対象になっているということだ。地政学に翻弄される協力隊員にはお気の毒だが、それは日本政府にとってもお気の毒な存在ということだ。これ が厳しい現実。
他方、ボランティアにとっての気持ちはどうだろう。俺(私)たちが働いている職場には、そのような脅威はない。だからそのような強制退去の 命令は心外だ……。
そうでしょう、そうでしょう。君たちの日常の感覚とJICA=日本政府の決定の政治的判断の間には、とてつもなく大きな溝(齟齬)がある。 でも冷静になってください。日本政府やJICAが君たちのことを日本青年の育成の一環であり、ボランティア派遣は「JICAの世界地図」(そういうものが あるかわからないのであくまでも象徴的な意味で)のポイントにすぎないとしても、こういう状況になれば、やはり、日本政府はきみたちを「ただの在留邦人以 上の存在」として認めているということである。君たちは日本政府にとっては重要な人物なのだ。ただ気になる点は、このようなテロリズムによりはじめて重要 視されること(2004年10月末のイラク旅行者の香田証生さん拉致殺害事件の日本政府と国民の反応を想起する必要がある)。
おまけに、協力隊派遣時に交換した締結文書の中に、君(私たち)は組織の命令に速やかに従う旨を約束しているではないか? 腐っても上司の 命令に従うと約束しているではないか? 君たちのことを考えているJICAの人も決して悪くない。彼らの全てではないだろうが、JICAの「心ある人た ち」はこの撤退の決定を断腸の思いで聞いている人もいるはずだ。だから甘んじて撤退に応じるべきだという説得も故なしとは言えない。
■ボランティアのもつ反省や判断力
ここでボランティアがもつ反省能力と、それを社会に還元することについて考えてみよう。我が国の国際ボランティア、とりわけ青年海外協力隊 の歴史を振り返ると、輝かしい栄光と同じだけの数と質の問題があることがわかる。
たとえば現地側政府の要請による協力隊派遣のシステムは、現地側の要請(リクエスト)により派遣のためのボランティアの徴募が開始されると いう建前で、長くそのように説明されてきた。しかし、実際は現地にある国際協力機構あるいは青年海外協力隊の事務局が日本大使館を経由して現地の官庁や関 連機関との折衝の末に決定し要請書がかかれる事実がある。ここでの問題は、実際はそうでないにも関わらず、現地側の要請に対して日本政府がボランティア派 遣をおこなうという虚像を公的な手続きとしている点にある。
たしかに書類はそのような形式で書かれることが期待されている。しかしながら、あらゆる外交政策と同様に実際の派遣は現地政府と日本国の折 衝(=駆け引き)の結果の産物によるものである。ボランティアの勤務に対する報酬は現地政府が支払う「原則」になっているが、現地政府の財政状況などを 「考慮」して日本政府が「実際」には支払うという、建前における原則尊重、現実における柔軟な「対応」――別の観点からみると首尾一貫性のなさ――をおこ なっていることである。ボランティアの多くは、このような「奇妙」な日本政府の建前と本音の齟齬(ルビ:そご)について異口同音に話すが、現実の職場での 適応のほうに気を取られ――異文化・異言語社会の中で一人前の社会人として専門的知識や技能を縦横無尽に使いこなすことを想像したまえ――このような正常 な批判的意識を表明する機会はボランティア仲間の会話のなかにとどまっている。協力隊事務所の上司(スーパーバイザー)に相談すれば、お定まりの「君の言 うことは正しいが、これは政府間の[形式的な]取り決めなので、辛抱(=眼をつぶって)してください」と説諭されてしまうしまつである。
このような問題は政府からみれば本質的ではなく軽微であるかもしれないが、合理的な手続きの中に生きたい人間にとっては改善の余地のある問 題である。実際には話すことも憚られる上位の機関の外交上の醜聞(スキャンダル)は掃いて捨てるほどある。国際ボランティアの中には、このことに嫌気がさ して政府系の国際協力にはその後一切関わりたくないと表明する同志がたくさんいる。日本社会でも現地社会でもそうかもしれないが、草の根のレベルで生活す る市井(ルビ:しせい)の人たちのほうに健全な倫理や道徳が数多くある。あたり前だが、ボランティアが他山の石よろしく制度の悪に対して対抗的に育む、こ のような高潔な倫理観を今の日本社会を住みやすく快適にするために使うことはできないだろうか。これは日本社会におけるOVと社会との対話と交渉について の新たなコミュニケーションデザインを要請し、それを構築することにつながる。
国際ボランティアの人たちに、この種の健全な倫理観が芽生えたり、その後の人生になかに何か反省的知識が得られたりしたとすれば、帰国後の 日本社会が、彼/彼女らを再び受け入れた時に、その良質の部分を再帰的に還元(フィードバック)しなければ、それは税金の無駄というものにあたるだろう。 ボランティアが現地社会で学んだことは、その人本人のなかでさまざまな影響を与え、有利にも不利にも働くことがあることは事実である。そのことへの検討が 今、真剣に求められているのである。
■「JICAに向かって撃て」という私の意図
JICAを私たちにとって対等の人格をもつ法人と考えてはならないということだ。JICA=JOCV(後者は前者の下部組織だが「問題を含 み内部の意識改革を必要とする組織」という意味で一蓮托生なので等号で表記した)から派遣された経験をもつ私たちベテラン(=退役兵の意味あり)は、 JICAがいくら問題含みであったとしても、どうやら私たちの記憶や身体の外にある組織ではなく、私たちと繋がり利害関係のあるエージェントではないの か。そういうJICAを撃つという行為は、私たちの内部に巣くう問題を「正義の銃弾」で撃つ行為でもある――ただし銃弾そのものは正義も不正義もなくただ の殺傷部品にすぎないが。したがって私たちの内なる問題を克服し、その支配から自由にならないかぎり、社会に存在する外在化されたJICAにある真の悪を 撃つことができない。
内なる問題とは(少なくとも私にとって)十分な反省的吟味をすることなく、あいつには人を救えないが俺は救える(あいつは人種主義者だが、 少なくとも俺は人種主義者ではない)と狭量な義憤に燃え上がることだ。
悪いことを「悪い!」と声に出せないような状況を生みだしたり、その事態を黙認する社会は決して民主的とは言えない。民主主義とは、民に権 力があるということであるが、ほかならぬ民が悪に手を貸すような事態が生じた時、民自身がそのような事態を「自ら放棄する」回路を見つけなければならな い。民の権力は、民以外に譲り渡すことができないからだ。真の悪を正確にそして確実に撃つためには、自らの悪を克服しなければその照準は定まらないだろ う。
"We have become too civilized to grasp the obvious. For the truth is very simple. To survive you often have to fight, and to fight you have to dirty yourself. War is evil, and it is often the lesser evil. Those who take the sword perish by the sword, and those who don't take the sword perish by smelly diseases."
-George Orwell
「我々はあまりにも文明化されすぎたために、わかりきったことを理解できない。つまり真理はきわめて単純だ。生きるためには、しばしば戦わなけ ればならないし、戦うためには自らが汚辱にまみれる必要がある。戦争は邪悪だが、時にはそれほどでもないこともある。剣を手にする者は剣によって滅びる が、剣をとらない者は嫌悪すべき病いにより滅びる」――G・オーウェル
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