私の青年海外協力隊体験
あるいは「反面教師としてのボランティアつまり悪いシステムが私をよい人間に育てた」論
My JOCV experience or "Volunteerism as a Counterpoint: How a Bad Mentor Made Me a Good Person" Theory
カメルーンにおける妊婦と幼児の母親のための医療相談 ([プライマリー・ヘルス・ケア]より)
■こんばんは。先ほど申し上げましたが、阪大 のコミュニケーションデザインセンターという大学院生向け高度教養教育をしているところで、全研究 科のコミュニケーションデザイン科目を担当しています(2009年当時)。その中にいくつかのセグメントがあって、私は臨床コミュニケーションデザインというものをいくつか コーディネートしております。専門は、現在は医療人類学という分野で、文化人類学と社会学研究の学際領域分野の研究です。今日(6月16日)は私の誕生日です(会場 キャー歓声)。
市智河團十郎(b.1956)
■今日の私のタイトルは、「ボランティアを辞 めたら大学院に行こう!」ということで、実際に大学に来てほしい、ボランティア経験を契機に大学院 に来てほしいというリクルートというかお客様集めの発表ですので、まあリラックスして聴いてください。
■私自身は、実はボランティアを辞めて大学院 に行ったわけではなくて、大学院に入ってから、大学院を休学してボランティアに行きました。それも 何かボランティアをやりたいから行ったというよりも、大学院の研究を継続するために行ったという、非常に不純な、怪しい、どちらかというと逸脱ボランティ アでした。昭和58年4次隊という、「最後の4次隊」と呼ばれるJOCVのボランティアで、中央アメリカのホンジュラス共和国にある保健省に行ってまいり ました。前半というか冒頭の部分は、この私の経験をスライドでお見せします。
■JOCVというのは、制度的ボランティアで す。これ(写真)はアメリカの平和部隊ですが、日本のJOCVというのはアメリカの平和部隊 (American Peace Corps)と共通しているところがあります。ジョン・F・ケネディ大統領が構想した平和部隊は、アメリカの青年を世界に送り出し、若いエネルギーを通し てアメリカの自由主義、リベラルな考え方を伝えようとしたものです。日本はその当時、高度経済成長期で、経済的に非常に活発な時期でしたので、平和部隊の 趣旨をくみながらも、アメリカのボランティアよりもう少し技術指導に重きを置いた派遣ということになりました。実態としては、全世界的に非常にたくさんの 人たちを派遣して現在に至っているわけですが、私はそのメンバーの1人ということになります。
■今日の会場を見ると、ボランティアの経験者 というよりも、これからボランティアに行こうかという若い方が非常にたくさんいらっしゃいます。何 となく、ボランティアを辞めたら大学院に行こうというよりも、まず大学院に行ってからボランティアに行こうと、そういうことでも構いません。(会場笑)と にかく目標は、ボランティアに行くというよりも、ボランティアを契機にして大学院に来てくださいという、そういう宣伝であります。
■今日お話しすることは8つぐらいあります。 私の経験をお話しした後、「ボランティアって何だったの?」ということで、これは私自身が経験した ことをもう一回振り返ってみて、単なる個人的経験だけではなく、歴史的、社会的存在であるボランティアというものがどういうふうに生まれてきたのか、そう いうことを押さえておく。
■それから、制度的海外ボランティアのモデル は、アメリカの平和部隊と日本のJOCVみたいなものです。東アジア諸国でも、アジアのボランティ アというものがもう既に生まれて派遣されていますし、ヨーロッパでもボランティアが派遣されています。数、量ともに非常に大きな勢力を出している制度的海 外ボランティア、こういうものを考えてみたいと思います。
■海外へ行って、日本の技術的なもの、あるい は開発みたいなものを伝えたい、世界から貧困や病気、あるいは苦しみをなくしたいというボランティ アの活動が、最終的に自分の出身の国に帰ってどういう形で根付いていくのか、実際の社会的効果がどういう形で出るのか、そういうものを考えたいと思いま す。最終的には、JOCV(青年海外協力隊)の繰り返し繰り返しの経験を大学の研究がサポートして、コラボレーションして、制度的ボランティアの質という ものを高めていこうということです。これは中村先生が最初に少しお話しされましたが、40年かかって今のJOCVの歴史があるわけで、それをどういう形で 日本の社会に還元していくのか。そういうことが、さらにボランティア派遣の質というものを高めていく。そういうことについてどう考えようかということをお 話ししたいと思います。
■さて、私は1984年から1987年までの 3年間、ホンジュラス共和国の保健省(Ministerio de Salud Publica)に派遣されました。普通ボランティアは2年間の派遣ですが、1年延長しています。これ(写真)が保健省の本省の入り口です。これを撮った のはもうかれこれ20年以上前ですけれども、3年前にここの前を訪れました。中村先生、あるいは今日お話しされる高橋さんたちと一緒にここを訪れましたけ れど、ほとんど変わっていませんでした。私にとっては非常に懐かしいところです。本部(headquarters)といいますかね。
■私の仕事は、疫学局に属してマラリア対策や パブリックヘルスの住民教育に従事することでした。これは小学校で、地元の人たちに集まってもらっ てレクチャーをし、いろいろなワークをして、さまざまな知識、あるいは衛生に関する知識を普及していく(写真)。さらには自発的に住民を組織して、自分た ちの健康は自分たちで守ろうという活動も行いました。政府が上から何か薬を配布したり、さまざまな衛生改善のためのものを無償で提供するということではな く、住民の人たち自身がニーズというものをつくり上げ、必要であれば政府やNGO、さまざまなミッション、外国政府を動かして、自分たち自身で健康を獲得 しましょうというロジックで動いていました。
■もちろん、こういう考え方に到達するまでに は、保健医療協力はその前の植民地時代からいろいろな意味で経験を積んでいたわけです。最初は、要 するに植民地政府を動かす白人の人たちが病気にならないために、現地の人たちの病気を減らそうという白人中心のものでした。途上国の人たちがどんどん独立 していくと、今度は、「途上国の人たちの健康改善が、最終的には先進国の人たちの健康改善につながる」、あるいは、「全世界が健康にならなければ、何のた めの地球レベルでの経済発展か」という中で、医療に対する考え方が変わっていきました。先ほども申しましたように、「ここは貧しいから何かくれ。トイレが 全然ないから、トイレをただで造ってくれ」ということではなく、「マテリアルは提供するけれども、そういうマンパワーは自分たち自身が調達しないといけま せんよ」という形で自助努力を促す、そういうスキームも出来上がっていきました。ここまでにはものすごく長い、半世紀ぐらいの時代がありました。
■これは20年ぐらい前、私がホンジュラスに 住んでいたときの写真です。ちょっと分かりにくいと思いますが、これはハンモック。竹の2つの棒の 間にハンモックをつるしているんですね。2列に男性が並んでいますけれども、その真ん中には病気になったおばあさんが乗っています。この写真は、数時間か けて地元の村からおばあさんをえっちらおっちら連れてきたところで、ここからは自動車が動くので、ピックアップのトラックなどをチャーターして県庁所在地 にある国立病院にこれから運ぼうというところです。このように、医療に対するアクセスが非常に悪いところで私は働いていました。
■これはマッサージ(写真)です。帽子をか ぶったおじさんが、バイクで転倒して打撲を負った青年をマッサージしています。マーガリンというんで しょうか、パームヤシの油でマッサージをしている。要するに、地元の資源を使ってやっている。この人はもちろん非正規の人ですが、近代的医療資源がないと ころでは、こういう人たちがたくさん活躍しています。もちろん、その中には西洋近代的に見て非常に困った面もありますが、地元の人たちの信頼は非常に高い という状況です。
■商業化・商品化 (Commercialization)というのは、要するに人間のマンパワーによるサービスよりも比較的簡便につきます。こ れは1984年から1987年のころですが、人口600人ぐらいの集落で、買える薬を全部買ったらこれだけの種類が混じっていました(多くの薬の写真)。 だから、自己投薬をするということです。もちろん、この中にはメジャートランキライザーに相当するものもありますので、ある部分でいえば非常に困ったとこ ろがある。ただ、1錠1錠で売ってくれますから、皆さん、そんなに大量には買いません。経済的要因----貧乏で薬を買えないことが逆に薬の乱用を防いで いる、そういう皮肉な結果を生んでいました。
■これは教会を改造したようなところですね (サンタロサ病院)。古い植民地タイプの病院ですが、こういう大部屋にベッドを置いている。これが病 棟の風景であります。
■このTBA(Traditional Birth Attendant)は、伝統的出産介助者です。この当時の中年から高齢のおばさんたちがはだしで出産の介助をしていましたけれども、保健省はこういう草 の根の活動というものを非常にサポートしています。それはどうしてかというと、こういう人たちは妊産婦にとっては人生の達人のような面がありますし、さま ざまな妊産婦に対する予防接種などの情報源にもなるわけです。田舎ではどれくらいの子供が生まれ、どれくらいの子供たちが亡くなっているのかということも よく知っています。定期的に集会を開いて、現地の出産状況を聞き、近代医療の知識を定期的に授けています。伝統的な世界観と近代的なものを上手につなげる という意味では、ものすごく重要なメディエーターになっている人たちです。
■これは今、予防注射をしているところです (写真)。予防注射は保健省に来てくださいということではなくて、実際に赤ちゃんがいるところへ行っ て予防注射をするということですから、ものすごく時間がかかるということですね。
■こういう草の根医療を社会開発医学と呼んで もいいかと思いますが、社会開発医学というのは単に医療を授けて健康にするだけでなく、社会という ものに非常に深くかかわっています。貧困の撲滅、あるいは等身大技術の提供。要するにお金やハイテクによって供給しなければ失敗するようなものではなく、 住民の人たちが十分使えるような技術で健康を少しずつよくしていく。こういうものが「プライマリヘルスケア」と呼ばれているもの、あるいは開発途上国で行 われるようなプログラムの活動であります。
■制度的ボランティアが生まれる前にはどうい う組織があったのかと申しますと、ざっと並べてみるとこういうものです。もちろん、この中には制度 的ボランティアも入っています。(1)は宗教の慈善団体、(2)は政府機関によるもの、(3)は国際機関によるもの。(2)と(3)は非常に近づいており ます。(4)は非政府機関によるもの。1番から4番までの流れの中では、数字が後ろに行くほど、その比重は近年ますます高まっているという状況でありま す。
■さあ、それでは制度的海外ボランティアの誕 生ということですけれども、こういうボランティアの人たちというのは、非常に若い技術者や教育者が 多いのです。草の根レベルでの活動が期待され、現地で溶け込むように訓練されています。ボランティアというのは、端的に申しますと低開発国に派遣される 「特殊な労働者--兼--観光客」です。(会場笑)私は、これ自身はそんなに悪くないと思うんですね。観光客というのが全部悪いのかというと、地元にお金 を落としているし、観光を通して現地の文化や現地の社会、現地の人々を知ろうというモードがあるので、客観的には悪くない。古典的には、物見遊山で無責任 でという観光のイメージもありますけれども、責任ある観光(Responsible Tourism)という新しい観光とか、エコツーリズム(ecotourism)という観光客に要求される道徳的モラルと共通する部分があります。これ は、まじめにボランティアを考えている人たちにはいかがなものかと受け取られるかもしれませんが、客観的に見れば、こういうふうにいっても悪くはないと思 います。
■さあ、冷戦構造といいますか、昔は共産主義 陣営と自由主義陣営の対立というものがありました。ボランティアというのはその両方の側面があっ て、地元に入って、どうしたら幸せになるのかを考えている。1つには、政治的イデオロギー、社会を変えるべきなんだという考え方がある。そしてもう1つに は、要するに開発をすべきだ、医療とか経済とか農業とか、そういうことを通して生活をよくしていこうということで、2つの考え方の対立がありました。こう いう制度的ボランティアが発達したのは自由主義陣営で、これは社会主義革命とかゲリラ戦士を育てるというタイプとは違った社会変革の手法でしたけれども、 これは非常に普及しました。
■これは私にとっては非常に重要で、私自身が そうですが、ボランティアというのはいずれ地元に帰るわけですよ。もちろん中間的に、国際結婚をし て現地社会にそのまま根付くとか、別の国に住んでしまうということもありますが、多くの人たちは出身国に帰ります。こういう人たちの社会経験というのは、 社会にとっても無視しがたい影響力を持つようになっています。それを、私は「草の根のブーメラン効果」と呼んでいます。
■これは古いWebページで、先ほどのものは アメリカの平和部隊のページから、こちらのものはJICAがまだ「国際協力事業団」と呼ばれている ページから取ったものですけれども、制度的ボランティアには、明らかにその国の文化、テイストというものが反映されているということだと思います。
■「協力という幻想をこえて」と書きました が、「協力」という言葉にもやっぱり毒はあるわけです。例えば、G8などの大きなサミットがあったと きには、直接行動で抗議する人たちがいます。そういう人たちの思想的ルーツというのは、現地の人たちと関係があります。こういう人たちが自分たちの出身国 に戻ったときには、先進国のボランティア制度に対して非常に強い批判的勢力になるんだけれども、これはあくまでも現地の人たちのことを考える、あるいは現 地の人たちの生活と我々の生活がつながるという、非常に高い道徳的モラルを持った人たちだと思うんですね。 そういうスピリットが直接行動に結び付く、それがいいのか悪いのかはまだ議論の余地があると思いますけれども、そういう人は、「コスモポリタン」とここ では書いていますけれども、一種の地球市民的な、それまでにはなかったローカルな人たちなんです。みんな地元に住んでいたわけですけれども、ボランティア のそういう全地球的循環のようなものが、現地の人たちも含めた一種のコスモポリタンを生み出している。もしそうだとすれば、ボランティア、ベテラン--- -ベテランというのは、兵隊さんの場合は帰還兵というふうに呼ばれますけれども----、そういう人たちが、その後の人生についてどういう活動をもたらし たのかということについて、反省的に振り返る必要があると思います。
■結論の前にここでホッと一息、「永遠の名著 をご紹介」ということで、これは私の本の紹介です。こちらにある『実践の医療人類学』(世界思想 社)は高い本ですけれども、私に言っていただければ八掛けでお分けいたします(会場「キャー素敵っ!」の声と笑い)。営業活動をして怒られそうですけれど も、これは私自身のボランティアの経験がこういう大きな分厚い本になったもので、業界の人たちの間では世界三大希少の変わった本の一種だというふうにいわ れるぐらい評価の高い本です。現在は医療人類学の教育ということで、昨年、『医療人類学のレッスン』(学陽書房)という本を出しました。ものすごくいい本 ですので、特に医療関係あるいは公衆衛生に関心のある人はぜひご覧ください。別に買っていただかなくても、図書館で見ていただいても結構ですが、う〜ん、 やっぱり買っていただいてしっかり読み込むことをつよくお勧めします(笑い)。
■さあ、では「ボランティアを辞めたら大学院 にいこう!」、あるいは「ボランティアに行く前に大学院に行こう!」ということですけれども、ボラ ンティアをやっている間は必死で考える時間がなかった、帰国したら日本社会に適応、再就職ということで、生きるのが精いっぱい。これは今日の議論にもつな がることだと思いますけれども、本当に皆さん大変なんですね。まあ何とか地元で、ボランティア精神を絶やさずにちょろちょろと燃やしているだけという、そ ういう状況にある方がたくさんいらっしゃいます。もしそうだとすれば、大学院に進学して自分の海外経験を真剣に反省する、「考え直すのじゃ!」ということ を勧めしたいと思います。これは私自身が経験して、自分自身で思いますけれども、やっぱり人生観が変わると思います。そういう怒濤の2年間の経験を鍛え直 して、人生を再び生き直すことができる。つまり、我々の経験をもう一回よみがえらせて、それを未来の生き方につなげることができる、そういう契機になるの ではないかと思います。
これは私がホンジュラスで仲良くなった友人と撮った、20年前の写真です。
■司会のXさん 20年前の写真なの?
■【池田】 はい。全然変わっていませんね (会場「キャー若ぁ〜い」黄色い声と笑い)。どうもご静聴をありがとうございました。(会場拍手)
■質問:メジャートランキライザーとはなに か?
■【池田】 [なんでこんな質問をするのか疑 問に思いつつ、当時にやっぱり聴衆にわかるように話さないとならないと反省しつつ](メジャートラン キライザーとは)強い精神安定剤、つまり抗精神薬のようなものですね。重たい精神疾患などに使う薬です。大きな作用があって、通常は医師の処方せんが必要 です。そういうものを雑貨店のようなところで売るというのは、乱用したり、それこそ赤ちゃんや小さな子供が飲んだりすると大変なことになるので困ったとい うことです。
もう1つの具体的に生かすところについてですが、協力隊から戻っていらした方というのは、一種のカルチャーショックになったり、長年社会復帰 できなかったり、日本社会に適応できなくなったりするという問題があります。せっかく貴重な経験をされたにもかかわらず、例えば再就職しても一種の文化相 対主義的なものがマイナスに作用してしまってこれを「逆カルチャー・ショック」と、こんなに窮屈な日本社会は嫌だということで、離職率が高くなったりする 面が一方であるんですね。
他方では、社会に対する見方が非常にフレキシブルになる人たちがいます。世の中で働く、生業に就くことだけがまともな考え方だということでは なく、途上国ではもうほとんど無職でぷらぷらしているんだけれども、でも何とか生存している人たちがいる。そういう人たちは、生業に就いていないからとん でもない人たちかというとそうでもない。市民として立派な人たちがたくさんいるわけですよね。
そうすると、そういうものの見方が非常にフレキシブルになります。例えば社会の制度設計に就いて、仕事に向かなければすぐ会社を辞めてしまう というような従来型の道徳観とは違う価値観を持って、帰国後、社会の中で一定の貢献をされている方もいるわけです。そういう方というのは、非常に肝要な労 働の仕方をしたり、世の中にはいろいろな生き方があるという見方をしたりできる。社会はむしろそういう多様性を生かすべきではないのか。ずっと保険を払っ ていないと保険サービスを受けられないような長期的契約ではなく、市民社会の中で、どうすれば大きな制度と個人を調和することができるのか。
そういう相対的なものの見方を持つ人たちというのは、協力隊OG・OB、今はOV と言うらしいですね、協力隊OVにはたくさんいます。それから、ボランティア精神を持って、地元の国際協力などで非常に精力的に活躍されている方がいらっ しゃる。そういう人たちは世の中の価値観に対して多様性みたいなものを持っていて、日本の社会を非常に窮屈だと感じている。そういう人たちの発言、活動、 社会的影響力は、周りの人たちに対してものすごくプラスになっています。こういう人たちは、ずっと定年まで会社にいて、なかなかボランティアに出ないよう な人たちから見ればとんでもない人たちかもしれません。でも、社会というのは確実にそういう自由度を増しつつあるわけで、そういう人たちの社会活動や発言 の影響力は非常に大きくなっているわけです。
非常に抽象的になるかと思いますが、生かすところというのはそういうところにあるのではないかと思います。
■質問:青年海外協力隊の「悪い面や参加す ることをすすめない理由」についてはいかがですか?
■【池田】 悪い面は、どうでしょうね。何と いうか、もっと悲惨な人、生き残らない人もいるんですね。事故で亡くなるとか、妊娠して帰るとか、 帰ってからHIVになったとか、そういうかなり強烈に不幸な人がいる。そういう人の存在を考えれば、命があってありがたいと、そういうところもありますよ ね。その人たちの死を決して無駄にはしないと。
いや、私はむしろ、高橋真央さんの「女性の割合が非常に大きくなった」という話は不勉強で知らなかったんだけれども、これはいいことだと思います ね。我々の時代には、黒い伝説(Black legend)というものがありました。どういうことかというと、要するにある退院の方の実際の経験なのですが、HIVとかそういうものが大流行する前の 話だったこともあり、男性の隊員は買春に明け暮れていた。その女性の隊員はそれが許せんと。それで帰ってから本などを出版されて、協力隊の全体の名誉が毀 損される。これは協力隊本部にとっては非常に都合の悪いことなのでネグレクトするんだけれども、そのインサイダーから見ると、いや、全くそのとおりだねと いうことになる。そこの部分の臭いものにはふた的なところが解決されていないという、そういう変なものがありましたね。
先ほどの協力隊と胸を張って言えないというのは、何かそういうネガティブな影響がある。その経験というのは、すべてありがたい経験だけではあ りませんからね。それは別に自分の責任において悪いことをしたということだけではなく、不幸にも友人が亡くなったとか、そういう経験みたいなものも内包さ れますからね。
例えば友人が亡くなった経験というのは、非常に有り体ですけれども、「その人の分の人生も生きたい」という気持ちを強くしてくれたわけです。 そうすると、友人に亡くなった方がいらっしゃるからそれは100%不幸で取り返しのないほど暗いんだとは思わないし、みんなそれぞれに生きた意味があった ということで、むしろ「いい意味での教訓」でもあると思います。「清濁併せ呑む」じゃないけれども、悪い面でもよい面でも何か一緒に、みんな順風満帆に成 功して帰ってきてよかったなという意味だけでなく、そういう一つのボランティア経験を共有できたということ、それは現在でもあると思いますね。それは問題 の質が変わっただけであって、なくなってはいないと思うし、よいとか悪いというのをどういう時間的単価とか価値で測るのかということにもつながってくると 思います。悪い面と良い面をすべて洗い出して、じっくり当事者たちが我が事のように真剣に考えるしかない。歯切れが悪いですがそういうことです。
■質問:青年海外協力隊の問題や、大学と協 力隊いったいどちらのほうがワルか?
■【池田】 ボランティア派遣をどうしたらい いかということですけれども、Uさんの話の中にあったように、事務局長が代わるということは要するに ロケットと同じで、歴史的に見れば、飛ばすことだけが目的だったということだと思うんですね。だから、別に理念とか意味があって送っていたのではなくて、 システムが出来上がると、数値目標じゃないけれどもそれを達成しなければならない、そういうことだと思うんですね。
ただ、やっぱり全く知らない人に説明するためにはどうしたらよいかということで、ある部分でいえば齟齬が起きているわけですよね。はっきり 言って、その「やばいところに行きたい」という暑苦しい人は、「今は必要じゃない」と言った方がいいと思うんですね。(会場笑)つまり、現状を理解してい ないということだと思うんです。JOCVの派遣のときには、やっぱりきちんとインフォームドコンセントをやらないといけない。かつてインフォームドコンセ ントをやったときには、内海成治さん(→本HP末尾参照)がおっしゃったように、そのための良好なコミュニケーションデザインがどこか間違っていた。
インフォームドコンセントでは、今さっきお話がありましたような、質問をされたOVの方、非常に優秀な方の勝ち組の話だけでは駄目なんです ね。勝ち組の話と負け組、不幸なケースについてもきちっと実態とリスクを説明して、だけど多くの方が非常に満足されているという話をしなければいけない。 ただし、そうやって頑張って実績を上げた方も、日本に帰ってきたときに窮屈になって、職を変えることがありますよと、カルチャーショックというのはそれだ け大きいものであるという話をする。それがリスクなのかベネフィットなのかというのは、その人の人生でしか判断しようがないですね。もちろん、組織にとっ てはリスクだと思うんです。あるいは、日本社会にとってはリスクかもしれない。日本社会というか、日本の政治を動かしている人たちにとってはリスクかもし れないけど、派遣される人にとってはベネフィットになるかもしれない。ということは、やっぱりこのあたりのインフォームドコンセントをきちっとやる必要が あるのではないかと思います。
それから、やっぱりもうここまで来たら量的効果で、ボランティアというのはやっぱり巨大なカルトですよね。とにかく変人がいっぱい出てきた (会場笑)。だけど、世間を牛耳っているボランティアはCSR(企業や公的組織の社会的責任)なんだといいますが、日本の企業や公的組織の管理責任者たち は、そういうボランティアの恐ろしさを知らないですよね。そういうカルトが頑張って日本の社会を変えていって、これまでの保守的な人たちにとっては、とん でもない社会に変革して、定職のある人も無い人も、どんな人でも楽しく生きていける社会、そういう社会に変革しなければいけない。それは要するに政府が立 派になって、福祉とかそういうものでありがたく国民が恩恵を受けるということではなくて、みんなが草の根のパワーで雑草のような生きる力をつけてゆく。そ ういうとんでもない社会をつくって、別の意味でとんでもない政府なんかなくても、しっかりと生きていって、人生を楽しく全うできるような社会を私たちOV が作っていく。そうすれば、ボンクラな政府でも、そういうありがたい雑草パワーをもった人を今度は、登用せざるをえない。そういう意味を持つぐらいの価値 転換を、会社とか、政府とか、もちろん「諸悪の根源としての大学」(会場笑)にも与えていかないといけないんじゃないかなと思います。
● このページを内海成治先生(Seiji UTSUMI, 1946-2023)に捧げる
内海成治先生。大阪大学名誉教授、博士(人間科学)
1946年東京生まれ。京都大学農学部および教育学 部卒業後、東南アジア文部大臣機構地域理数教育センター(SEAMEO/RECSAMマレーシア)講師、国際協力事業団国際協力専門員、大阪大学教授、文 部省国際協力調査官(併任)、お茶の水女子大学教授を経て現職。 主な著作に『国際教育協力論』(世界思想社、2001)、『国際協力論を学ぶ人のために』(編著、世界思想社、2005)、『国際緊急人道支援』(共編 著、ナカニシヤ出版、2008)、『はじめての国際協力――変わる世界とどう向きあうか』(編著、昭和堂、2012)など。2023年9月逝去。
先生の弁「学生のころ、ナイルの源流を見ることを夢
見ていました。しかし、2000年から本格的にケニアで教育調査をするようになるとは考えていませんでした。いろいろな試みを行ってきましたが、これから
も、若い人たちと一緒に新たな視点でアフリカの教育を考えていきたいと思います」https://www.akashi.co.jp/author/a52098.html
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