はじめに よんでください

エコ・ツーリズムの4つの顔

Four characters of Ecology Oriented Tourism and/or Ecotourism.

池田光穂

カウイータ国立公園周辺での光景

「‥‥もともとわれわれは、新し物好きの、一時のお調子に乗り易い國民であるから、或る一 箇所が鉦や太鼓でヂヤンヂヤン囃し立てると、どツとその方へ寄り集まつて、餘所の土地は皆お留守になつてしまふ。そこで、そのコツを呑み込んで、宣傳の裏 を掻くやうにする、一方へ人が集まつた隙にその反對の方向へ行く、と云ふ風に心がけると、面白い旅をすることがある。」谷崎潤一郎「旅のいろいろ」(昭和 十(1935)年)

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昨今(1993年当時)流行のエコツーリズムについて堅苦しい話 は抜きにして、社会現象としてこ れを捉えたときに、私自身が気づいたその四つの特徴についてご紹介します。


 1. アモルファスな定義


まず第一点は、エコツーリズム(生 態観光)あるいはエコロジカル・ツーリズム(生態学的観光)に ついて、それを紹介する人たちの「定義」が多様なことです。ほんらい定義は一義的でなければ困るのですが、聞き慣れないこの言葉に紹介者たちは思い思いの 意味を付けるのです。

例えばあるジャーナリストは「エコ・ツーリズム」に対して「自然環境との共存を図り、先住民の文 化から学びながら、新しい旅の文化を生み出そうとの動きをいう」(『知恵蔵』九三年度版)と紹介しています。しかし、これでは我々の業界(=人類学)で謂 うエスニック・ツーリズム(民族観光)などと区別がつかなくなります。また「新しい旅の文化」が何のことなのか分かりません。

他方このようなおめでたい意味づけに対して批判する人たちもおります。広大な熱帯雨林を抱えるあ る国の民俗学者とかつて話をした時に、彼はエコツーリスト(生態観光客)について次のようなことを語ってくれました。

「生態環境をただ楽しむだけの観光客で、小型の飛行機で移動し観光サイトを巡る欧米の少数者の旅 行グループだ。その際に少数の民族集団と接触するのでその現地社会に与える影響は大きい」と。彼にとってエコツーリストは現地文化を破壊(?)する「厄介 な客」だったようです。

結論。エコツーリズムの定義はいろいろあります。さしあたり「自然環境を楽しむことを目的とする 観光」ぐらいの理解で十分です。そして教訓。話を混乱させないためにも、定義に道徳的な価値観を含めないことが肝要です。


 2. 地球全体主義への軟弱な信奉


地球全体主義という物騒な(?)用語は、環境倫理学における密接に関連した三つの主張の一つで す。この考え方によると、㈰人間以外の生物種、生態系、あるいは景観などにも「生存」の権利があり、さらに㈪我々が未来の世代に生存可能性を保証させる責 任(=世代間倫理:intergenerational ethics/Intergenerational equity)がある。また地球の生態環境は閉鎖系であり、その利用可能な資源とエネルギーの総量は有限であるという事実を受け入れたならば、㈫ 次世 代に対して生存可能性を保証することを優先させ(=地球全体主義を受け入れ)なければならないことになります(加藤尚武『環境倫理学のすすめ』)。

環境倫理学というこむずかしいことを謂わなくても、この三原則は大なり小なり「環境保護論者」の 主張の中にもうかがわれます。現在の多様な環境保護論者あるいはエコロジストたちの主張を、このようにまとめると身も蓋もありませんが、少なくともエコ ツーリズムを正当化する思想的裏付け(こちらも堅苦しい表現ですが)になっていることは確かです。

現代においてエコツーリズムを企画したり、また参加するのに、もはや「自然に親しむ」だけでは世 間が許してくれないのです。エコツーリストが「厄介な客」にならないために持ち出された理屈がエコロジカル・コンシャスネス(環境保全への自覚)であり、 地球全体主義であったのです。さらに、その帰結として、この観光形態が普及するにつれて、この種の自覚をもった者がエコツーリズムという方法を、今度は自 発的に選択することも有り得るのです。


 3. 強いられる演技・振舞うことの快楽


私の中央アメリカでの経験です。エコツーリズムを推進させる、あるいはさせたいと希望している自 然保護団体・所轄政府官庁・旅行代理店などを回ってみて面白いことに気がつきました。エコツーリズムとは自然環境に興味をもった旅行者を受け入れる器であ るが、同時にそれは「自然保護教育」を旅行者に提供する場でもある、という指摘でした。

実際に「環境保全への自覚」を兼ね備えた旅行ツアーのガイドたちは次のようなことに気を配りま す。「目的地を汚さず出たゴミは各自もって返ること」「動植物に触れたり持ち帰ることが禁止されていること」などを旅行者たちに指示することはもちろんの こと、なぜそのようなことを行なわなければならないのか、を具体例を通して旅行者に自覚させること、と。

エコツーリストたちは、自然環境のなかでの適切な振舞いを強いられます。これは勝手気ままが許さ れてきた従来の観光客にはない新種の堅苦しさです。もっとも苦痛を感じるほど大げさなものではありません。むしろ簡単なぐらいです。そして、より重要なこ とは、その種の振舞い=マナーを守ることで、ガイドが教えてくれた自然保護を曲がりなりにも実践することなのです。また実践を通して、それなりに意義深い ものに感じられるから不思議です。

私はこのようなことを「エコツーリズム ごっこ」とある論文(『中央公論』1993年四月号)の中 で呼びました。エコツーリストとして振舞うことのなかにある種の遊戯性が潜んでいるのではないかと思うのです。あるいは、今日エコツーリズムを楽しむため には、自分みずからをエコツーリズムごっこの渦中に投じなければ、やってられない、とも言えます。なぜなら、眼の前に繰り広げられる豊かな自然、珍奇な動 植物との出会いのためには、不安な軽飛行機のフライト、極端な暑さや寒さ、突然のスコール、うっとうしい虫刺されに耐えなければならないからです。

単なる道楽でそんなところに出かけるなんて、珍しい動植物研究家か自然保護オタクに思われても仕 方がありません。由緒正しい(?)エコツーリストになるためには自然保護のイデオロギーで軽く理論武装しなければならない、というわけです。


 4. 保護しつつ社会に貢献するという便法


今まではエコ・ツーリズムを「利用する側」の事情について述べました。では、それを開発する側の 事 情から見たらどうなるでしょう。開発する側にとって、エコツーリズムとは、現地の自然環境を破壊することなく資源として利用しつつ儲ける(必ずしも金銭面 だけではありませんが)こと、になるかと思います。

エコ・ツーリズムにおいては、巨大なホテルを建てたり道路や空港の建設などの大規模なインフラス ト ラクチャー整備を行なうことは禁じ手です。あるいは、それは最小限にすべきだと考えられています。これがエコ・ツーリズムの開発面における特異的な側面で す。私は、従来の観光開発に長年携わってきた人たちには、この考え方はほとんど理解不能ではないかと思っています。

しかし、産業開発を通して人間の幸福を!という古典的なスローガンの信奉者にも理解できる便利な 論法があります。八七年に「環境と開発に関する世界委員会」が提唱したのを皮切りに昨年のリオデジャネイロの地球サミットでは基本理念とまでになったサス テイナブル・ディベロップメント(持続可能な開発)という概念がそれです。環境や自 然を損なうことなく、次世代以降の将来の人類が生存しつつ発展する原理 を模索してゆくという要請が起こっています——そんな虫のいいことが可能かどうかは知りませんが。

むろん政府開発援助のみならず、世界の様々なNGOなども、具体的なエコツーリズム開発のプロ ジェクトなどにも着手しています。国際貢献におけるエコ・ツーリズムの役割の重要性が今後どうなるかは、不確定な要素を孕んでおり確かなことは言えませ ん。 しかし、世界の情勢はすでにエコ・ツーリズムを中心とした開発手法を抜きにしては語れないほどになっているのです。


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六〇年代に起源をもち——そこでカウンターカルチャー(対抗文化)の担い手たるヒッ ピーが果たし た潜在的役割は大きかった!——、そして八〇年代後半より本格化したエコ・ツーリズム。これは、たんに観光形態における革新であるばかりでなく、世紀末の 人 びとの世界・生活・意識を理解する上で欠かせない社会現象でもあるのです。

池田光穂(Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099)

後記

現在の若い世代の読者から、カウンターカルチャーやヒッピーについて教えてくださいと、今 (2009年)でもメールをいただきます。なかなかいい紹介がなかったのですが、その当時・その社会を生きた下記の日本人(世界的経済学者)の証言を参考 にしてください。短い記録ですが、秀逸です。

●青木昌彦、「対抗文化」『私の履歴書:人生越境ゲーム』日本経済新聞社、Pp.130- 137, 2008年。

●Kirk, Andrew G., Counterculture green : the Whole earth catalog and American environmentalism. Lawrence, Kan.: University Press of Kansas, 2007.という本もあります

"For those who eagerly awaited its periodic appearance, it was more than a publication: it was a way of life. The Whole Earth Catalog billed itself as "Access to Tools," and it grew from a Bay Area blip to a national phenomenon catering to hippies, do-it-yourselfers, and anyone interested in self-sufficiency independent of mainstream America. In recovering the history of the Catalog's unique brand of environmentalism, Andrew Kirk recounts how San Francisco's Stewart Brand and his counterculture cohorts in the Point Foundation promoted a philosophy of pragmatic environmentalism that celebrated technological achievement, human ingenuity, and sustainable living. By piecing together the social, cultural, material, environmental, and technological history of that philosophy's incarnation in the Catalog, Kirk reveals the driving forces behind it, tells the story of the appropriate technology movement it espoused, and assesses its fate. This book takes a fresh look at the many individuals and organizations who worked in the 1950s, 1960s, and 1970s to construct this philosophy of pragmatic environmentalism. At a time when many of these ideas were seen as heretical to a predominantly wilderness-based movement, Whole Earth became a critical forum for environmental alternatives and a model for how complicated ecological ideas could be presented in a hopeful and even humorous way. It also enabled later environmental advocates like Al Gore to explain our current "inconvenient truth," and the actions of Brand's Point Foundation demonstrated that the epistemology of Whole Earth could be put into action in meaningful ways that might foster an environmental optimism distinctly different from the jeremiads that became the stock in trade of American environmentalism. Kirk shows us that Whole Earth was more than a mere counterculture fad. In an era of political protest, it suggested that staying home and modifying your toilet or installing a solar collector could make a more significant contribution than taking to the streets to shout down establishment misdeeds. Given its visible legacy in the current views of Al Gore and others, the subtle environmental heresies of Whole Earth continue to resonate today, which makes Kirk's lucid and lively tale an extremely timely one as well." Kirk, Andrew G., Counterculture green : the Whole earth catalog and American environmentalism. Lawrence, Kan.: University Press of Kansas, 2007.

「「ホール・アース・カタログの定 期的な発行を心待ちにしていた人々にとって、ホール・アース・カタログは単なる出版物ではなく、生き方そのものだった。ホール・アース・カタログは「道具 へのアクセス」をうたい文句に、ヒッピーや日曜大工愛好家、そしてアメリカの主流から独立した自給自足に関心のある人々を対象に、ベイエリアの一角から国 民的現象にまで成長した。アンドリュー・カークは、カタログ独自の環境保護主義の歴史を紐解きながら、サンフランシスコのスチュワート・ブランドと彼のカ ウンターカルチャー仲間であるポイント・ファウンデーションが、技術的達成、人間の創意工夫、持続可能な生活を称賛する実践的環境保護主義の哲学をどのよ うに推進したかを語る。カークは、この哲学が「カタログ」に登場するまでの社会的、文化的、物質的、環境的、技術的な歴史をつなぎ合わせることで、この哲 学の背後にある原動力を明らかにし、この哲学が信奉した適正技術運動の物語を語り、その運命を評価する。本書は、1950年代、1960年代、1970年 代にこの実践的環境主義の哲学を構築するために活動した多くの個人と団体をあらためて取り上げている。このような思想の多くが、原生地域主義を主体とする 運動にとっては異端視されていた当時、『ホールアース』は環境保護に対するオルタナティブのための重要なフォーラムとなり、複雑なエコロジーの思想をいか にして希望に満ちた、ユーモラスですらある方法で提示できるかのモデルとなった。ブランド・ポイント財団の活動は、ホール・アースの認識論が、アメリカ環 境保護主義の主流となった戯言とは明らかに異なる、環境楽観主義を育む有意義な方法で実行に移せることを示した。カークは、ホール・アースが単なるカウン ターカルチャーの流行以上のものであったことを教えてくれる。政治的プロテストが盛んだった時代には、街頭で体制側の悪行を罵倒するよりも、家にこもって トイレを改造したり、ソーラーコレクターを設置したりする方が、より大きな貢献ができることを示唆していたのだ。アル・ゴアやその他の人々の現在の見解の 中にその目に見える遺産があることを考えると、『ホール・アース』の微妙な環境異端は今日でも共鳴し続けている。Kirk, Andrew G., Counterculture green : the Whole earth catalog and American environmentalism. カンザス州ローレンス: University Press of Kansas, 2007.」

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Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

【初出誌】 池田光穂「エコ・ツーリズムの四つの顔」『アドバタイジング』,No.441,pp.24-27,電通,1993年4月

本文は加筆していますので、オリジナルとは異なる箇所がありま す。

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