持続可能性の意味と医療人類学
The Meaning of "Sustainability": An Inquiry of a Japanese anthropologist
目次
1.疑惑の用語……、それは 〈持続可能性=サステイナビリティ〉
経済人類学者のクリス・グレゴリーは、1970年代にそ の隆盛を誇っていた文化経済学や経済人類学における「適応」(adaptation)という用語と概念が、今日ではすっかりその権威を失い、それに似て非 なる「持続可能な」(sustainable)=サステイナブルという言葉が、社会科学研究パラダイムの中で大手を振って流通していることを指摘している (Gregory 2005)。
グレゴリーによると、この2つの用語は単なる言葉の言い換 え以上の意義があることを指摘する。まず適応という言葉には、「生物学的適応」と「文化的適 応」という2つの用法がある。前者はある環境の中で生き残るために生物が個体あるいは集団(群集)の組織を変化させることである。後者の文化的適応とは、 ひとつの文化システムが時間を超えて存続するために発展させている社会の諸制度のことである。ところで「持続可能な」という形容詞を名詞化した「持続可能 性」(sustainability)にもまた、生態学的意味と経済学的意味の2つの用法があり、それらの意味のニュアンスは微妙に異なっている。〈生態 学的な持続可能性〉とは、しばしば指摘されるように天然資源の枯渇や自然破壊などを引き起こさずに維持できる人間の経済および文化的活動のことである。そ して〈経済学的な持続可能性〉の意味は、経済活動において一定の比率ないしは水準で成長を維持できる能力のことを言う。事実「持続可能な」という形容詞が 修飾するほとんどは「発展・開発」(develpoment)という名詞であり、「持続可能な開発」とセットにしてしばしば呼ばれる。現在この用語は生態 学的と経済学の2つの用法が混淆し、未来の世代のために自然保護を行いながら天然資源の浪費をおこなわない開発のやり方のことを指している。
グレゴリーは引き続いて次のように言う。適応と持続可能性 という2つの用語は、それぞれ以下のような一連の対比の中での類別的理解が可能である。すなわ ち〈適応〉 vs. 〈持続可能性〉、〈古い記述用語〉 vs. 〈比較的新しい規定的用語〉、〈過去を記述する語〉 vs. 〈未来を記述する語〉、〈進化〉 vs. 〈生態環境の圧殺('econocide',非意図的な生態的自殺を意味する)〉。これら一連の前者と後者のグループには共通点があり、一般的に言うと、 〈適応〉から〈持続可能性〉への研究への人々の関心の「パラダイムシフト」が起こっていると彼は言う。それは、あるシステムの成長を、進化論的枠組みとし て捉えるこれまでの「適応」という言葉の使い方と、グローバリゼーション時代の迎えた新世代が使う「持続可能性」の違いとして現れる。適応の時代では「ホ モ・サピエンス(現世人類)はどのように生き残ってきたのか?」という問いが発せられていたが、持続可能性が主流になったこの時代では「ホモ・サピエンス は果たして生き残ることができるか?」と問いかけがシフトしたと言う。現在では、過去の適応の事象から学ぶ教訓のスタイルは廃れ、その代わりに未来志向の 〈持続可能性〉の思考法により我々の発想法は埋め尽くされようとしているという。グレゴリーは、その持続可能性の議論の典型的な論者として、文明の崩壊と 維持についての大著『崩壊:どのようにして諸社会は失敗あるいは成功を選択するのか』を公刊したジャレット・ダイアモンドをあげる(Diamond 2005)。
すでに私は、本プロジェクト研究に着手するようになって以 降「持続可能性」を2つの意味で理解してきた(池田 2004, 2005)。つまり(1)保健医療プロジェクト自体のシステムとしての継続性と、(2)比較的長いタイムスパンの中でプロジェクトが想定するアウトカムの 当該社会(つまりプロジェクトが行われる現地社会)における維持継続性の2つである。一見するとこのような説明は、(1)はプロジェクトにおける供与者の 持続可能性、(2)は受益社会の持続可能性と峻別するように思われるが、必ずしもそうならないことも多い。供与者のいない保健医療プロジェクトがあり得な いのと同時に、受益社会がないプロジェクトはあり得ない。また、プロジェクトが成功裏に終わろうが終わるまいが、理想的には供与者は受益社会から最終的に 撤収するとされるので、(2)のみが〈持続可能性〉という用語の本義に叶うという反論も有効ではない。なぜなら、(2)のような〈持続可能性〉が実現した プロジェクトは、〈有益なモデル〉として供与者の記憶に残るだけでなく供与者はそれを別の社会で試みようとするので、結果的(post hoc)にプロジェクトの構造は再生産される、つまり(1)のようにプロジェクトそれ自体が持続可能なものとなる。従って、保健医療プロジェクトが実行さ れた時に、持続可能性とは、2つの行為主体(アクター、説明は後述)である供与者と受益社会の両方が〈理想〉とする均衡状態に到達することを指していると 理解すべきなのである。
この意味における持続可能性とは、保健医療プロジェクトが もつ理想状態ないしは目標のことであって、結果(アウトカム)のことを評価したり記述するため の用語ではない。だが用語や概念の誤用や混同は、医療という学問界においては当たり前に起こる。ちょうど生命の質(quality of life)を評価するために定量(quantity)的データをまとめ、挙げ句の果ては数値化するといった意味の取り違いの事例は後を絶たない。本節の冒 頭に「疑惑の用語」として持続可能性という言葉を記したのは、この用語の使用法がつねに〈目的の陳述〉と〈状態の描写〉の間を移動する危険性をもっている ことを指摘したいがためであった。
保健医療分野の開発調査策定のための批判的レビュー『保健 医療分野の開発調査』(2004)は、この分野においてもすでに十分のジャーゴン(社会的流通 性の限られた専門用語)が生産され、流通し、そして種々の議論が活発に交わされている現状を知る上で興味深い書物である。このプロジェクトの実質的なリー ダーである穂積(2004)は巻末に短いがとても興味深い論文を書いている。それは、専門用語やスキームが羅列される他の退屈な論文に比べて、筆者の主張 がはるかに明確で好ましいものに私には映る。穂積はこの研究プログラムを始めた動機の背景にある、一種の憂鬱を冒頭に語る。
「これまで国際保健の仕事に関わってきてつくづく思うこと は、フィールド調査・研究によって得られたデータを保健政策に反映させることがいかに難しいということである。難しいというよりも、調査の成果と実施され る政策には関連性がないのではないかというあきらめに近い気分になることが多い」(穂積 2004:151)。
このように彼は切り出して、フィールドの状況を反映して いる現実(=真実)と、現実に基づいた[と信じられている]プロジェクト・ビルディング(=意思決定)の2つの事実の揺るぎない関連性という神話に疑問符 を打つ。
「きちんとおこなった調査は、必ずやよりよい意思決定への 私たちを導いてくれるというこのパラダイムの影響は、フィールド調査や参加型分析による現状の把握と、それに基づいたプランの策定という流れにのっとっ た、過去に実施された開発調査の基本デザインにみることができる。果たしてこのような考えにもとづいた開発調査、政策決定の支援が本当に有効であるのか。 なぜ、フィールド調査の結果は保健政策に反映されないのか。有用であるのであれば、なぜ開発調査を始めとする政策支援の活動は実を結ぶことが少ないのか。 それはただ単に実施している私たちの能力が十分ではないからなのか」(穂積 2004:151)。
ここから穂積の診断は、調査が現実を反映しているかどう かという検証には至らずに、調査データから引き出される調査者の意思決定にもとづくプロジェクト・ビルディングのプロセスほうに関心の眼を向ける。彼は アーヴィン・ターロフの論文「集団の保健を改善するための公共政策の諸枠組み」に依拠し、ターロフが指摘する保健の公共政策における2つのプロセス、つま り(i)受益社会における公共的合意形成と、(ii)政策実行者という供与者によって採用される政治行動をモデルに着目する(Tarlov 1999)。ターロフの論文では、このモデルを使って米国と英国が事例として検討されるが、モデルそのものが西洋的な民主主義のもとでの合理的な行動原則 に準拠していることは明白である(元の論文の図から翻訳したものを図A.に示しておく)。穂積は健康の開発モデルを大胆にもパキスタンにおけるヨード欠乏 対策の事例において適用することを試みる。
まず図A.の上半分にある社会の合意形成の過程におい て、最初の3つのステップは1990年代においてパキスタンではすでに達成されていると穂積は分析する。さらに4つ目のステップである「公衆の自覚と意見 の展開」も1995年頃に行われたキャンペーンで達成され、ヨード欠乏症の予防とヨード塩の使用は、この当時「国民的合意」とされていたという。しかし、 この合意は一部の地域を除いてはその直後には後退してゆく。つまり、ヨード欠乏の犠牲者が男性よりも女性に、富裕な人よりも貧困者に多いという現象が、公 共の意見をして、全国的な合意から地域的な合意に転落せしめたというのだ。結局のところ最大の問題は穂積に言わせると「これまでの開発調査のデザインは、 このモデルにおける第1フェーズ(上部のプロセスのこと:引用者註)の最初の3つのステップに力をおいてきたということになり、その後に続くより長い政策 実現のための過程が欠けていた」と結論づける(穂積 2004:153)。ここでは、政治的意思決定が近代西洋型のモデルで例外なく遂行されるということ に、彼においては些かの疑念も持たれていないかのようだ。いったいどのような批判的観点が欠けているのであろうか。ここで、それを明らかにすることが重要 である
2.2 アクターネットワーク
1950年代以降、行動科学の確立という革命的事態を経 験している文化人類学や社会学的アプローチをとる我々は、保健医療プロジェクトという実践の現場において、行為者あるいは行為主体(アクター)とよばれる 行動の単位を想定して、それらの要素間の相互作用に着目する。それぞれのアクターは、歴史的社会的固有性をもつ[我々のプロジェクトリーダーである]中村 安秀のような「特定の個人」であっても、医師や文化人類学者など呼ばれる「社会的役割」であってもよい。あるいは、HANDSや国際協力機構(JICA) あるいは大阪大学などの「集合的個人(法人)」であってもかまわない。インタラクティブであればアクターは人間以外の動物や機械などの物体でもかまわな い。外部から情報を収集し、相互に交渉しながら時系列の中で次の行動を投企する単位としてアクターを考えるのである。アクターが情報を入手し、それにもと づいて[あるいはそれとは無関係に]行動を派生させる。別の見方をすれば、他のアクターに向かってアクターは特定の情報を発生する。アクターは情報と行動 の連鎖を派生させると同時に伝達する媒介にもなる。これらの連鎖をその場限りで(ad hoc)結びつけるとネットワークを形成している様を我々はみることができる。今日ではそのようなアクターが織りなすネットワークを叙述しつつ、(i)ア クターのそれぞれの認識と行為が生み出すもの、(ii)アクター間のセグメントの相互作用が生み出すもの、(iii)そしてネットワーク全体がもたらすも のについて研究する枠組みは「アクターネットワーク理論(Actor Network Theory, ANT)」と呼ばれる(Callon 2001)。
アクターネットワーク理論の発想にもとづいて保健医療プ ロジェクトにおけるアクターとアクター間の相互作用を模式的に表したものが図B.である。右上のアクターがプロジェクトそのものを企画立案し、それを実行 に移す初発者(initiator)である。初発者は特定の歴史社会的文脈から自由になり(あるいはそう信じて)プロジェクトデザインを構築する。しかし ながら、固有の歴史的社会的に条件化された固有の社会的文脈(コンテクスト)で実践しないとプロジェクトは現実に作動したとは言えない。右上のアクター は、現地社会に赴くか、あるいはそこに赴いて仕事をする人間との相互作用をもちながら仕事をおこなう。現地社会には、そのプロジェクトに直接間接に関係を もつさまざまなアクターが生まれることになる。現地社会でのアクターには、プロジェクトのターゲットグループと呼ばれる集団、現地側でプロジェクトを提携 する現地のアクター(保健省役人、現場の実務担当者、病院や診療所などの施設)、同盟あるいは競合関係にある他の国内・国際的組織、大学や研究機関、政治 的係争地であれば、プロジェクトを国家や国際的資本主義のエージェントと見なして妨害する武装ゲリラグループ、など無数の相互作用のネットワークを想定す ることができる。
このように見るとアクターネットワーク理論において考慮 しなければならないことが、無限にあるかのような印象を与えてしまう危険性である。しかし相互作用の強度という観点からみると、それは有限のネットワーク として措定してもかまわない。図B.において、αは初発者からみて遠心的な情報と行為の流れを指し、βはその逆の求心的な流れであるが、それらの意味づけ はそれぞれの行為者により相対的なものになる。このことがネットワーク解析の複雑さの強度を増すことになる。しかしながら、我々は現場における「常識的判 断」に基づいて、それぞれのアクターが放ちうる相互作用の強度、結果的に生み出すものの多寡、プロジェクトそのものに対するインパクトの度合いなどを斟酌 することができる。つまりネットワークは、要素に分解して分析することができるだ。この理論が社会現象の複雑さの前に研究を挫折させない強みになっている はそのことである。
2.3 社会的文脈(コンテクスト)
アクターネットワークの議論の中で押さえておかねばなら ない重要なポイントは、アクター間の相互作用を観察したり、その意味を考えたりする際に、相互作用が生起した[あるいはそれを可能にした]社会的文脈すな わちコンテクストについて留意することである。アクターは、社会的真空の中で行為実践をおこなうのではない。またアクターは自分にとって理想的な状態にな るよう相互作用を誘導することがある。その際、アクターは自分と相手がおかれている社会的文脈(コンテクスト)を十分に計算に含めておこなっていること は、我々の身の回りを眺めてみても自明である。事例としてあげた図B.には、アクターが置かれるコンテクストについて、きわめて単純で形式的だが必要かつ 最小限のものを指摘しておいた。まず行為者の身の回りのもっとも局所的なものがミクロ領域(MICRO)である。これには、日常的言語や仕草などがコミュ ニケーションの基調とされ、行為者がもつ文化や行動学的癖のようなものが頻繁に観察さえる領域である。その対極には、行為者たちが実践する場所を取り囲む もっとも大きなもの、すなわちマクロ領域(MACRO)としての全地球的−歴史的文脈がある。地域社会やコミュニティ、あるいは国家的枠組みの中で仕切ら れる文脈は、それらの中間であるのでメゾ(MESO)領域と呼んでおこう。メゾ領域の文脈は、マクロ領域の事象と同様に、直接体験することができないが −−実際いったい誰が「社会」や「コミュニティ」というものを具体的に手にとって把握することができようか?−−我々はそれぞれの文化が準備するコミュニ ティのイメージを獲得し、教育を通して長年にわたって訓育される公共や国家のステレオタイプを[自覚の有無に関わらず]知らず知らずのうちに学んでいる。
これらのコンテクストを研究したり分析する社会科学の方 法がある。ミクロ領域では、直接観察における行動科学的分析があるし、より文化事象に関連づけるならば民族誌的(ethnographic)分析がある。 メゾ領域であれば社会学的分析があるし、マクロ領域であれば、歴史研究や経済学研究[これらはメゾ領域でも適用可能]などの方法が用意されている。
3層のコンテクストを解説し、それらを分析する手法につ いて指摘したが、この領域の外側に位置し、研究対象を観想することも論理的な形式においては可能である。実証主義における分析的理性などの文脈とは、「神 様の視点」と表現できるように、図像などの象徴形式と同じく、現実の文脈を超えた視点のことである。メタレベルでの分析などという時の視点がこれである。 これは実際にはコンテクストから自由になるという普遍主義に結びつくような立場ではなく、複数のコンテクストを横断したり、コンテクストのレベルの移動を 通してコンテクストの存在を相対化する(あるいはそのような努力を不断に続けているような)立場のことを指している。
コンテクストの問題は本稿の第6節において再び議論する ことになるだろう。
3.1 推論の透明性
前節の冒頭では穂積(2004)が、フィールド調査の結 果がなぜ保健医療の施策に反映されないのかという問題から、調査以降に進展する[はずの]政治的プロセスの〈合理的な過程〉をターロフ(1999)のモデ ルに求めたことを紹介した。それに対して私は前節の後半の議論において、具体的に進行している保健医療プロジェクトを行為主体であるアクターの間の複雑な 繋がりに関する〈合理的な理解〉のモデルをアクターネットワーク理論に準拠しながら説明した。前者のモデルにみられる単純でリニアな展開と後者にみられる より錯綜した複雑な関係を対比することで、現実の社会現象の複雑さに着目することに読者への喚起をもたらしたつもりである。
このような認識論的相対化を行えば、フィールド調査にお いてすら、自分たちが得られたデータがフィールドにおけるさまざまなアクター間の相互作用によって左右されていることが容易に推察することができる。しか しながら私は「だから社会現象は複雑で不可思議で、容易に分かりっこない」などという教説を垂れようとしているのではない。このようなモデルですら、社会 現象における偶然的要素の問題を[まだ]変数に入れていないことがわかるからだ。したがって、我々の教訓はモデル・ビルディングは最適と思われるまで繰り 返し試行錯誤すべきだということに尽きる。合理的モデルを採用する利点は、古いモデルを理論的に論駁することができ、新しいモデルが構築できる論理性が保 証されることにある。これはカール・ポパーの科学社会学の用語では「反証可能性」のことである。
合理的モデルのよい点は、推論の過程を誰もが検証するこ とができるという社会的透明性にある。もちろん、このような社会透明性を確保することができるのは、合理的モデルの有効性というパラダイムを共有する文化 的価値観を分析者がもつことが前提になっている。つまり合理性モデルは、社会ないしは文化の型によって、その論証構造が相対的にずれたり時には完全に異 なった展開過程をもつ可能性があることも理解しなければならない。さて、社会的透明性をもつことは、民主主義的な合意プロセスにおいてその決定を政治的に 管理できるということを含意する。我々の人生における時間的尺度の中ではこれは決定的に重要である。問題発生の合理的説明をおこなうことが、その問題の規 模を縮小したり解決する具体的政策を立案することができることである。この問題を、開発途上地域における薬剤耐性菌が生まれる過程を例にとって考えてみよ う(図C.)。
3.2 発生メカニズムというモデル
薬剤耐性菌の例として多剤耐性結核菌(Multi- Drug Resistant Tuberculosis, MDR-TB)をあげる。途上国における結核対策は、担菌の可能性をもつ患者を発見し、その喀痰を採取し、その患者に投薬しながら、患者を監視(サーベイ ランス)するというシステムで通常おこなわれている。この単純なシステムでは多剤耐性が生じることは考えにくい。したがって、多剤耐性の発生には複数の医 薬品の機会的濫用が考えられる。[監視下におかれる患者にとって]長期の投薬とそこから生まれる多剤耐性菌の発生には、主に2つの系列の要因の問題が絡む ように思われる。ひとつは製薬企業が長期にわたる薬品の売り上げを確保しようとする市場の原理である。これにより濫用が生まれる素地ができる。ただし、こ れだけでは薬剤が同一の種類で販売されている場合には問題が起こらない。多剤耐性を生む潜在力をもつ複数の薬品が「医薬品選択の自由」という市場原理のも とで濫用されないと、事態が生じないからだ。図C.では水平に左から右へ移行する実線の矢印の系列がその最初のものである。他方、患者にとって医薬品の調 達を公的なサービスだけで受け入れることができない以上、患者はOTC(Over The Counter, 店頭で直接購入できる)医薬品に依存せざるをえない。長期にわたる投薬は、病状管理に医学的に適切な知識をもたなかったり、定期的な医薬品購入が経済的理 由で阻害された時、医薬品の不適切利用という事態が引き起こされる。こういう事態は、原疾患の疫学的存在がなければ起こりえない。右上から左下に移行する もうひとつの系列が交錯してはじめて薬剤耐性菌が生じる。このように多剤耐性菌の発生には2つの系列の要因が重なって生じるとひとまず解釈することができ る。
このような原因発生のパズルが提示された場合、「薬剤耐 性菌の発生」の問題をどのような具体的保健医療施策をもって解決すべきであろうか。ここでは、患者や地域住民などのターゲットグループに対して啓蒙教育や 治療などの介入をおこなう実力をもっている政府やNGO(非政府組織)などが、公的プログラムを通してどのようにその問題に対処するのかについて考えてみ よう。
図C.で示された問題の連鎖的要因に対して、それぞれ以 下のような具体的介入を想定することができる。まず多国籍製薬企業に関しては、a.流通や価格に対する統制(市場の自由を侵さない範囲での交渉をもとにす る)、より積極的には企業の社会的責任が遂行しているかどうかの審問を可能にするような行政的介入がある。OTC医薬品の利用に関しては、b.小売業者に 対する販売経路の監視や制御(これもまた市場の自由を侵さない範囲で)がある。順序が逆になるが究極的問題である薬剤耐性菌の発生に関しては、c.耐性菌 の疫学的監視や、個別患者に対する臨床医学的介入がある。また住民の薬剤の不適切利用に関しては、d.ターゲットグループに対する広報啓発活動が重要で、 これは行動変容をもってその活動の成否を判断するものである。原疾患の存在に対しては広域的かつ中長期にわたるe.公衆衛生にもとづく疾患対策が必要にな るだろう。
以上に述べたように、問題を内包する社会現象そのものは 複雑であるが、問題の発生原因をその時点で推論できる図式にまとめることは可能である。図式を完全にまとめることができなくても、ある部分をブラックボッ クスにして大まかな図式を構築することはさらに実施が容易である。図式が構築することができれば、それに対する処方せんもまた描けるということだ。つまり 問題の発生原因に即した制御的介入の計画について設計することは可能である。その際に合理的モデルづくりは十分に威力を発揮するだろう。ただひとつの留意 点は、そのモデルが現実を理解し、それに介入するための図式にすぎず、それを現実そのものだと判断してはならないことである。介入の途中における新たな新 事実の発見が、仮説(モデル)の変更を余儀なくされることは、実験計画法では常識である。保健医療プログラムも、そこで働くアクターの倫理的判断が重要で はあるが、実験計画の手順に従っておこなれていることは確かである。[実利的成果を生み出す場合においても]合理的モデル構築とリアルタイムな理論の調 整、修正作業が不可欠であることは言うまでもない。
4.制御コストを極小化す ることが〈持続可能性〉を実現す る:第1の命題
前節で言及した薬剤耐性の発生過程と制御介入の考え方 (図C.)は、常識的に推論できる因果関係の連鎖からなっていることは言うまでもない。このモデルにもし修正があるとすると、水平あるいは垂直方向の系統 に新たなプロセスや別の原因の系列が加えられたりすることだろう。またこれらの加えられたり修正された問題系列に対する具体的な介入プログラムも[その実 現の可否はともかく]策定することができる。これらの一連の説明体系は、「薬剤耐性菌の発生」を食い止めることが最終目的となるタスクシートとして構成す ることもできる。このようなタスクシートは[図式化されるか否かは別として]軍事作戦や企業経営にとっては不可欠のものである。軍事作戦では戦闘・戦争に 勝利することが、また企業経営にとっては利潤[ないしは経営効率]をあげることが、その最終目的となるからだ。
冒頭で指摘したようにこの論文は〈持続可能性〉を、 (1)保健医療プロジェクト自体のシステムとしての継続性と、(2)比較的長いタイムスパンの中でプロジェクトが想定するアウトカムの当該社会(つまりプ ロジェクトが行われる現地社会)における維持継続性を併せ持った状態のことであると定義する。したがって〈持続可能性〉と保健医療プロジェクトの最終目標 との関係について議論しておかねばならない。
近代科学の理念がもつ性格として、また歴史的現実とし て、人間集団に対する病気ないしは不健康の根絶は実現することは不可能である。そうすると[もちろん人間の歴史という有限の時間の範囲において]保健医療 プロジェクトは、当面の間は無くならないはずである。ということは、プロジェクトの規模はともかくとして〈病気ないしは不健康の発生を低い状態で維持する こと〉が、我々にとってもっとも妥当な保健医療プロジェクトの目標になる。実際の現象では、図式(図C.)で指摘したような問題発生の因果的連鎖を食い止 めても、ある経路が抱える問題が解消されたとしても、別のバイパスからそれと類似の問題が再生産されることもあるだろう。したがって保健医療プロジェクト にとって、問題解決のための持続可能性があるということは、逆の側面での持続可能性、すなわちプロジェクトが解消したい当の問題そのものにも〈持続可能 性〉の芽が胚胎していることも考慮に入れておかねばならない。
にもかかわらず、現実のプログラムはこのようなシステム 合理性の理解のもとで作動するから、このような問題発生の経路を策定すれば、それについての解決策も[実現可能かどうかは別にして]オートマチックに決定 するはずである。論理的にみれば、どの部分でも最終目的を実現するために有効に働く具体的実践が行われることが期待される。結局のところ人は、システムの 中で最も有効な箇所に時間と資金を投下して、最終目的をより効率的に実現しようとする。この意味での〈持続可能性〉は、システム合理性という論理から導き 出せる。言い方を変えると、図式(図C.)に表現された個々の時間と労力のコストを極小化することが、このシステムの〈持続可能性〉を実現することに他な らない。これを本論文における第1の命題としておこう。持続可能性とは、理念的合理性を実現することなのである。
第1の命題を実現するために、我々は何をおこなっただろ うか。それは、原因を産出するシステム的合理性を描き出すことであった。ひとつの説明の実例を提示してみよう。
1830年代から1930年代までのおよそ1世紀間の ジャワ島の稲作経済について経済史的研究をおこなった大木昌は、この島への米の輸出入についておよそ次のような傾向を指摘している(大木 2001)。 ジャワ島では、ジャワ戦争を通して地域社会を平定したオランダ植民地政府は、「強制栽培制度」という輸出用作物への農業転換政策をおこなった。その後、米 の生産は増加し続け、19世紀の中頃には輸出のピークを迎えるほどになっていた。ところが19世紀の後半期に入ると、人口増加と農業の自由主義政策の転換 の結果、米の輸出入の割合は逆転する傾向がみられ、1878年以降はジャワ島ひいては、インドネシア全体が米の輸入地域へと変化してゆく。
大木は、歴史統計資料を駆使して、人口増加、耕地の拡張 傾向、米の生産動向、周囲の生態環境の変化、灌漑方法および栽培技術の変化など、微に入り細を穿つ分析を通して、米の輸出地域がなぜ輸入地域へと変貌した のかについて理由を求めている。図D.と図E.はそれらの動向を大木の論文からまとめて図式化したものであり、図D.は1830年から米の輸出超過にいた る1850年代までの状況を示している。図E.は、それまでの強制栽培制度から自由主義政策に沿った1873年の国有地宣言や農業法の施行、それに呼応し た植民地下における農業企業の増加、水不足の解消に技術導入で対処しようとした科学的灌漑など、およそ1930年代までの米の輸入超過にいたる、複合的な プロセスを模式的に描いたものである。
この両方の図を示した時に、いったいどのような相違が 見られるであろうか。図D.の輸出超過にみられる構図では、菱形で示された政治経済的要因としての、ジャワ戦争の終結による治安の安定、強制栽培制度の導 入と、それが引き起こした労働強化と餓死者の増大が、この制度における労働負担の軽減と稲作の奨励政策を引き起こすことになる。これらは農民の定住化に寄 与し、労働の集約化に続いてゆく。これが耕地の拡大、稲作生産の増大を引き起こし、それらが人口増加というキーファクター(主要因)に関与してゆく。この キーファクターは、図E.で示される米の輸入超過に変化する後半の説明に直結してゆく。
ただし図E.の説明では、その背景に横たわる要因はより 複雑に絡み合う。それはジャワ島内における米の生産そのものを低下させる、政治的要因(農業法の施行に始まり、後の農地の乱開発に対する開墾禁止の行政命 令)、経済的要因(植民者による農園企業の増加と現地人労働者の雇用急増)、生態学的要因(森林面積の減少が引き起こす水不足と水田割合の減少、畑作増 大)、水不足が呼び水となった科学的灌漑技術の導入や、それに伴う栽培品種の転換、ならびにそれが生み出す農民の稲作新技術導入に伴う行動的変容など、さ まざまな社会変化を生み出した。これらの各要因(例:水不足)ないしは要因のグルーピング(例:生態学的要因)を列挙したとしても、我々には依然としてな ぜ米の輸入超過がおこったのかについて、ストレートな説明がおこないにくい。人口増加が引き起こした長期的な帰結がこの米の輸入現象であることを示唆する ことができるだけである。
これらの図式の比較を通して、我々が得ることができる結 論は、前節で触れたように解明されるべき合理的モデルとして提示される〈健康や疾病にまつわる現象〉の説明には、要因の特定が比較的容易なもの(図C.図 D.)と、そうでないもの(図E.)があるということだ。薬剤耐性菌の発生においても、またジャワ島における米の輸出入のバランスにおいても、それらの現 象が歴史的および社会的背景をより深く考慮すればするほど、要因の数を増せば増すほど、その特定の要因の説明に説得力を持たせることが難しいということで ある。
このようなことを通して、私は歴史的解釈における不可知 論を主張しているのではない。先にあげた人口増加とそれに関わる米の生産量の増加と、地域単位としてのジャワが米の輸出から輸入への変化との関係について の個々の要因の分析においても、それぞれの要因間の変動において科学的推論とそれに関する統計的分析は方法論的に可能であると思われる。
にもかかわらず私は文化人類学を学ぶものとして、〈社 会〉は統制された実験的環境ではないということを示す経験的事実がはなはだ多いということを強調したい。なぜなら、図D.や図C.のもとになった大木 (2001)の分析において、まず論考は経済史上の〈常識的推論〉を通して、米の輸出入の変化を実証的に論証するスタイルが取られている。これらは社会現 象にみられるあらゆる原因のうち〈常識的推論〉が排除する要因−−例えば複雑系の議論にみられるようなニューヨークの株価の変動を結果的に生み出す「北京 における蝶々の羽ばたき」のごときもの−−は、当然のことながら考慮されていない。文化人類学においては、要因として指摘されることのない雑多な諸要素は 民族誌という分析手法の中にしばしば登場する〈背景的知識〉として文脈(コンテクスト)という形で取り扱われる。
前節において、大木昌の経済史の形式分析論 (formalistic analysis)的分析を重要な手がかりとして流用したので、今度はジャワの歴史民族誌的分析という観点から、このコンテクストを、やはり同じ大木の別 のテキストから例示してみよう(大木 2002)。表F.はインドネシア(特にジャワ)にみられる人々の健康の歴史的重層性について大木がその著作 (2002)の中で広範に述べたものを列挙したものである。その表には、上位において表層に見られる現象から、歴史的な過去として現在においては断片化し たりあるいは場合によっては忘れられた[歴史家により復元されるために正確には「完全な忘却」とは言えないが]深層に位置するものを下層に置いて表現し た。この方法を通して私が言わんとすることは、現在インドネシアの人々の医療と保健をめぐるさまざまな諸制度や慣行、つまり保健にまつわる文化は、ここで 列挙したような歴史の多層的事象の直接ならびに間接的影響を抜きにして考えることができないということである。
この歴史的重層性をここでは、図D.や図E.で分析され た要因の背景にある社会的文脈すなわちコンテクストと呼んでおこう。コンテクストは、ある社会現象の[選択された]要因間の分析においては、その背景とし て存在し、個々の要因あるいは要因間の相互作用にさまざまな影響をもたらすものとして考えることができる。しかしながら、コンテクストと要因の間には絶対 的な峻別がなされるのではなく、時にはコンテクストの中から別の要因が分析対象として突如として浮上することがある。これらの要因の選別原理は、ある社会 現象において社会科学者が分析する際に対象を何をどのように分析するのかという観点から理解することが可能になる。ある分析においては、取り上げている特 定の要因が、別の分析ではコンテクストとして背景に移行する。コンテクストが、ある要因間の分析においては、それに影響を与える外部性として分析者の前に 立ち現れることになるのだ。
文特定の歴史的文脈における社会現象の一回きりという 〈固有性〉の性質と、リニアに過ぎ去る時間性のなかで一回きりにも関わらず当事者たちによって〈反復〉するかのように見える類似性(同一性)の関係の峻別 がここでは重要である。このような姿勢をとることが、要因の分析とコンテクストの見方の中に投影されるとすると、それは常に地(コンテクスト)と図(要 因)の関係における、それぞれの入れ替え操作を延々と行うことを生み出す。それは問題解決の先送りのために行っているのではなく、問題発生の複合性・多層 性について思いを寄せると同時に、問題解決のための複合性・多層性そして代替可能性について文化人類学者が固執しているからに他ならない。
7.コンテクストの取り方 次第で〈持続可能性〉の評価尺度は 多元化する:第2の命題
社会現象の分析を試みるひとつのシステムの中で、要因と コンテクストについての関係が理解できたので、ここでは冒頭に指摘した持続可能性との関係について最後に論じたい。
私は、保健医療プロジェクトが実行された時に、2つの行 為主体(アクター)である供与者と受益社会の両方が〈理想〉とする均衡状態のことを持続可能性であると定義した(第1節)。そのような均衡状態を創り出す ために、双方の行為者は、あるコンテクストの中で、もっとも重要と思われる一連の要因をあぶり出し、それが時間的により長く継続するように努力する。ある いは、そのように努力することが期待されている。他方、前節で指摘したように、要因とコンテクストの関係は相互に排除されているのではなく、つねに交換可 能となる。要因は限られたものだが、コンテクストから潜在的要因を見つけ出す可能性はほとんど無数にあるだろう。おまけに、社会現象は線型の時間の流れに おいてダイナミックに変化する。これは言い方を変えると、コンテクストが持続可能性を可能にしている要因を、さらに一層強化したり、逆に要因そのものを無 力化することがあるということに他ならない。
つまりこういうことだ。ある保健医療プロジェクトが理想 とする均衡状態が、人々の〈健康に関する不安を軽減すること〉であると想定する。その際に、その社会の〈経済的水準が向上すること〉を要因として考えてみ よう。(i)要因が持続可能性を強化するコンテクストでは、次のような事態が進行する可能性がある。社会の経済的水準の向上により、個人の医薬品購買力を あげ、健康に関する不安が軽減する。他方、(ii)要因が持続可能性を無力化するコンテクストでは、社会の経済的水準の向上により、慢性病が増加し、その ため健康に関する不安が増大するというシナリオが進展する。これらのプロセスはまったく相反する現象である。またさらに健康の不安が、軽減するとか増大す るということは、操作的に定義することができるので、(iii)経済的水準の向上が人々の健康に関する不安という態度に対して、いかなる影響も与えないと いう別のシナリオが生じることがありえる。これらのことは、一定の手続きにもとづいた社会調査において、そのいずれの判断が正しいかを判定することが可能 であることを示す。
このことは一方において、社会現象の理論的判断をおこな うことができる、つまり提示された問題が解決可能であるという希望を我々にもたらしてくれるのに対して、他方で、コンテクストの複雑さが増せば増すほど、 コンテクストという背景から次々と要因が生まれ出るという事態により、絶望的な不可知論に陥る可能性もある。我々は、コンテクストの取り方次第で〈持続可 能性〉についての見方つまり、その評価尺度は多元化することを発見する。これが持続可能性の本稿の議論における第2の命題となる。
ここでの私の議論は、ある命題を立てて、それを実証的 データにより論証するタイプのものではなかった。〈持続可能性〉という用語の現代的意味について、それらを懐疑的にながめ、その用語の使用法の背景にある 学問的思考法とそれに具体化する方法について考察することが、本稿の議論のねらいであった。そこで主張されたことをまとめると以下の5つの論点を指摘する ことができ、それが私の結論である。
(1)保健医療プロジェクトにおける持続可能性とは、2つ の行為主体である供与者と受益社会の両方が〈理想〉とする未来という時間性を含んだある均衡状態のことをさす。したがって、具体的な個別プロジェクトの結 果を評価し、記述するための用語として〈持続可能性〉を用いることに、我々は慎重にならねばならない。
(2)保健医療プロジェクトは、一定の限られたプログラム のなかで、プロトコル(儀典的手続き)を用いて実行されるものである。そこでは、発展の図式が総合され、合理的に進展するものと期待されている。しかしな がら、現実のプロジェクトは、それに関わるさまざまな行為主体(アクター)の相互作用によりダイナミックに進展する(図B.のモデル参照)。これは理念が 現実に合わない時、理念の合理的進展という予見を疑問視し、より現実に即した意味理解を我々が試みるべきであるということを示唆する。
(3)だからと言って、プロジェクトの進行全体が無意味に なるわけではない。プロジェクトが策定した合理的プロセスはつねにチェックされ、修正され、再度どころか幾度も適用される必要がある。このような〈現実の プロセス〉は、さまざまな角度から記録され、プロジェクトの実践データが客体化される必要がある。ここで〈理想〉とされる持続可能性とは、それに投下され る制御コストを極小化することに他ならない。
(4)保健医療プロジェクトの〈理想〉を複雑化するのは、 歴史的および社会的文脈として通常理解されることの多いコンテクストの存在である。コンテクストは、合理的な分析モデルにおいては、取り上げられる要因の 外部に存在し、つねにそのモデルを錯綜化させるノイズのように見える。しかし、公衆衛生学における〈社会〉の発見や、プライマリヘルスケアにおける行為主 体として浮上してきた〈自助する住民〉の存在のように、ノイズが主要なメロディに化け、楽曲としてのプロジェクト実践にとって不可欠なものになることもあ る。
以上のことは、経験的な社会科学の方法論に精通した諸姉 諸兄にとっては自明のことであるかも知れない。己の実践が紡ぎ出す事態について未だ無自覚な学徒としての私が、自分の議論を整理するために作成したノート として拙論を開陳したことを、ご理解していただきたい。
文献
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ク
レジット:池田光穂「持続可能性」の意味:医療人類学からみた保健医療プロジェクトの持続可能性に関する
学際研究、『インドネシア母子保健手帳プログラムに関する学際的調査報告書』国立国際医療センター・国際医療協力研究委託費・保健医療協力プロジェクトの
持続可能性に関する学際的研究、Pp.42-59、大阪大学人間科学研究科ボランティア人間学講座、2005年8月(→「池田光穂・研究業績」)
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Chi'j, 1996-2099