民族誌学の問題系
Problematique of Making Ethnography
論じられなかった問題
おっさんによる/おっさんのための/おっさんの人類学:批判
フェミニスト人類学
エドウィン・ガードナー(1927-1987)の弁
人類学それ自体は男性によって牛耳られてきた。人類学が積極的に男性のみを雇用してきたわけではないのだが、女性が実際に貢献して きたにも関わらず、理論、概念、方法論そして実践すらも男性文化の構築物に満ちている……。
実際には多い、女性の人類学者。
未開「文化」とフィールドワークの発明が何をもたらしたのか?
文化人類学の実証主義的科学化あるいは社会理論化
それに対する反省や批判
デル・ハイムズ編『人類学の再想像』1972年
オリエンタリズム批判(エドワード・サイード、1978年)
人類学への批判と、連帯の表明
人類学者集団は一枚岩ではない。
民族誌の端的な定義=ある空間で生活する、ある特定の集団(=民族)に関する記述の体系
ここから表象(representation)という考え方が登場
客体化・客観化
民族誌記述の政治性・歴史性の再吟味
民族誌記述における時間性と他者(pp.268-269)
西洋形而上学的秩序の再生産(ジャック・デリダによる批判)
さまざまな「苦悩」
文化相対主義がフランスの極右の「人種棲み分け」論に転用される(1990-2000)
ヤノマミ・スキャンダル:ナポレオン・シャグノンの所行にP・ティアニーが批判:『黄金郷の闇』2000年
リンク
池田光穂「民族誌の極北」
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