医療化
Medicalization
解説:池田光穂
医療化(medicalization)とは、医療的問題でなかった事象が、近代医療の問題として取り扱われ、治療の対象となっていくことをさ す。例えば、人間の老化にともなう 高度の認知機能が低下するという「ぼける」ということが、老人精神病のひとつとして分類されていたアルツハイマー症(Alzheimer's disease, AD)や/あるいは認知症(老人痴呆症, Senile Dementia)などと「診断」として治療の対象になりっていくことは、典型的な医療化である[→関連リンク]。先進国における出産の現場が、自宅出産から病院や産院へと移行してゆく ことも、医療化の例としてよくとりあげられる。
医療化の反対語は、脱医療化(demidicalization)である。同性愛的性向や男性間における肛門性交(sodomy)は、近代医療 の黎明期には、精神病として考えられた社会があるが、現在では個人がもちうるセクシュアリティの心理や行動として医療者は取り扱うことが一般化してきた。 ただし、このケースが完全に脱医療化したとは言えないのは、実際の生物医学理論には多様性があり、またそれと関連の深い法体系――たとえば(すでに廃止さ れる傾向があるとはいえ米国の州法の)肛門性交禁止の法律の存在――などと関連して医療の対象化になる可能性を残しているからである。
我が国における〈医療化〉の議論の受容は、ピーター・コンラッドとジョセフ・シュナイダーにおける「逸脱の医療化」論よりも、アーヴィング・ゾ ラの医療化論に負うところが大きい。それは日本において人気の高いイヴァン・イリッチ (Iván Illich, 1926-2002)の紹介者たちが、ゾラの議論とイリッチの医原病 (iatrogenesis)を同列において論じる機会があったためである(コンラッドとシュナイダー 2003; Zola 1972; イリッチ 1979)。
【医療化に対する修正意見や批判】
医療化――とりわけ生活世界の医療化――に対する修正意見や批判には、まず、脱医療化という現象のように、医療化はつねに一方方向にのみ進むの ではないというものがあげられる。脱医療化(demidicalization)と は、先に述べたように、男性同性愛や、マスターベーションなどのよう に、歴史的にあるいは社会的に、異常・狂気・逸脱のスティグマ(烙印)が貼られ、治療の対象とかつてなっていたものが、その対象から外れる現象である。ま た、医療化の位置づけについても、医療のシステムのみが自動的に医療化を推し進めるのではなく、生物医療は、より大きな社会関係の仕組みを体現したり、補 完するために機能しているので、医療化は社会――ここでは近代社会――の仕組みの歯車にすぎないという主張がある。
またさらに、医療化は、医療を求める患者の欲望に由来する逆説的な帰結であるという主張も考えられる。つまり、生物医療の進展は、ただ医療専門 職が、その権能を伸ばすためにあるのではなく、患者がさまざまな病気をより速やかに苦痛なく治癒してほしいということの結果であり、医療者が「故意に」医 療化を推し進めているのではない。また、患者の治療に対する期待に応えるために、生物医療が発達し、逆に患者をさらに囲い込む(=医療化する)という逆説 的な現象である、という批判も可能である。
さらに、医療化の帰結として、医療を利用する患者も、それらを取捨選択したり、その強制力から逃避したり、逆に上手に利用することで、生物医療 にあたらしい意味と、あたらしい様式の行為を、医療化の枠組みの中でつくりだしているという理解も可能である。
【ミッシェル・フーコーの1974年10月リオ・デ・ジャネイロ講義】(フーコー 2008:141-)[→フーコー「社会医学の誕生」ノート]
医療化は、18世紀以降、西洋医学と公衆衛生の「分離ないしは棲み分け?」が起こった結果の3つの着目点のうちのひとつだという。医療化を含む 3点は以下のとおり。
1.生- 歴史(ビオ・イストワール):医学的介入が歴史上の個人の状況の「改善」ないしは変化に大きな影響を与えたこと。
2.医療化:「人間の身体、その実存、行動、ふるまいが医療の網の目のうちに統合されて、この医療の網の目がますます稠密で重要なものに なってゆき、この網の目を逃れることができるものがますます少なくなってきた」こと。(フランス語の医療化には、病院に入院することや、社会の病院化的な ニュアンスも含まれる)
3.健康の経済:特権的な経済階層において、健康を改善するための措置や消費に関する現象。
フーコーによると、18世紀末から19世紀初頭において、資本主義的な社会において、人間の身体の社会化がはじまるという。
「18世紀末から19世紀初頭にかけて発展した資本主義は、生産力と労働力に応じた形で、その最初のの対象である人間の身体をまず社会化し たのでした。社会は個人を、イデオロギーや良心をつうじて管理しただけではありません。身体において、そして身体を通じて、個人を管理したのです。資本主 義的な社会において何よりも重要だったのは生- 政治(ビオ・ポリティック)でした。生物学的なもの、肉体的なもの、身体的なものが重要だったのです。身体とは生- 政治的な現実であり、医学は生- 政治的な戦略の一つなのです」(フーコー 2008:147)。
そして、社会医学は、(1)国家の医学、(2)都市の医学、そして最後に(3)労働力の医学になっていったという。
国 家の医学の多くは、ドイツ医学から起こして、フランスや英国の医学を論じる。都市の医学は、フランスの医学からはじまり、(細菌学説以前の)疫学的なコン トロールの話が中心。ハンセン病者の排除メカニズムは、「都市を浄化するメカニズム」(フーコー 2008:164)として解説される。
さ らに、都市の医学の目的が語られる(フーコー 2008:165-)。1)疾患の原因の廃棄物がどこででき、どこに蓄積されるかについて調べること。2)人々を管理するのではく、物品と自然の要素(水 と大気の循環)を制御することになっていく。3)それらの物品と自然を配置と順序づけに注意が注がれる。
都市医学の重要として、3つの観点が論じられる(フーコー 2008:172-175)
労働力の医学から、救貧法の医学的目的。保健所、が論じられ、最終的に、ドイツ、フランス、英国のシステムが比較考量される。
関連リンク
文献
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
附論
Medicalization is the
process in which human conditions and troubles come to be defined by
professionals as medical problems. Under this social process the people
become to think that their badness should be treated and prevented by
medical professionals. Bio-Medicalization of health is the process in
which health concept and practice of human body issues come to defined
by biomedical frame of reference, e.g. receiving routine health
checkup, consumption of health foods authorized by medical doctors, and
so on.
【ポストモダン状況における医療化の 意味】
“便所メシ”は、パーソンズの役割パ フォーマンス逸脱ではなく、タスクパフォーマンスの逸脱なので、社会学的――決して医学的ではなない ――に定義する ところの「行動の異常」なので「治療」や「矯正」の必要性を判断するのは、医学的基準ではなくて社会的基準に準拠するわけだ。それを医学的治療だとあるい は逸脱が医学的領域が関わると謂いだすことが「健康人役割」が義務となる時代――ポストモダン状況――における医療化ということになる。
※便所メシ・便所飯 (Benjjyu-Meshi, in Japanese)とは「誰とも会いたくないし、一人でご飯を食べているところも見られたくないから、こっそりトイレで食事する」という行 動のこと。ただし、実際にどの程度便所飯の実践をしているかの実態は不詳。