アクティブ・ラーニング
Active Learning, AC, 能動学習、能動的学習
解説:池田光穂
アクティブラーニングとは、チャールズ・ボンウェルとジム・エイソン(1991)によると「学生たちが行っている何かに関する思考と行為といっ た、それぞれの活動のなかで学生を巻き込んでいるすべて」のことをさす。この「巻き込み経験」彼らは"anything that involves students in doing things and thinking about the things they are doing" (Bonwell and Eison 1991:2)"と表現している。(アクティブ・ラーニングとも表記します)
アクティブラーニング(能動学習、能動的学習)をしている状態とは、教室の中でみられる普通の風景、すなわち、学生(生徒・児童を含む)が、前
を眺めている・聞いている・ノートを取っている、という従来型の学習「以外」の活動をすべて包摂するような活動のことである。アクティブラーニングしてい
る状態の例としては以下のようなものをあげることができる。Wikipedia in
English を参照。
アクティブラーニングが登場した背景には、通常の授業の方法(=受動的学習、古典的学 習)つまり「前を眺めている・聞いている・ノートを取っている」という方法よりも、学習者がより楽しめ、持続的な学習が可能になり、かつ教員じしんが学生 と「学ぶことの楽しさ」を共有できるような方法を模索し、通常の授業の方法がもつ潜在力をより強化したり、授業のレパートリーに多様性を創造しようとする 試みがあったように思える。それは、古典的教育がもつ「疎外(alienation)」や、学生本来がもつ潜在力を引き出すはずのデューイ的な学習が、教 育の大衆化やマスプロ(=大量規格)化によって、十分に機能しないという反省期にうまれた可能性がある。
アクティブラーニング(能動的学習)という発想法が生まれてきた背景には、従来の学習の現場における受動的学習(→古典的学習)への批判や、それに対する実践共同体(実践コミュニティ)におけ る能動的学習の概念、ヴィゴツキーの最近接発達領域(ZPD)、問題にもとづく学習(PBL)やそれがもたらした保 健教育の現場における論争、コミュニティにもとづく参加型研究(CBPR)、ヘルスコミュニケーション領 域における当事者性[→当事者の英訳について]の扱い、サイエンスショップの誕生など、人を対象にする教育や研究が、どのように他者 を取り扱い、どのような介入研究をおこなうべきなのか、そしてそれに伴う倫理とは何かという、広範囲の問題系が、1960年代後半から北米を中心にして世 界の先進国において生まれてきたという事情があるように思われる。
他方、政府や政府系の審議委員会などが唱える「官製アクティブラーニング」のススメ
というものがある。それは、ほとんど「教員による一方向的な講義形式」以外のも
のをなんでもかんでも押し込み、かつそのアウトカムについては恐ろしく楽観的な記述になっている。だが、アクティブラーニングに対する過剰な期待は禁物で
ある。アクティブ・ラーニングとは(冒頭に述べたように)「教室の中でみられる普通の風景、すなわち、学生(生徒・児童を含む)が、前
を眺めている・聞いている・ノートを取っている、という従来型の学習「以外」の活動をすべて包摂するような活動」という、それ以上でもそれ以下でもない代
物だからである(→「教育方法としてのアクティブラーニング」)。
■応用問題:機械はアクティブラーニングできるのか?
1959年、アーサー・サミュエルは、機械学習を「明示的にプログラムしなくても学習する能力をコンピュータに与える研究分野」だとした。
トム・M・ミッチェル(英語版)は、よく引用されるさらに厳格な定義として「コンピュータプログラムが、ある種のタスクTと評価尺度Pにおいて、経験Eか
ら学習するとは、タスクTにおけるその性能をPによって評価した際に、経験Eによってそれが改善されている場合である」とした(→「機械学習(machine learning)」)。
文献
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