ハイチの森林プロジェクト
On Haitian Forest Project
解説:池田光穂
「ハイチの木は絶滅の危機に瀕した種で、あるo 絶え間ない人口増加と木炭市場の拡大に伴う,過去数百年におよぶ木材伐採によって,ハイチ郊外の広大な地域が丸裸になった。森林再生事業はほとんどが失敗 している。マレー(人名です)は,木材事業に対する「日常化した敵意」について語った。マレーがみるように,問題は単純でしかも手ごわい。「金に困ってい て挑戦的な木炭製造の小作人に,新しく植えた樹木への愛情や名誉,敬意を植えつけるとと」。マレーは,ハイチの土地制度に関する研究を以前におこなってい たため, USAID からこの仕事の声がかかった。そしてこれのためにかなりの資金(400 万ドル)を受けた」。
「彼は,「人類学の発想を実践するという気持ちの高ぶりはくじかれた。失敗すれば誰が非難され冷笑されるか,そのことをはっきりと知る不安から である。失敗は,デュバリエ政権下のハイチで十分にあり得た」と述べている。
「土地制度と畜産と穀物栽培は,それ自体,植樹とまったく相入れないわけではない。この確信から,軽量で成長の早い苗木を農民に提供する革新的 なシステムが考案された。続いて,同じ土地に樹木と穀物を植えるという改革が導入された。同時に,これらの樹木を国有ではなく小作農の所有にして,彼らが 木の実や果物,木材を収穫し販売する事業に参画することが期待された。
「ハイチの小作人は頑固で押しの強い換金作物生産者である。彼らが生産する穀物や家畜のほとんどは,ただちに地元の市場に出荷される。樹木がも うl つの市場作物として彼らに加わるという具体的な提案を,小作農たちは生まれてはじめて聞いた」。
「この事業では,(1)樹木はすぐに成熟すること,(2)他の作物と組み合わせて栽培できること,そして(3)小作人たちが樹木を所有できるこ とを周知徹底する必要があった。とくに3 点目が最も重要であった。というのも,それまで、ハイチ政府が管理に関わると,ほとんど確実に失敗に終わっていたからである。
「しかし, USAID のハイチ駐在ミッションのなかで,「制度構築」の名のもとにハイチ政府の官僚に事業の権限を与え続けるようアメリカ政府役人から強い圧力があった。
「アメリカ政府当局者は,「「制度」(institution)という用語を「政府官僚機構」(government bureaucracy) と同一視し,彼ら自身の仕事上の成功を,村落レベルの資源の流れによってではなく,官僚から官僚への多額でタイミングを見計らった送金によってはかった。 そうして実際には,海外ドナーからの援助資金を,これまで他に類をみないほどの浪費,そして(あるいは)横領をしてきた採取産業省の業務にアメリカの資源 を分配していたのである」。
「代わりに,同プロジェクトは,アメリカに拠点在置くNGO を管理組織として据えることに成功し,その後ハイチの複数のNGO と連携をはかった。これらの現地NGOは支援と技術面で助言を与えてくれた。最も重要な点は,彼らが村落のまとめ役を提供してくれたことである。まとめ役 はコミュニティにおける取り組みを主導する立場を任された。
「プロジエクトは1981 年から85 年まで続いた。当初は300 万本の植林が見込まれていたが, 4 年目の終わりには2000 万本の木が植えられた。木炭のために収穫される木もあったが,小作農たちは木を「貯めこみ」どこか適当な場所に残していることは明らかで、あった。プロジ エクトが成功した結果,いくつかの認識に変化が生じた。たとえば,現地のNGO は,木に対する生態学的・環境保護的なアプローチが木を換金作物とみる小作農たちの見方よりも効果が低いと考えるようになった。
「マレーは「AOP (農林福祉事業)は,木の機能への精神的な賛美の幻想からPVO (民間のボランティア組織)を離れさせたことで,彼らを小作農の経済的利益とより身近に接触させるようになった」点に注目する。
「USAID の活動もまた変化した。彼らは,以前よりも現地の民間組織との協力関係を望むようになった。ただし,官僚制度上の理由から, USAID からの援助金を受けとる,上部機関的な統括的組織(umbrella ins蜘世on) を必要とした。1980 年代中旬までに,ハイチ共和国に対するUSAID 援助額の60%近くは, NGO ヘ支給された。
「このプロジェクトの成功には,かなりの部分で、人類学の果たす役割が大きかった。
「マレーは.「私たちは,人類学からの投入で影響を受けている進行中のプロジェクトではなく,プロジエクトの存在自体が人類学的調査に基づいて いるようなプロジェクト,人類学的指向や人類学的知見を取り入れたマネージメントを特徴とするプロジェクトを扱っている」と述べている。
「人類学は,以下の3 点においてとくに重要であった。
1.「プロジェクトの構想づくりにおいて,ハイチの文脈についての詳細な民族誌的知識が用いられた。これは、小作農の社会的・経済的システ ム,園芸,土地制度,そして市場システムを含む。
2.「人類学的手法がプロジェクトの設計段階で用いられた。プロジエクトにおけるさまざまな選択肢の実行可能性を割り出し,樹木の民間分類 法を明らかにし,制度の実行具合を調査するために,インタビュー調査や参与観察が採り入れられた。関連する基本情報収集システムを設計するために,ハイチ のクレオールについての知識も利用された。
3.「人類学の理論もまたプロジェクトの形成に貢献した。保全の問題としてではなく,作付けや収穫の問題として木の間題を捉え直すために, 狩猟採集から牧畜への進化的移行についての人類学者の知識を活用した。
「プロジェクトは,基本的にハイチの小作農がすでに知っていたことや、おこなってきたことに基づいていた。それがもたらした実際の変化は,変化 を進める立場(agent)と開発援助機関のレベルでおこった。プロジエクトの設計者は(その多くは人類学者だったが)地元のシステムがもつ力を変化にど う活かせるかについての新たな知見を得た。USAID はあまり乗り気ではなかったが,開発援助のスタイルを再考することになった」・。
出典: Murray 1987
Murray, Gerald F. "The Domestication of Wood in Haiti: A Case Study in Applied Evolution." In Anthropological Praxis: Translating Knowledge into Action, edited by Robert Wulff and Shirley Fiske, pp. 223-240. Boulder: Westview, 1987.
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