経済的エートスの相違
■経済的エートスの相違
(1)不法移民という選択肢——コヨーテへの投資と生存をかけること:移動
(2)共同体内に資源をもつ——教師・商店主:非移動
もし、このような対立図式が成り立つならば、北紀行の成功者と共同体定住者との経済生産に対する〈価値観〉の対立は発見できるだろうか?
■エートス(ethos)の意味 (出典:池田「エートス」)
エートスは、住み慣れた場所や故郷のことであり、そこから派生する集団が遵守する慣習や慣行であり、そのような慣習によって社会の成員によっ て、共有されている意識や実践のことをさす。エートスは集合的心情は、その当該文化の人たちの情動経験などというふうにも訳される。エートスのラテン語訳 こそがモーレス——モスの複数形——でありモラルの語源なのである。これは、我々がもつ道徳的感情は、その共同体のモラルの遵守とそこからの逸脱から発生 しているのだという説明の論理である(アリストテレス『ニコマコス倫理学』)。
「ウェーバーは、プロテスタンティズムそれも禁欲的で
質素なカルビニスト派の勢力がつよいところで初期の資本主義が発生したことに疑問をもった。僕たちが、資本主義に感じる、しばしば強欲(=マルクス主義か
らはブルジョアは生産手段の独占を通して「プロレタリアートに分け前を寄越さない」つまり搾取)なほどの、利潤の追求の精神と、このカルビニストの神の召
命(=お前は神からその職(=天職、ベルーフ)を与えられたのだからその仕事を真っ当に勤めあげることで神に召される)とは両立しない。マルクス由来の労
働観と資本主義の誕生と成長の説明(=資本論)に批判的だったウェーバーは、カルビニストの労働観をエートス(倫理)と捉えて、それがキリスト教の精神と
合致し、資本蓄積を可能にする労働観への「節合」したのではないかと考えた」(→池田「資本主
義とキリスト教」)
リンク
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099