かならず読んでく ださい

図書貸出スタンプと元号

A Library Book Record Crossing the eras from "democratic" to "imperialist" Japan

池田光穂

某大学の図書館で比較的古い哲学史の本を借りた。

図書貸出スタンプカードには1930(昭和5)年 12月15日から貸し出しされたスタンプが刻印されていた。この西暦(the Christian Era, Anno Domini)に始まる貸し出しは1940(昭和15)年某月[判読出来ない]29日まで続いて、その次に貸し出されるのは、昭和16(1941)年10 月24日である。つまり真珠湾攻撃がおこなわれるおよそ1ヶ月と2週間前である。そこからは、元号(an Japansese era name, the SHOWA)表記となっている。

敵性語(てきせいご)、すなわち、戦争の敵である英 米語を使わなくなる時期について、ウィキペディア(日本語)の「敵性語」の記述は曖昧だが、プロ野球のチームの名称は、「1940年(昭和15年)には、 球団名の日本語名への改称と、ユニホーム表記の漢字表記への変更が行なわれた」とあり、また芸能界では「1940年(昭和15年)3月28日に映画会社・ レコード会社の代表者に改名方が厳達され、特に英語を用いた芸名や、宮家、忠臣を揶揄した芸名などは強制的に改名させられた」とある。すなわち、この図書 カードの貸し出しのスタンプも1940年には、使う事がはばかられるようになったのだろう。

平成の御代になって、若者たちは国旗や君が代(国 歌)に対して、なんでそれよりも上の世代人たちが、それを批判したり嫌悪したりする理由がわかないだろう。しかし私の世代(私は1956(昭和31)年生 まれ)では、小学校から思春期の時代は「戦後の民主主義("post-war Democrasy Japan")」の中で、国歌や国旗は、国の統合の象徴でもなんでもなく戦前の「軍国主義時代」や「全体主義体制」を表象する憎悪すべきシンボルのまま で、いまだコンセンサスもない時代だったのだ。国歌や国旗への愛着は、戦前の風潮を憧れるアナクロニズム(時代錯誤)か、逆に政治的復古主義者(保守主義 者)だけの心情——それもかなり非理性的だというスティグマを張られた——だと見なされていたのだ。

今から考えると、戦後民主主義を生きた人たちが国歌 や国旗に対する複雑な気持ちを抱いていたことを想像することが難しい。かくいう私じしんも、そのような国歌や国旗に対して自分の心を鼓舞して)憎悪する心 情もまた忘れつつあった。しかしながら、この図書館のカードに触れた時に、自分が生きた時代の国歌と国旗そして「元号の使用」にまつわる政治的な「色付 け」——イデオロギー的峻別とでも呼ぼうか——のことをまざまざと思い出したのである。


この本は、Wilhelm Windelband, 1901. History of Philosophy. James Hayden Tufts(trans.). New York: The Macmillan company.という本で「能産的自然 と所産的自然」というウェブページをつくるために借用しました。


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