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医療・医師・病人:

ヘンリー・シゲリスト『医学序説』より

池田光穂

11■医療・医師・病人:ヘンリー・シゲリスト 『医学序説』より

医師の思考と行為とが対象とするものは人間であ る。人間が病気にかかったとき、それを治療し、病気から護ることが、その目的である。疾病は、からだの 構造の変化として、あるいはからだの機能の変化として、あるいはまた精神状態の変化として、現われる。医師が、病的な現象をよく理解し、人間をその病的状 態から免がれさせ、健康にもどし、かれを再び社会に復帰せしめるものであるとすれば、かれは人間についての、健康な人間についての、広く且つ深い知識を必 要とするはずである。学習時代の大半を健康な人間の研究に捧げるのは、決して意味がないわけではない。健常な人間を正確に知悉している人間だけが、はじめ て病変を観破し、且つ正確に認識しうるものであることは、当然である。しかして病的なるものを観破して疾病を認識することが、治療の前提である」(ジゲリ スト 1981:2)。

病人とは危急の状態にある人間のことである。かれ は助けを求めている——まずごく一般的にいって、かれの親族たち、かれに最も近親の人間に。かれは看 護を必要としている。かれは運動を妨げられている。いつも自分でおこなうであろう些細な行動も、とり除いてやらねばならない。しかもかれの危急は特殊の危 急であって、特殊の助けを必要としており、それを危急を助けてくれる特殊の知識をもっていると予想される人間に求める」(ジゲリスト 1981:286)。

免許をもっている医師だけがその救護を求められる と信じることは、誤りであるといわねばならない。多くの病気のばあい、実際その大半は医師のもとに やってくることはない。特に軽症の病気のばあいにそうである。それは病人自身もしくはその家族によって手当てされる。しかもこの自己療法もしくは家庭療法 は、型にはまった医学の原則にしたがっておこなわれることがある。子供が咳をする、母親は医師に来てもらう、医師は軽い気管支炎と診断して 指示をあたえ る。半年後にその子がまたまったく同じような咳をする。母親はすぐに医師に来てもらわないで、このまえ教わったように手当をする。あるいはまたしかし、手 当が型どおりの医学の原則によらずに、民間医学の原則によっておこなわれたりする。農家の婦人はすべて、かの女たちの母や祖母がすでに用いていたいくつか の家庭薬を知っている。民間医学はかれら独自の専門家をもっているのである。/また或る数の病気は、医師ではなく、僧侶によって手当てされる。あらゆる時 代、あらゆる文化は特有の宗教医学をもっていて、少数のひとびとの必要に役立っている」(ジゲリスト 1981:286)。

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