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ワーク・ ライフ・バランス批判

Critique against the Governmental Work-Life-Balance Charter

池田光穂

政府の内閣府は「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」を策定して、国民に「健康で豊かな生活」を模索していることを提唱している。その 姿勢は高邁で注目に値する。だが、それには問題がないのだろうか?

仕事と生活の調和を取れと言っておきながら、その目的は「1)就労による経済的自立が可能な社会、2)健康で豊かな生活のための時間が確保できる社会、 3)多様な働き方・生き方が選択できる社会」を目指すものであり、……

企業と働く者には「(1)企業とそこで働く者は、協調して生産性の向上に努めつつ、職場の意識や職場風土の改革とあわせ働き方の改革に自主的に取り組」め と言い、

国民には「(2)国民の一人ひとりが自らの仕事と生活の調和の在り方を考え、家庭や地域の中で積極的な役割を果たす。また、消費者として、求めようとする サービスの背後にある働き方に配慮」せよと言い、

国には「(3)国民全体の仕事と生活の調和の実現は、我が国社会を持続可能で確かなものとする上で不可欠であることから、国は、国民運動を通じた気運の醸 成、制度的枠組みの構築や環境整備などの促進・支援策に積極的に取り組」めと言い——ちなみに内閣府は国の行政機関の一つである——、そして……

地方自治体には「(4)仕事と生活の調和の現状や必要性は地域によって異なることから、その推進に際しては、地方公共団体が自らの創意工夫のもとに、地域 の実情に応じた展開を図」れという。

いずれせよ、それは提案であり、法律のように、この高邁な理念を、それぞれの当事者(企業、労働者、国民、国、地方自治体)には罰則規定はない。おまけ に、この憲章には日付がついていない。

「ワーク・ライフ・バランス(Work–life balance)」とは,仕事と生活の調和をはかるために生活のパターンを改善しましょうという日本政府主導の国民への呼びかけである。この 国民運動について,われわれ自身が真摯に考えるのであれば,目を血走らせてクソ真面目に思考するより,リラックスしたなかで,自身の仕事や生活を振り返り ながら,人生の価値についてゆったりと考えるほうがよいだろう。

「ワーク・ライフ・バランス」は仕事に偏重しがちな生活スタイルを,人生を豊かにする方向へカウンターバランスを取りましょうという勧めである。さまざ まな紹介を読むと,実際には一般的な具体像を欠いた働き盛りの男女に対して,マニュアル化された生活実践の改善計画を実行すれば,人生が変わるというよい ことずくめの内容が書いてある。

確かに人生を変えられるという希望と自信をいだくことが生活改善につながることもありますが,カウンセリングや人生相談同様に生活の実相そのものに切り 込む視点や,社会全体の取り組みにもエネルギーを向けるという方法の可能性についての配慮は,ほとんど欠けているようにも思える.

この方法を,生活の現場に導入すれば生活の場がほどよく改善されるという保証はない。むしろ,この知識や方法を持ち込むことで,それまで現場で起こって いる当たり前のことが,必ずしもそれだけではない.また時代や社会が変われば,ベスト(最善)なこともワースト(最悪)になるかもしれないという,複数の 視点,複数の可能性を考えることができるようになるというのがそれを実践することの意味である。

このようにワーク・ライフ・バランスが、無思想なのは、古代から現代まで続く、人間の生活における「公的領域」と「私的領域」とはなにかという、骨太の議 論の系譜というものから何も学んでいない証拠のように思える。

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"Work–life balance is the lack of opposition between work and other life roles. It is the state of equilibrium in which demands of personal life, professional life, and family life are equal. Work–life balance consists of, but it is not limited to, flexible work arrangements that allow employees to carry out other life programs and practices. The term 'work–life balance' is recent in origin, as it was first used in UK and US in the late 1970s and 1980s, respectively. Work–life balance is a term commonly used to describe the balance that a working individual needs between time allocated for work and other aspects of life. Areas of life other than work–life can include personal interests, family and social or leisure activities. Technological advances have made it possible for work tasks to be accomplished faster due to the use of smartphones, email, video-chat, and other technological software. These technology advances facilitate individuals to work without having a typical '9 to 5' work day." #Wiki

【以下、建築中:ノート】

公的領域と私的領域あるいは国家的領域と 市民的領域は、今日では見事に棲み分けをおこなっているように思える。このような領域の峻別は、今日ではなんの驚きではなかったが、1840年代のドイツ では大きな問題としてヘーゲル左派——ヘーゲル『法の哲学』の思想を推し進める——と呼ばれる無神論者と初期のマルクスやエンゲルスの間では、非常にクリ ティカルな論争の素材になっていた。つまりキリスト教徒による君主制が続いていたドイツでは、ユダヤ教徒という宗教の「問題」——フランスは(ひと足先 に)18世紀末期によりユダヤ人の解放を通して信教の自由を実現していた——を私的領域の問題としてすべきであり、ユダヤ人の信仰放棄やキリスト教を公的 な国家領域が取り扱う問題ではない——国家が大切にしなければならないのは公的精神だ——という主張をブルーノ・バウアーを代表にするヘーゲル左派の人た ちは主張していた。それを批判したのは、若きマルクスだった(当時26歳)。宗教が公的精神の問題にされないイギリスやフランスでは、市民社会そのものが 持つ者(資本家)と持たざるもの(プロレタリアート)に分裂し、持つ者の利益獲得のために彼らの私的領域が社会の公的領域を蝕んでゆくからである。(ドイ ツにおいても将来)資本主義の発達が、市民社会の分裂をさらに推し進め、国家が公的な領域を管理するという事態も危ぶまれるだろうと警鐘を鳴らしたのだっ た。

ハンナ・アーレントによれば、古代人からみたら political economy ってのは撞着語法であるが、今の私たちにとってはその矛盾を理解する(体感できる)ことができない(アーレント 1994:50)。/ どのような社会も、自由とはポリス=公的権力の問題で、一般にいわれる自由とは、社会のための自由なのだ——それゆえ、力(権力)と暴力は統治のための独 占物となる。(ポリスにおける)自由とは他人から指図されたり従属しないということと、同時に、自分を命令する立場におかないということを意味する。/ だから家長の自由とは、家庭のなかでの気ままな支配のことを言うのではなく、(自由の領域ではなかった)家庭の外に出て「政治的領域」に参加する権力をも つということだった。女性の参政権の付与が奴隷制の廃止よりも後になるというのも、政治的領域=公的領域、家庭=私的領域、という峻別が強く人々のなかに あったからデモクラシーという解放が(歴史的に)女性の自由をそのまま確保するわけではないわけだ。/ 古代では、ポリスにおける善き生活のために、家庭生活(=私的領域)がそれを支える。資本主義社会では、労働現場における仕事や労働を通しての「生産と流 通」ために、家庭生活(=私的領域)がそれを支える——つまり「生産と流通」のための家庭生活の様式が、再編成されるようになる。

◎仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章

http://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/20barrier_html/20html/charter.html

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クレジット:池田光穂「ワーク・ライフ・バランス批判」2013年

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