歴史は死を前提とする
Hegel and human dealth in his/her own History
歴史は死を前提とする。子供の生は、必然的に親の死 を前提とするように。
ヘーゲルは1805-1806年の講義の欄外に次の ように記す。
Am Rande die nordamericanischen Wilden tödten ihre Eltern, wir thun dasselbe.
北アメリカの未開人は親を殺し、我々もおなじことをする[欄外](アカデミー版ヘーゲル全集第8巻211頁)
「なるほど、親によって教育された子供は、親の存在 そのものである親の社会的、政治的な行動を引き継ぎ、それによって親に彼岸における「死後の存続」、自由と両立しうる唯一の(それも時間に制限された) 「死後の存続」を保証する。だが、歴史的な死後の存続は個体の行動の普遍性を保存するだけで、その個別性をまったく無化せしめる。この無化がまさに個体の 死である。子供を教育することによって、親は彼ら自身の人間的、歴史的な死を準備し、みずからの意志によって現在から過去へと移っていく」(コージェヴ 1987:400)
Indem sie es erziehen setzen sie ihr gewordenes Bewußtseyn in ihm, und sie erzeugen ihren Tod in dem sie es zum Bewußtseyn beleben [und das Bewußtseyn der Eltern] seine Reflexion in sich selbest
子供を教育することにより、親は子供のうちにすでに形成された(gewordenes)彼らの意識を植え付け、自己の死をうみだす(アカデミー版ヘーゲル 全集第6巻303頁)
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