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専門バカよりもただの馬鹿のほうがいいこともある!

To be Fachidiot or not to be, that's a matter of question for you!!!

池田光穂

To be Fachidiot or not to be, that's a matter of question for you!!!

「ジェネラリストか専門家かという議論はしょっちゅ う見かけるものである。専門バカはいけません、というお題目はよく聞かれるけれど、大学紛争時代に教授陣の専門バカぶりを批判して社会的意味合いとかアン ガジュマンとかを要求した学生どもに対して「専門バカでないやつはただのバカだ」と言い放った立派な先生がいたという」(山形浩生『要するに』p.13、 河出文庫、2008年:原典にアクセスせずにコピペで引用するバカをバカにするために、引用は一ヶ所変えてあります)

だが、こんな暢気なことも言ってられない。原発問題 でもそうだが、専門馬鹿よりもただの馬鹿がいいこともある。専門バカ というのは、いまや、その存在を許されなくなってきているからだ。以下の村上陽一郎先生の発話に耳を傾けてみよう。

「アメリカの法科大学院制度の導入は、大学院修了者 がアカデミアにそのキャリアを求める、という伝統的に疑われたことのなかった前提を覆し、大学院の使命の一つに、<practician>の養成という新 たな項目を付け加えるようになった。/他方、学問、特に理工系の学問領域の限りない細分化は、大学院修了者の人間的、知的成熟をほとんど無視した、 <Fachidiot>を産出し続けている。しかも、かつては、そうした<Fachidiot>は、大学という閉鎖空間のなかに閉じ込められる限り、大き な社会的実害は生じなかったが、現在のように、科学研究の成果が、そのまま社会全般に浸透し、一般の人々の「生」を支配し、制御するような時代にあって は、<Fachidiot>の存在は許されなくなってきている」――村上陽一郎(2008)

村上先生は、それだから専門馬鹿な先生の現状を反省 して、若い学者の卵には、きちんと教養を身に付けるべきだと宣われているからである。僕も至極同感する次第である

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For all undergraduate students!!!, you do not paste but [re]think my message. Remind Wittgenstein's phrase,

"I should not like my writing to spare other people the trouble of thinking. But, if possible, to stimulate someone to thoughts of his own," - Ludwig Wittgenstein

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茹でられる聖職者たち:Livre de la Vigne nostre Seigneur, France ca. 1450-1470 (Bodleian, MS. Douce 134, fol. 85r)