ゲザ・ローハイム
Geza Roheim, 1891-1953
池田光穂
ゲザ・ローハイム(Geza Roheim, 1891-1953)は、今日では人類学研究のメインストリームからはほとんど忘れられた著述家としてしか知られていない。むし ろ、ポール・ロビンソンの著作『フロイト左派』にみられるように、フロイトの精神分析を、社会的問題の解明と解決にかけて考察するだけでなく、大胆に実践 しようとした流れのなかに位置づけられることのほうがおおい。ローハイムはたしかに、精神分析家(医師ではなかった)としてのほうが当時にはよく知られて いるが、オーストラリアでもフィールドワークに従事して(現在ではあまり知られることのない)フロイト派人類学の創設者として再評価してもよいぐらいだろ う。以下の解説は、アラン・ダンデス(2005)の解説に多くを依拠している。
「精神分析は、オーストリア・ハンガリー帝国の死の
くるしみのなかから生まれた」——ポール・ロビンソン(1983:89)
1891 9月12日 ブダペスト生まれ。ハンガ リー・ブダペストの裕福な名家に生まれる。
1899 ジェームズ・フェニモア・クーパー『モヒ
カン族の最後』を読む(8歳)
1900年代 10代で民俗学に興味をもちその広闊 な読書遍歴がはじまる
1906 E・B・タイラー『未開文化(Primitive Culture)』、ダーウィン『人間の由来』、スペンサー『社会
学の原理』、フレイザー『金枝篇』、フロイト『夢判断,トーテムとタブー』を読む(15歳)
1909 5月19日 ハンガリー民族学会で発表 (当時17歳の高校生)
1911 処女論文「龍と龍殺し」ハンガリー語、翌 年ドイツ語版
1913 フロイト「トーテムとタブー」(→Sigmund
Freud's views on religion)
1913 サンドール・フィレンツィ(Sándor Ferenczi, 1873-1933)「ブダペスト精神分析協会」創設(ハンガリー語は姓・名の順なのでフィレンツィ・シャンドールが原語読 みに近い)
前列左から右に:Sigmund Freud,
G. Stanley Hall,
Carl Jung,
後列左から右に:Abraham
A. Brill, Ernest Jones, Sándor
Ferenczi,(1909年クラーク大学[Massachusetts]にて)
1914 5月16日ブダペスト大学学士(地理学) 副専攻「東洋民族古代史」「英国文献学」
1915 ハンガリー国立博物館民族学課学芸員。 ローハイムは「精神分析的人類学」の名称を創案する——この言及はMirror Magic (1919[1952: vii])。
1915-1916 サンドール・フェレンツィの教 育分析(精神分析)を受ける。フェレンツィは、メラニー・クライン(Melanie Klein, 1882-1860)の分析もおこなう。
1918 イロンカと結婚:ブダペストで国際精神分
析学会がおこなわれる。ゲザはフロイトと邂逅する。
1919 3月クン・ベーラ(ベラクーン, 1886-1939)期のブダペスト大学人類学講座・初代教授/8月ルーマニア軍のブダペスト侵攻と反革命のため国立博物館の職を 辞す。Mirror Magic (1919)
1921 フロイト賞受賞
1923 「メラネシア人の聖なる金」(金銭と糞便 の一致に関する論文)
1924 マリノフスキー:1924 Mutterrechtliche Familie und Ödipuskomplex(Imago, Bd. X, Heft 2—3)
1925 『オーストラリア・トーテミズム』/フロ
イト「自己を語る」のなかで『トーテ
ムとタブー』(1913)中のローハイムとテオドール・ライクの名を挙げ賞賛。
1927 フロイト「幻想の未来」
1927 「月神話と月信仰」/マリノフスキー『野蛮人社会の性と抑圧』を公刊。フロイト理論を批判。
Mutterrechtliche
Familie und Ödipuskomplex(Imago, Bd. X, Heft 2—3), 1924
マリノフスキー:『野蛮人社会の性と抑圧』「われわ れは、フロイトが「前性器 期」あるいは「肛門性欲的」関心とよぶものが未開人のあいだにみられないという事実をどのように説明すべきだろうか?」(1955:44)
「何だって!、じゃあ連中には肛門がないってことか
い? でもちゃんと1個づつあるぞっ!」——マリノフスキーの”トロブリアンド島民にエディプスコンプレックスがない”というローハイムの報告を受けたフ
ロイトの反応(ca. 1927)
1928 後半、フィルマ・コヴァックスの教育分析 を受ける。フィールドワークの計画——マリー・ボナパルト(ジョージ・ギリシャ大公妃)の支援。
1928 9月英国民俗学会50周年会議に出席。年 末にジプチに1か月滞在する。
1929 中央オーストラリア、アランダやルリチャ で調査。年末ポートモレスビーに滞在し、その後翌年11月までノーマンビー島で9ヶ月、サンフランシスコ経由で米国でユマを調査。
1929 Maurice R. Davie
(1893-1964), The Evolution of War: A Study of Its Role in Early
Societies.
1930 「母なる地球と太陽の子供たち」、この時 アーネスト・ジョーンズ「精神分析と民俗学」も『英国民俗学会誌』で公刊。
1930 フロイト「文明とその不満」
1931 ハンガリーに帰国
1932 ソリー・ズッカーマン(Solly Zuckerman, 1904-1993)『類人猿と旧世界ザルの社会生活(The social life of monkeys and apes)』
1932 『聖なる未開の神』『未開文化の諸類型に
おける精神分析』
1934 『スフィンクスの謎』
1937 フロイト「モーゼと一神教」
1938 マリー・ボナパルト、 フロイトをウィーンに逃亡させる。ローハイムも米国に逃亡。ウスター州立病院で分析家として勤める。
1939 ニューヨーク市で開業。
1940 「龍と英雄」
1943 The Riddle of the
Sphinx (1943),The Origin and Function of Culture (1943)=『文化の起源と機能』
1947 ヴァイキング基金の支援でナヴァホの フィールドワーク(基金の会長はハンガリー人パウル・フェヨーシュ)
1953 6月7日 ニューヨークで死亡(妻イロン
カ
の死亡の3ヶ月後だった)。その蔵書は、ニューヨーク州立大学ダウンステート・メディカル・センターに寄贈される。『夢の門(In the Gates
of the Dream)』公刊
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文献
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
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