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ウィルヒョウと社会科学の定義の問題

Rudolf Virchow and his definition of "Social Science"

池田光穂

ルドルフ・ウィルヒョウ(ウィルヒョーとも表記;) と、彼の「社会科学の定義」の問題について。

「ウィルヒョウの有名なこつのスローガン、「医学は 社会科学であり、政治は大規模な医学そのものである」と「医師は天の与えたもうた貧者の弁護士であり、社会問題の大部分は医師が解決すべきである」を以上 の引用に照らして検討してみるなら、これらのスローガンは「医学 は社会科学である」という現代の主張とまったく同じ意味ではないということはすぐわかる。 これらのスローガンでは社会科学は「人類の洞察力の最高の形」で ある医学の一分野だという意味である。この一番最後の考え方は1820年代フォデレ、マル ク、ロスタン、ジョルジェ、レベイノ=パリゼのようなフランスの衛生学者の間に広がっていて、この人達の仕事はウィルヒョウにも、S・ノイマンやロイプッ シャーのような医学改革運動でのウィルヒョウの友人にも知られていた。(たとえばロイプッシャーは、精神病の歴史的意味を扱ったカルメイユの本を翻訳して いる)。そういう考えは社会科学を創った一人であるサンシモンも持っていた。これは最初デカルトが言い出し、その後、フランス臨床学派の父でありまたスタ ンダールやフロベールなどフランスの作家の精神上の父であるカバニスが発展させたものである。この考えは生理的な人間に関する知識は自動的に心理学的社会 的な人間に関する知識と理解をもたらすという仮定の上に成り立っている」(アッカークネヒト 1984:53)。

「社会科学は特殊な性格のものであるという我々の現 在の考え方はA・コントが初めて展開したものである。「社会科学 の母」としての医学というこの古い考え方は〈歴史的には医学はW・ペティ、ケネー 、ヴィエルメ、ピュシェの仕事である程度はそのとおりであった〉、医師が社会運動と政治に参加する重要な刺激となったし、それを道徳的に保証することにも なった。ウィルヒョウが生物科学から倫理学をひき出し、生物科学 を公立の小中学校の教育の基礎としようと執拗に努力したのは以上の基本的な態度が形を変え て表われたものであるにすぎない」(アッカークネヒト 1984:53-54)。

「病気の社会理論は実際は、カバニスが有名な言葉 「病気は社会の誤りによる」を書いて以来、革命後のフランスでビレー、ビュルメ、メリエ、オーベル・ロッシュのような人達の手で十分に開花 していたもので ある。この理論は1840年代にイギリスの人達が引継いでいた。ウィ ルヒョウ自身はいつもの伝(いい)でフランスに起源があることを認めるのは渋っているが、アリソン、 コリガン、ダビットソンといった人達の影響を受けたことフリードリッヒ・エンゲルスの「イングランドにおける労働者階級の状態」の重要性は十分に認めてい た」(アッカークネヒト 1984:151-152)。

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