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人間と動物のあいだの4つのアイデンティフィケーション

Four identifications between human being and animal

池田光穂

Descola

人間と動物の関係がどのような位 相にあるのか、ここでフィリップ・ディスコラ(2006)における身体性と内面性から構成される4つの象 限について考えましょう。彼の議論によると、人間と他の種類の動物がどのような世界性——ディスコラは存在論(ontology)と呼ぶ——をもっている かで身体性と内面性から考える必要性を強調します。

ディスコラの議論では、人間と動物の関係において、 身体性の類似(+)と内面性の類似(+)に基調におくものはトーテミズムです。カンガルー のトーテムに属する男を指し示し「彼はカンガルーである」と言うとき、身体性と内面性は完全に一致します。他方、日本の神経生理学における動物実験では、 動物は、同じ中枢神経をもち同じ神経情報処理をする点で身体性は合致(+)しますが、デカルトの考えと同様、動物に洗練された心的メカニズムがあるとは考 えません。つまり内面性は一致しません(−)。これは自然主義(naturalism)と言えます。また、身体性は異なる(−)が、動物と内面性が繋がる (+)代表的な考えはアニミズムです。身体性(−)も内面性(−)も繋がらない関係は、人間と動物のあいだに直接的関係はなく、それぞれ人間界と動物界の 関係をつなぐものは、たんなる類推的=アナロジー的関係でしかありえません。その典型は中国の十二支における人間と干支(えと)の関係のようなものです。

動物実験の四象限

実験動物を含めて、日本の社会における人間と動物の関係について、ディスコラが描く4つの象 限にあてはまる動物の世界には、どのようなものがあるでしょ うか。まず身体性の類似(+)においても内面性の一致(+)においても際立ったものは、例えばディズニー映画『ファインディング・ニモ』にみられる動物の 社会をテーマにした子供向けのアニメーションの世界です。冒頭のゲーリー・ラーソンの風刺漫画を思い起こしてください。そして、身体性の類似(+)をもち ながらも内面性には共通性がない(−)ものが本研究でとりあげている実験動物の世界です。他方、身体性はまったく共通点をもたない(−)が、内面性には類 似点(+)を認めるものはペットの世界です。最後に、身体性(−)も内面性(−)をもちあわせないものが食肉にされる動物です。なぜならスーパーマーケッ トの食肉コーナーできれいに包装された肉を見ても、誰も動物の原形を想起する人はいないからです。

存在様式に関するディスコラの解釈によると、現代社会のなかで動物は、それぞれ自然主義(ナ チュラリズム)、アニミズム、トーテ ミズム、そしてアナロジズムのすべてのアイデンティフィケーション(=同定化)に該当します。自然主義にもとづく研究対象である実験動物は、自然科学とい う枠組みの中でデータを産出するモノでしかありえません。ここでの〈自然〉とは、全体性を表象するものではなく、部分的真理としての〈自然〉に他なりませ ん。

近代論者である神経生理学者の実践は、〈自然〉の意味産出に関わることであり、それは純化 (purification)というプロセスをおこなうことで す。その点では人類学者も同様の活動をおこなっています。実験動物から〈自然〉の真理を引き出すためには、真理を保証するための社会的なゲームの規約の手 続き、つまり倫理委員会、客観性の担保、査読制度という社会性に根ざした正当化の文脈が不可欠です。神経生理学者は、現代社会の純化 (purification)という真理ゲームのプレイヤーの一人と言えます。

リ ンク

文 献



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