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神は死んだ、をめぐる人間の誕生

Dios ya habia muerto, así que lo humano ha sido salvado

池田光穂

1.基督(キリスト)は我々の罪のために一度死んだ のだから、死から 甦った以上、もはや死ぬことはない(アウグスチヌス『神の国』12-14)、という言挙げの前半の理由をのべた節は、ニーチェのそれ(=神は死んだ)と同 じだということに、今 気づく。

2.本田正昭というひとが1967年に「時熟論一考 --ニーチェとアウグスチヌスに於ける時間意識の構造に関する一比論」という論文を書いているがこれは時間論だ。

3.ふつう、アウグスチヌスとニーチェが交点を結ぶ のは「自由意志」論であると言われる。

4.アウグスチヌスをパラフレイズすれば、神は自ら の死によって人間を救う、それゆえに、人間は救われた状態にあるという、人間の存在論が導けるのである。

5.「人間は救われている」。そうするとニーチェ は、ニヒリズムや実存主義の始祖というよりも、居直りにも近くトコトン楽観的に逝こうという(神様はとりあえず脇においてもよいのだという)人間肯定主義 の始祖のようにも思われる。

6.ニスベットのSocial change and history(邦訳:歴史とメタファー)を読んでいて、気づく。

7.post hoc propter hoc (その後それゆえに)というアウグスチヌスの時間・宿命論と、アラリック1世(Alaric I, 370-410)のロー マ侵攻による基督教徒の恐怖と、神を自分の身体性の延長(res extensa) に位置づける——死体だから横たえるのほうがいいか——という何の関係もないものが、むすびつくわけです。ここにいわゆる今日常識化・定式化したキリスト 教(ローマカトリック)がようやく誕生するわけですね。儀礼のイデオロギーと儀礼行為と、それに伴う情動の三位一体が成立するわけだ。

8.Dios ja habia muerto, así que lo humano ha sido salvado. - Q.E.D.

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