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看護はスピリチュアルな行為である

Nursing is spiritual practice, she said...

カメレオン

池田光穂

看護人類学講義におなじみのフローレンス・ナイチン ゲール(1820-1910)のことをお話するのは違和感のないことでしょう。ただし近代看護の原則やその哲学を切り開いた〈ご先祖さま〉としての彼女の ことではありません。神格化せず冷静に見てみましょう。看護という活動の多様性と一般性(=共通性)を明らかにする看護人類学と彼女の人生との関係につい てお話しましょう。

神格化はしないと言いましたが、彼女の経歴について 知れば知るほど、ぶったまげることが百出します。じつにいろいろなことを成し遂げたからです。当時はナースの業務は卑しくてかなり怪しいと思われていまし た。しかし看護実践をあらゆる子女に教養をつけ、専門的職業として自らを律して生きることができる可能性のあるものとして彼女は初めて位置づけました。彼 女が生み出した看護教育システムは世界中にある看護学校や看護学部の中に息づいています。

彼女は大変恵まれた家庭に育ちました。当時の英国は 身分制度の厳しい国だったので、彼女が生まれた時に誰もが後に看護婦になることなど想像しませんでした。裕福な両親の新婚旅行(!)中にイタリアのフィレ ンツェで生まれたために、その英語名フローレンスの名がつきました。ケンブリッジ大学出身のお父さんは彼女に十分すぎるほどの英才教育を授けました。外国 語や教養を彼女は身につけ、数カ国語を理解するだけでなくラテン語や古代ギリシャ語で書かれた古典を読み、後に哲学の大学教授と互角に議論ができるほどで した。

自らの身を落とすものと周囲から反対されてもなお意 思を曲げず看護婦になりました。こんなことは今では全く想像できません。しかし、その境遇に満足せず当時の社会状況を上手に利用して彼女のみならず看護婦 の資格とその理想の向上に努めました。その絶好のチャンスがクリミア戦争に看護婦を派遣する事業でした。

したがって世界初の従軍看護婦であるとも言えます。 殺し合う行為からなりたつ戦争と、病いから回復途上にある人を支援する看護とは正反対の活動に思えます。しかし、近代医療における病いのモデルは急性期の 傷病にあります。だから戦傷者の手当を後衛基地に設けられた野戦病院でおこなうことは、近代医療の効率化に大きく貢献しました。今日「病気と闘う」とか 「病院を戦場に見たてて」という発想はここからきているのです。

ナイチンゲールは、トルコにあるスク・タリ(現在の イスタンブール東岸)の病院で、看護婦団を認めない軍医長官と対立しながら、遠く離れた英国の世論や王室に訴えて、看護の活動ができるようにしました。英 国の帝国主義時代にもっとも活躍し、国民の絶大な支持を受けたビクトリア女王が彼女を支援したのも幸いしました。男性優位の時代に、上手に立ち回り男性と 互角に勝負したという点で、フェミニズムの実践を体現したのも彼女でした。近代病院におけるプロフェッショナルとしての看護婦の地位と活動を名実ともに確 立したのです。

この近代的かつ体系的発想は、英国で確立していた衛 生の考え方を戦場の病院に応用することで戦傷者の感染症を大幅に下げることに成功しました。統計学や植民地であったインドの衛生学に関する深い洞察もおこ なっています。衛生を通して国を治めるという政治家のセンスも抜群にあったのです。

でももっと凄いことが彼女にはあります。実証的なこ とを大切にしながらも人間がもつ霊性(スピリチュアリティ)を最も重要視し、理性と信仰が両立しうることを生涯を通して主張したことにあります。ナイチン ゲールの信仰における神秘主義のあり方を明らかにした小林恭・大阪大学名誉教授によると、信仰と看護の実践はほとんど同一水準にありました。看護からも信 仰の側からも嫌がられることを承知で「下水道のせいでチフスが発生している とき、ドブ掃除をすることこそ神の意志と共働することである。手をこまねいて祈ることはかえって神の意志に背くことである」とまで言い切り ます。

このように見てみるとナイチンゲールの生き方は、複 雑化する看護の現場でさまざまなことを考えながら「あーでもない、こーでもない」と実践している現在の看護師の生き方と重なります。理性と情熱は共存でき る! 看護は多元的に考え、かつ多元的に行動せよ!となるでしょう。彼女が夢見ていた理想的看護と現在の保健制度のあり方は必ずしも合致するわけではあり ません、看護の理想は、看護師の臨床実践のなかで初めて実現するのであり、さまざまな支援技術により十分にやる遂げる余地はあるのです。

霊性をめぐって、これまで焦点があてられなかったり 居心地のわるい評価しか受けてこなかったナイチンゲールの神秘主義に対して現在では再評価されるようになったのも、また当然の流れでしょう。シャーマニズ ムや憑依など非西洋世界のさまざまな霊的な実践は、看護実践にとって決して〈遠い経験〉なのではなく、〈ご先祖さま〉が具体的な看護実践を想像する際に極 めて身近でかつ重要なものとされていたようです。私たちは、ようやく看護における霊性について語りえる入り口に到達したようです。

人間にとって看護はスピリチュアルな行為だ!――そ れを平然と150年以上も前に主張していた、ナイチンゲールって本当に凄いですね。

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