はじめによんでね

毛沢東の戦略

On Mao Zedong's revolutionary warcraft strategy

解説:池田光穂

毛沢東(1893-1976)の 戦争理論において重要なものは、

という3点にまとめられるように思われ る。毛沢東の戦術 は、近代戦争における合理性をゲリラ戦に持ち込んで、前近代的な義賊が醸し出す神話的イメージから「人民解放軍の合理主義的哲学」を産んだことが特色であ る。すなわち軍事的な実践が革命戦士を育てるということであるが、それは同時に支援者からなる人民の海の自由に泳ぐ魚として表現される、神秘的なカモフ ラージュにも彩られている。毛沢東自身もゲリラ戦争の経験を積むたびに、革命戦争と政治についての隠喩的表現が洗練されてゆくようになる。彼は詩人となっ た不死身のロベスピエールと化する。

農村から都市への包囲戦の基本は、農村に おける貧農への「土地解放」戦術にある。井岡山の闘争(1928年11月25日)では「土地問題」つい て以下のように分析する。

軍事的には厳しい統制主義をとる。

戦略論として、反「包囲討伐」という手法 を堅持する。

中国共産党の軍事的な強さを造ったのは、 強大な敵であった、旧・日本陸軍であるとも言える。毛沢東は、中国国内においてゲリラ戦争を定着するさ せるために、日本軍の強さと、それへの対処作戦を冷静に分析している。

抗日遊撃戦争の戦略問題 1938年5月 (『毛沢東』選集第二巻、三一書房、1957)[→電 子テキストへのリンク


「暴力は国際関係においてしだいに疑わし くて確実とはいえない道具になってきたが、国内問題では、とくに革命においては、評判と魅力を 獲得する にいたっている。新左翼の強烈なマルクス主義的レトリックは、毛沢東が宣言した「権力は銃身から生じる」というまったく非マルクス主義的な確信 の着実な成長とぴったり符合する。たしかにマルクスは歴史における暴力の役割に気が ついていたが、しかしこの役割はかれにとっては第二義的なも のであった。古い社会の終鷲をもたらすのは暴力ではなくて、その社会に内在するもろもろの矛盾なのだ。新しい社会が姿をあらわすに先立って暴動 が起こるとしても、暴動が新しい社会の登場の原因ではない。それは、出産に先立って陣痛がくるとしても、陣痛が出産の原因ではないのと同じ こと である。同様に、マルクスは、国家を支配階級の意のままになる暴力の道具とみなしたが、支配階級の実際の権力は暴力からなるとか暴力に依拠して いると考えたのではない。その権力は支配階級が社会のなかで果たす役割によって、もっと正確にいえば、生産過程における支配階級の役割によって 規定されるとしたのだ」(アーレント, p.105)。

"The urban guerrilla, however, differs radically from the criminal. The criminal benefits personally from his actions, and attacks indiscrimminately without distinguishing between the exploiters and the exploited, which is why there are so many ordinary people among his victims. The urban guerrilla follows a political goal, and only attacks the government, the big businesses and the foreign imperialists." - Carlos Marighella

「しかし、都市ゲリラは犯罪者とは根本的 に異なる。犯罪者は自分の行動から個人的に利益を得ており、搾取者と被搾取者を区別することなく無差別に攻撃する。都市ゲリラは政治的な目標に従い、政 府、大企業、外国の帝国主義者だけを攻撃する。」——カルロス・マリゲーラ

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