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存在しない古書をあなたのお手元に!

ダラシネ古書店:古書の状態に関する符丁

店主*垂水源之介


このリストの項目は喜田村拓『古本屋開業入門』燃焼社、2007 年、1156-157頁より拝借しました。

ただし記載内容は垂水源之介による大幅な加筆等があります。

それらの独断と偏見の言及[ならびに責任]はすべて筆者(垂水源之 介)にあります。

初版。古書マニア(とくに似非文学マニア)には初版フェチがいる。資料として読書マニア(書誌研究 者を除き)は初版フェチは忌避すべし人文社会科学系は初版で終わっている本が多数あるが、もし再版などがある場合は、そちらを尊重すべし。
カバ カバー付き。梅棹忠夫によると、カバー類、特に帯紙(→帯、参照)にも書誌情報があるので軽んじて はならぬ。
重版。近年の本は編集者の質の低下により、誤字脱字、情報の誤りなどがあるので、重版とくに再版 (→事項参照)のほうが好ましいものが多い。
再版。説明は重版に同じ。
カバー破 カバー破れ。本体がなんともなく、カバー破れは、価格が下がりお得感あり。ただし、古書店での値引 きなどの交渉材料には使えない。古書店主は、(商品の性格もあり)在庫管理に対する責任を負う人は稀。
帯付きは状態の遺憾に関わらず好ましい。ただし、出版時に帯がついていたかどうかは、書誌情報など では手に入らない情報なので、判断は難しい。また重版、再版に伴い、帯を変えるものがあり、この情報が初版と重版の識別指標となる場合あり。
極美 新品同様のこと。ただし、素人と専門家(古書店主)の審美眼の違いにより、最近の若い店主は(傲慢 な御仁は除き)使わなくなった。並(→項目)を参照のこと。
程度が並程度のこと。顧客からからみれば、並の評価でいわゆる極美のものがしばしばあるので、並は 許容範囲である。ただし、これも傲慢な業者だと、経年変化などでぼろぼろになりつつある(酸性紙など)ものにこの評価があることがあり、しばしばトラブル の原因になる。
ヌレ 水ヌレ(=濡れ)した後があるもの。状態としてページが波打つ。場合によっては、汚れや書き込みな どよりも気になることがある(→ページを繰るごとに不快な感じがする)ので、ヌレは書物にとって最悪のダメージだと認識あれ。特に、辞書類など頻繁に引く ものなどは、ヌレは絶対禁忌である。稀覯(きこう)本以外は、裁断処分にしてあげ成仏させたほうがまし。また、専門店は格安にすべきだと思う。
ヨレ 捻れて変形している本。ただし問題は拠れ方次第で、綴じ糸を使わない製本で、そのままあるいは、 180度以上開けた本などによるヨレは、人によりけりだが(処女=童貞本などのフェチを除けば)読書に馴染んでいる可能性があるので、ヌレなどとは、根本 的に異なる状態表記であることに留意。
背破 背表紙が破れている本。たぶん、大きくとか小などという形容表現がついていることがある。中身に興 味にある読者にとっては、安くしてもらっている好材料かもしれない。
ヤケ 日焼けして印刷がかすれていたり、変色している本。読書「福祉」家にとっては、前のオーナーの不幸 な処遇の来歴をもつ書物なので、安く購入できた後には、丁寧に読んであげたり、使い倒したりして、天寿を全うさせてあげるべき書物である。こういう本の前 のオーナーは、たぶん中身を見ていない可能性があるので、以外とお得感がある。本は中身と思うべし。
カバ欠 カバーのない本。裸本と呼ぶ業界人もいる。カバ(→項目)参照。カバや帯情報などは、書誌情報と いっても副次的なものなので、カバーの有無なども、関係ねぇという、ハードな中身論者ならば、やはり安価の理由になるので、これも見方を変えると福音。
印有 蔵書印が押してある本。大概はチープなゴム印なので、不快ではあるが、紙などを貼ったり(蔵書票を 作ればよい)して、我慢できる、安価化への好材料。これも中身と関係ない福音。ただし天の部分にシャチハタ印の簡易認印を押している本は興ざめだが、たぶ ん返してくれない奴に本を貸してあげる時に押したのではないかと思わせる。図書館の印と同じ機能。
背イタミ 本の背がはがれたり、切れたりしている本。自分で補修できるので、稀覯本などで安くなっている要因 なら、これも福音の印と思い、感謝すべし。
シミ 小口やカバーにぽつぽつとシミが出ているもの。シミには、栄養物(ジュースなど)の飛沫によるカビ の発生によるものと、グルマンのゴキブリがクロス装丁の糊を食べたあとに脱糞した後のものがある。後者は、意外と知られていなく、古書店のキャリアの長い 人でも、よく知らない御仁がおられることに驚いた経験がある。私(垂水源之介)なら、ゴキブリの後に賞味するのだから、滅茶苦茶安くすべきかと思うが、多 くの古書店主には、こういうデリカシーは欠如して、それほど安くない(クロス装丁は、昔の岩波書店の学術書などに多く使われていた)。
毛筆署名 筆で作者の署名がしてある本。アナログ盤のビニールレコードなどは演奏家のサインがしてあっても、 圧倒的に安価になるが、「お宝鑑定団」の影響なのか、それとも初版フェチの影響なのか、高いものがある。他方、他のダメージと同様、安くしてあるものは、 その作家そのものが値踏みされているようで、人ごととは言え可哀想な本ではある。これも中身主義者にとっては(あろうが、なかろうが)どうでもいい本であ る。糞食らえ!
総革 本が革でくるまれて装丁の本。海外の古書以外で最近はみなくなりましたね。岩波の大航海時代叢書な どにつかわれたが、状態がわるいと。岩波の装丁のレベルの低さもあって、白い粉がぼろぼろと落ちてきたものものあります。シャムの王様から頂いた白い象ご とく、扱いに困る本であり、そんな時代に生きていない我が身を幸せに思います、という感じにさせる装丁ではある。しかし、よい造りの本は、図書館でなぜな ぜして、本の本来のフェチとはこういうものだと、認識することも必要。歴史のあだ花。
函(はこ)がついている本。中身と関係なし。なかなか捨てられないという意味では、総革と同じよう に、本がフェチあった時代の産物。その証拠に、洋書でも和書でも、いまではすっかりそういうのはなくなった。法政大学出版会などが、いまだに、どでかい翻 訳本や全集(これは破廉恥なことに日本の大手の出版社などでこういうこまった風習あり)などでこういうのがある。こちらも糞食らえである。しかし函も、 チープなものもある、たとえばみすず書房とか、法政大学出版局のウニベルシタスなどがあるが、これらはどうも輸送用を目的としたものなので、安心して捨て られる。しかし、そもそもそんなものが必要かと言えばそうなので、立派な函をつけてくる出版社と同罪。
例えば、特装50 特別の装丁の本で50部限定の本という意味。函や総革などの記述と同様、どうでもいい本。敬して遠 ざけるべし。図書館で再会すべきような本で、自分で持つようなものでは決してない。
識語落款 識語(しきご)落款(らっかん)。著者の署名が自筆で書かれてあり、本人の判子が押してあるもの。 説明は、毛筆署名(→項目)で説明した。中身主義者にとっては、まったく意味のない書物。
復刻版 後に同じような形で似せた本を作ったもの。読者にとっては、よい復刻版とわるい復刻版がある。岩波 文庫などは、わるい復刻版の典型である。ワープロの時代になってからも、旧字体の旧版で出し続ける、読者へのわかりやすさ、普及という精神を欠落した犯罪 行為を続けてきた。こういう本を、古書店のワゴンセールで見ると、古書店にすら気の毒になる(紙が悪いのに、古いオリジナルを跪拝するあまりお行儀のよい とは言えない文庫本古本屋がいることは無視して)。その意味では、きちんと組み版などなどなどやりな名著や名訳を現代に伝えようとする点で(新訳の必要性 とう別の吟味はともかくとして)講談社学術文庫などは、よい復刻版の典型である。
汚少 少し汚れている本。これは評価のうえではとても曖昧な表現である。つまり古書店が謙遜して、極美を 汚れ少々としているのか、経年変化を考えれば当たり前として、顧客に納得させようとしている汚れ少々なのか、手にとってみるまでわからない。おまけに、汚 れに関する定義にもよる。私は大手の高◎書店で、この汚れ少という表現で、全体が煤けたトンデモ本を落掌したことがある。大型本なので、クレームをつける のも面倒くさく手元に置くが、以降、ア◎ゾン・ユーズドなどでひっかかっても注文しなくなった。畏るべし!
例えば、木版二葉 本物の木版が二枚貼り込んである本。喜田村の前掲書ではじめて知った表現。私には関係のない本でご ざんす。

存在しない古書をあなたのお手元に!


本の部分の呼称(情報は新潮社より)https://www.shinchosha.co.jp/tosho/book_basic.html

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