※日本民族学会第33回研究大会分科会「医療的身体の構築」趣旨説明
1999年5月29-30日 東京都立大学で開催予定
医療的身体の構築
松岡秀明(カリフォルニア大学バークレー人類学部:1999年当時)(c)
池田光穂(熊本大学文学部:1999年当時)(c)
医療人類学の歴史を俯瞰すると、医療の補佐役を担う立場と医療を批判する立場の二つ医療人類学があることが理解される。前者は、医学部の 一講座として存在する場合があるように、医療側からの研究──たとえば特定の地域での医学の受容を容易にするための研究──を行なってきた。それに対して 後者すなわち批判医療人類学は、患者たちはバイオメディシンのヘゲモニーを甘受せざるを得ないという前提のもとに、バ イオメディシンを批判する。
しかし、90年代に入ると批判的医療人類学の内部から、従来の批判的アプローチを乗り越えようという流れが出現しはじめる。すなわち、表 象される身体、受動的身体、抑圧される身体が強調されるあまり、能動的な身体、実践する身体、感覚を持つものとしての身体が無視されてきたという反省にも とづき、これらを問題にすべきだという主張が登場する。
バイオメディシンが「病気」と呼ぶ状態をになう人々は、バイオメディシンが提供 する一連の表象のセットをそのまま受容するのではない。彼らは、そこからいくつかの表象を恣意的に選択し変容させるというブリコラージュ的な作業を行なっ ている。この作業はある自由度をもって個人の判断によって取捨選択されていく。しかし、医療的言説と完全に無関係になるのではないく、医療従事者あるいは 他の病者との関係のなかで軌道修正されていく。時には医療従事者の言説の修正を余儀なくさせることや、特定領域の研究の急速な進展を促す場合もある。
バイオメディシンは、現代においてそれがない状態を想起するのが困難なほどに人々のなかに浸透している。であればバイオメディシン対患者 という二項対立をたてるのではなく、バイオメディシンと病い経験の相互浸透的な事態を想定してみよう。民族誌家は日常生活の中で、このような相互連環によ る身体の構築――それをさしあたり医療的身体と呼ぼう――の事象を数多く発見するはずである。それを考察するのが、本パネルの目的である。
保健=健康の人類学の誕生
――援助する人類学者とその社会的使命に関する考察――
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池田光穂(熊本大学:1999年当時)
本発表は、現代における身体の構築の問題を考察する際に、研究対象となった人たちの民族誌学上の素材を検討するのではなく、その素材を加 工し、議論の俎上にのぼせる研究者の実践について考察することを目的とする。ここでの研究者の実践に関わる議論とは、医療人類学における実践の諸相であ り、演者の中央アメリカで経験にもとづく事例のことである。
近代的身体の構築について語ることは、我々の日常生活の多くの局面において、近代医療というまなざしのもとでの身体のあり方、つまり医療 的身体の構築について考察することに他ならない。近代医療は、医療化論に代表されるように外部から身体を拘束し、矯正を加え、全く別の身体を構築させる、 エージェントとして批判的に考察されてきた。他方、ユーザーとしての身体(あるいは、身体の所有者)は、近代医療を始めとして、さまざまな社会装置を通し て、自己や社会が希求し規定する理想的な身体への変貌が主体的過程の実例として、好意的に解釈されてきた。批判的に考察されようとも、あるいは好意的に解 釈されようとも、身体は、近代社会のさまざまな諸相を映し出し、人間主体のあり方を提示すると考えられてきたのである。
だが、そのような見解を根拠づけるものは何だろうか? この問いを方法論上の問題から考え直してみよう。我々は、参与観察やインタビュー を通して、彼らの言説を構成する。それは、病いの経験とよばれるものから日常的な行為実践にいたるまで、さまざまな当事者の語り、臨床データや、周囲の人 の解釈、はては政府の統計に至るまで諸々の資料が、還元的に論理整合性を持たせながら言説として構築されるものである。しかし、そのような理論的構築物 は、当の身体を写す鏡にはなっても、その当の身体の固有性については多くをつまびらかにしない。
医療人類学は、病い経験を臨床医学的に構成するという実践の外に出て、病者の固有の経験を他者にも理解可能なものとして提示することに長 年の時間を費やしてきた。だが、そのような実践を紡ぎ出す学問の存在理由について問われることは少ない。演者は、医療人類学が存在してきた理由が、近代医 療批判を通して、改良され洗練された近代医療を推進することにあったと信じる者であるが、そうであれば、なぜ批判の対象とされた近代医療(ないしはその精 神)が、より良き成型を受けて理想の形として存在し続けなければならないのかについて、答えなければならない。このような両義的な医療人類学の特性を最も よく表出するものの一つが応用人類学的実践である。本発表では、自己の専門分野を医療人類学(Antropologia Medica)から保健=健康の人類学(Antropologia de Salud)へと変えたグアテマラの一人の人類学者の経歴に触発されて、医療人類学の現在を回顧的に批判にする。