よいページ・わるいページ?
あるいは、倫理の基礎
かいせつ:いけだ みつほ
いま、にほんごでみられるインターネットのホームページのかずは、とっても多くなってきましたね。
インターネットでいろいろなことをしることができるようになりました。
とおい、がいこくのおともだちが作ったページをみることができます。
でもへんなページもあります。ざんこくなしゃしんやエッチなしゃしん、それとか人のわるぐちばかりをかいたページもあります。
せんせいは、「そんなわるいページをみちゃいかんゾ!」と言います。でも、ほんとうは、みなさんが、そんなへんなページをのぞいてみたいきもちが、せんせいにも、また、あるかもしれません(きっとそうでしょう?)。
でも、せんせいが、それをきんしするには、ちゃんとりゆうがあります。
せんせいは、きんしすることをとおして、なにをみてはよいのか? なにをみてはわるいのか?について教えているのです*。
だから、まずさいしょに、たいせつなことはせんせいが「わるい」とおっしゃるページについてきいてみること。つまり「いったいどうしてわるいのか?」ということをちゃんと、せんせいにしつもんすることです。
わるいこと、とか、よいこと、というのは、じぶんがそうだとわかってはじめて、じぶんにとってやくにたつものになるのです。
【おうようもんだい】
うえのぶんしょうでは「せんせいは、きんしすることをとおして、なにをみてはよいのか? なにをみてはわるいのか?について教えているのです」とかきました。それにかんするおうようもんだいです。
でも、よいことをしたり、よいかんがえとはなにか? と、おもうためには、かならずわるいことを、たとえこころのなかでも、おもいおこさないとよいかんがえが、どうしてそうなのかということがせつめいできません。どうしてでしょうか? みんなでかんがえましょう!
お子さまのぺーじじこしょうかい