はじめによんでください

アシッド・コミュニズム

Acid Communism, by Mark Fisher


池田光穂

Mark Fisher | Acid Communism, (Unfinished Introduction) マーク・フィッシャー(1968-2017)

“[T]he closer the real possibility of liberating the individual from the constraints once justified by scarcity and immaturity, the greater the need for maintaining and streamlining these constraints lest the established order of domination dissolve. Civilisation has to protect itself against the spectre of a world which could be free.
[…] In exchange for the commodities that enrich their lives […] individuals sell not only their labour but also their free time. […] People dwell in apartment concentrations — and have private automobiles with which they can no longer escape into a different world. They have huge refrigerators stuffed with frozen foods. They have dozens of newspapers and magazines which espouse the same ideals. They have innumerable choices, innumerable gadgets which are all of the same sort and keep them occupied and divert their attention from the real issue — which is the awareness that they could both work less and determine their own needs and satisfactions.”
— Herbert Marcuse, Eros and Civlisation 2
「かつては不足や未熟さによって正当化されていた制約から個人を解放す る現実的可能性が近づくにつれ、支配の確立された秩序が崩壊しないよう、それらの制約を維持し合理化する必要性は高まる。文明は、自由になり得る世界の亡 霊から自らを守らなければならない。
生活を豊かにする商品と引き換えに、個人は労働力だけでなく自由な時間までも売っている。人々はアパートに密集して住み、もはや別の世界へと逃げ出すこと のできない自家用車を持っている。冷凍食品でいっぱいの巨大な冷蔵庫を持っている。同じ理想を掲げる数十もの新聞や雑誌がある。数えきれないほどの選択肢 があり、すべて同じようなガジェットが数えきれないほどあり、人々を忙しくさせ、真の問題から注意をそらしている。真の問題とは、労働時間を減らし、自分 自身のニーズと満足感を決定できるということに気づくことだ。」
— ハーバート・マルクーゼ、『エロスと文明』2
この本の主張は、過去40年間は「自由になり得る世界の亡霊」を追い払 うことに費やされてきたというものである。そのような世界観に立つことで、最近の左派の闘争の重点を逆転させることができる。資本主義を克服しようとする のではなく、資本主義が常に妨害しようとするもの、すなわち生産、ケア、享受の集団的能力に焦点を当てるべきである。左派の私たちはしばらくの間、誤った 考えを抱いていた。私たちが反資本主義者であるというよりも、資本主義が、その覆面警官や催涙ガス、神学的な経済理論の巧妙さによって、この「赤い豊か さ」の出現を妨害するように仕組まれているのだ。資本の克服は、資本主義が「富の創出」とは程遠く、必然的に、常に「公共の富」の生産を妨害するという単 純な洞察を根本的に基盤としなければならない。
自由になり得る世界の亡霊を追い払うことに関与する主な、しかし唯一ではない要因は、新自由主義と呼ばれるプロジェクトである。しかし、新自由主義の真の 標的は、公式の敵ではなかった。すなわち、自らの矛盾の重みに耐えかねて崩壊しつつあった、退廃した一枚岩のソビエト圏、そして社会民主主義とニュー ディールの崩壊しつつある契約である。むしろ、新自由主義は、1960年代末から1970年代初頭にかけて花開いた民主的社会主義や自由主義的共産主義の 実験を、それらが考えられないものになるまで徹底的に破壊することを目的としたプロジェクトとして理解するのが最も適切である。
こうした可能性を排除した究極の結果が、私が「資本主義的リアリズム」と呼ぶ状況、すなわち資本主義に代わる選択肢はないという見解に運命論的に甘んじる という状況であった。もし資本主義的リアリズムの始まりとなる出来事があるとすれば、それはピノチェト将軍がアメリカの後ろ盾を得て起こしたクーデターに よってチリのアジェンデ政権が暴力的に崩壊したことである。アジェンデは資本主義とスターリニズムの両方に代わる現実的な選択肢となる民主的社会主義の形 を試みていた。アジェンデ政権の軍事的な打倒、それに続く大量投獄と拷問は、資本主義が社会を組織化する唯一の「現実的な」形態であると見せかけるため に、資本主義が遂行せざるを得なかったことの最も暴力的で劇的な例に過ぎない。チリでは、新しい形の社会主義が終焉を迎えただけでなく、新自由主義の他の 拠点(金融規制緩和、経済の対外開放、民営化)で展開されることになる政策が試験的に実施された実験室ともなった。米国や英国のような国々では、資本主義 的リアリズムの導入は、抑圧だけでなく、誘惑や魅惑も伴う断片的なものであった。最終的な結果は同じだった。すなわち、民主的社会主義や自由主義的共産主 義の理念そのものが根絶されたのだ。
「自由になりうる世界」の亡霊を追い払うことは、狭義の政治的な問題であると同時に文化的な問題でもあった。なぜなら、この亡霊や苦役を超越した世界の可 能性は、とりわけ政治的な志向を持つとは限らない文化において、最も強力に提起されていたからだ。
なぜそうなのか、そして近年、彼の作品の影響力が低下していることにはそれなりの理由がある。彼の作品の陰鬱な側面を強調した『一次元的人間』は、今でも 参照されるべき著作であるが、『エロスと文明』は他の多くの著作と同様に、長い間絶版となっている。資本主義が生活と主観性を完全に管理していることに対 する彼の批判は、依然として共感を呼んでいる。一方、芸術は「偉大な拒絶、それに対する抗議」であるというマルクーゼの信念は、3、時代遅れのロマン主義 のように思われ、資本主義的リアリズムの時代には古風で無関係なものに見える。しかし、マルクーゼはすでにそのような批判を先取りしており、『一次元人 間』における批判は、資本主義下の日常生活とは根本的に相容れない「美的次元」という第二の空間から発せられているため、説得力がある。マルクーゼは、実 際には、ロマン主義と関連付けられる「芸術的疎外の伝統的イメージ」は過去のものではないと主張した。むしろ、彼は次のように述べている。「それらは、抑 圧する社会を破壊するような満足のイメージを想起させ、未来に属するものを記憶に留める。」4
大拒絶は、資本主義的リアリズムだけでなく、「リアリズム」そのものを拒絶した。彼は「芸術と政治的リアリズムの間には本質的な対立がある」と書いてい る。5 芸術は肯定的な疎外であり、既存の秩序に対する「理性的否定」であった。彼のフランクフルト学派の先駆者であるテオドール・アドルノも、実験的な芸術の本 質的な他者性に同様の価値を置いていた。しかしアドルノの作品では、資本主義社会における傷ついた人生の傷を延々と検証することが求められる。資本主義を 超えた世界という考えは、ユートピアの彼方に追いやられる。芸術は、このユートピアから我々を隔てる距離を示すに過ぎない。それに対し、マルクーゼは、 まったく変貌した世界を、差し迫った展望として生き生きと描き出す。マルクーゼの作品が60年代のカウンターカルチャーの要素にこれほどまでに熱狂的に受 け入れられたのは、まさにこの点にあった。彼は、無意味な労働に支配された世界に対するカウンターカルチャーの挑戦を予見していた。『一次元的人間』の中 で、文学における最も政治的に重要な人物は、「少なくとも通常の方法では生計を立てていない人々」であると彼は主張している。6 このようなキャラクターや彼らと関連する生活形態は、カウンターカルチャーにおいて前面に押し出されることになる。
実際、マルクーゼの著作がカウンターカルチャーと調和しているのと同様に、彼の分析は、その最終的な失敗と吸収を予見していた。『一次元的人間』の主要な テーマは、美的挑戦の中和であった。マルクーゼが心配していたのは、前衛芸術の大衆化であった。それは、文化の民主化が芸術の純粋性を汚すというエリート 主義的な不安からではなく、芸術が資本主義の商業管理下に吸収されることで、資本主義文化との相容れなさが覆い隠されてしまうという理由からであった。マ ルクーゼはすでに、資本主義文化がギャング、ビートニク、吸血鬼を「別の生き方」の象徴から「同じ生き方の変わり者や一種」に変えてしまうことを予見して いた。7 カウンターカルチャーも同様であり、その多くは痛烈に、自らをフリークと呼ぶことを好んだ。
いずれにしても、マルクーゼは、60年代が現在においてもなお私たちを悩ませ続ける理由を明らかにしてくれている。近年、60年代は、遠い昔の異国情緒あ ふれる時代であり、その時代に生きることは想像できないと思える一方で、今よりも活気のある時代、つまり、人々が本当に生きていた時代、本当にさまざまな ことが起こった時代であると思えるようになっている。しかし、この10年間が人々の心に強く残っているのは、回復不可能で再現不可能な要因がいくつも重 なったからではなく、その時代に具現化され、民主化され始めた可能性、すなわち、苦役から解放された生活という可能性が絶えず抑圧され続けているからであ る。私たちが労働を超えた世界に移行していない理由を説明するには、欠乏を生み出すことを目的とした広大な社会的、政治的、文化的プロジェクトに目を向け る必要がある。資本主義:人工的な不足を生み出すことで現実の不足を生み出すシステム。現実の不足、つまり天然資源の不足が、今や資本主義を悩ませてい る。無限の拡大という幻想が抑圧するために残業しなければならない現実として。人工的な不足、つまり本質的には時間の不足は、マルクーゼが言うように、内 在する自由の可能性から私たちをそらすために必要である。(新自由主義の勝利は、もちろん、自由という概念の悪用に依存していた。新自由主義の自由は明ら かに労働からの自由ではなく、労働を通じた自由である。)
マルクーゼが予言したように、グローバル・ノースにおける消費財や機器の増加は、それらの商品が時間の不足を生み出すためにますます機能しているという事 実を覆い隠している。しかし、おそらくマルクーゼでさえも、21世紀の資本が過剰労働を生み出し、有給労働以外の時間を管理する能力を持つことは予想でき なかっただろう。おそらく、フィリップ・K・ディックのような辛辣な未来学者だけが、今日のありふれた企業コミュニケーションの普及、意識と日常生活のほ ぼすべての領域への浸透を予測できたかもしれない。
「過去ははるかに安全だ」と、マーガレット・アトウッドのディストピア風風刺小説『ハート・ゴーズ・ラスト』の語り手の一人は言う。「なぜなら、過去に起 こったことはすべてすでに起こったことだからだ。それは変えることはできない。だから、ある意味では恐れることは何もない」。8 アトウッドの語り手が考えていることとは裏腹に、過去は「すでに起こったこと」ではない。過去は絶えず再語られ続けなければならない。そして、反動的な物 語の政治的な主張は、古い時代にまだ待ち受け、再び目覚める準備ができている潜在的可能性を抑制することである。60年代のカウンターカルチャーは、今で はそのシミュレーションと切り離すことができない。そして、その10年間を「象徴的な」イメージや「クラシック」音楽、ノスタルジックな回想に還元するこ とは、当時爆発的に広がった真の可能性を中和させてしまった。カウンターカルチャーの要素のいくつかは、流用され、「新しい資本主義の精神」の先駆けとし て再利用された。一方で、過剰労働の世界と相容れないものは、無益な落書きとして非難された。これは、反応という矛盾した論理の中で、同時に危険かつ無力 である。
カウンターカルチャーの抑制は、マルクーゼが主張していたような立場に対する懐疑論や敵意の正当性を裏付けるものと思われた。「カウンターカルチャーが新 自由主義につながった」のであれば、カウンターカルチャーは起こらなければよかったのだ。実際には、その反対の主張の方が説得力がある。つまり、60年代 以降の左派の失敗は、カウンターカルチャーが解き放った夢想を否定したり、それに従事することを拒否したりしたことと大いに関係があるのだ。新右翼がこれ らの新しい潮流を手中に収め、強制的な個人化と過労という彼らのプロジェクトに縛り付けたことには必然性はなかった。
もしカウンターカルチャーが、期待されたような最良の形ではなく、つまずきから始まっただけだとしたら?もし新自由主義の成功が資本主義の必然性を示すも のではなく、自由になり得る社会という亡霊がもたらす脅威の規模を証明するものだとしたら?
本書が1960年代と1970年代に戻ってくるのは、まさにこのような問いの精神からである。資本主義的リアリズムの台頭は、反動勢力がそれらの年代につ いて語った物語なしには起こり得なかった。それらの時代に戻ることによって、新自由主義がそれらの時代を包み込むように織り上げた物語を解きほぐす作業を 継続することができる。さらに重要なのは、新たな物語を構築することが可能になることだ。
多くの点で、1970年代を再考することは、1960年代を再訪することよりも重要である。1970年代は、新自由主義が「抗いがたい」と後になって語る ような台頭を始めた10年間であった。しかし、ジェファーソン・コーウィー著『ステイン・アライブ:ワーキング・クラスの最後の日々』、 『労働者階級の最後の日々』、アンディ・ベケット著『灯が消えたとき』、ジョン・メドハースト著『もはやその選択肢は存在しない』など、1970年代に関 する最近の作品では、この10年間は60年代に爆発した可能性が枯渇しただけではないことが強調されている。70年代は、苦闘と変遷の時代であり、前10 年間の意味と遺産が重要な戦いの場の一つとなった。60年代に現れた解放の傾向の一部は、70年代に激化し、拡大した。「多くの政治意識の高い英国人に とって、この10年は60年代の残りかすではなく、偉大な60年代のパーティーが実際に始まった時点であった」とアンディ・ベケットは書いている。9

1972年の鉱山労働者のストライキの成功により、スト中の鉱山労働者 と学生の同盟が実現した。これは、1968年のパリで同様の連携が生まれたことを想起させるもので、鉱山労働者はエセックス大学のコルチェスター・キャン パスをイースト・アングリアの拠点として使用した。
「60年代が新自由主義につながった」という単純なストーリーをはるかに超えて、1970年代を新たな視点で捉えることで、新自由主義的反革命の華麗な知 性、猛烈なエネルギー、即興的な想像力を理解することができる。資本主義的リアリズムの導入は、決して単純な旧態への回帰ではなかった。新自由主義が強制 する個人主義は、新しい形の個人主義であり、60年代から叫ばれていたさまざまな集団形態に対する個人主義であった。この新しい個人主義は、それらの集団 形態を超越し、忘れさせることを目的としていた。そのため、これらの多様な集団形態を思い出すことは、単に思い出すというよりも、忘れないための行為であ り、自由になり得る世界の亡霊に対する対抗的な悪魔祓いである。
アシッド・コミュニズムとは、私がこの亡霊に与えた名前である。アシッド・コミュニズムの概念は挑発であり、約束でもある。ある種の冗談ではあるが、非常 に真剣な目的を持つ冗談である。かつては不可避と思われたが、今では不可能に見えるものを指し示している。階級意識、社会主義フェミニストの意識向上、サ イケデリックな意識の収束、新しい社会運動と共産主義プロジェクトの融合、前例のない日常生活の美的化である。
アシッド・コミュニズムは、実際の歴史的展開と、まだ現実には実現していない仮想的な合流の両方を指している。潜在的可能性は、現実化されることなく影響 力を及ぼす。現実の社会構造は、その現実化を阻もうとする潜在的可能性によって形作られる。「自由になり得る世界」の痕跡は、自由を不可能にする資本主義 的現実世界の構造そのものに見出すことができる。
故エレン・ウィリスは、カウンターカルチャーが思い描いていた変革には「ほとんど想像を絶するほどの規模の社会的・心理的革命」が必要だったと述べてい る。10 空虚感が蔓延する現代において、このような「社会的・心理的革命」が起こりうるだけでなく、すでに展開過程にあるというカウンターカルチャーの自信を再現 することは非常に難しい。しかし、今こそ、普遍的な解放が目前に迫っているように思われた時代に立ち戻る必要がある。

もう月曜の朝の憂うつとはおさらば

まずは、一見控えめなだけに、より一層印象深い瞬間から始めよう。

It was July 1966 and I was newly nine years old. We had holidayed on the Broads and the family had recently taken possession of the gorgeous wooden cruiser that was to be our floating home for the next fortnight. It was called The Constellation and, as my brother and I breathlessly explored the twin beds and curtained portholes in our cabin built into the boat’s bow, the prospect of what lay ahead saw the life force beaming from us like the rays of a cartoon sun. […] I […] made my way up to through the boat to take up position in the small area of the stern. On the way, I pick up sister Sharon’s teeny pink and white Sanyo transistor radio and switched it on. I looked up at the clear blue afternoon sky. Ike and Tina Turner’s “River Deep, Mountain High” was playing and a sort of rapturous trance descended on me. From the limitless blue sky I looked down into the churning, crystal-peaked wake our boat was creating as we motored along, and at that moment, “River Deep” gave way to my absolute favourite song of the period: “Bus Stop” by the Hollies. As the mock flamenco guitar flourish that marks its beginning rose above the deep burble of the Constellation ’s engine, I stared into the tumbling waters and said aloud, but to myself, “This is happening now. THIS is happening now.” 11
1966年7月、私は9歳になったばかりだった。私たちはブローズで休 暇を過ごし、家族は最近、私たちの2週間の海上での家となる豪華な木製クルーザーを手に入れたばかりだった。そのクルーザーは「コンステレーション」と名 付けられ、兄と私は息を弾ませながら、船首に作られた私たちのキャビンにあるツインベッドとカーテン付きの舷窓を探索した。これから始まることへの期待に 胸を躍らせ、私たちの生命力は漫画の太陽の光線のように輝いていた。私は船尾の小さなスペースに移動した。その途中で、シスター・シャロンのピンクと白の 小さな三洋電機のトランジスタラジオを手に取り、スイッチを入れた。私は澄み切った青空を見上げた。アイクとティナ・ターナーの「River Deep, Mountain High」が流れており、私はある種の恍惚としたトランス状態に陥った。限りなく広がる青空から、モーターボートが走る際に生み出される、波立つクリスタ ルのような航跡を見下ろした。その瞬間、「River Deep」から、その頃の私の最もお気に入りの曲であるホリーズの「Bus Stop」に変わった。その始まりを告げる派手なフラメンコギターの演奏が、Constellation号のエンジンの深いうなり声に混じって聞こえてく ると、私は転がる波を見つめながら、心の中でこう言った。「今、これが起こっている。今、これが起こっているんだ。」11
この記述は、作家であり放送作家でもあるダニー・ベイカーの回顧録 『Going To Sea in a Sieve』によるものである。言うまでもなく、これは一瞬の出来事にすぎず、太陽の光に満ちたある期間の1枚の写真であり、その期間には十分すぎるほど の悲惨さと恐怖が含まれていた。60年代は実現されたユートピアではなく、ベイカーが将来手に入れることになるチャンスは、ほとんどの労働者階級の人々に は利用できないものだった。同様に、ベイカーの夢想を、失われた子供時代への郷愁、つまり、あらゆる時代や社会的背景を持つ人々が持つであろう黄金の思い 出として簡単に片付けることもできるだろう。
しかし、この瞬間には、当時でなければあり得なかったという意味で、非常に特別な何かがある。この瞬間を特別なものにした要因をいくつか挙げてみよう。労 働者階級の家族が休暇を取ることさえ可能にした、実存的で社会的な安心感。トランジスタラジオなどの新しいテクノロジーが、グループを外部とつなげ、その 瞬間を贅沢に楽しむことを可能にした役割。数ヶ月前、いや数年前には想像もできなかったような、まったく新しい音楽が、このシーン全体を結晶化させ、高揚 させ、さりげなくも満足感に浸った楽観主義、世界は良くなっているという感覚を浸透させた。
この途方もない充足感は、キンクスの「Sunny Afternoon」にも感じられ、ベイカーも同じトランジスタラジオからその日聴いたかもしれない。あるいは、その1か月後にリリースされたビートルズ の「I’m Only Sleeping」、あるいはスモール・フェイセズの「Lazy Sunday」のような後続のリリースにも感じられる。これらの楽曲は、日常生活における不安や夢、苦労を、その傍ら、上、あるいはその先にある視点から とらえている。それは、遅くまで寝ていた人が高い窓から垣間見た賑やかな通りであり、そのベッドは静かにアイドリングするボートとなる。終わる必要のない 晴れた日曜の午後から切り離された月曜の朝の霧や霜、あるいは、気ままに空想にふける労働者階級の夢想家たちが今や占拠している、曲がりくねった貴族の邸 宅の巣窟から軽快に無視されるビジネスの切迫感。
「I’m Only Sleeping」(「ベッドで寝て、上流に浮かんでいよう」)は、レボルバーの最も自己陶酔的なサイケデリックな楽曲「Tomorrow Never Knows」(「心を閉ざしてリラックスし、下流に浮かんでいよう」)の双子の曲である。 「Tomorrow Never Knows」の歌詞は、The Psychedelic Experience: A Manual Based on the Tibetan Book of the Deadから最小限に変更されたものであり、やや陳腐に思えるかもしれないが、音楽とサウンドデザインは、人を別の世界へと誘う力を持っている。 「Tomorrow Never Knows」について、ジョン・フォックスは「今まで聞いたことのないような曲だった」と振り返っている。

but somehow seemed instantly recognisable. Sure, the words were a bit suspect, but the music , the sound — organic electricity, disintegrated transmissions, lost radio stations, Catholic/Buddhist mass from a parallel universe, what being stoned ought to be like — weightless, timeless, revelation, moving over luminous new landscapes in serene velocity. It communicated, innovated, infiltrated, fascinated, elevated — it was a road map for the future. 12 しかし、なぜかすぐに分かるような気がした。確かに、その言葉は少し疑 わしいものだったが、音楽、音――有機的な電気、崩壊した通信、消滅したラジオ局、平行宇宙のカトリック/仏教のミサ、マリファナを吸った時に感じるよう な――無重力、時を超えた、啓示、穏やかな速度で光り輝く新しい風景を移動する。それは、コミュニケーション、革新、浸透、魅了、高揚――未来へのロード マップだった。12
これらの「光り輝く新しい風景」は、労働とは無縁の世界であり、苦役の 陰気な反復から奇妙な地形の漂う探検へと移り変わった。今になって振り返ると、これらの楽曲は、彼ら自身の制作に必要な条件、つまり、深い没入を可能にす るある種の時間のあり方へのアクセスを描写している。
労働を拒否することは、有給の仕事によって自分の存在が正当化されるという評価システムを拒否することでもあった。つまり、ビジネスでの成功によって人生 を測るブルジョワの視線に従うことを拒否することでもあった。「私は『キャリア』を持つような家庭環境で育ったわけではない」とダニー・ベイカーは書いて いる。「あなたは仕事に行き、さまざまな仕事をさまざまな時期に経験したが、すべてがごちゃ混ぜだった。それは自分を定義するものでもなければ、人生の方 向性を示すものでもなかった。そして、そのことに感謝している。」 ベイカーはロンドン南東部の学校を中退し、何の資格も持っていない。しかし、レコード店の店員から、同人誌のプロデューサー、音楽ジャーナリスト、テレビ やラジオの司会者へと転身した波乱万丈の道のりを、不運や努力の物語として見られないよう注意している。彼はそれを「向上」という小市民的な物語として語 るのではなく、無謀さが報われた物語として語る。この「無謀さ」は、仕事からは充実感は期待できないという感覚から生まれたものであり、また、ブルジョワ の強制や不安を常に退けることを可能にする、彼自身の持つ絶大な自信から生まれたものである。ベイカーの回顧録の2巻では、この自信を育んだ要因が非常に 明確に説明されている。すなわち、英国経済の中心として永遠に存続し続けるかのように思われた繁栄する港湾における父親の仕事の比較的安定性、賃金に「お まけ」を上乗せする労働者階級のネットワークに家族が組み込まれていたこと、そして庭付きの真新しい公営住宅を取得したことなどである。彼自身が執筆や放 送の世界に進むことができたのは、起業家精神によるものではなく、テレビ、ラジオ、印刷メディアの一部から構成される、新たに台頭した公共の場のおかげで あった。そこでは労働者階級の視点が正当化され、評価されていた。しかし、これは支配階級の風刺画によって限定されていたというよりも、シンクシンクや社 会主義リアリズムのプロトコルに従って理解できる労働者階級ではなかった。それは、もはや自分の立場を知らず、自分自身を超越した労働者階級であった。ブ ルジョワ階級の古い牙城でさえ、もはや安全ではなくなっていた。60年代には、テッド・ヒューズは英国を代表する詩人の一人となり、ハロルド・ピンターは 最も刺激的な新劇作家の一人となった。彼らは共に、労働者階級の経験を挑戦的かつ困難な方法で反映した作品を制作し、テレビを通じて、その作品を大衆の居 間にまで届けた。
いずれにしても、新自由主義のイデオローグたちが後に喧伝することになる階級の消滅には、まだほど遠い状況であった。米国や英国のような社会において、労 働と資本が到達した妥協案は、階級が社会組織の永続的な特徴であることを受け入れていた。両者は、階級にはそれぞれ異なる利害があり、それらを調整する必 要があること、そして、公正であることは言うまでもなく、社会を効果的に統治するには、組織化された労働階級を関与させる必要があることを前提としてい た。労働組合は強く、失業率の低さに後押しされて要求を強めていた。労働者階級の期待は高かった。成果は得られていたが、さらに多くの成果が確実に待ち構 えていた。資本と労働の間の不安定な休戦は、右派の復活ではなく、より社会主義的な政策の採用によって終わるだろうと想像するのは容易だった。結局のとこ ろ、あるいはそう見えたのだが、右派は後手に回り、信用を失い、おそらくは致命的なダメージを米国で負った。それは、長引く悲惨なベトナム戦争の失敗によ るものだった。「体制」はもはや自動的な敬意を払われることはなく、代わりに、疲れ果て、時代遅れで、旧態依然として、あらゆる、あるいはすべての新しい 文化的・政治的波によって洗い流されるのをぐったりと待っているように見えた。
新しい文化は労働者階級出身者によって牽引されているわけではないが、ピンク・フロイドのような階級の裏切り者たち、つまり、自身の階級の運命を拒絶し、 「下」すなわち外へと目を向けたブルジョワ家庭の若者たちによって牽引されているように思われた。彼らは、ビジネスや銀行業などには一切関心がなく、その 後の欲望化によって60年代の拡大した精神を驚愕させるような分野であった。
労働者階級の向上心は、階級の流動性とは一致せず、疑わしい報酬は「上流階級」の人々から徐々に、そして不本意ながら受け入れられるというものであった。 むしろ、新しいボヘミアンたちは、ブルジョワとその価値観の排除を指し示しているように思われた。実際、それは差し迫ったものであるという確信であり、そ れはカウンターカルチャーと伝統的な革命左派の間に重なり合う数少ない領域のひとつであった。両者は多くの点で相容れないように思われた。
エレン・ウィリスは、左翼政治の支配的な形態が、音楽によって引き起こされ、伝達された願望や野望と相容れないと感じていた。彼女が聴いていた音楽は自由 を語っていたが、社会主義は中央集権と国家統制を意味しているように思えた。カウンターカルチャーの政治は資本主義に反対しているかもしれないが、それは 資本主義の分野で生産されるすべてのものを単純に拒絶することを意味しない、とウィリスは考えた。彼女の「先進資本主義に関する標準的な左派の概念に対す る論争」は、せいぜい「消費経済が私たちを商品の奴隷にし、マスメディアの機能は私たちの空想を操り、私たちがシステムの商品を買うことで満足を得るよう にする」という考えを半分だけ否定するにすぎない。13 大衆文化、特に音楽文化は、資本の支配というよりも闘争の場であった。 美学的な形式と政治の関係は不安定で未熟であった。美学的な形式は、単に既存の資本主義的な現実を「表現」するものではなく、新しい可能性を予見し、実際 に生み出すものであった。商品化は、この緊張関係が常に、そして必然的に資本の利益のために解決されるというものではなかった。むしろ、商品自体が、反抗 的な潮流を広める手段となり得たのである。

the mass media helped to spread rebellion, and the system obligingly marketed products that encouraged it, for the simple reason that there was money to be made from rebels who were also consumers. On one level the sixties revolt was an impressive illustration of Lenin’s remark that the capitalist will sell you the rope to hang him with. 14
マスメディアは反乱を広めるのに一役買い、システムは喜んで、反乱を助 長する商品を販売した。その理由は単純で、反乱者も消費者であるため、そこから利益を得ることができたからだ。ある意味では、60年代の反乱は、資本家は 自分を絞首刑にするための縄を売ってくれるというレーニンの言葉を印象的に示すものだった。14
英国では、スチュアート・ホールは既存の左派の多くに同様のフラスト レーションを感じていた。ホールの場合、社会主義者であると自認していたため、そのフラストレーションはより一層強かった。しかし、ホールが望んでいた社 会主義、すなわちマイルス・デイヴィスの音楽に感じた憧れや夢想と結びつくことのできる社会主義はまだ生まれておらず、その到来は左派からも右派からも妨 害されていた。
左派の最初の障害となった人物は、冷戦体制下の労働組合や社会民主主義の満足げな執事であった。すなわち、後ろ向きで官僚的、資本主義の「必然性」に諦観 し、白人男性の収入と地位の維持に興味を持ち、闘争の拡大には関心を示さない人物である。この人物は妥協と最終的な失敗によって特徴づけられる。
もう一方の人物像、私が「過激派レーニン主義的自我」と呼びたい人物像は、妥協を絶対的に拒絶することで特徴づけられる。フロイトによれば、自我は量的に も質的にも過剰な要求の性質によって特徴づけられる。我々が何をしようとも、それは決して十分ではない。過激派レーニン主義的自我は、戦闘的な禁欲主義を 命じる。戦闘的な禁欲主義者は、革命的な出来事にひたむきに専念し、それを実現するために必要な手段に断固として取り組む。 過酷なレーニン主義的自我は、苦痛には無関心であると同時に快楽にも敵対的である。 レーニンの音楽に対する恐怖症的な反応は、この点で参考になる。「私はあまり頻繁に音楽を聴くことはできない。それは神経に影響を与え、くだらないお世辞 を言いたくなり、このような醜悪な地獄で生きながら、このような美を生み出すことのできる人々の頭を撫でたくなる。
労働組合の満足した指導者たちが現状に投資する一方で、過激派レーニン主義者は、この世界とはまったく異なる世界にすべてを賭ける。レーニン主義者を救済 するのは、この革命後の世界であり、彼らはこの世界の見地から自分たちを判断した。一方で、現在の苦しみに対して無関心になることは正当であり、また実際 必要である。ホームレスの人々を踏み越えることは可能であり、またそうしなければならない。なぜなら、慈善行為は革命の到来を妨げるだけだからだ。
しかし、この革命は、エレン・ウィリスがカウンターカルチャーの夢想に種がまかれたと考えた「ほとんど想像を絶する規模の社会的・心理的革命」とはほとん ど共通点がなかった。彼女が思い描いていた革命は、より即時的であり、ケアや家庭内の取り決めがどのように組織化されるかという根本的な問題に関わるもの であり、また、より広範囲に及ぶものでもあった。変容した世界は、マルクス・レーニン主義が予測したものよりも想像を絶するほど奇妙な世界となるだろう。 カウンターカルチャーは、すでにこの革命を経験できる空間を生み出していると考えていた。
その空間がどのようなものだったかを知るには、1969年12月にリリースされたテンペーションズの「サイケデリック・シャック」を聴くのが一番だろう。 このグループは、まるでワンダーランドから戻ってきたばかりの息もつかせぬ新米の役を演じている。「日没後もストロボライトが点滅し続けている… 時間など存在しない… 空気にはお香の香り…」
これらの象徴に馴染みがあるからこそ、「サイケデリック・シャック」を今聴くと、思わず息を呑む。サイケデリックについて考えさせられると、まず思い浮か ぶのは自己中心的な引きこもりかもしれない(「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のような曲の歌詞は、まさにそのような連想を誘う)。しかし、「サイケデリッ ク・シャック」は、間違いなく集団的な空間であり、バザールのような活気に満ちている。しかし、日常から離れたカーニバルのような空間でありながら、ここ は遠い理想郷ではない。現実の社交の場であり、実際に存在しうる空間である。詩人や音楽家だけでなく、変わり者や物売りにも出会う可能性がある。今日変わ り者だった人が、明日には天才になっているかもしれない。平等で民主的な空間であり、ある種の雰囲気がすべてを支配している。多様性はあるが、憤りや悪意 の兆候はほとんどない。それは仲間意識の場であり、出会って話すための場であり、心を奪われるための場でもある。照明が昼夜の区別をなくし、ドラッグが時 間の感覚に影響を与えるため、「時間など存在しない」のだとしたら、日常の生活を苦行のように感じさせる切迫感に捕らわれることはない。会話がいつまでも 続くこともあり、出会いがどこへ導いてくれるかもわからない。あなたは通りのアイデンティティを捨て、自分の望むように、自分が気づいていなかった望みに 従って、自分を変えることができる。
サイケデリックの重要な特徴は、意識の問題であり、それが現実として経験されるものとの関係である。もし、空間や時間といった私たちの経験の根本的な要素 が変化しうるのであれば、私たちが生きるカテゴリーは可塑的で変化しうるものだということにならないだろうか? 個人レベルで理解すると、これはすぐに安易な相対主義と、テンプテーションズが最初のサイケデリックソウルシングル「Cloud Nine」で狙ったようなナイーブな意志論につながる。確かに、なりたい自分になることはできる。しかし、それは現実から100万マイルも離れた場所で、 すべての責任から逃れた場合のみだ。この超自我的な主張は、保守派や特定の急進派にも支持された可能性がある。保守派は、誰もが仕事に精を出せと望み、急 進派は革命への献身を要求した。彼らは、革命には世界の悲惨さへの関心が不可欠であり、現実からの即席の逃避ではないと主張した。
しかし、「意識変容状態はあなたを現実から100万マイルも遠ざける」という主張は、問題を先送りしている。意識変容状態が、権力、搾取、儀式のシステム に対する認識を、通常の意識よりも明晰な形で提供できるという考えを排除している。60年代には、意識は広告や資本主義のスペクタクルの幻想やイメージに よってますます包囲されていたが、サイケデリックな状態が逃げ出した「現実」は、そもそもどれほど確固としたものだったのだろうか? スペクタクルの影響を受けやすい意識の状態は、覚醒や認識というよりも、むしろ夢遊病に近いものではなかっただろうか?
振り返ってみると、1960年代のサイケデリック文化の最も顕著な特徴のひとつは、このような形而上学的問いを主流にしたことだった。サイケデリックは新 しいものではなく、資本主義以前の多くの社会では、儀式の実践にサイケデリックなビジョンや幻覚剤の使用を取り入れていた。新しいのは、サイケデリックが 特定の儀式的な空間や時間、そしてシャーマンや魔術師といった特定の実践者の支配から抜け出したことだった。意識に関する実験は、原則的には誰にでも開か れるようになった。サイケデリック文化には常に神秘主義や疑似精神主義が付きまとっていたが、実際には、この現象には神秘主義を解明し、唯物論的な側面も あった。意識に関する広範な実験は、神経学そのものの民主化を約束するものであり、現実として経験されるものを生み出す脳の役割に関する新たな認識が広 まった。LSDを摂取した人々は、自身の脳の働きを外部化し、潜在的には脳を異なる方法で使うことを学んでいた。
しかし、サイケデリックな体験は薬物を摂取した人々に限られたものではなかった。ベトナム戦争とともにサイケデリックな概念を主流にしたマスメディアその ものが、意識を変える大規模な実験であった。テレビの登場により、映画が始めた夢と現実の区別が、「プライベート」な家庭の空間にも入り込んだ。テレビ は、まだ組み立てられ始めたばかりで、それまで存在したものとはまったく異なるため、誰も理解していなかったメディアの風景の中心にあった。 ジョン・F・ケネディが暗殺される数ヶ月前に、ビートルズは最初のアルバムをリリースした。 テレビは、父権主義的なメッセージや商業的なごまかしと同じくらい、伝染病(ビートルマニア!)、トラウマ、ヒステリーを伝える媒体でもあった。ビートル ズほど生前から有名だった人物はいない。なぜなら、このような名声の基盤は当時ようやく形成され始めたばかりであり、ビートルズ自身もその基盤の構築に一 役買っていたからだ。まるで、世界が彼らの電子の夢の延長となり、彼らが他の人々の夢の登場人物となったかのようだった。
ビートルズ自身のサイケデリックな転換は、これらすべてを明晰夢に変えようとする試みだったと言えるかもしれない。これは、レノンの明晰夢の静けさと、仕 事生活の切迫感(息も絶え絶えな通勤者であるマッカートニーが、数秒でバスにたどり着く)の違いを描いた、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・ク ラブ・バンドの「A Day in the Life」の持つ性質である。しかし、切迫した状況からの逃避は常に手の届くところにある。バスに乗った途端、マッカートニーの性格は夢の中に落ちてしま う。
レノンは冷静だが、無関心ではない。ユーモアはあるが、親しみやすさはない。彼の歌声は、仕事に追われる日常の平凡な夢遊病は、異なる種類のトランス状態 から得られる視点によってのみ正しく理解できることを暗示しているかのようだ。それとも、むしろ、仕事や日常生活の義務から切り離された声は緊張病質的に 聞こえるのだろうか? 曲は、外側から内側を見ている。レノンは、意識が電子的に媒介されるさまざまな方法(新聞、映画、テレビ)を通じて、私たちを旅に連れ出す。「今日、 ニュースを読んだよ、やれやれ」。
この切迫感と明晰さの対比は、ジョナサン・ミラーによる『不思議の国のアリス』のテレビ化作品のいたるところで見られる。1966年12月にBBCテレビ で放映されたこの作品は、ビートルズに影響を与えただけでなく、ビートルズからも影響を受けることとなった。モノクロで撮影されたこの作品は、特殊効果や 華美な映像を一切用いず、奇妙なほどに地味で、ほとんど禁欲的な視覚スタイルとなっている。これは、この翻案の最も際立った革新性、登場人物を動物ではな く人間として描いていることと一致している。「動物たちの頭部を外せば、それが何なのかが分かるでしょう。」とミラーは『ライフ』誌に語っている。「急ぎ 足で心配そうな人々に囲まれながら、小さな子供がこう考えるのです。『これが大人になるということなのか?』」
この映画には、倦怠感、無気力、緊張病といった雰囲気が漂っており、それが時に突然のパニックや無力感へと転じる。ミラーは再びこう述べている。「この本 は、物事を動物の服で着飾ることで、偽装されたもの、つまり夢を偽装した家庭の茶番劇を提示している。……権威のあらゆるレベルと、秩序の付与と服従が反 映されている。」15 ありふれた世界はナンセンスの組織体として現れ、理解不能な矛盾、恣意性、権威主義に支配され、奇妙な儀式、反復、自動性によって支配されている。それは それ自体が悪い夢であり、一種のトランス状態である。アリスを苦しめ当惑させる大人たちの厳粛で自閉的な不機嫌さには、イデオロギーの狂気そのものが見て 取れる。夢であることを忘れてしまった夢想であり、その切迫感に私たちを巻き込み、その陰気な痴呆で私たちを当惑させ、あるいはその突然で予測不可能な飽 くなき暴力で私たちを恐怖に陥れることによって、私たちにもそれを忘れさせようとする。
このアリスが引き起こす笑いは、時に不安で、時に騒々しいが、それは外側からやってくる笑いである。それはサイケデリックな笑いであり、現状の価値を肯定 したり、正当化したりするのではなく、常識とされてきたものの奇妙さや矛盾を暴く笑いである。これは、ミシェル・フーコーが『ものの秩序』の序文で述べて いる笑いではないだろうか。この本は、ミラー版『アリス』が放送されたのと同じ年に出版された。フーコーは、ボルヘスの物語について言及している。


he quotes a ‘certain Chinese encyclopaedia’ in which it is written that “animals are divided into: (a) belonging to the Emperor, (b) embalmed, (c) tame, (d) suckling pigs, (e) sirens, (f) fabulous, (g) stray dogs, (h) included in the present classification, (i) frenzied, (j) innumerable, (k) drawn with a very fine camelhair brush, (l) et cetera, (m) having just broken the water pitcher, (n) that from a long way off look like flies”. In the wonderment of this taxonomy, the thing we apprehend in one great leap, the thing that, by means of the fable, is demonstrated as the exotic charm of another system of thought, is the limitation of our own, the stark impossibility of thinking that . 16 彼は「ある中国の百科事典」を引用し、そこには「動物は以下のように分 類される。(a)皇帝の所有物、(b)ミイラ、(c)飼い慣らされた、(d)子豚、(e)セイレーン、(f)素晴らしい、(g)野良犬、(h)現在の分類 に含まれる、( i)狂乱、 (j) 無数、 (k) 非常に細いキャメルヘアブラシで描かれた、 (l) エトセトラ、 (m) ちょうど水差しを割ったところ、 (n) 遠くから見るとハエのように見える」。この分類法の驚異において、私たちが一足飛びに理解するもの、寓話によって別の思考体系の異国情緒あふれる魅力とし て示されるものは、私たちの限界であり、それを考えることのまったくの不可能である。16
この視点、この外部からの笑いは、フーコーのすべての著作に貫かれてい る。その複雑さ、濃密さ、不透明さにもかかわらず、1960年代初頭の『狂気の歴史』から、デスバレー以後に発表された性に関する著作に至るまで、フー コーの主要な著作は、根本的な洞察、あるいは先見の明を軸に展開され、繰り返されているように思われる。あらゆるシステムの恣意性と偶発性、その可塑性で ある。
この外部からの視点がサイケデリックな意識と一致していたとすれば、フーコーの場合は、その起源はドラッグにはなかった。フーコーがLSDを摂取したの は、それからほぼ10年後、デスバレーに向かい、カウンターカルチャーを題材にしたミケランジェロ・アントニオーニの映画の舞台となったザブリスキー・ポ イントでLSDを摂取するまで待たねばならなかった。
自分の肌に馴染むことがほとんどないフーコーは、常に自身のアイデンティティからの脱却の道を探していた。彼は「顔を持たないために」執筆していると印象 的に主張していたが、彼の並外れた悪漢学術と概念的発明の実践、そして、無数の歴史的および哲学的な情報源から丹念に組み立てられたテキストの迷路は、顔 からの脱却の道の一つであった。もう一つの道は、彼が限界体験と呼んだもので、その一例がLSDとの遭遇であった。リミット体験は逆説的であった。それは 「通常の」体験の限界において、また限界を超えた体験であり、通常ではまったく経験できないものを経験する体験であった。リミット体験は一種の形而上学的 打開策を提供した。通常の体験を可能にしている条件は、今や遭遇し、変容し、脱出することが可能となった。少なくとも一時的には。しかし、定義上、この体 験を経験する主体は通常の体験の主体であるはずがない。それは匿名のX、顔のない存在である。
カウンターカルチャーから生まれた音楽の多くは、この存在を外部から代弁した。そして、フーコーのリミット・エクスペリエンスへの傾倒は、意識に関する大 衆の実験と並行していた。「問題は」と、フーコーは『マルクスについての覚書』という本に収録されたインタビューの1つで語っている。

is not to recover our “lost” identity, to free our imprisoned nature, our deepest truth; but instead, the problem is to move towards something radically Other. The center, then, seems still to be found in Marx’s phrase: man produces man. […] For me, what must be produced is not man identical to himself, exactly as nature would have designed him or according to his essence; on the contrary, we must produce something that doesn’t yet exist and about which we cannot know how and what it will be. 17


「失われた」アイデンティティを取り戻すことでも、囚われの身となって いる本性や、最も深い真実を解放することでもない。そうではなく、問題は、根本的に「他なるもの」へと向かうことにある。したがって、その中心は依然とし てマルクスの言葉「人間は人間を生産する」に見出されるように思われる。私にとって、生産されなければならないのは、自然が人間を設計した通りの人間、あ るいは人間のエッセンスに一致する人間ではない。それどころか、私たちはまだ存在していないものを生産しなければならない。それは、それがどのようなもの になるのか、また、どのようにしてそれがなるのかを知ることができないものだ。17

マイケル・ハートは、フーコーのテキストに関する論評の中で、「私有財 産の廃止に相当する共産主義の積極的な内容は、人間の自律的な生産である。すなわち、新たな視覚、新たな聴覚、新たな思考、新たな愛である」と主張してい る。
新しい人間性、新しい視覚、新しい思考、新しい愛:これがアシッド・コミュニズムの約束であり、「サイケデリック・シャック」やそれをインスパイアした文 化から聴こえてくる約束でもあった。「サイケデリック・シャック」とテンペーションズの初期の代表曲「マイ・ガール」との間にはわずか5年の隔たりしかな いが、その間にいったいどれだけの新しい世界が誕生したことだろう。「マイ・ガール」では愛はセンチメンタルなまま、カップルだけに留まっているが、「サ イケデリック・シャック」では愛は集団的なものであり、外に向かっている。
「サイケデリック・シャック」では、グループの非公式リーダーであるオーティス・ウィリアムスがプロデューサーのノーマン・ウィティードに説得して作り上 げた新しいサウンドを、テンプテーションズは1年間かけて完成させた。ウィティードは当初、テンプテーションズのサウンドを変えることに消極的だったが、 最終的に彼が転向したことは、ポピュラー音楽史上最も素晴らしい作品のいくつかにつながった。スタジオで取り組んだサイケデリックなサウンドスケープに すっかり魅了されたホイットフィールドは、テンペテーションズに8分や9分という長さの楽曲をリリースするよう強く推し進めた。 彼は、こうした長尺のリズミックな楽曲を試すための実験室として、グループ「アンディスピューテッド・トゥルース」を結成した。 ホイットフィールドが作曲ツールとしてスタジオで試みた実験は、ジャマイカでリー・ペリーがダブで試みたことと並行する。彼らが切り開いた音響空間は、あ る特定の時間体験でもあった。それは、引き延ばされた時間、剥き出しでありながら奇妙な音響で満たされた時間であり、リスナーをその瞬間に深く浸らせる。 それは、私たちをリズムパターンやパルスに包み込みながらも、である。この新たな時空は後に、トム・モールトン、ラリー・レヴァン、ウォルター・ギボンズ といった新たな探検家たちによって再訪され、改良されることになる。彼らはエクステンデッド・ダンス・トラックの発明者であり、その音楽はハウス、テク ノ、ジャングルといったサイケデリックなジャンルの基盤となった。
新しいテンプテーションズのサウンドの雛形はスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンであり、そこにはジェームス・ブラウンやジミ・ヘンドリックスの面 影もあった。それは、すでに互いに影響し合っている要素で構成された、熱狂的なマトリックスであった。サウンドの変化は単なるスタイルの変化にとどまら ず、音楽がどうあるべきかという新たな要求や期待にも応えるものであった。もはやラブソングのバラードや楽しい時の応援歌に留まらず、ポピュラー音楽は社 会的なコメントとなり得た。さらに言えば、それは、かつての確信、偏見、思い込みを溶解させる社会変革からエネルギーを得て、またその変革にエネルギーを 還元することも可能となった。それは、公民権運動から溢れ出た自信、怒り、そして自己主張から方向性を導き出し、運動が成功した暁には世界がどう変わるか を予感させるような、新たな社会関係を築き上げることも可能だった。グレイル・マーカスが1975年の傑作エッセイ「スタージェリー神話」で聴き、見たの は、まさにこのことだった。




Sly’s real triumph was that he had it both ways. Every nuance of his style, from the razzle dazzle of his threads to the originality of his music, made it clear that we was his own man. If the essence of his music was freedom, no one was more aggressively free than he. Yet there was also room for everyone in the America made up of blacks and whites, men and women, who sang out “different strokes for different folks” and were there on stage to show what such an idea of independence meant. 19
スライの真の勝利は、彼が両方の道を手に入れたことだった。彼のスタイ ルのあらゆるニュアンス、彼の服のきらびやかさから音楽の独創性まで、すべてが彼が独自の存在であることを明らかにしていた。彼の音楽の本質が自由である とすれば、彼ほど攻撃的に自由な人間はいない。しかし、黒人と白人の混血で構成されたアメリカには、誰もが居場所を見つける余地があった。男性も女性も、 「十人十色」と歌い、ステージ上で独立という概念が何を意味するのかを示していた。19
スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンは、あらゆる点で優れてい た。そのサウンドは、どこか荒削りで即興的でありながら、くねくねと踊り出したくなるようなものであり、センチメンタルでも聖人ぶってもいないが、同時に ユーモアがあり、真剣そのものだった。
アリス(Alice)の笑い、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン(Sly and the Family Stone)が体現した遊び心あふれる自由と大胆さ:それらは先鋭的なグループによって演奏されていたかもしれないが、エリート層だけに留まる必要はな かった。それどころか、ラジオやテレビに彼らが登場することで、しつこいくらいに投げかけられた疑問は、「なぜこのボヘミアン的生き方が万人に開かれてい ないのか?」というものだった。

伝統的な左派がこうした潮流に対して耳を貸さず、敵対的であったにもかかわらず、カウンターカルチャーは職場にも影響を与え、新しいタイプの労働者による 闘争が繰り広げられた。「これは、労働者世代が異なるのだ」と、オハイオ州ロードストンのシボレー・ベガ工場で組合の会計を担当するJ.D.スミス氏は説 明する。「彼らは皆、どんな仕事でもありがたく引き受けるために、故郷から出てきたわけではない。彼らの誰も、大恐慌を経験したことはない。彼らは少なく ともテレビを通じて、この10年間の若者たちの運動のすべてを目にしてきた。そして、失業することの屈辱を理解していないのだ。」20
1972年、ロードスタウン工場は、重労働や権威主義に対する新たな不寛容を反映した労働条件をめぐる闘争に巻き込まれた。ジェファーソン・コーウィーは 「ロードスタウン工場労働者」について、次のように書いている。

became a collective national symbol for the new breed of worker and emblematic of a widespread sense of occupational alienation. People gravitated to the refreshing vision of youth, vitality, inter-racial solidarity hidden from the public behind the likes of television’s Archie Bunker, prowar labor leadership, and the growing politics of the blue-collar backlash. 21
新しいタイプの労働者の象徴として国民全体のシンボルとなり、広範に広 がる職業的疎外感の象徴となった。人々は、テレビのアーチー・バンカー、戦争賛成の労働組合指導者、ブルーカラーの反発の高まりといった存在によって公衆 の目に隠されていた若さ、活力、人種間の連帯といった清々しいビジョンに惹きつけられた。21
ロードスタウンは、この「新しい労働者」たちが自分たちの労働組合や職 場を民主的に管理するために奮闘した活動の波の一部であった。このような闘争の観点から見ると、「サイケデリック・シャック」で描かれた平等主義的な社交 空間は、受動的な夢物語や実際の政治活動からの気晴らしとして片付けられるものではなかった。むしろ、このような音楽は、現実の社会的・文化的構成から生 じた積極的な夢想であり、強力な新しい集団性や、苦役や伝統的な憤慨を拒絶する新しい実存的な雰囲気にフィードバックするものだった。「若い黒人と白人の 労働者たちは互いに理解し合っている」とロードストーン・ローカルの社長ゲイリー・ブライナーは言う。アフロヘアの男も、ビーズを身につけた男も、あごひ げを生やした男も、自分が黒人であろうが白人であろうが、緑色であろうが黄色であろうが、そんなことは気にしない」 こうした新しいタイプの労働者たちは、「マリファナを吸い、人種を超えて交流し、仕事に意義のある世界を夢見ていた」22。彼らは職場と労働組合の両方に おいて、民主的な管理を求めていた。

イタリアでも同様の動きが活発化しており、新しいタイプの労働者が次第に目立つようになっていた。「この新しい世代の労働者は、労働党の古い伝統とはあま り関係がなかった」と、1973年のトリノの状況についてフランコ・ベラルディは述べている。「国有制の社会主義イデオロギーとも何の関係もなかった。労 働の悲しみを大々的に拒否することが、彼らの抗議の背後にある主な要素であった。彼ら若い労働者たちは、ヒッピー運動や前衛芸術の歴史とより深く関わって いた。」23
1977年までに、ボローニャではまったく新しい社会的な混合、すなわち「大衆的前衛」が形成されていた。おそらく他のどの場所よりも、ボローニャでこ そ、アシッド・コミュニズムが実際の集団として結集したのである。新しいアイデアと新しい美的形態が融合するときに噴出するエネルギーと自信が、この街を 活気づけていた。

The university was filled with terroni (people originating from the South), Germans, comedians, musicians and cartoonists like Andrea Pazienza and Filippo Scozzari. Artists were squatting houses in the center of the city, and running creative places such as Radio Alice and Traumfabrik. Some people were reading books like Anti-Oedipus , some were reciting poems by Majakovski and Artaud, listening to the music of Keith Jarrett and The Ramones, and inhaling dream inducing substances. 24
大学には、テローニ(南出身者)、ドイツ人、コメディアン、ミュージ シャン、アンドレア・パツィエンツァやフィリッポ・スコッツァーリのような漫画家たちが溢れていた。芸術家たちは街の中心部に集まり、ラジオ・アリスやト ラウムファブリークといった創造的な場所を運営していた。 アンチ・オイディプスといった本を読んでいる者もいれば、マヤコフスキーやアルトーの詩を朗読し、キース・ジャレットやラモーンズの音楽を聴き、夢を誘発 する物質を吸引している者もいた。 24
2月、ベラルディと他の若い活動家たちによって発行されたジン 『A/traverso』は、「革命は正義であり、可能であり、必要である。同志たちよ、革命は起こりうるのだ」と題する号を発行した。

カトリック教会の全資産を没収する
労働時間を短縮し、雇用数を増やす
給与額を増やす
生産を改革し、労働者の管理下に置く
資本主義によって浪費されている膨大な量の知性を解放する:テクノロジーはこれまで、管理と搾取の手段として利用されてきた。
テクノロジーを解放のための道具に変えたい。
サイバネティクスとインフォマティクスの応用により、労働時間を短縮することが可能になる。
収入を得るための労働ゼロ
すべての生産を自動化する
生きた労働にすべての力を
すべての労働を死んだ労働に。

1977年当時、このような要求は現実的であるばかりでなく、不可避であるように思われた。「同志諸君、革命は起こりうるのだ」と。もちろん、革命は起こ らなかった。しかし、このような革命のための物質的条件は、1977年当時よりも21世紀のほうが整っている。それ以来、認識を越えて変化したものは、実 存的および感情的な雰囲気である。人々は、オートメーション化によって仕事が消滅しつつあると聞かされながらも、仕事に伴う悲しみに甘んじている。私たち は、資本が自信を落胆に変えるために展開したあらゆる仕組みを慎重に分析する必要があるのと同様に、1970年代の楽観主義を取り戻さなければならない。 この意識収縮のプロセスがどのように作用したかを理解することが、それを覆すための第一歩である。



これは2016年に書かれた、未発表の新しい書籍プロジェクトの提案のための序文である。これは、この提案された作品の残されたすべてである。
ハーバート・マルクーゼ、『エロスと文明』、(Routledge、1987年)、p. 93
ハーバート・マルクーゼ、『一次元的人間』、(Routledge、2002年)、p. 66
同上、p. 63
ハーバート・マルクーゼ、『美的次元』(ビーコン・プレス、1979年)、36ページ
マルクーゼ、『一面的人間』、62ページ
同上
マーガレット・アトウッド、『心は最後に』(ヴィラゴ、2016年)、189ページ
アンディ・ベケット著『When the Lights Went Out: Britain in the Seventies』 (ファベル・アンド・フェイバー、2010年)、209ページ
エレン・ウィリス著『Beginning To See The Light: Sex, Hope and Rock-and-Roll』 (ウェスリアン大学出版、1992年)、158ページ
ダニー・ベイカー著『Going to Sea in a Sieve』 (Phoenix, 2012)、49-50ページ
ジョン・フォックス著「The Golden Section: John Foxx’s Favourite Albums」『Quietus』 (2013年10月3日)、http://thequietus.com/articles/13499-john-foxx-favourite- albums?page=5
ウィリス、『光が見え始めた』、p. xvi
同上
ジョナサン・ミラー、『ライフ』、1968年11月25日、p. 100
ミシェル・フーコー、『物の秩序』、2001年、Routledge、p. xvi
ミシェル・フーコー、『マルクスについての覚書』、1991年、Semiotext(e)、p. 121
マイケル・ハート、「共産主義における共通性」、コスタス・ドゥジナスとスラヴォイ・ジジェク編、『共産主義の理念』、ヴァーソ、2010年、141ペー ジ
グレイル・マーカス、「スタージェリー神話」、『ミステリー・トレイン:ロックンロール・ミュージックにおけるアメリカのイメージ』、ペンギン、1997 年、82ページ
ジェファーソン・R・コーウィー著『ステイン・アライブ:1970年代と労働者階級の最後の日々』(The New Press、2012年)、46ページ
同書、48ページ
同書
フランコ・ベラルディ著『アフター・ザ・フューチャー』(AK Press、2011年)、48ページ
同書、23ページ

https://my-blackout.com/2019/04/25/mark-fisher-acid-communism-unfinished-introduction/

リ ンク

文 献

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