コペルニクス的転回
Copernican Turn by Immanuel Kant
☆ イマヌエル・カントはこう考えた。これまでは「認識は対象にしたがう」と想定されていたが「対象が認識に従う」と考えたらうまくいくのではないか? これ はカント『純粋理性批判』によると、形而上学の課題でありコペルニクス的転回の主張である。
・「ア・プリオリな総合判断はいかにして可能
か?」p.8 (→カントは総合判断が可能であるという希望的観測から議論をはじめるが、多くの継承者はその試みは失敗したことを吐露する)[→カント入門] ・あるがままの事物は妄想(10-11) ・認識は徹頭徹尾主観的条件によりなりたつ(=認識には主観的条件が必須なの だ!!!)(→「「お花をみた」ときに、ワタシの思考のなかで何が起こっ ているか」) ・それゆえに、認識は客観性をもつ(=一般的理解とは矛盾した見解) ・私たちの認識が客観的であるとはどういうことか?《私たちの認識が 客観的である》=超越論的真理(10) ・世界は主観による構成物であり、それでこそはじめて客観的認識になる(11) ・これまでは「認識は対象にしたがう」と想定されていたが「対象が認識に従う」と考えたらうまくいくのではないか?(B p.XVI)熊野訳 p.24——これは形而上学の課題でありコペルニクス的転回の主張である。——パラフレイズすると「あるから見える[考えることができる]」のではなく 「見える[考えることができる]からあるのだ」と考える。(→バークリー) ・カントは、「対象が認識に従う」という見解を保持する——その条件として、1)時空間の観念性、2)現象と物自体の区別、3)形相と質料の区別、などが 必要。 |
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この出典は「黒崎政男「カント純粋理性批判入門」ノート」のプロローグです。 |
The Copernican Turn
of Immanuel Kant | Copernico
リ ンク
文 献
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Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
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