はじめにかならずよんでください

Notes on George M. Foster and Barbara G. Anderson' Medical Anthropolpgy, 1978

解説:池田光穂

第9章 病院:行動科学の見方

 西欧――非西欧のいくつかの相違点

 伝統的世界と対照的に、現代の西洋世界では多くの病いが病院で治される。病院で患者は医師からのケア(と統制)を加えられる。そして、医師は看護婦や他 の多くの補助職員から援助される。医療関係者ではない人々―友人と家族員―は、少なくとも病いの急性期に入院が必要な場合は、患者を健康な状態に回復させ るように試みる点で相対的にわずかの役割しか果たさない。このように、西洋での保健ケアの提供は伝統的な世界のものとは非常に異なっている。伝統的な世界 では、家族と友人が大きな補助的な治療的役割を果たすが、治療者はほとんど他の医療関係者の補助をうることはない。

 時に、補助者が治療的状況に含まれる場合でも、彼 らの役割は大部分周辺的か儀礼的であり、治療に対してあまり貢献しない。例えば、ボルネオのマナング (manang)は補助者を雇う。だがその仕事は、マナングの傍らに立ち、彼がトランス状態で床に倒れ―目には見えないが―患者の失われた魂を取り戻しに 出発する時に彼を特別の毛布で包むことだけである(Torrey 1972:96)。また、ニューギニアのいくつかの地域では、シャーマンが、諸精霊(あるいは一つの精霊)を特別に引き付けることが知られている霊媒を用 いる。だが、それらの精霊を治療者の面前まで誘い込むためだけである。さらに、時には弟子が治療者にかわって治療の中のお決まりの側面を行うことがある。 例えば呪文の多くを繰り返すことなどである。しかしながら、これらの文化において患者ケアへの「ティーム」アプローチについて語ることはできない。治療者 には頼るべき薬学者も診断を助ける病理学者もいない。さらに、ふつう治療過程で自分を援助してくれるパラメディカルの補助者もいない。いくつかの専門化さ れた技術が治療に関係しているところでも、それらの技術を有する人々は規定された序列の内部で独立した専門家として機能する。「薬草家は薬を準備し調剤す る。占い師は診断(と、それにしばしばなくなった物の発見と未来の予言)を行い、治療家は人々を処置する・・・・。しばしば人々は薬草師から始め、容態が どのくらい悪いかに応じて先へ進んでいく」(Teorrey 1972:5)。看護(Nursing)は言葉の適切な意味における限りでは、家族によって行われるものである。

 したがって、複雑な社会での治療過程を理解するた めには、より単純なコミュニティではほとんど発達していない役割と制度を考察しなければならないことに なる。西洋と米国において特に注目すべきことは、重症の病いのほとんどの処置が家庭ではなく病院で行われているということである。病院で医師は単独で仕事 をするのではない。というより、医師は一つのティームのキャプテンである。彼は、主要な決定をなし、いろいろな補助的な専門的援助者の活動を指揮する。こ れらの援助者の中で最も重要なのは看護婦である。というのは、患者が一日に何回も会い、安心と安堵を求めるのは看護婦だからである。

 米国における現代の医療ケアを理解しようと試みて いる行動科学者は研究を三つの主要な問題に集中させている。すなわち、病院と医師と看護婦の問題であ る。アメリカの病院は医療における第1のケアの場面となっている。まず、ほとんどの医師が一日の大半を病院で過ごす。そこで医師は最も重傷の患者を診る。 また、全登録看護婦の三分の二が病院で雇用されている。医師と患者の仲介者としての看護婦の役割が最もはっきりと見て取れるのは病院である。したがって、 この章と次の二つの章で我々が扱うのはこれらの三つの問題である。膨大な数の文献がそれぞれの問題を扱っているので、過去に30年ほどの間の研究から明ら かになった主要な理論的および実践的な問題に簡単に触れることしかできない。

 これらの研究における人類学者の役割―あるいはむ しろ、役割の相対的な欠如―に注目しよう。というのは、今まで行われた調査のうち、人類学者によるもの はごくわずかだからである。人類学者がシャーマンと呪術医(witch-doctor)の研究や非西洋の病因論の神秘の解明に忙しかった時に、社会学者と 心理学者は主に医師の訓練と診療、看護婦の地位、そして病院の構造に関心を払ってきた。しかしながら、全ての人類学者が非西洋社会の研究にのみ専念してい たわけではない。例えば、病院についての最も重要な研究のいくつかは人類学者によって行われたものである。また、看護に関心を寄せた最初の行動科学者の一 人は人類学者である(Brown 1936)。さらに、近年人類学が看護にとって非常に重要なものになりつつある。かなりの数の看護婦が、より高い専門的地位を求めて、人類学の博士課程に 向かいつつある。それにもかかわらず、この章で言及する研究の大部分が人類学者以外の人々の業績である。

変わりつつある病院の役割

 先ほど指摘したように、病院は米国において第一次保健ケアセンターとなっている。患者は、以前なら家庭あるいは開業医の診療室で受けていたケアを求めて 病院の外来にやってくる。試験室やエックス線や物理療法やその他のサーヴィスが外来患者のケアと診断のために、そして入院患者の必要に応えるために広く利 用されている。病院はもはや、以前の時代ほどには恐れられる場所ではなくなっている。

 以前には、必ずしもそうではなかったのである。歴 史的に病院はほとんどいつも重病の貧民のための慈善施設、救貧院、そして最後の行き場所として機能して きた。それは実際に人々が死ぬために行くところと考えられていた。病院の看護人(attendant)は訓練を受けておらず、最低の社会階級から選ばれ た。政府あるいは宗教団体に雇われた医師を除くと、病院のドアをくぐったことのある医師はほとんどいなかった。20世紀に入ってもなお裕福な患者は家庭で 世話をされた。医師が家まで呼ばれ、その医師を、その家に雇われた専任の看護婦(private duty nurse)が援助した。今世紀に科学的医学によってなされた大きな進歩によって初めて病院の機能が大変革された。この変化を引き起こした点で特に重要な ことは比較的早期の急速な外科学の発展であった。扁桃腺とアデノイドの切除なら一般開業医の食卓で行われたかもしれないが、虫垂切除手術と乳房切除手術は 病院でのみ実行できる複雑な処置を明らかに必要とした。また複雑な診断作業も一カ所に集められた試験室やエックス線などの手段を使って制御された場面で行 うとより効果的であることがわかった。病院の機能を変化させた点で無視できない要因は開業医の時間の節約である。以前なら一人の開業医が一つの家を訪問し たのと同じ時間内に、1ダースの患者を診察して、彼らの必要によりよく応えることができる。したがって、現代の医療ケアを研究し、把握するためには、病院 を研究しなければならないのである。

小さな社会としての病院

 我々は現代の病院に見出される機能の多様性について示唆した。事実、それは我々の社会の全ての施設の中で最も複雑なものの一つである。その明白な機能― 可能な限り最良の病人のケア―は言うまでもない。その生産物―患者ケア―は、男女の、そして幅広い年齢の大勢の人々の活動を責任と権限の厳格な序列に編成 し、調整することによってのみ可能となる。ほとんどの行動科学者が病院をそれ自身の文化を持った小社会と見なしている。それは、農村や小部族が文化を持っ た社会と考えられるのと全く同じ意味で小社会なのである。病院についてのほとんどの行動科学の調査が調査単位についてのこの概念化に基づいている。フレイ ドソンはこのモデルを疑問視しているが、彼は例外である。彼によれば、病院は真の、自己充足的なコミュニティではないので、それを社会と呼びうるのは非常 に緩やかな意味でのみである。自律性の欠如が彼の保留の理由である。「・・・・・病院は自己充足してもいないし主権も有していない。したがって、患者を含 む《市民》による権力の行使を規制するそれ自身の規則を作ることができない」(Freidson 1970:173-174)。しかし、同じことが人類学者の研究するほとんどのコミュニティにも当てはまる。例えば、メキシコの農村は地域病院と同じくら いの自律性しかなく、その住民によって行使される「権力」もわずかしかない。フレイドソンは過度の類推を行わないよう警告する。けれども、実際に行われる 病院の分析は、権限のラインと相互作用する役割を含む小コミュニティというモデルに基づいている。

 病院には多くのタイプがある。一つの一般的な分類 は、任意寄付性(voluntary)の、非営利的な地域病院あるいは、宗教立の病院と、財産性で (proprietary)私有された利益志向の病院とに区別されたり、前者が公有制で(public)、しばしば慈善志向の病院との区分である。しか し、行動科学の文献で最も明らかな区別は、一般病院と精神病院の区別である。一つのタイプとしての一般病院の機能は、患者の処置をもし可能ならば健康な状 態に回復させ、社会に復帰させることである。けれども、一般病院の多くがさらに教育と研究を主要な機能としている。というのは、両者の発展に患者が必要だ からである。これらの病院は医学校や医科大学と関連を持つ病院である。概して、これらの病院は一般ケア病院(general care hospital)より調査しやすいい。その理由はかなり明瞭である。コーザーが指摘するように、「外部の観察者は、簡単に教育病院に入ることができる。 そこでは。3年と4年の医学生、インターン、レジデント、訪問医(visiting doctor)、精神医学レジデント、登録看護婦、看護学生、補助婦、ヴォランティア、そしてしばしば試験室とエックス線の技師とソーシャル・ワーカーが 廊下と病棟にあふれている。病棟の《新入り》や《新来者》は、白衣さえ着ていれば、すぐに受け入れられる。どうして病院にいるのかを説明するには「調査 者」という肩書きで十分である」(Coser 1962:・・)。人類学者は経験上、最上の研究結果は被調査者が、調査者が多すぎることも含めて外部からの影響によって邪魔されることがほとんどない場 合であるであると信じてる。

 病院研究という点で、社会学者と人類学者の間に興 味ある相違が見出される。人類学者は研究を精神病院にほとんど限定してきた。何人かの社会学者は (Stanton and Schwartz 1954の場合のように、特に心理学者あるいは精神医学者と共同で研究する時)精神病院で研究を行っているけれども、社会学者の関心のほとんどは一般病院 に向けられていた。このような活動の分業はどのように説明できるだろうか。一つの可能な答えは文化の概念と関係している。小社会としての病院は「文化」を 持っていると見なすのが適切である。しかし、病院の「一般的」あるいは全体的な文化というのはその特徴を描くのが難しい。研究の単位は「下位文化」である ことの方がより普通である。我々は病棟の、試験室の、手術場面の、そして現代の病院のその他の単位の「下位文化」について語ることもできる。けれども、2 つの基本的な下位文化が常に明らかである。すなわち、「患者」あるいは「収容者」の文化と、病院で働く「専門家」あるいは「スタッフ」の文化である。ス タッフの文化は、病院のタイプと無関係にかなり類似しているように思われる。それに比べて、患者あるいは収容者の文化は明らかに異なっている。ほとんどの 人類学者が信じているように、もし文化の発展に時間がかかるとすれば、何年間も不断に相互作用している人々のほうが接触が一時的な人々よりも長く続く文化 を発展させやすいことになる。したがって、精神病院の収容者の文化は、その成員間の相互作用の持続性のために、一般病院の場合よりもはっきり出来上がって いるのではないだろうか。一般病院における患者の平均在院日数は現在たったの1週間ぐらいである。したがって、ほんとうの患者文化の発展を可能にするほど の時間があるのはリハビリテーション病棟とか慢性病者病棟のような特別の環境においてのみである。人類学者が精神病院に引き付けられる一つの理由は彼らが 発見したものの同質性、すなわち、他の文化を研究するのに用いたのと同じ方法で研究することのできる、現実の持続的な文化にあるのではないだろうか。

 もちろん、スタッフの文化も多くの種類の病院にお いて行動科学者によって研究されている。しかし、病院のほとんどの専門家のライフ・スタイル―勤務中は 捉えどころのないほど活動的で、勤務以外は私的で近づきがたいこと―のために、スタッフの文化の研究は難しい。病院においてですら、多忙な医師と看護婦 は、個人的に調査に関心がなければ、行動科学者の存在と質問を押しつけがましい厄介事と見なしやすい。これと対照的に、収容者の文化は1日24時間、1週 7日間といった代物である。その上、精神病院では特に、患者は捕らわれの聴衆である。精神病院の患者は暇をつぶす以外にほとんどすることがない。したがっ て、単調な生活において、同情的な行動科学者の耳と口はしばしば歓迎すべき侵入となる。全ての参与観察の基礎である「ラポール」はこのような状況での方が スタッフの文化の成員との間でよりも一段と確立しやすい。

 人類学者を精神病院に向かわせるもう一つの理由と しては次のようなことがあろう。我々の一人が最近指摘したように(Foster 1974:3)歴史的に、人類学者は無力な村落コミュニティや小部族のような、世界の「負け犬」を研究してきた。意識的であれ潜在意識的であれ、彼らは負 け犬の役割を押しつけられた人々に共感する。病院という文脈では、負け犬は非人格的扱いを受け、小児の社会的役割におとしめられた患者と、患者ほどではな いが、保健ケア・システムの下層の非専門職員ということになる。例えば、フランクルはカリフォルニアのある大都市の救急ケア・システムの研究において(医 療における序列の最低近くにいると感じている)救急部門の医師や他の病院職員と親しくなった。しかし、彼が本当に共感したのは明らかに、よく働くけれども 給料の安い救急車の搭乗員である。というのは、このモノグラフにおいて彼らの役割が救急ケア職員の中で一番はっきりと描かれているからである (Frankel 1976)。

 理由は何であれ、人類学者は精神病院の研究に引き 付けられてきた。ソールズベリーはその調査の魅力について記述している。彼は、自分の研究した州立精神 病院が相対的に自己充足的なコミュニティであることを発見した。「そこから外部の世界へ復帰する患者はほとんどなく、多くの人々がそこで人生の大部分を過 ごす。さらに、そこでは全てのカテゴリーの人間の行動が《社会一般》の規律によってと同じくらいに、その《コミュニティ》の他の成員の行動によって影響を 受ける」(Salisbury 1962:・-・)。その病院の規模(約30000人の患者と援助スタッフ)のために、私営のバス事業や洗濯屋や患者の階級集団などが必要になる。彼は次 のように書いている。「手短に言えば、問題は社会人類学者によって扱われてきた問題である。その問題を研究するために社会人類学者の分析様式も設計されて いる」(同書、E 傍点著者)。それらの問題には、それぞれの関係が他の全ての関係に関連するような、小規模の社会構造の分析、人々が自分の行動に影響を 及ぼす社会構造について抱く信念についての分析、システムの機能作用を維持したり、変動を引き起こしたりなどする、肯定的および否定的制裁に対する関心な どが含まれる。

病院の構造と機能

 病院は、日常の活動のレベルでは、きわめて権威主義的な組織である。それは軍隊にたとえられてきた。命令と指示は、疑問を抱くことなく、そしてしばしば 非常な迅速さで実行されなければいけない。病院の活動が本質的に生と死である限り、それは他のものにはなり得ない。というのは、活動の遅延や不手際が患者 の生命を危険にさらすかもしれないからである。けれども、病院は、その言葉のふつうの意味で、階層性の、権威主義的な構造体ではない。それは、末広がりの システムの中に頂点から底辺に拡がる直線的な統制のラインを持っているわけではない。行動科学者は、病院が二重の管理システムを持っているという事実に気 づいている。その中で、素人の権限システム(理事会、病院管理者、病院が棒給を支払うスタッフ)としばしば医師に付与された専門的権威が対立する (Smith1955)。全ての職員の中で最高の威信を有する医師は、診療を行う病院の「客」という変則的な位置にある。すなわち、彼らの棒給は、病院か らではなく、患者から支払われる。彼らの権威は、ウェーバーが「カリスマ的」と呼んだタイプのものであり、従属者による、医師に帰属された特別の属性や力 能の承認に基づいている。医療であろうと宗教であろうと、カリスマは素人の権威構造を拒否する。そして、事実「医療上の緊張事態を主張する医師が―あるい は、医師のために活動し、同じく医療上の必要性を主張する誰かが―廃止あるいは撤回できないような管理上の慣例など病院内にほとんど確立されていない(そ して、そのような廃止あるいは撤回は頻繁に行われている)」(同書、59)(1)。

対立する権限のライン

 対立する権限のラインはいかなる組織の安定性も高めることがない。病院内の多くの労働者は医師と経営者からの対立する要求に引き裂かれている。そのよう な対立に最も強くさらされているのが看護婦である。看護婦はしばしば、いわば「どっちつかずの人」である。ダフとホリングシェッドは、2人の研究した病院 内のそれぞれの患者ケア単位の婦長が直面している問題に言及している。「2つの権限のラインが婦長の役割に収束していた。一方で彼女は、病院の管理者が 作った政策や規則や手続きに従う責任がある、病院側の現場の代表者であった。他方で彼女は個々の患者についての医師の命令を実行する責任がある、医師側 の、現場の代表者であった」(Duff and Hollingshead 1968:67)。これらの権限のラインは明確に区切られていないので、看護婦はジレンマにさらされていた。そのジレンマを解くためには4つのグループを 満足させなければならない。その4つのグループとは、看護の序列、看護以外の他の全ての病院の部門、個人開業医と施設職員、それに患者である。この4つの グループを同時に満足させるのは常に可能ではないのである。
 コウも同じことに言及している。「患者についての医師の命令の受取人として、看護婦は専門的に有能な方法でそれらの命令を実行することを義務づけられて いる。しかし、同時に彼女は病院の雇用者である。その結果、管理的組織の全ての規則と規制に従わなければならない。患者ケアの要求は管理的規則の枠内では しばしば十分に満たすことができない。それらの要求が緊急の性質のものである場合には特にそうである。このように看護婦は、医師からの、自分の命令を実行 するようにという期待と、管理者からの管理上の手続きに従うようにという期待の間の対立に巻き込まれている」(Coe 1970:272)。

病院内の遮断された移動性

 病院のもう一つの構造的特性は、「遮断された移動性」(blocked mobility)と呼ばれているものである。現代の病院における患者ケアは、専門の、半専門の、そして非熟練の多種多様な職員のサーヴィスを必要とす る。アメリカ西海岸のある病院の調査でヴェッセンは、管理的職員以外に23の主要な職業グループを記述している(Wessenn 1972:316)。病院内に多様な役割があるだけでなく、それらのほとんどが、厳格な地位の序列の内部で互いに明確に区分されている。それは外面的に は、服装や食事特権や他の臨時収入などに反映されている。ヴェッセンの調査した病院では、典型的な病棟に「少なくとも12の異なった制服」がある。さらに 3つの食堂がある。1つは医師用、1つは看護婦用、1つはその他の全ての雇用者用である(同書、317)。

 役割の厳格な区別の結果、病院内の垂直的な移動性 は制限されている。在職者が追加の形式的訓練を受けずに低い地位から高い地位へ昇進することはめったに ない。役割の区別は大部分、患者ケアに不可欠な特別な能力の多様な機能であることによるようだ。というのは、それぞれの能力は専門化される傾向があるから である。スミスの言うように、「例えばエックス線、病理学、病棟管理、管理のような、病院の一つの小さな部分内で発達した技術は他の部門へ簡単に移すこと ができない」。その結果、「他の部門への昇進の問題が持ち上がった時、病院内の考慮に値する人が新しい位置を占めるのに必要とされる技術を有していないと いうのがしばしばある現実である」(Smith 1955:30)。

 ヴェッセンは彼の研究で次のことを発見している。 「情報伝達は大部分職業上のラインの内部で流れる傾向があり、そのため病棟で一緒に働く人々は主に自分 《自身と同じ種類》の人々とのみ知り合い、つきあう傾向を生み出す」(Wessen 1972:331)。雇用者の第1の忠誠心は、専門上あるいは地位上の仲間集団に向けられる傾向にある。そのため、最も患者のためになるような、容易な情 報伝達を特徴とする職業ティームは作り上げられない。

入院についての患者の見方

 病院の構造的特性のほかに、行動科学者は、入院後患者に何が起こるのかということにも関心を寄せてきた。彼らの発見したものは、カルチャー・ショックに きわめて類似した過程(Brink and Saunders 1976)である。それは、非人格化の試練(Coe 1970:313)であり、自己同一性の喪失であり(Brown 1963:119)、身体と物理的環境に対する統制力の喪失(Coeser 1959:73)である。アメリカ人(そしておそらく他の国の出身の人々)が初めて外国で生活し働くことのストレスを経験する時「カルチャー・ショック」 と呼ばれているものにしばしば苦しむ。それは、適切な行動についての慣れ親しんだ手がかりの喪失や言語の問題や新しい文化項目を熟知していないことが原因 である。ブリンクとサンダースは、病院の患者がしばしばこれと類似したストレス反応を経験すると考えている。例えば、患者は病院語 (hospitalese)、すなわち患者がほとんど理解できない言語に直面する。「あなたは今朝、排便し(void)ましたか。最後に便通(BM)が あったのはいつですか。あなたは脳波検査(EEG)の予定ですし、あなたがそれから戻ったら我々は精密検査(work-up)のために婦人科医(GYN) を呼び、それからあなたのエックス線の準備をしましょう」(Brink and Saunders 1976:134)。病院の患者はまた、プッシュ・ボタンや差し込み便器や他の病院によくある人工物などの物質文化の新しい項目を操作することを学習しな ければならない。さらにまわりの人々との相互作用の新しいパターンを学習しなければならない。

 ブラウンは、入院を患者に対する「剥奪」過程の始 まりと見なしている。「彼は、個性化された欲求と欲望と、自分自身と他者に対する決定についての長年の 習慣のほとんどを抑制するよう期待される。・・・・・しかしながら、剥奪過程が進行し、その過程の彼に対する効果が積み重なって行くに従って、彼はあたか も自己同一性を一つ一つ剥ぎ落とされていくようにしばしば感じる」(Brown 1963:119)。通常の生活における患者の役割は背景に退く。彼は番号付きの病室の中の一つの「症例」(case)となり、彼の身元は名前の入ったプ ラスティックの腕輪によって確認される。これは新生児に用いられる身元証明と同じものである。幼児や児童とのアナロジーは単なるこじつけではない。統制権 を失った患者は多くの仕方で幼児期に実際に退行する。産業界の指導者や専門家や他の「重要」人物であっても、看護婦が自分たちをファースト・ネームで、そ しておそらく「坊や」(baby)とすら呼びかけるのを知って仰天することだろう。

 コーザーは、患者が1日24時間、病院のスタッフ の権限に服従する有り様に言及している。食事の時間とメニューから入浴、投薬にいたるまで、患者につい て全てが計画されている。「彼は絶えざる監督のもとにある。1日全部が彼について予定されている」(Coser 1959:174)。コウによれば、病院は「大勢の患者を扱うのに都合のいいように」(Coe 1970:300)、患者間の自然の差異を切り捨てる。このことは、病院以外では着ることのないような寝巻などの制服を配給することによって完全なものと なる。こうすれば、スタッフにとって患者の身体への接近が容易になるのである。財布や札入れは「安全確保のために」一時預けにされ、患者には絶対最小限の 個人的所有物しか残されない。「物質であろうとそれ以外のものであろうと、明確な個性を与える全ての象徴が取り去られる。そして患者は多数のうちのただの 一人とも言うべき地位に格下げされる」(同書、300)。」コウはまた、特に自分自身に関する情報の剥奪などの患者に対する制限、移動の制限、そして他者 に対する強制された依存にも言及している。

 問題は、病院職員が薄情で冷酷だということではな い。むしろ、患者の地位と患者ケアは、官僚制の効率という、現実の、あるいは想像された必要の結果のよ うに思われる。ローバーが述べているように、「病院の規則と規制は彼ら[病院職員]の利益のためのものであり、患者の便宜のためのものではない」 (Lorber 1975:213)。当然ながら、医師や看護婦や他の病院職員にとって扱いやすい患者は「いい」患者と分類される。そうでない人々は「問題」患者なのであ る。ローバーは彼女の研究で、次のことを発見している。「医師と看護婦から、協力的で、不平を言わず、禁欲的と考えられる患者は一般的によい患者という レッテルを貼られた」。それに対して、「非協力的で、しょっちゅう不平を言い、あまりに情動的で、依存的な」患者は、「ふつうの手術を受けていようと非常 に大きな手術を受けていようと、しばしば問題患者と考えられた」(Lorber 1975:218-219)。「扱いやすさ」は「いい」患者の基本的な基準であることがわかった。それに対して、「病気から考えて正当と考えられる以上の 時間と手間のかかる」患者は「問題」患者であった(同書、220)。病院と「効率の崇拝者集団」を分析したテイラーはいい患者を、「質問されたときに答 え、処置を受け入れ、丸薬を飲み込み、食べるよう与えられたものを食べる患者」(C.Taylor 1975:218-219)として描いている。何人かの調査者は、「問題」患者はそれ以外の患者より病院職員から受ける手当てが少なかったり、わずかなが ら早く退院させられたりする傾向があることを発見している。彼らは時々ナーシング・ホームに引き渡されることがある。さらに、全く手に負えない患者に対し て精神医学的ケアが命じられることも少なくない。この問題を、いわば患者のベッドから捉えた人類学者ブラウンは、人間は、人間的状況において他者も自我と 同じ仕方で見ると仮定する傾向があるという。「スタッフはしばしば、彼らが多くの事柄について考え感じるのと同じように患者も考え感じることを当然だと思 う」(Brown 1963:123)。医師からライン上の下位の職員に到るまでの病院職員が病院生活のあらゆる側面とそれらの意味と目的に慣れ親しんでいる。それで、慢性 で繰り返し入院しているもの以外の患者が職員が当然視する慣例についてほとんど知らないということを忘れる傾向がある。しかも、未知のことは潜在的に脅威 である。ブラウンは言う。「おそらく、もし医学生や看護学生や将来の病院管理者が、病床の患者を10日間でも経験すれば、患者がどのように感じるのかを後 でもっとよく思い出すことができるだろう。おそらく、彼らは患者の退屈や欲求不満や不安を減らすように可能な限りの変更を加えることにより多くの理解と関 心を示すことができるだろう」(同書、124)。

 入院という行動そのものがあまりに儀礼化されてい るので、患者とその家族に、病院のスタッフが全く気づかないような大きな懸念を生み出すことがある。 キャロル・テイラーは、ブラウン夫人という59歳の女性について興味ある話をしている。彼女は同居している既婚の息子によって診療室の待合室につれてこら れた。彼女も息子も病院の手続きを理解しないうちに、彼女は看護人によってまるで神隠しのように連れ去られた。そして、それから数時間後には再び息子に会 うこともなく入院させられた。3週間たってやっと臨床心理学の大学院生と彼がデートをしていた看護学生が、何がブラウン夫人を「困らせている」のかという 謎を解きあかした。彼女はやっとの事で音信不通の家族への手紙を書くことができたのだが、その手紙を投函するのに切手を持っていなかったのである。心配し ていた家族のほうでも、病院という複雑な世界にどうやって入り込んでいいのかよくわからずに、誰かからの言葉を待っていた。彼らは交代で電話番をし、毎日 郵便屋を待ち、まさかの時に電報を受け取ることができるように特別の用意をしていたのである(C.Taylor 1970:97-99)。

 病院生活の圧倒的な規格化はしばしば敏感に感じと られるが、それは、病気の役割による非人格化が自らの文化の全ての命令に反するような患者の場合であ る。見知らぬ状況で交渉を試みることに控え目な民族である、メキシコ系アメリカ人の患者は、スタッフからの否定的反応を受け取るや否や、しばしばコミュニ ケーションを完全に閉ざしてしまう。ある児童病院で看護婦がメキシコ系アメリカ人の母親に、彼女の息子の手術の前夜に付き添うことができなかったことを告 げた時、その母親にくってかかることはなかった。しかし、その母親は実際は憤慨していたのである。そして、その恨みは、少年が手術の後で死んだ時にスタッ フ全員に向けられたのである(私信)。

 アンダーソンとヘイザムは、伝統的なメキシコ系ア メリカ人の保健ケアのやり方と西洋のそれとの不幸な衝突について報告している。ある母親が、入院してい る息子がエムパコ(empacho)にかかっているかどうかを見極めようとして、その息子の腹に触っていた。すると、そこをメキシコ系アメリカ人の看護婦 に発見され、徹底的な尋問を受けた。看護婦は彼女の因習的な同胞に対して軽蔑を感じていることは、恥じ入っている母親にも出来事の目撃者にも痛いほど明ら かだった(Anderson and Hazam 1978)。
 病院生活というコンテクストでは、患者とその身内の側での恐怖、見当を失っていること、安心させられたいという要求を表す非言語的な手がかりが発見され ず、解決されないままで終わることがあまりにしばしばあるように思われる。

入院の代替的形式

 後の章で見るように、医療の分野に関わっている人々も含めて、アメリカ人はアメリカの制度的規範が固定され、不変で、しかも合理的であると仮定する傾向 がある。彼らは、非常に異なった形式ややり方で同じように目標達成に到りうるなど信じがたいことだと思っている。発展途上国の病院についてのアメリカ人に よる調査はごくわずかしかない。けれども、わずかの病院についての観察は、代替的なアプローチが実行可能であり、しかもより望ましくさえあるということを 示唆している点で非常に啓発的である。その種のある研究では、リマとペルーの4つの精神病院あるいは精神科病棟において、階級の低い職員が非常に権威主義 的な考えを持っているにもかかわらず、効果的な監禁的(custodial)ケアが人道主義的な雰囲気と結合されていることが発見された。「ペルーの精神 病院の病棟には強制の様式はない。全ての関係者のうちで最下位にいる患者も含めて、下位の者は、上位の者の要求と命令を受け入れ、それに従う傾向がある。 ペルーの精神病院は、北アメリカの監禁的な病院や監獄が、制度的民主主義のコンテクストから遮断されているように、まわりの文化から隔離され孤立させられ ているわけではない」(Stein and Oetting 1964:282)。ある病院では、患者はマッチを携帯し、自分自身のかみそりを所持することすら許されていた。そこでは、監禁的ケアへの緩やかなアプ ローチはスタッフにも患者にも有益であるという印象を受ける。ギリシャの農村の病院についての有名な研究でフリードゥルは、自分の観察した4つの病床を持 つ小病棟を家庭で患者に与えられる援助的ケアとうまく比較している。その病棟では、患者は自分自身の寝具と衣類を所持し、家族員から常時手当と食事を与え られていた。伝統的にギリシャでは、入院は、家族による患者の遺棄を象徴している。さらに、しかもほとんどのアメリカ人と対照的に、ギリシャ人は人間的な つきあいが健康な人々にも重病の人々にも同じように大切だと思っている。不潔で、混雑した病院の生活は、(患者や病院職員も含めて)多くのアメリカ人に とっては呪わしいことだろう。けれども、以上のような次第で、そのような病院生活がギリシャ文化というコンテクストではおそらく高度に治療的なのである (Friedl 1958)。

変化しつつある、アメリカのやり方

 患者にとっては幸運なことなのだが、今は少数だが徐々にその数を増しつつあるアメリカの進歩的な病院が厳格な規則の多くを緩和しつつある。というのは、 そのような規則のために病院が治療を受けるには魅力的ではないところになっていたからである。そのような病院は、慣習的なケアのパターンからの劇的な転換 を試みている。医学的な問題がない限り、訪問時間は延長され、メニューは選択の余地を与えている。さらに、カクテルやワインすら制限付きで許可されている こともある。このような外見上の改善を越えて、さらに大きな変化が現れ始めている。例えば、精神疾患の患者を一般ケア病院の内部に統合したり、非常に若い 人々と老齢の人々を単一の病棟で一緒にしたり、さらに(退役軍人病院の場合)病弱な夫婦が一緒に入院することを許可するなどの変化が現れている。テキサス では我々の一人(アンダーソン)が、より緊密に両親を病院に組み入れるための小児病院の改革について観察する機会を得た。この改革は小児ケアの主要な動向 となるはずである。例えば、ある障害児のための病院では、新しく、より大きな建物が立案中であったが、そこではいくつかの特定の革新的計画が実行されてい た。すなわち、遠路はるばるやってくる両親のための生活設備、病院の日常のケアと相談に両親を今より以上に関与させること、そして慢性病の児童の両親のた めの訓練プログラムなどである。
 もう一つの病院では、定期的な研修会とセミナーのための設備と予算を開発していた。その研修会とセミナーには、電話交換手から小児心臓学者や顧問の社会 学者と行動科学者に到るまでの全ての雇用者が参加する。このようなセミナーの主要な目的は、通常の厳格な序列の境界を越えて、患者ケアの改良についてのア イディアを自由に交換することにあった。そして、それは特に病院が受け持っている少数民族集団の必要に関することであった。病院によって財政的に援助され たスペイン語の訓練プログラムが考慮中であったが、スタッフはそのプログラムに対する功績を認められることだろう。我々は第16章で、現代の進歩的な病院 ケアにおけるその他の改革を考察するつもりである。

 革新的な病院に対して人類学者は特別の関心を示し ている。もちろん、病院経営や健康保険組合とメディケアの*1役割に関心を持つ人類学者などおそらくほ とんどいないだろう。しかし、アメリカの病院の文化の変化の中には、すなわち保健ケアについての革新と改良の過程の中には、人類学的観点がこの制度とその クライアントの必要に応える能力についての我々の理解に貢献できる部分がたくさんある。

 この新しい調査がすでに始まっている領域、あるい はこの新しい調査がこれから有益となるような領域がいくつか思い浮かぶ。例えば、外来患者診療室の構造 と役割は、今まで重視されていなかったけれども、非常に将来性のある調査課題である。最近、キャロル・ブラウナーは、サンフランシスコのある病院の外来患 者診療室の研究で、その診療室が近隣の年配の住民のための社会センターやクラブとして重要な役割を果たしていることを発見している。それらの人々は、友人 とおしゃべりをするために頻繁にその診療室に立ち寄る。しかも、その頻度は彼らの現在の医療上の必要とはほとんど関係がないのである。けれども、それは彼 らの心理的必要には確かに貢献している(ブラウナー博士からの私信)。救急医療サーヴィスも、ステファン・フランクルが太平洋岸にある病院の救急室の活動 についての研究から得た幅広い洞察から判断すると、同様に将来性のある調査領域であるように思われる(Frankel 1976)。もう一つ別の種類の病院調査の実例となるのは、バーバラ・ケーニックの予備調査の結果である。その調査は臨終の子供の世話をする看護婦が直面 することになる個人的な価値や情緒的な葛藤について扱っている(Koening 1977)。そして、(第16章で概観する)キュブラー・ロスによる死と臨終という問題についての研究の全ては、全ての年齢の入院患者の末期ケアに対す る、患者側に立ち、かつより効果的なアプローチの先駆けである。

原註
(1)イングマンは最近アパラチアのある中規模の病院における管理者と医師の間でしばしば起こる対立の、構造的な側面とパーソナリティの側面について―そ して変化と改良を遅らすことのできる医師の権力について―記述している(Ingman 1975)。

訳註
*1 米国の1965年の社会保障改正第18条、およびそれに基づく施策。それは、65歳以上の全ての人々に対する医療保障であるパートAと、任意加入者 に対する医療保障であるパートBの2つの部分からなる。

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医療人類学
第9章 病院:行動科学の見方

 西欧――非西欧のいくつかの相違点

 伝統的世界と対照的に、現代の西洋世界では多くの病いが病院で治される。病院で患者は医師からのケア(と統制)を加えられる。そして、医師は看護婦や他 の多くの補助職員から援助される。医療関係者ではない人々―友人と家族員―は、少なくとも病いの急性期に入院が必要な場合は、患者を健康な状態に回復させ るように試みる点で相対的にわずかの役割しか果たさない。このように、西洋での保健ケアの提供は伝統的な世界のものとは非常に異なっている。伝統的な世界 では、家族と友人が大きな補助的な治療的役割を果たすが、治療者はほとんど他の医療関係者の補助をうることはない。
 時に、補助者が治療的状況に含まれる場合でも、彼らの役割は大部分周辺的か儀礼的であり、治療に対してあまり貢献しない。例えば、ボルネオのマナング (manang)は補助者を雇う。だがその仕事は、マナングの傍らに立ち、彼がトランス状態で床に倒れ―目には見えないが―患者の失われた魂を取り戻しに 出発する時に彼を特別の毛布で包むことだけである(Torrey 1972:96)。また、ニューギニアのいくつかの地域では、シャーマンが、諸精霊(あるいは一つの精霊)を特別に引き付けることが知られている霊媒を用 いる。だが、それらの精霊を治療者の面前まで誘い込むためだけである。さらに、時には弟子が治療者にかわって治療の中のお決まりの側面を行うことがある。 例えば呪文の多くを繰り返すことなどである。しかしながら、これらの文化において患者ケアへの「ティーム」アプローチについて語ることはできない。治療者 には頼るべき薬学者も診断を助ける病理学者もいない。さらに、ふつう治療過程で自分を援助してくれるパラメディカルの補助者もいない。いくつかの専門化さ れた技術が治療に関係しているところでも、それらの技術を有する人々は規定された序列の内部で独立した専門家として機能する。「薬草家は薬を準備し調剤す る。占い師は診断(と、それにしばしばなくなった物の発見と未来の予言)を行い、治療家は人々を処置する・・・・。しばしば人々は薬草師から始め、容態が どのくらい悪いかに応じて先へ進んでいく」(Teorrey 1972:5)。看護(Nursing)は言葉の適切な意味における限りでは、家族によって行われるものである。
 したがって、複雑な社会での治療過程を理解するためには、より単純なコミュニティではほとんど発達していない役割と制度を考察しなければならないことに なる。西洋と米国において特に注目すべきことは、重症の病いのほとんどの処置が家庭ではなく病院で行われているということである。病院で医師は単独で仕事 をするのではない。というより、医師は一つのティームのキャプテンである。彼は、主要な決定をなし、いろいろな補助的な専門的援助者の活動を指揮する。こ れらの援助者の中で最も重要なのは看護婦である。というのは、患者が一日に何回も会い、安心と安堵を求めるのは看護婦だからである。
 米国における現代の医療ケアを理解しようと試みている行動科学者は研究を三つの主要な問題に集中させている。すなわち、病院と医師と看護婦の問題であ る。アメリカの病院は医療における第1のケアの場面となっている。まず、ほとんどの医師が一日の大半を病院で過ごす。そこで医師は最も重傷の患者を診る。 また、全登録看護婦の三分の二が病院で雇用されている。医師と患者の仲介者としての看護婦の役割が最もはっきりと見て取れるのは病院である。したがって、 この章と次の二つの章で我々が扱うのはこれらの三つの問題である。膨大な数の文献がそれぞれの問題を扱っているので、過去に30年ほどの間の研究から明ら かになった主要な理論的および実践的な問題に簡単に触れることしかできない。
 これらの研究における人類学者の役割―あるいはむしろ、役割の相対的な欠如―に注目しよう。というのは、今まで行われた調査のうち、人類学者によるもの はごくわずかだからである。人類学者がシャーマンと呪術医(witch-doctor)の研究や非西洋の病因論の神秘の解明に忙しかった時に、社会学者と 心理学者は主に医師の訓練と診療、看護婦の地位、そして病院の構造に関心を払ってきた。しかしながら、全ての人類学者が非西洋社会の研究にのみ専念してい たわけではない。例えば、病院についての最も重要な研究のいくつかは人類学者によって行われたものである。また、看護に関心を寄せた最初の行動科学者の一 人は人類学者である(Brown 1936)。さらに、近年人類学が看護にとって非常に重要なものになりつつある。かなりの数の看護婦が、より高い専門的地位を求めて、人類学の博士課程に 向かいつつある。それにもかかわらず、この章で言及する研究の大部分が人類学者以外の人々の業績である。

変わりつつある病院の役割

 先ほど指摘したように、病院は米国において第一次保健ケアセンターとなっている。患者は、以前なら家庭あるいは開業医の診療室で受けていたケアを求めて 病院の外来にやってくる。試験室やエックス線や物理療法やその他のサーヴィスが外来患者のケアと診断のために、そして入院患者の必要に応えるために広く利 用されている。病院はもはや、以前の時代ほどには恐れられる場所ではなくなっている。
 以前には、必ずしもそうではなかったのである。歴史的に病院はほとんどいつも重病の貧民のための慈善施設、救貧院、そして最後の行き場所として機能して きた。それは実際に人々が死ぬために行くところと考えられていた。病院の看護人(attendant)は訓練を受けておらず、最低の社会階級から選ばれ た。政府あるいは宗教団体に雇われた医師を除くと、病院のドアをくぐったことのある医師はほとんどいなかった。20世紀に入ってもなお裕福な患者は家庭で 世話をされた。医師が家まで呼ばれ、その医師を、その家に雇われた専任の看護婦(private duty nurse)が援助した。今世紀に科学的医学によってなされた大きな進歩によって初めて病院の機能が大変革された。この変化を引き起こした点で特に重要な ことは比較的早期の急速な外科学の発展であった。扁桃腺とアデノイドの切除なら一般開業医の食卓で行われたかもしれないが、虫垂切除手術と乳房切除手術は 病院でのみ実行できる複雑な処置を明らかに必要とした。また複雑な診断作業も一カ所に集められた試験室やエックス線などの手段を使って制御された場面で行 うとより効果的であることがわかった。病院の機能を変化させた点で無視できない要因は開業医の時間の節約である。以前なら一人の開業医が一つの家を訪問し たのと同じ時間内に、1ダースの患者を診察して、彼らの必要によりよく応えることができる。したがって、現代の医療ケアを研究し、把握するためには、病院 を研究しなければならないのである。

小さな社会としての病院

 我々は現代の病院に見出される機能の多様性について示唆した。事実、それは我々の社会の全ての施設の中で最も複雑なものの一つである。その明白な機能― 可能な限り最良の病人のケア―は言うまでもない。その生産物―患者ケア―は、男女の、そして幅広い年齢の大勢の人々の活動を責任と権限の厳格な序列に編成 し、調整することによってのみ可能となる。ほとんどの行動科学者が病院をそれ自身の文化を持った小社会と見なしている。それは、農村や小部族が文化を持っ た社会と考えられるのと全く同じ意味で小社会なのである。病院についてのほとんどの行動科学の調査が調査単位についてのこの概念化に基づいている。フレイ ドソンはこのモデルを疑問視しているが、彼は例外である。彼によれば、病院は真の、自己充足的なコミュニティではないので、それを社会と呼びうるのは非常 に緩やかな意味でのみである。自律性の欠如が彼の保留の理由である。「・・・・・病院は自己充足してもいないし主権も有していない。したがって、患者を含 む《市民》による権力の行使を規制するそれ自身の規則を作ることができない」(Freidson 1970:173-174)。しかし、同じことが人類学者の研究するほとんどのコミュニティにも当てはまる。例えば、メキシコの農村は地域病院と同じくら いの自律性しかなく、その住民によって行使される「権力」もわずかしかない。フレイドソンは過度の類推を行わないよう警告する。けれども、実際に行われる 病院の分析は、権限のラインと相互作用する役割を含む小コミュニティというモデルに基づいている。
 病院には多くのタイプがある。一つの一般的な分類は、任意寄付性(voluntary)の、非営利的な地域病院あるいは、宗教立の病院と、財産性で (proprietary)私有された利益志向の病院とに区別されたり、前者が公有制で(public)、しばしば慈善志向の病院との区分である。しか し、行動科学の文献で最も明らかな区別は、一般病院と精神病院の区別である。一つのタイプとしての一般病院の機能は、患者の処置をもし可能ならば健康な状 態に回復させ、社会に復帰させることである。けれども、一般病院の多くがさらに教育と研究を主要な機能としている。というのは、両者の発展に患者が必要だ からである。これらの病院は医学校や医科大学と関連を持つ病院である。概して、これらの病院は一般ケア病院(general care hospital)より調査しやすいい。その理由はかなり明瞭である。コーザーが指摘するように、「外部の観察者は、簡単に教育病院に入ることができる。 そこでは。3年と4年の医学生、インターン、レジデント、訪問医(visiting doctor)、精神医学レジデント、登録看護婦、看護学生、補助婦、ヴォランティア、そしてしばしば試験室とエックス線の技師とソーシャル・ワーカーが 廊下と病棟にあふれている。病棟の《新入り》や《新来者》は、白衣さえ着ていれば、すぐに受け入れられる。どうして病院にいるのかを説明するには「調査 者」という肩書きで十分である」(Coser 1962:・・)。人類学者は経験上、最上の研究結果は被調査者が、調査者が多すぎることも含めて外部からの影響によって邪魔されることがほとんどない場 合であるであると信じてる。
 病院研究という点で、社会学者と人類学者の間に興味ある相違が見出される。人類学者は研究を精神病院にほとんど限定してきた。何人かの社会学者は (Stanton and Schwartz 1954の場合のように、特に心理学者あるいは精神医学者と共同で研究する時)精神病院で研究を行っているけれども、社会学者の関心のほとんどは一般病院 に向けられていた。このような活動の分業はどのように説明できるだろうか。一つの可能な答えは文化の概念と関係している。小社会としての病院は「文化」を 持っていると見なすのが適切である。しかし、病院の「一般的」あるいは全体的な文化というのはその特徴を描くのが難しい。研究の単位は「下位文化」である ことの方がより普通である。我々は病棟の、試験室の、手術場面の、そして現代の病院のその他の単位の「下位文化」について語ることもできる。けれども、2 つの基本的な下位文化が常に明らかである。すなわち、「患者」あるいは「収容者」の文化と、病院で働く「専門家」あるいは「スタッフ」の文化である。ス タッフの文化は、病院のタイプと無関係にかなり類似しているように思われる。それに比べて、患者あるいは収容者の文化は明らかに異なっている。ほとんどの 人類学者が信じているように、もし文化の発展に時間がかかるとすれば、何年間も不断に相互作用している人々のほうが接触が一時的な人々よりも長く続く文化 を発展させやすいことになる。したがって、精神病院の収容者の文化は、その成員間の相互作用の持続性のために、一般病院の場合よりもはっきり出来上がって いるのではないだろうか。一般病院における患者の平均在院日数は現在たったの1週間ぐらいである。したがって、ほんとうの患者文化の発展を可能にするほど の時間があるのはリハビリテーション病棟とか慢性病者病棟のような特別の環境においてのみである。人類学者が精神病院に引き付けられる一つの理由は彼らが 発見したものの同質性、すなわち、他の文化を研究するのに用いたのと同じ方法で研究することのできる、現実の持続的な文化にあるのではないだろうか。
 もちろん、スタッフの文化も多くの種類の病院において行動科学者によって研究されている。しかし、病院のほとんどの専門家のライフ・スタイル―勤務中は 捉えどころのないほど活動的で、勤務以外は私的で近づきがたいこと―のために、スタッフの文化の研究は難しい。病院においてですら、多忙な医師と看護婦 は、個人的に調査に関心がなければ、行動科学者の存在と質問を押しつけがましい厄介事と見なしやすい。これと対照的に、収容者の文化は1日24時間、1週 7日間といった代物である。その上、精神病院では特に、患者は捕らわれの聴衆である。精神病院の患者は暇をつぶす以外にほとんどすることがない。したがっ て、単調な生活において、同情的な行動科学者の耳と口はしばしば歓迎すべき侵入となる。全ての参与観察の基礎である「ラポール」はこのような状況での方が スタッフの文化の成員との間でよりも一段と確立しやすい。
 人類学者を精神病院に向かわせるもう一つの理由としては次のようなことがあろう。我々の一人が最近指摘したように(Foster 1974:3)歴史的に、人類学者は無力な村落コミュニティや小部族のような、世界の「負け犬」を研究してきた。意識的であれ潜在意識的であれ、彼らは負 け犬の役割を押しつけられた人々に共感する。病院という文脈では、負け犬は非人格的扱いを受け、小児の社会的役割におとしめられた患者と、患者ほどではな いが、保健ケア・システムの下層の非専門職員ということになる。例えば、フランクルはカリフォルニアのある大都市の救急ケア・システムの研究において(医 療における序列の最低近くにいると感じている)救急部門の医師や他の病院職員と親しくなった。しかし、彼が本当に共感したのは明らかに、よく働くけれども 給料の安い救急車の搭乗員である。というのは、このモノグラフにおいて彼らの役割が救急ケア職員の中で一番はっきりと描かれているからである (Frankel 1976)。
 理由は何であれ、人類学者は精神病院の研究に引き付けられてきた。ソールズベリーはその調査の魅力について記述している。彼は、自分の研究した州立精神 病院が相対的に自己充足的なコミュニティであることを発見した。「そこから外部の世界へ復帰する患者はほとんどなく、多くの人々がそこで人生の大部分を過 ごす。さらに、そこでは全てのカテゴリーの人間の行動が《社会一般》の規律によってと同じくらいに、その《コミュニティ》の他の成員の行動によって影響を 受ける」(Salisbury 1962:・-・)。その病院の規模(約30000人の患者と援助スタッフ)のために、私営のバス事業や洗濯屋や患者の階級集団などが必要になる。彼は次 のように書いている。「手短に言えば、問題は社会人類学者によって扱われてきた問題である。その問題を研究するために社会人類学者の分析様式も設計されて いる」(同書、E 傍点著者)。それらの問題には、それぞれの関係が他の全ての関係に関連するような、小規模の社会構造の分析、人々が自分の行動に影響を 及ぼす社会構造について抱く信念についての分析、システムの機能作用を維持したり、変動を引き起こしたりなどする、肯定的および否定的制裁に対する関心な どが含まれる。

病院の構造と機能

 病院は、日常の活動のレベルでは、きわめて権威主義的な組織である。それは軍隊にたとえられてきた。命令と指示は、疑問を抱くことなく、そしてしばしば 非常な迅速さで実行されなければいけない。病院の活動が本質的に生と死である限り、それは他のものにはなり得ない。というのは、活動の遅延や不手際が患者 の生命を危険にさらすかもしれないからである。けれども、病院は、その言葉のふつうの意味で、階層性の、権威主義的な構造体ではない。それは、末広がりの システムの中に頂点から底辺に拡がる直線的な統制のラインを持っているわけではない。行動科学者は、病院が二重の管理システムを持っているという事実に気 づいている。その中で、素人の権限システム(理事会、病院管理者、病院が棒給を支払うスタッフ)としばしば医師に付与された専門的権威が対立する (Smith1955)。全ての職員の中で最高の威信を有する医師は、診療を行う病院の「客」という変則的な位置にある。すなわち、彼らの棒給は、病院か らではなく、患者から支払われる。彼らの権威は、ウェーバーが「カリスマ的」と呼んだタイプのものであり、従属者による、医師に帰属された特別の属性や力 能の承認に基づいている。医療であろうと宗教であろうと、カリスマは素人の権威構造を拒否する。そして、事実「医療上の緊張事態を主張する医師が―あるい は、医師のために活動し、同じく医療上の必要性を主張する誰かが―廃止あるいは撤回できないような管理上の慣例など病院内にほとんど確立されていない(そ して、そのような廃止あるいは撤回は頻繁に行われている)」(同書、59)(1)。

対立する権限のライン

 対立する権限のラインはいかなる組織の安定性も高めることがない。病院内の多くの労働者は医師と経営者からの対立する要求に引き裂かれている。そのよう な対立に最も強くさらされているのが看護婦である。看護婦はしばしば、いわば「どっちつかずの人」である。ダフとホリングシェッドは、2人の研究した病院 内のそれぞれの患者ケア単位の婦長が直面している問題に言及している。「2つの権限のラインが婦長の役割に収束していた。一方で彼女は、病院の管理者が 作った政策や規則や手続きに従う責任がある、病院側の現場の代表者であった。他方で彼女は個々の患者についての医師の命令を実行する責任がある、医師側 の、現場の代表者であった」(Duff and Hollingshead 1968:67)。これらの権限のラインは明確に区切られていないので、看護婦はジレンマにさらされていた。そのジレンマを解くためには4つのグループを 満足させなければならない。その4つのグループとは、看護の序列、看護以外の他の全ての病院の部門、個人開業医と施設職員、それに患者である。この4つの グループを同時に満足させるのは常に可能ではないのである。
 コウも同じことに言及している。「患者についての医師の命令の受取人として、看護婦は専門的に有能な方法でそれらの命令を実行することを義務づけられて いる。しかし、同時に彼女は病院の雇用者である。その結果、管理的組織の全ての規則と規制に従わなければならない。患者ケアの要求は管理的規則の枠内では しばしば十分に満たすことができない。それらの要求が緊急の性質のものである場合には特にそうである。このように看護婦は、医師からの、自分の命令を実行 するようにという期待と、管理者からの管理上の手続きに従うようにという期待の間の対立に巻き込まれている」(Coe 1970:272)。

病院内の遮断された移動性

 病院のもう一つの構造的特性は、「遮断された移動性」(blocked mobility)と呼ばれているものである。現代の病院における患者ケアは、専門の、半専門の、そして非熟練の多種多様な職員のサーヴィスを必要とす る。アメリカ西海岸のある病院の調査でヴェッセンは、管理的職員以外に23の主要な職業グループを記述している(Wessenn 1972:316)。病院内に多様な役割があるだけでなく、それらのほとんどが、厳格な地位の序列の内部で互いに明確に区分されている。それは外面的に は、服装や食事特権や他の臨時収入などに反映されている。ヴェッセンの調査した病院では、典型的な病棟に「少なくとも12の異なった制服」がある。さらに 3つの食堂がある。1つは医師用、1つは看護婦用、1つはその他の全ての雇用者用である(同書、317)。
 役割の厳格な区別の結果、病院内の垂直的な移動性は制限されている。在職者が追加の形式的訓練を受けずに低い地位から高い地位へ昇進することはめったに ない。役割の区別は大部分、患者ケアに不可欠な特別な能力の多様な機能であることによるようだ。というのは、それぞれの能力は専門化される傾向があるから である。スミスの言うように、「例えばエックス線、病理学、病棟管理、管理のような、病院の一つの小さな部分内で発達した技術は他の部門へ簡単に移すこと ができない」。その結果、「他の部門への昇進の問題が持ち上がった時、病院内の考慮に値する人が新しい位置を占めるのに必要とされる技術を有していないと いうのがしばしばある現実である」(Smith 1955:30)。
 ヴェッセンは彼の研究で次のことを発見している。「情報伝達は大部分職業上のラインの内部で流れる傾向があり、そのため病棟で一緒に働く人々は主に自分 《自身と同じ種類》の人々とのみ知り合い、つきあう傾向を生み出す」(Wessen 1972:331)。雇用者の第1の忠誠心は、専門上あるいは地位上の仲間集団に向けられる傾向にある。そのため、最も患者のためになるような、容易な情 報伝達を特徴とする職業ティームは作り上げられない。

入院についての患者の見方

 病院の構造的特性のほかに、行動科学者は、入院後患者に何が起こるのかということにも関心を寄せてきた。彼らの発見したものは、カルチャー・ショックに きわめて類似した過程(Brink and Saunders 1976)である。それは、非人格化の試練(Coe 1970:313)であり、自己同一性の喪失であり(Brown 1963:119)、身体と物理的環境に対する統制力の喪失(Coeser 1959:73)である。アメリカ人(そしておそらく他の国の出身の人々)が初めて外国で生活し働くことのストレスを経験する時「カルチャー・ショック」 と呼ばれているものにしばしば苦しむ。それは、適切な行動についての慣れ親しんだ手がかりの喪失や言語の問題や新しい文化項目を熟知していないことが原因 である。ブリンクとサンダースは、病院の患者がしばしばこれと類似したストレス反応を経験すると考えている。例えば、患者は病院語 (hospitalese)、すなわち患者がほとんど理解できない言語に直面する。「あなたは今朝、排便し(void)ましたか。最後に便通(BM)が あったのはいつですか。あなたは脳波検査(EEG)の予定ですし、あなたがそれから戻ったら我々は精密検査(work-up)のために婦人科医(GYN) を呼び、それからあなたのエックス線の準備をしましょう」(Brink and Saunders 1976:134)。病院の患者はまた、プッシュ・ボタンや差し込み便器や他の病院によくある人工物などの物質文化の新しい項目を操作することを学習しな ければならない。さらにまわりの人々との相互作用の新しいパターンを学習しなければならない。
 ブラウンは、入院を患者に対する「剥奪」過程の始まりと見なしている。「彼は、個性化された欲求と欲望と、自分自身と他者に対する決定についての長年の 習慣のほとんどを抑制するよう期待される。・・・・・しかしながら、剥奪過程が進行し、その過程の彼に対する効果が積み重なって行くに従って、彼はあたか も自己同一性を一つ一つ剥ぎ落とされていくようにしばしば感じる」(Brown 1963:119)。通常の生活における患者の役割は背景に退く。彼は番号付きの病室の中の一つの「症例」(case)となり、彼の身元は名前の入ったプ ラスティックの腕輪によって確認される。これは新生児に用いられる身元証明と同じものである。幼児や児童とのアナロジーは単なるこじつけではない。統制権 を失った患者は多くの仕方で幼児期に実際に退行する。産業界の指導者や専門家や他の「重要」人物であっても、看護婦が自分たちをファースト・ネームで、そ しておそらく「坊や」(baby)とすら呼びかけるのを知って仰天することだろう。
 コーザーは、患者が1日24時間、病院のスタッフの権限に服従する有り様に言及している。食事の時間とメニューから入浴、投薬にいたるまで、患者につい て全てが計画されている。「彼は絶えざる監督のもとにある。1日全部が彼について予定されている」(Coser 1959:174)。コウによれば、病院は「大勢の患者を扱うのに都合のいいように」(Coe 1970:300)、患者間の自然の差異を切り捨てる。このことは、病院以外では着ることのないような寝巻などの制服を配給することによって完全なものと なる。こうすれば、スタッフにとって患者の身体への接近が容易になるのである。財布や札入れは「安全確保のために」一時預けにされ、患者には絶対最小限の 個人的所有物しか残されない。「物質であろうとそれ以外のものであろうと、明確な個性を与える全ての象徴が取り去られる。そして患者は多数のうちのただの 一人とも言うべき地位に格下げされる」(同書、300)。」コウはまた、特に自分自身に関する情報の剥奪などの患者に対する制限、移動の制限、そして他者 に対する強制された依存にも言及している。
 問題は、病院職員が薄情で冷酷だということではない。むしろ、患者の地位と患者ケアは、官僚制の効率という、現実の、あるいは想像された必要の結果のよ うに思われる。ローバーが述べているように、「病院の規則と規制は彼ら[病院職員]の利益のためのものであり、患者の便宜のためのものではない」 (Lorber 1975:213)。当然ながら、医師や看護婦や他の病院職員にとって扱いやすい患者は「いい」患者と分類される。そうでない人々は「問題」患者なのであ る。ローバーは彼女の研究で、次のことを発見している。「医師と看護婦から、協力的で、不平を言わず、禁欲的と考えられる患者は一般的によい患者という レッテルを貼られた」。それに対して、「非協力的で、しょっちゅう不平を言い、あまりに情動的で、依存的な」患者は、「ふつうの手術を受けていようと非常 に大きな手術を受けていようと、しばしば問題患者と考えられた」(Lorber 1975:218-219)。「扱いやすさ」は「いい」患者の基本的な基準であることがわかった。それに対して、「病気から考えて正当と考えられる以上の 時間と手間のかかる」患者は「問題」患者であった(同書、220)。病院と「効率の崇拝者集団」を分析したテイラーはいい患者を、「質問されたときに答 え、処置を受け入れ、丸薬を飲み込み、食べるよう与えられたものを食べる患者」(C.Taylor 1975:218-219)として描いている。何人かの調査者は、「問題」患者はそれ以外の患者より病院職員から受ける手当てが少なかったり、わずかなが ら早く退院させられたりする傾向があることを発見している。彼らは時々ナーシング・ホームに引き渡されることがある。さらに、全く手に負えない患者に対し て精神医学的ケアが命じられることも少なくない。この問題を、いわば患者のベッドから捉えた人類学者ブラウンは、人間は、人間的状況において他者も自我と 同じ仕方で見ると仮定する傾向があるという。「スタッフはしばしば、彼らが多くの事柄について考え感じるのと同じように患者も考え感じることを当然だと思 う」(Brown 1963:123)。医師からライン上の下位の職員に到るまでの病院職員が病院生活のあらゆる側面とそれらの意味と目的に慣れ親しんでいる。それで、慢性 で繰り返し入院しているもの以外の患者が職員が当然視する慣例についてほとんど知らないということを忘れる傾向がある。しかも、未知のことは潜在的に脅威 である。ブラウンは言う。「おそらく、もし医学生や看護学生や将来の病院管理者が、病床の患者を10日間でも経験すれば、患者がどのように感じるのかを後 でもっとよく思い出すことができるだろう。おそらく、彼らは患者の退屈や欲求不満や不安を減らすように可能な限りの変更を加えることにより多くの理解と関 心を示すことができるだろう」(同書、124)。
 入院という行動そのものがあまりに儀礼化されているので、患者とその家族に、病院のスタッフが全く気づかないような大きな懸念を生み出すことがある。 キャロル・テイラーは、ブラウン夫人という59歳の女性について興味ある話をしている。彼女は同居している既婚の息子によって診療室の待合室につれてこら れた。彼女も息子も病院の手続きを理解しないうちに、彼女は看護人によってまるで神隠しのように連れ去られた。そして、それから数時間後には再び息子に会 うこともなく入院させられた。3週間たってやっと臨床心理学の大学院生と彼がデートをしていた看護学生が、何がブラウン夫人を「困らせている」のかという 謎を解きあかした。彼女はやっとの事で音信不通の家族への手紙を書くことができたのだが、その手紙を投函するのに切手を持っていなかったのである。心配し ていた家族のほうでも、病院という複雑な世界にどうやって入り込んでいいのかよくわからずに、誰かからの言葉を待っていた。彼らは交代で電話番をし、毎日 郵便屋を待ち、まさかの時に電報を受け取ることができるように特別の用意をしていたのである(C.Taylor 1970:97-99)。
 病院生活の圧倒的な規格化はしばしば敏感に感じとられるが、それは、病気の役割による非人格化が自らの文化の全ての命令に反するような患者の場合であ る。見知らぬ状況で交渉を試みることに控え目な民族である、メキシコ系アメリカ人の患者は、スタッフからの否定的反応を受け取るや否や、しばしばコミュニ ケーションを完全に閉ざしてしまう。ある児童病院で看護婦がメキシコ系アメリカ人の母親に、彼女の息子の手術の前夜に付き添うことができなかったことを告 げた時、その母親にくってかかることはなかった。しかし、その母親は実際は憤慨していたのである。そして、その恨みは、少年が手術の後で死んだ時にスタッ フ全員に向けられたのである(私信)。
 アンダーソンとヘイザムは、伝統的なメキシコ系アメリカ人の保健ケアのやり方と西洋のそれとの不幸な衝突について報告している。ある母親が、入院してい る息子がエムパコ(empacho)にかかっているかどうかを見極めようとして、その息子の腹に触っていた。すると、そこをメキシコ系アメリカ人の看護婦 に発見され、徹底的な尋問を受けた。看護婦は彼女の因習的な同胞に対して軽蔑を感じていることは、恥じ入っている母親にも出来事の目撃者にも痛いほど明ら かだった(Anderson and Hazam 1978)。
 病院生活というコンテクストでは、患者とその身内の側での恐怖、見当を失っていること、安心させられたいという要求を表す非言語的な手がかりが発見され ず、解決されないままで終わることがあまりにしばしばあるように思われる。

入院の代替的形式

 後の章で見るように、医療の分野に関わっている人々も含めて、アメリカ人はアメリカの制度的規範が固定され、不変で、しかも合理的であると仮定する傾向 がある。彼らは、非常に異なった形式ややり方で同じように目標達成に到りうるなど信じがたいことだと思っている。発展途上国の病院についてのアメリカ人に よる調査はごくわずかしかない。けれども、わずかの病院についての観察は、代替的なアプローチが実行可能であり、しかもより望ましくさえあるということを 示唆している点で非常に啓発的である。その種のある研究では、リマとペルーの4つの精神病院あるいは精神科病棟において、階級の低い職員が非常に権威主義 的な考えを持っているにもかかわらず、効果的な監禁的(custodial)ケアが人道主義的な雰囲気と結合されていることが発見された。「ペルーの精神 病院の病棟には強制の様式はない。全ての関係者のうちで最下位にいる患者も含めて、下位の者は、上位の者の要求と命令を受け入れ、それに従う傾向がある。 ペルーの精神病院は、北アメリカの監禁的な病院や監獄が、制度的民主主義のコンテクストから遮断されているように、まわりの文化から隔離され孤立させられ ているわけではない」(Stein and Oetting 1964:282)。ある病院では、患者はマッチを携帯し、自分自身のかみそりを所持することすら許されていた。そこでは、監禁的ケアへの緩やかなアプ ローチはスタッフにも患者にも有益であるという印象を受ける。ギリシャの農村の病院についての有名な研究でフリードゥルは、自分の観察した4つの病床を持 つ小病棟を家庭で患者に与えられる援助的ケアとうまく比較している。その病棟では、患者は自分自身の寝具と衣類を所持し、家族員から常時手当と食事を与え られていた。伝統的にギリシャでは、入院は、家族による患者の遺棄を象徴している。さらに、しかもほとんどのアメリカ人と対照的に、ギリシャ人は人間的な つきあいが健康な人々にも重病の人々にも同じように大切だと思っている。不潔で、混雑した病院の生活は、(患者や病院職員も含めて)多くのアメリカ人に とっては呪わしいことだろう。けれども、以上のような次第で、そのような病院生活がギリシャ文化というコンテクストではおそらく高度に治療的なのである (Friedl 1958)。

変化しつつある、アメリカのやり方

 患者にとっては幸運なことなのだが、今は少数だが徐々にその数を増しつつあるアメリカの進歩的な病院が厳格な規則の多くを緩和しつつある。というのは、 そのような規則のために病院が治療を受けるには魅力的ではないところになっていたからである。そのような病院は、慣習的なケアのパターンからの劇的な転換 を試みている。医学的な問題がない限り、訪問時間は延長され、メニューは選択の余地を与えている。さらに、カクテルやワインすら制限付きで許可されている こともある。このような外見上の改善を越えて、さらに大きな変化が現れ始めている。例えば、精神疾患の患者を一般ケア病院の内部に統合したり、非常に若い 人々と老齢の人々を単一の病棟で一緒にしたり、さらに(退役軍人病院の場合)病弱な夫婦が一緒に入院することを許可するなどの変化が現れている。テキサス では我々の一人(アンダーソン)が、より緊密に両親を病院に組み入れるための小児病院の改革について観察する機会を得た。この改革は小児ケアの主要な動向 となるはずである。例えば、ある障害児のための病院では、新しく、より大きな建物が立案中であったが、そこではいくつかの特定の革新的計画が実行されてい た。すなわち、遠路はるばるやってくる両親のための生活設備、病院の日常のケアと相談に両親を今より以上に関与させること、そして慢性病の児童の両親のた めの訓練プログラムなどである。
 もう一つの病院では、定期的な研修会とセミナーのための設備と予算を開発していた。その研修会とセミナーには、電話交換手から小児心臓学者や顧問の社会 学者と行動科学者に到るまでの全ての雇用者が参加する。このようなセミナーの主要な目的は、通常の厳格な序列の境界を越えて、患者ケアの改良についてのア イディアを自由に交換することにあった。そして、それは特に病院が受け持っている少数民族集団の必要に関することであった。病院によって財政的に援助され たスペイン語の訓練プログラムが考慮中であったが、スタッフはそのプログラムに対する功績を認められることだろう。我々は第16章で、現代の進歩的な病院 ケアにおけるその他の改革を考察するつもりである。
 革新的な病院に対して人類学者は特別の関心を示している。もちろん、病院経営や健康保険組合とメディケアの*1役割に関心を持つ人類学者などおそらくほ とんどいないだろう。しかし、アメリカの病院の文化の変化の中には、すなわち保健ケアについての革新と改良の過程の中には、人類学的観点がこの制度とその クライアントの必要に応える能力についての我々の理解に貢献できる部分がたくさんある。
 この新しい調査がすでに始まっている領域、あるいはこの新しい調査がこれから有益となるような領域がいくつか思い浮かぶ。例えば、外来患者診療室の構造 と役割は、今まで重視されていなかったけれども、非常に将来性のある調査課題である。最近、キャロル・ブラウナーは、サンフランシスコのある病院の外来患 者診療室の研究で、その診療室が近隣の年配の住民のための社会センターやクラブとして重要な役割を果たしていることを発見している。それらの人々は、友人 とおしゃべりをするために頻繁にその診療室に立ち寄る。しかも、その頻度は彼らの現在の医療上の必要とはほとんど関係がないのである。けれども、それは彼 らの心理的必要には確かに貢献している(ブラウナー博士からの私信)。救急医療サーヴィスも、ステファン・フランクルが太平洋岸にある病院の救急室の活動 についての研究から得た幅広い洞察から判断すると、同様に将来性のある調査領域であるように思われる(Frankel 1976)。もう一つ別の種類の病院調査の実例となるのは、バーバラ・ケーニックの予備調査の結果である。その調査は臨終の子供の世話をする看護婦が直面 することになる個人的な価値や情緒的な葛藤について扱っている(Koening 1977)。そして、(第16章で概観する)キュブラー・ロスによる死と臨終という問題についての研究の全ては、全ての年齢の入院患者の末期ケアに対す る、患者側に立ち、かつより効果的なアプローチの先駆けである。

原註
(1)イングマンは最近アパラチアのある中規模の病院における管理者と医師の間でしばしば起こる対立の、構造的な側面とパーソナリティの側面について―そ して変化と改良を遅らすことのできる医師の権力について―記述している(Ingman 1975)。

訳註
*1 米国の1965年の社会保障改正第18条、およびそれに基づく施策。それは、65歳以上の全ての人々に対する医療保障であるパートAと、任意加入者 に対する医療保障であるパートBの2つの部分からなる。



このページは、かつてリブロポートから出版されました、フォスターとアンダーソン『医療人類学』の改訳と校訂として、ウェブ上においてその中途作業を公開 するものです。

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他山の石(=ターザンの新石器)

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