かならずよんで ね!

ジャン・ガブリエル・タルド

Jean Gabriel Tarde, 1843-1904

池田光穂

佐藤毅による解説:「フランスの犯罪学者、社会学 者。トゥールーズ法科大学卒業後、長年司法官の職にあり、1894年司法省犯罪統計局長となる。その間に、『比較刑事学』(1886)、『刑事哲学』 (1890)、『犯罪研究と社会』(1892)などの著作を著した。1900年からはコレージュ・ド・フランスの現代哲学の教授。イタリアの犯罪学、とく にロンブローゾの犯罪学を批判し、犯罪の原因を社会的なものとする説を支持した。しかし、同時に、犯罪の性質にかかわりなく、犯罪の責任は犯罪者のパーソ ナリティーに帰せられることも主張した。こうした見解が、後の社会学的研究に連なった。/ヘーゲルの影響も受けていたが、とくにクールノーの影響を受けつ つ、デュルケームの社会学に対立し、スペンサーの進化論を拒否し、心理学的社会学の研究に関心を注いでいった。『模倣の法則』(1890)は、彼の立場を 明らかにした、もっとも有名な著作である。クールノーの影響のもと、発明を偶然性の発現とし、また、進歩、発展の基点として重視した。しかし、にもかかわ らず、社会の成立はなによりも類似に、模倣に求められなければならない、発明も模倣によってのみ社会化されるとした。タルドの「社会」は模倣によって成立 するのである。こうして彼の社会学は模倣という心理的なものに帰着する。だが、それは心理学の延長にあるものではなかった。社会的なものは心理的なものに 基づいているが、両者は次元を異にし、社会現象は意識体と意識体との間に生起するというのである。『世論と群集』(1901)では、群集と区別される「公 衆」の概念を明らかにした。彼には人類の未来に託したいものがあった。死後刊行された『未来史の断片』(1905)には強制から解放された一つのユートピ ア物語が描かれている。ほかに『社会法則』(1898)などがある。」

Influences, Antoine Augustin Cournot, Gottfried Wilhelm Leibniz[1]

Influenced: Alexandre Lacassagne, Eugen Lovinescu, Bjorn Thomassen, Paolo Virno, Peter Sloterdijk, ,Serge Moscovici , Everett Rogers , W. I. Thomas , Florian Znaniecki , Robert E. Park , Sigmund Freud , B. R. Ambedkar , Bruno Latour , Tony D. Sampson ,Gilles Deleuze.

【人物】ガブリエル・タルド、ないし、ジャン=ガブ リエル・タルドなどとして言及される[1]、ジャン=ガブリエル・ド・タルド[2](Jean‐Gabriel de Tarde、1843年3月12日 - 1904年5月13日)は、フランスの社会学者、社会心理学者。

【生い立ち】ドルドーニュ県サルラ(現・サルラ=ラ =カネダ)生まれ。地方貴族の子として少年時代をすごし、最初エコール・ポリテクニックで数学を学ぼうとするも眼病を患いかなわず、トゥールーズ大学、パ リ大学で法律を学ぶこととなった。しかしそれぞれ眼病を再発させ大学を中退し、故郷で独学を続けた。このとき、クールノーに多大な影響を受けた。その後、 早世した父と同じく裁判官の道を選び、1867年にサルラ裁判所に奉職。1880年頃から、リボーの創刊した『哲学雑誌』に論文を投稿するようになる。犯罪は遺伝的なものであると考えるイタリアのロンブローゾの犯罪学に対し関心をもって研究し、犯罪は伝播や伝染といった観点から模倣的な事実であるという視点で厳しい批判も行っている。 その後、社会的な影響関係を重視した独自の研究を進め、犯罪学の著作『比較犯罪学』(1886)『模倣の法則』(1890)などを刊行し、その後も、裁判 官の勤務のかたわら多くの著作や論文を発表した。1894年には司法省統計局長に就任し、母の死去もともないパリへ移住する。1895年、パリ社会学会会 長、レジョン・ドヌール勲章を受ける。1900年、コレージュ・ド・フランスの近代哲学教授に就任する[3]。1904年、パリにて逝去。

【研究】1890年に『模倣の法則――社会学的研 究』を発表し、社会学を一般に受容させた人物の一人である。後に社会学の父と称されることとなるデュルケムに対して、分業が道徳的な事実であるか否か、犯 罪が正常であるか否か、社会が実在するのか否か(社会実在論)といった多岐にわたる論点をめぐって論争を繰り広げた。/1901年には『世論と群集』を刊行。ル・ボンの群集心理学を批判し、直接対面的な関係によって結合する群集に対して、メディアを介した遠隔作用によって結合する公衆概念を提示した

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