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21世紀の医療にむけて:医療人類学が問いかけるもの

Medical Renovation for 21st Century

池田光穂

かつて、韓国の時代テレビドラマ『宮廷女官チャング ムの誓い』が日本で放映されたのをきっかけに、ちょっとしたブームになった。よき料理人であろうとした主人公チャングムは、食生活は人を病気から守り、か らだを癒す力があることを経験的に学び、最後は宮廷の女医にまで成長する物語である。

歴史に翻弄され、さまざまな悪意をもつ人に対して、 真摯で一途なチャングムをイ・ヨンエが好演したが、その忍従と努力と清楚な生き方は多くの日本人——とりわけ人生経験の豊かな中高年世代——の琴線を打ち 震わせたのである。

しかしながら、この話のほとんどの部分はフィクショ ンである。王朝の記録である『朝鮮王朝実録』の『中宗実録』編に「大長今」(テ・ジャングム)の名が登場する。しかし中宗三十九年(西暦1544年)の記 事の中に『予證女醫知之』(予の証しは女医之を知る)とのみ記述されているのが、彼女に関する唯一のものである。それが長大な大河ドラマになるわけだか ら、医と食と、それにまつわる様々な人間模様はまさに偉大なドラマになる。

日本における漢方や薬膳に対する人々の根強い関心が あるのも、決して一過性のものとは言えず、永続する人間の終わり無き健康追求がある限り、今後も続くものと思われる。東アジア医学の中核地である本場中国 の中医学に加え、韓医学、さらにはインドのアーユルヴェーダ医学など、広域的なアジア医学に人々が今後ますます注目してゆくことは間違いがない。

中医学(中国医学)
歴 史もふくる理論体系も多様。診断・処方、予後予測の理論も洗練されている。漢方とは言わない。漢方は日本化した中国医学の総称。ただし、日本で蓄積された 中医学の典籍(てんせき)が、中国近代革命後に中国に再輸入されて、漢方医学もまたその母なる中医学の理論的展開に貢献した。
モンゴル医学
同地域は、牧畜が盛んであったために、家畜の解剖学に伝統があり、外科や理学療法も発達している。さらにシャーマニズムに関するすばらしい伝統がある。
フィリピン医学
先住民の医療的伝統。スペイン植民者の医療文化やカソリック文化による混交があり、興味深い。薬用植物利用の伝統は、熱帯を中心とた現地の生物多様性を反映しており興味深い。
ベトナム医学
中国医学の伝統に加えて、現地の薬草利用の処方や、理学的療法を発達させた。国家による西洋医学との共存も良好である。
インド医学
シッダ仏教医学、イスラム医療の流れを汲むユナニー、ヨーガ、チベット仏教医学、自然療法、さらには、伝統医薬の国家パテント政策(プロパテント)など多彩で、世界的にみても「伝統医療のデパート」と言っても過言ではない。
チベット医学
仏教伝播以前のポン教(ボン教Bon)にまで遡れ、8世紀の初代ユトクが経典を整備し、医学校を創設した。アジアにおける代用的な体液学説がみられる。


人類学の立場から、多様な文化に根ざす健康と病気に 関する研究領域を、医療人類学(ルビ:いりょうじんるいがく)と呼んでいる。人類学とは、文化的実在としての人類について、具体的な実地調査にもとづいて 考察する学問である。

今日の人文社会科学に対しておこなった医療人類学の 最大の功績は「人類にとって医療とは多様な顔をもつ実践の集合体であり、西洋近代医療はそのひとつの姿にすぎない」ことを、さまざまな具体的事象——とり わけ伝統医学や身体や病気観の調査——の提示を通してその多様性の歴史や社会的機能を明らかにしたことにある。

日本は明治維新以降、医制(いせい)という法令を 1874年に発布してから、140年以上の長きにわたり西洋近代医学を「公定医療」として採用し今日に到っている。しかしながら、身の回りの生活を顧みる に、鍼・灸・マッサージなどは免許制の資格認定を始めとして、さまざまな医療や健康維持法がある。これを多元的医療(ルビ:たげんてきいりょう)という。 これらの多様性はじつは日本社会の中で定着してきたさまざまな医療や健康法が、もともと豊かであったことの証であり、それは西洋近代医療をしっかりと定着 していることと矛盾しない。

「漢方医学」という言葉は、漢方すなわち中国に由来 する医学であるが、日本社会ははやくからその複雑な医学理論と技術——現代中国では中医学と呼ぶ——を輸入するだけでなく、みずからの自家薬籠中(じかや くろうちゅう)のものとしてきたのである。つまり漢方と名乗っているがある意味で日本の伝統医学そのものと言っても間違いではない。

この医学は、ナショナリズム期にはかつて皇漢医学と も呼ばれた。そして中医学の古典籍への執着が独特な理論解釈をつくりあげてきたのである。また日本の高度な木版印刷などにより、後に原典を本場の中国に里 帰りさせたという歴史をもつ。また中国医学の朝鮮半島における結実であるところの韓医学もまた日本に入り、さらに幕末にはオランダ医学(蘭方)などに導入 され、緒方洪庵(ルビ:おがたこうあん)などでも御存知のように種痘(ルビ:しゅとう)——天然痘の予防接種——の実施もおこなっている。

このように日本は先進的な西洋近代医療と共にさまざ まな治療法を貪欲に取り込んで、自分たちの身体に会うように見事に定着させたすばらしい伝統をもつ。この成功は、日本の産業のお家芸である、細かい技術と マクロな全体性への見事なパランス感覚に共通するものである。

さて文化の違いを超えて人間の健康について考えてみ よう。人間の身体の成り立ちは、心理・生物(医学)・社会的な要素がそれぞれ分離しているのではなく、相互に作用し、かつ総合的な性質をもつものである。 人間の不調や病気は、心理・生物・社会の複合的な問題からなり、それぞれの側面における対処を試みるだけでなく総合的に人間をみる必要があることは言うま でもない。

19世紀の偉大な病理学者であるルドルフ・ウィル ヒョウ(1821-1902)は、かつて「医療はひとつの社会科学であり、政治とはスケールの大きい医療にほかならない」と言った。翻って20世紀を振り 返ると、その百年は生物医学革命の時期であり人間の生物学的生存の可能性——とりわけ感染症の脅威からの解放と栄養と衛生状態の改善による驚異的な平均寿 命の伸展——を限界まで引き上げることに成功している。

しかし二〇世紀という時代は、科学技術を使った大量 殺戮の時代でもあった。医療は歪んだ形でその大量殺戮——人口学的にみると人工妊娠中絶は出生率の低減に大きな影響を与えた——に消極的にではあるが、そ れを食い止めたり逆の方向に対処することはできなかったのである。

もしルドルフ・ウィルヒョウの主張(テーゼ)を21 世紀バージョンに鍛え直すとすれば、それは「医療は(いま再び)社会科学としての精神と実践理性を取り戻すべきであり、言い換えると医療とはスケールの大 きい政治でもある」ということである。人間の健康の全体性を取り戻す人々の努力を身近に観察している医療人類学徒である私は、この思いを日々強くしてい る。

クレジット:池田光穂「医療人類学が問いかけるもの:社会現象としての医療」『地球学の世紀』170:130-131,2010年9月

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