「研究とイノベーションの政策」はどのようにして崩壊に耐えたか:フクシマ3.11以降の日本
How research and innovation policy withstand disruptions: Japan
after Fukushima
アラン-マルク・リュウ
アラン-マルク・リュウ(Alain-Marc Rieu)教授は、かつて大阪大学 COデザインセンターと呼ばれた元特任教授である。かつリヨン第三大学 名誉教授、リヨン第三大学東アジア研究所・文化思想領域横断研究所 上級研究員である。
私(池 田光穂)は、COデザインセン ターの元センターならびに、定期刊行物であるCO*Designの元編集長でもあった。
現在の、大阪大学リポジトリーにある、同教授の表題 の論文には、ある編集委員による翻訳がついている。今回、それについてのオリジナル翻訳についての疑義がセンター外の関係者から、実際のところの異同はど うなのかという照会があったために、同教授の原文 と、オリジナルに添付されている翻訳文、そして私のものを公開することを通して、アラン-マルク・リュウ教授が同論文を通して伝えたかったことを正確に記 すことにする。
How research
and innovation
policy withstand disruptions: Japan after Fukushima by Dr. Alain-Marc Rieu |
「研究とイノベーションの政策」はどのよ
うにして崩壊に耐えたか:フクシマ3.11以降の日本(池田訳) |
研究とイノベーション政策はどのようにし て混乱を凌いだか:ポスト・フクシマの日本(以前の翻訳) |
Japan was the
first nation in
the mid-1990s to respond to a
systemic crisis by the design and
implementation of a long-term and large-scale science and technology
policy. The goal was to generate innovation in order to create new epistemic conditions of economic
growth and social progress. Most
industrial nations have since then developed similar policies with the
goal to overcome a “long-term recession”.
In Japan, this policy led to
successive Basic plans for science and technology policy; the last one,
the 5th, was launched on January 2016. In March 11, 2011, Japan was confronted with another massive disruptive event, the Fukushima catastrophe. The source of the catastrophe was a giant earthquake and tsunami. The problem is to analyze how a large-scale research and innovation policy responds to a disruption, which has for origin the networks of political and economic power, which brought together the conditions of the catastrophe. Because the population has lost trust in government and the state apparatus, economic policies to overcome stagnation remain inefficient. The problem is to examine how a large-scale research and innovation policy can internalize such context and build the conditions of its performance. Comparing the successive plans and their different objectives shows how this problem was addressed but also denied. The goal is to open research on a different type of research and innovation policy. |
1990年中期、日本は長期的かつ広域
的に科学技術政策をデザインし、それを実行することで全般的な危機に対応してきた最初の国である。経済成長と社会の進歩にとって新しい認識の諸条件を創造
するためにイノベーションを生み出すことが、当時の目標であった。多くの工業国は、それまでの「長期不況」を克服するために類似した科学技術政策を発達さ
せた。日本においては、この政策は一連の科学技術基本政策を通じておこなわれた。その直近のものが2016年1月から始まった第五次科学技術基本政策であ
る。 それに遡る2011年3月11日。日本は福島第一原子力発電所事故という大規模災害に出会う。この大災害の〈原因〉は巨大地震と津波によるものであっ た。その際に〈起源〉としての政治経済権力のネットワークになり得た崩壊現象に、大規模な研究とイノベーション政策がどのように対処したのか、そして、そ れが大災害の諸条件にどのように合わさっていたかが問題になる。しかしながら政府と国家機関への人々の信頼が大きな失墜をしたために、不況を乗り切るため の経済政策が不十分なままとなっている。 スケールの大きい研究とイノベーション政策をどのようにして社会的文脈の中に組み込み、かつパフォーマンス向上の条件を構築するのかを検証することが、 いまや問題となっている。これまでに続いてきた諸計画と、それらの種々異なる諸目的を比較することは、どのようにして、この問題が位置づけられると同時に 否認されてしまったのかについても私たちに教えてくれよう。別種の研究とイノベーション政策を切り拓くことが本論考の目標となる。 |
日本は、1990年代半ば、長期的で広
域に及ぶ科学技術政策を設計し、それを実行(実装)することで全体的な危機に対処してきた最初の国家である。経済成長と社会の進歩の新たな知の諸条件を創
造するためにイノベーション(刷新)を生み出すことがその目的であった。当時から、多くの工業国は「長期にわたる不況」を克服するために、類似の政策を展
開している。日本の場合、その政策は、科学技術に関する一連の基本政策を通じて行なわれ、最新の政策は2016年1月に始まった第五次のそれである。 2011年3月11日、日本は、もう一つの大規模災害、福島[原発]大災害に直面した。大災害の原因は巨大地震と津波によるものであった。 問題は、同時に大災害の諸条件をもたらした政治・経済的権力のネットワークをその発生原因とする混乱に対して、広域に及ぶ大規模の研究とイノベーション政 策がどのように災害を分析するのか、ということである。国民が政府と国家機構に対する信頼感を失っているところを見ると、経済の停滞を克服するための経済 政策は非効率的であると言える。 問題は、あるスケールの大きい研究と刷新的政策がそのような状況をどのように内在化し、その成果の諸条件を構築することができるかを検証す ることである。継続して実施される計画とその異なる目的を比較すると、この問題がどのように対処されたかが示され、同時に、否定されているかが分かる。目 標は、異なる種類の研究とイノベーション政策に関する調査研究を切り開くことである。 https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/60561/?lang=1 |
原子力年表
1938 オットー・ハーンとリーゼ・マイトナーによる核分裂反応の発見
1945 原子爆弾(Nuclear weapon)の成功
1954 日本ではじめての原子力関連の予算が計上される
1955 原子力基本法(昭和三十年法律第百八十六号)
1956 経済白書のなかに「日本はもはや〈戦後〉ではない」の文言があらわれる。科学技術庁が総理府の外局として設置。原子力委員会の設置
1957 8月東海村で実験原子炉が臨界点に達する。
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文献
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