はじめに よんでください

日本における思想犯の取り締まりの法的規定はあまりにもアバウト だった!

Historical Facts: Very Easy to Abuse of the Maintenance of the Public Order Act, CHIAN-IJI-HOU, 1925, 1928, by the Japanese Imperial Leagal Authorities

COデザインセンター梟さん

池田光穂

治安維持法(大正14年法律第46号)が規定する法 律違反の抵触の指摘は極めて恣意的で警察当局には便利な規定であったことは、法律の条文からみて一目瞭然である。つまり「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ 否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス」である。

昭和16年での改正では、この第一条が大幅に増える:「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ三年以上ノ有期懲役ニ処ス

この法律の前身は、治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル 件(大正12年勅令第403号)であり、その後身に当たる法律は、治安維持法(昭和16年法律第54号)である。法律54号は、前身の法律よりも、その分 量が10倍以上になっているが、それは、罪の範囲の拡張、刑事手続、予防拘禁という、思想犯を監視する手続きが複雑化したためである。

さて、この法律は、大正デモクラシーの余韻が残る時 代にも、日本帝国の版図拡大により、その適用領域が拡大し、「治安維持法ヲ朝鮮、台湾及樺太ニ施行スルノ件(大正14年勅令第175号)」および「関東州 及南洋諸島ニ於テハ治安維持ニ関シ治安維持法ニ依ルノ件(大正14年勅令第176号)」が付加される。

また、思想犯の「転向」により、収監を解き、社会に 「復帰」させる法「思想犯保護観察法(昭和11年法律第29号)」も整備される→下の図版は、それが制定された時の『官報』(2820号昭和11 (1936)年)である。

日本語の思想犯は、世界的にみると「政治犯(Political prisoner)」である。思想犯というのは、日本語では死語であり、政治犯と言い換えるべきだが、戦前の思想犯というスティグマに満ちた用語がこの21世紀にも蔓延しているのは、日本全体の政治意識の低さが原因であり、またゆゆしきことでもある。

リンク(これらの情報は「中野文庫」ほか、から引用している)

文献

画像情報(思想犯保護観察法(昭 和11年法律第29号)



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