生命の尊厳
Sanctity of Life
生命の尊厳とは、倫理学や宗教において、生命や命 (いのち)は、全体性があり、神聖で、それ自体に価値があるゆえに、不可侵性なものであるという思潮や生き方のことをいう。普通は、生命現象は、人間のみ ならず、他の動物や、草木などの植物などにもみられることから、あらゆる生命を傷つけてはならないという、東洋思想(ヒンドゥー、仏教、ジャイナなどの教 え)のアヒンサー(デーヴァナーガリー:अहिंसा, ahiṃsā)=非暴力の思想と通底するものがあ る。
西洋哲学では、キリスト教の倫理(=教義)の、汝殺すことなかれ!(Thou shalt not kill)——旧約聖書(トーラー)の第五番目の掟——で、この原理が適確に現されている。
left:Anonymous (Noord-Nederland) , Museum Catharijneconvent, (source: Ten Commandments)
right: A 12th-century Byzantine manuscript of the Hippocratic Oath (source: medical ethics)
その他にも、生命の尊厳は、生命倫理学や法の倫理学 という領域において、主張されており、妊娠出産中絶や避妊、幹細胞(場合によってはiPS細胞ですら含まれる) 研究、あるいは安楽死(尊厳死)が可能である/権利があると考える選択派(Pro-choice) に反対するプロライフ(生命優先派:Pro-life)の思想の根幹をなすものとして、よく知られている。他方で、キリスト教の生命の尊厳派は、人間中心 主義やキリスト教による法の支配の考え方に繋がる思潮もある。そのため、生命の尊厳派を、このようなキリスト教の原理主義の中にみて、東洋の生命尊重思想 を、同じカテゴリーに含めない西洋中心的な考え方もある。
また、生命の価値を絶対視することから、生命の質(Quality of life)を比較考量できるという考え方にも対立する。
生命の尊厳は、我々の日常の生活倫理に近いものであ るが、生命科学の進歩により生命が操作されたり、また、ロボットや人工知能のように、人格表象可能なエージェントの存在で、「生命とは何か?」と真面目に 考える機運が失われつつある。このことを危惧して、宗教実践者は、近年、生命の尊厳の主張を声高にするようになったが、生命操作や人体実験のガイドライン に介入するのが精一杯で、生命の尊厳の独自思想を持って、過度の生権力(バイオパワー)の横溢を止めるまでの抑止力にはなっていない。
北米プロテスタントの文脈では、生命の尊厳派のうち
過激な一団が、人工妊娠中絶のクリニックを襲い、医師を殺害したり、爆破する事件が起こるが、胎児や胚の生命の尊厳を主張するあまり、人を傷つけたり殺人
を犯すという矛盾し、かつ馬鹿げた者が登場するのは、悲劇を通り越して、茶番という他はない。
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