Yoshiyuki TSUMI,
1926-1994
1966年4月23日 東京・清水谷公園(鶴見良行文庫デジタルアーカイブ)
良行40歳
鶴見良行[ツルミヨシユキ] 1926‐1994年。ロスアンゼルス生まれ。1952年東京大学法学部卒業。財団法人国際文化会館企画部長、上智大学講師、龍谷大学経済学部教授等を歴 任。
1926
4月28日、アメリカ合州国ロスアンゼルス市に生まれる。父・憲(外交官)、母・英。
1948
東京大学法学部法律学科入学。思想の科学研究会に参加、『思想の科学』誌編集に参加。
1952
東京大学法学部卒業。5月、安武千代子と結婚。8月から2年間結核のため熱海で療養生活。
1954
ウィリアム・コーディル(ハーバード大学文化人類学教授)の助手として、約1年間在日米軍基地調査に従事
1955
財団法人国際文化会館に就職。
1964 国際文化会館企画部長に就任。
1965
4月、ベ平連(=「ベトナムに平和を!市民連合」)立ち上げメンバーの一人として参加。7月~9月、ハーバード大学インターナショナル・セミナー受講。西
回りで渡米し、台湾、香港、ベトナム、ヨーロッパを訪ねる。旅の途中の6月22日午前5時50分、サイゴン(現在ホーチミン)市内のマーケット広場で行な
われた解放民族戦線兵士公開銃殺を20メートルの距離から目撃、大きな衝撃を受ける。
1970 『反権力の思想と行動』盛田書
店,1970年
1971
アジア勉強会設立。東南アジアの島や村に通うようになる。
1973
アジア太平洋資料センター(PARC)設立に参加。国際文化会館企画部長を退任、嘱託となる。
1974 東京ベ平連解散。
1979
UNCTAD会議(フィリピン)に出席。
1980 『アジア人と日本人』晶文社,
1980年
1981 『アジアを知るために』筑摩書
房,1981年/『マラッカ物語』時事通信社,1981年
1982 『アジアはなぜ貧しいのか』朝
日新聞社,1982年/『バナナと日本人』岩波書店,1982年
1984 『マングローブの沼地で』朝日
新聞社,1984年
1986
上智大学講師。『大地と海と人間』筑摩書房,1986年/『アジアの歩きかた』筑摩書房,1986年
1987 『海道の社会史』朝日新聞社,
1987年
1988
仲間15人と貨客船を借り、約40日間のマルク海(東インドネシア)航海を実現。/『エビ・ナマコはどこから』新幹社,1988年/『辺境学ノート』めこ
ん,1988年
1989
龍谷大学経済学部教授に就任。ピープルズ・プラン世界先住民会議に参加。
1990
6月『ナマコの眼』筑摩書房で第6回新潮学芸賞受賞。8月食道と胃にガンが見つかり9月手術。
1991 『アラフラ海航海記』徳間書
店,1991年
1992
7月大同生命地域研究特別賞受賞。
1994
ココス島を3回訪問。12月16日未明、急性心不全のため永眠。享年68。
1995 『東南アジアを知る』岩波書
店,1995年/『ココス島奇譚』みすず書房,1995年
1998-2004 『鶴見良行著作集』
(全12巻)みすず書房,1998年~2004年
2005 『対話集 歩きながら考える』
太田出版,2005年
2010 『エビと魚と人間と 南スラ
ウェシの海辺風景』みずのわ出版、2010年
http://tsurumi.rcccs.rikkyo.ac.jp/tsurumi.html
鶴見 良行(つるみ
よしゆき、1926年4月28日 - 1994年12月16日)は、日本のアジア学者・人類学者。 |
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1926
年、外交官・鶴見憲の息子としてアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれた。外交官の父の仕事の影響で、ワシントンD.C.、ポートランド、
ハルビンなど一家は在外生活を重ねた。第一高等学校の受験に失敗して、東京外国語学校に入学[1]。同校を1年で退学し[2]、水戸高等学校を経て、東京
大学法学部に入学した。1952年に東京大学法学部を卒業[3]。 1946年にいとこの鶴見俊輔、鶴見和子が関係した雑誌『思想の科学』が発刊されると、思想の科学研究会の常任活動に参加し、自身はコミュニケーション論 を研究した[4]。一時結核で倒れたため療養生活を送ったが[4]、1955年から1986年まで国際文化会館に勤務した(1973年から1986年の間 は、嘱託勤務[5])。1965年にはベトナムに平和を!市民連合発足に参加。これに前後する時期には、頻繁にアジア諸国へ渡航し、研究を深めた。 1973年、アジア太平洋資料センター設立のメンバーとなり、独自なアプローチによるアジア探究者として旺盛な研究活動を本格化した。 上智大学講師を経て[4]、1989年より晩年まで龍谷大学経済学部教授を務めた[6]。1994年、『ココス島奇譚』執筆中[7]、京都の自宅にて急逝[8]。 |
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1990年:新潮学芸賞(第3回)「ナマコの眼」の業績に対して[4]。 1992年:大同生命地域研究賞特別賞(第7回)「東南アジアの民衆の立場にたつ独自のアジア学を構築した業績」に対して[9] |
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1982年の『バナナと日本人』(岩波新書)、1990年の『ナマコの眼』(新潮学芸賞受賞)が代表的な著作として知られている。多数の著書を残し、みすず書房から1998年から2004年まで主要著作を収めた『鶴見良行著作集』(全12巻)が刊行されている。 食の面から世界各地を比較調査しており、自身も料理と写真の腕前がプロ並みに高かった。 秋篠宮文仁親王と紀子妃がまだ結婚前の学生であった時代に鶴見の教えを受け、影響を受けている[10]。 |
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父:鶴見憲は外交官。シンガポール総領事や陸軍司政長官などをつとめた。 従兄:鶴見俊輔は哲学者・評論家。アメリカのプラグマティズムの紹介やベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)を設立したことで知られる。俊輔によると、父 親の死後、その日記を見ると「結局良行は、和子、俊輔に及ばず」と書いてあったので「自分の方が問題にならないほど高い業績を挙げているのを、親父はわ かっていなかった」と激怒したといわれる[11]。 従姉:鶴見和子は社会学者。 伯父:鶴見祐輔は政治家。 |
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単著 『反権力の思想と行動』 鶴見良行 著 盛田書店 1970 『アジア人と日本人』 鶴見良行 著 晶文社 1980 『アジアを知るために』 鶴見良行 著 筑摩書房 1981(ちくまぶっくす ; 33) 『マラッカ物語』 鶴見良行 著 時事通信社 1981 『アジアはなぜ貧しいのか』 鶴見良行 著 朝日新聞社 1982(朝日選書 ; 211) 『バナナと日本人 : フィリピン農園と食卓のあいだ』 鶴見良行 著 岩波書店 1982(岩波新書) 『マングローブの沼地で : 東南アジア島嶼文化論への誘い』 鶴見良行 著 朝日新聞社 1984 『大地と海と人間 : 東南アジアをつくった人びと』 鶴見良行 著 筑摩書房 1986(ちくま少年図書館) 『アジアの歩きかた』 鶴見良行 著 筑摩書房 1986 のちちくま文庫(1998年) 『海道の社会史 : 東南アジア多島海の人びと』 鶴見良行 著 朝日新聞社 1987(朝日選書 ; 330) 『辺境学ノート』 鶴見良行 著 めこん 1988 『エビ・ナマコはどこから』 鶴見良行 著 新幹社 1988(アジアが見えてくる ; 2) 『ナマコの眼 鶴見良行』 著 筑摩書房 1990 のちちくま学芸文庫 『アラフラ海航海記 : 木造船でゆくインドネシア3000キロ』 鶴見良行 著 徳間書店 1991 『東南アジアを知る : 私の方法』 鶴見良行 著 岩波書店 1995(岩波新書) 『ココス島奇譚』 鶴見良行 [著] みすず書房 1995 『歩きながら考える : 対話集』 鶴見良行 著,オルター・トレード・ジャパン/編集室パラグラフ 編 太田出版 2005(ナマコ・コレクション ; 1) 『エビと魚と人間と南スラウェシの海辺風景 : 鶴見良行の自筆遺稿とフィールド・ノート』 鶴見良行 著,森本孝 編 みずのわ出版 2010 |
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著作集 『バナナ』 鶴見良行 [著] みすず書房 1998(鶴見良行著作集 ; 6) 『マングローブ』 鶴見良行 [著] みすず書房 1999(鶴見良行著作集 ; 7) 『出発』 鶴見良行 [著] みすず書房 1999(鶴見良行著作集 ; 1) 『ナマコ』 鶴見良行 [著] みすず書房 1999(鶴見良行著作集 ; 9) 『収奪の構図』 鶴見良行 [著] みすず書房 1999(鶴見良行著作集 ; 4) 『マラッカ』 鶴見良行 [著] みすず書房 2000(鶴見良行著作集 ; 5) 『海の道』 鶴見良行 [著] みすず書房 2000(鶴見良行著作集 ; 8) 『フィールドノート 1』 鶴見良行 [著] みすず書房 2001(鶴見良行著作集 ; 11) 『歩く学問』 鶴見良行 [著] みすず書房 2001(鶴見良行著作集 ; 10) 『ベ平連』 吉川勇一 編・解説 みすず書房 2002(鶴見良行著作集 ; 2) 『アジアとの出会い』 鶴見良行 [著] みすず書房 2002(鶴見良行著作集 ; 3) 『フィールドノート 2』 鶴見良行 [著] みすず書房 2004(鶴見良行著作集 ; 12) |
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共編著 『アジアからの直言』 鶴見良行 編 講談社 1974(講談社現代新書) 『越境する東南アジア』 鶴見良行, 山口文憲 著 平凡社 1986(ポリフォニー・ブックス) 『道のアジア史 : モノ・ヒト・文化の交流』 鶴見良行, 村井吉敬 編著 同文館出版 1991 『エビの向こうにアジアが見える』 村井吉敬, 鶴見良行 編著 学陽書房 1992 『ヤシの実のアジア学』 鶴見良行, 宮内泰介 編著 コモンズ 1996 |
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翻訳 『バートランド・ラッセル著作集』 第2 自由と組織. 第1 / 大淵和夫・鶴見良行 訳 みすず書房 1960 『バートランド・ラッセル著作集』 第3 自由と組織. 第2 / 大淵和夫・鶴見良行・田中幸穂 訳 みすず書房 1960 『日本日記』 デイヴィッド・リースマン, イーヴリン・リースマン 著,加藤秀俊, 鶴見良行 訳 みすず書房 1969 『フィリピン・ナショナリズム論』 レナト・コンスタンティーノ 著,鶴見良行 監訳 井村文化事業社 1977(フィリピン双書 ; 4,5) 『フィリピン民衆の歴史 2 往事再訪. 2』 レナト=コンスタンティーノ 著 / 鶴見良行 [ほか]訳 井村文化事業社 1978(フィリピン双書 ; 9) 『フィリピン民衆の歴史 3』 ひきつづく過去. 1 レナト・コンスタンティーノ, レティシア・R.コンスタンティーノ 著 鶴見良行 [ほか]訳 井村文化事業社 1979(フィリピン双書 ; 10) 『フィリピン民衆の歴史 4』 ひきつづく過去. 2 レナト=コンスタンティーノ, レティシア=R=コンスタンティーノ 著 鶴見良行, 吉川勇一 訳 井村文化事業社 1980(フィリピン双書 ; 12) |
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1.^ 黒川創『鶴見俊輔伝』p.157 2.^ 黒川創『鶴見俊輔伝』p.171 3.^ https://kotobank.jp/word/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%20%E8%89%AF%E8%A1%8C-1650000 4.^ a b c d 日外アソシエーツ現代人物情報 5.^ 鶴見良行さんのプロフィール 6.^ にしゃんた(タレントで、羽衣国際大学教授)は龍谷大学大学院で鶴見に師事していた。 7.^ 没後の1995年、『ココス島奇譚』が刊行された。 8.^ 『鶴見良行対話集 歩きながら考える』著者紹介 9.^ 日外アソシエーツ現代人物情報 10.^ 江森敬治『秋篠宮さま』(毎日新聞社、1998年) 11.^ 鶴見俊輔・加藤典洋・黒川創『日米交換船』(新潮社、2006年3月)p.167 |
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https://x.gd/3tfcX |
★『ナマコ』鶴 見良行著作集 9
『ナマコの眼』(筑摩書房1990年1月 刊)とその関連エッセイ・論考を収録 参考文献 : 巻末p34-67 著者の肖像あり 月報あり、奇妙で魅力的な生物・ナマコの眼から見えてくるアジアと日本の多様な交通の記憶—悠然たる筆致で、海の民たちの「もう一つの世界史」を描いた壮 大な叙事大作『ナマコの眼』と関連エッセイ。
1 太平洋の島々—『ナマコの眼』第一部
2 アボリジニーの浜辺—『ナマコの眼』第二部
3 「東インド諸島」の人びと—『ナマコの眼』第三部
4 漢人の北から—『ナマコの眼』第四部
5 ナマコと身分証明書—『ナマコの眼』の周辺
リンク
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1997-2099
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Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
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