Banana and Japanese, by Yoshiyuki TSUMI, 1982.
岩波書店の岩波新書解説と、章立てなどの情報を再掲します(=https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784004201991)
「ヒトはナマコになれるのかもしれない」——鶴見良行『ナマコの眼』より
スーパーや八百屋の店頭に並ぶバナナの九割を生産するミンダナオ島.その大農園で何が起きているか.かつて王座にあった台湾,南米産に代わる比 国産登場の裏で何が進行したのか.安くて甘いバナナも,ひと皮むけば,そこには多国籍企業の暗躍,農園労働者の貧苦,さらに明治以来の日本と東南アジアの 歪んだ関係が鮮やかに浮かび上がる.
1 バナナはどこから?―知られざる日・米・比の構図
2 植民地ミンダナオで―土地を奪った者、奪われた者
3 ダバオ麻農園の姿―経営・労働・技術
4 バナナ農園の出発―多国籍企業進出の陰に
5 多国籍企業の戦略は?―フィリピン資本との結びつき方
6 契約農家の「見えざる鎖」―ふくらみ続ける借金
7 農園で働く人びと―フェンスの内側を見る
8 日本へ、そして食卓へ―流通ルートに何が起ったか
9 つくる人びとを思いながら―平等なつながりのために
著者:鶴見良行[ツルミヨシユキ]1926‐1994年。ロスアンゼルス生まれ。1952年東京大学法学部卒業。財団法人国際文化会館企画部 長、上智大学講師、龍谷大学経済学部教授等を歴任
1926
4月28日、アメリカ合州国ロスアンゼルス市に生まれる。父・憲(外交官)、母・英。 1948 東京大学法学部法律学科入学。思想の科学研究会に参加、『思想の科学』誌編集に参加。 1952 東京大学法学部卒業。5月、安武千代子と結婚。8月から2年間結核のため熱海で療養生活。 1954 ウィリアム・コーディル(ハーバード大学文化人類学教授)の助手として、約1年間在日米軍基地調査に従事 1955 財団法人国際文化会館に就職。 1964 国際文化会館企画部長に就任。 1965 4月、ベ平連(=「ベトナムに平和を!市民連合」)立ち上げメンバーの一人として参加。7月~9月、ハーバード大学インターナショナル・セミナー受講。西 回りで渡米し、台湾、香港、ベトナム、ヨーロッパを訪ねる。旅の途中の6月22日午前5時50分、サイゴン(現在ホーチミン)市内のマーケット広場で行な われた解放民族戦線兵士公開銃殺を20メートルの距離から目撃、大きな衝撃を受ける。 1970 『反権力の思想と行動』盛田書店,1970年 1971 アジア勉強会設立。東南アジアの島や村に通うようになる。 1973 アジア太平洋資料センター(PARC)設立に参加。国際文化会館企画部長を退任、嘱託となる。 1974 東京ベ平連解散。 1979 UNCTAD会議(フィリピン)に出席。 1980 『アジア人と日本人』晶文社,1980年 1981 『アジアを知るために』筑摩書房,1981年/『マラッカ物語』時事通信社,1981年 1982 『アジアはなぜ貧しいのか』朝日新聞社,1982年/『バナナと日本人』岩波書店,1982年 1984 『マングローブの沼地で』朝日新聞社,1984年 1986 上智大学講師。『大地と海と人間』筑摩書房,1986年/『アジアの歩きかた』筑摩書房,1986年 1987 『海道の社会史』朝日新聞社,1987年 1988 仲間15人と貨客船を借り、約40日間のマルク海(東インドネシア)航海を実現。/『エビ・ナマコはどこから』新幹社,1988年/『辺境学ノート』めこ ん,1988年 1989 龍谷大学経済学部教授に就任。ピープルズ・プラン世界先住民会議に参加。 1990 6月『ナマコの眼』筑摩書房で第6回新潮学芸賞受賞。8月食道と胃にガンが見つかり9月手術。 1991 『アラフラ海航海記』徳間書店,1991年 1992 7月大同生命地域研究特別賞受賞。 1994 ココス島を3回訪問。12月16日未明、急性心不全のため永眠。享年68。 1995 『東南アジアを知る』岩波書店,1995年/『ココス島奇譚』みすず書房,1995年 1998-2004 『鶴見良行著作集』(全12巻)みすず書房,1998年~2004年 2005 『対話集 歩きながら考える』太田出版,2005年 2010 『エビと魚と人間と 南スラウェシの海辺風景』みずのわ出版、2010年 http://tsurumi.rcccs.rikkyo.ac.jp/tsurumi.html |
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