かならずよんで ね!

前編: コレラの時代の愛

池田光穂

「苦いアーモンドを思わせる匂いがすると、ああ、この恋も報われなかったのだなとつい思ってしまうが、こればかりはどうしようもなかった」これは、ノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの作品『コレラの時代の愛』(木村榮一訳)の冒頭の文章である。

 匂いを感じたのは81歳になる医師フベナル・ウル ビーノ博士であり、亡くなったのはチェスの友人ジェレミーア・ド・サン・タムールである。苦いアーモンドを思わせる匂いとは、シアン化合物の燻蒸した時の ものである。テレビドラマや探偵小説に精通した人は、登場人物である刑事や検屍官が(この場合は服用だが)遺体の匂いを鼻先で感じる時にしばしば表現され るものだ。さて、老練な医師のチェスの相手だからジェレミーアは、報われない恋で亡くなったのではない。高齢で戦傷による身障者でもあった彼は高潔で、検 視の助手であった若い医学生に故人が「無神論の聖人」に値すると彼の人格さを褒めているからである。ウルビーノ博士が、生涯みてきた検視で苦いアーモンド の匂いがする自殺のケースで失恋が原因以外なのは、彼の長い医師の経歴のなかでも初めてのケースであったからだ。匂いを通して、その人の生前の最期の決断 を知る——屍体からのメッセージを忖度する。ガルシア=マルケスの小説はこの奇妙な書き出しから始まる。

 だが、奇妙なのはこれだけではない。コレラが蔓延 する20世紀初頭の南米コロンビアのカルタヘナを舞台での奇妙な老人のラブストーリーが展開するのである。ジェレミーアの葬儀後に、逃げたペットのオウム を樹上に追いかけて梯子から落下しあっけなく亡くなったウルビーノ医師。その未亡人フェルミーナは、かつて彼女が13歳の時に4歳年上だった貧しい郵便局 員フロレンティーノと駆け落ちしたが彼女の父親によってその仲を割かれフランスの留学帰りのコレラ治療の専門家のウルビーノ医師と結婚させらた経験をも つ。もちろん土地の名士で裕福な二人は幸せな老後の人生を送りつつあった。その葬儀が終わってまもない頃に今は、河川運輸会社の経営をしているそのフロレ ンティーノが51年後に未亡人フェルミーナのところに登場し、永遠の愛を「再度」誓ってくれと迫る。

 小説ではフェルミーナは当然のように激昂する。し かしこれまた異様なことにくだんのフロレンティーノはその純愛の機会を待つ51年の間になんと六百人もの女性の間で恋愛——つまり愛の情交——楽しんでき たのだった。はてさて物語の結末は?! それはみなさんのために取っておこう。

 僕(筆者)はいったい何を世直し研究会の諸兄諸姉 に伝えたいのか?それは、このカルタヘナというカリブ海に面した熱帯——コレラは激しい下痢と発熱で命を奪う——における奇矯なラブストリーが、この時代 ——コロナは重篤な呼吸器不全と発熱で命を奪う——にもまた新たな社会的想像力の可能性をもつ、と言わんがためであった……(後編に続く)

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