リン・ハント「文化理論の盛衰」ノート
The rise and fall of
cultural theories
解説:池田光穂
"George Orwell wrote that "history is written by the winners". Even if that seems a bit too cut-and-dried, we can say that history is always written from a viewpoint but that viewpoints change, sometimes radically. The history of workers, women and minorities challenged the once unquestioned dominance of the tales of great leaders and military victories. Then cultural studies brought fresh perspectives but those too have run their course. With globalisation emerging as a major economic, cultural and political force, Lynn Hunt examines whether it can reinvigorate the telling of history. In tandem, she proposes a sweeping re-evaluation of individuals' agency and their place in society as the keys to understanding the way people and ideas interact. Writing History in the Global Era is bound to shake up the discipline and break new ground for historical studies." - Nielsen BookData.
""With history in ferment, leading historian Lynn Hunt rethinks why history matters and how it should be written. George Orwell wrote that 'history is written by the winners.' Even if that seems a bit too cut-and-dried, we can say that history is always written from a viewpoint but that viewpoints change, sometimes radically. The history of workers, women, and minorities challenged the once-unquestioned dominance of the tales of great leaders and military victories. Then cultural studies--including feminism and queer studies--brought fresh perspectives, but those too have run their course. With globalization emerging as a major economic, cultural, and political force, Lynn Hunt examines whether it can reinvigorate the telling of history. In tandem, she proposes a sweeping reevaluation of individuals' agency and their place in society as the keys to understanding the way people and ideas interact. Writing History in the Global Era is bound to shake up the discipline and break new ground for historical studies"--Provided by publisher."
章立て:Introduction: History's changing fortunes -- The rise and fall of cultural theories -- The challenge of globalization -- Rethinking society and the self -- New purposes, new paradigms.
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1.4つのパラダイム ・1970年代以降に時代を画した4パラダイム 1)マルクス主義 2)近代化論 3)アナール学派 4)アイデンティティの政治(Identity politics) 「「パラダイム」という言葉によって意味しているのは、歴史的発展の包括的解釈、ないしは「メタ 物語(ナラティヴ)」である。そこには、以下のものが含まれている。(1)意味を決定する諸要素聞の階層的関係、 そしてこの階層的関係が、(2)研究のアジェンダを設定する。つまり、研究する価値があると思われ る諸課題を選択し、そうした研究を遂行するために利用する適切なアプローチを決定する」(14)。 |
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・パラダイムで一括りされる中身は多様
で、それに対する批判は理解している |
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・近代化論:デュルケームと、ウェー
バー |
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・アナール学派 |
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・ルフェーブルは1956年に亡くな
り、ブローデルがアメリカから資金を調達して「人類科学館」をつくる。 ・年報学派 |
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・アイデンティティの政治は、多様な起
源をもつ |
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「アイデンティティの政治は、生物学的
性、性的志向性、人種、エスニ
シティのいずれによって決定されるのであれ、社会的アイデンティティがあらかじめ存在することを
前提にしている。したがって、それは、たとえば、イタリアのアルバニア人、合衆国の同性愛者、ペ
ルーの女性先住民、デイアスポラのインド人女性など、社会的アイデンティティの研究を活性化して
いる。アイデンティティの政治は必ずしも大きな物語をともなうものではないが、その叢生が意味す
るのは、排除されてきた人びとの包摂を通じてのみ民主化が達成されるということにあった。それは
また、政治権力は国民の物語の支配を基盤にしているということであり、女性、マイノリティ、移民
集団などは、歴史や博物館などの記憶の場において国民に対する貢献が認識されれば、正当な政治的
役割が得られるということである」(18) |
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2.文化理論:1960-1990年代
は、これらの4つのパラダイムに異議申し立てをする |
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・カルスタの解説がつづく |
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・ポストコロニアリズムの位置付け→
「ポストコロニアリズム(ポストコロニアル理論やポストコロニアル研究と呼ばれることもある)は、ポスト
モダニズムをかつての植民地人の状況に適用したものである。ポストコロニアルの理論家たちが検討
するのは、西欧の覇権が、インドのような一見すると独立している国家でも思考のカテゴリーを依然
として規定している点にある。「言語論的転回 lingustic turn」は、言語の中心性を強調するひとつの
カテゴリーのもとで、そうした動向をひとまとめにする言葉として用いられてきた。言語論的転回は
言語学との関係性をもっているように思われるので、とりわけ合衆国では「文化論的転回 cultural turn
」がその代替案として用いられた。文化論的転回は、ポストモダニズムの哲学的立場を支持する
ことなく文化を全般的に強調したい人びとによって好まれた。だが、言語論的転回や文化論的転回と
いう言葉は、ここでは忘れることにしよう。それらは、ごく一般的な説明にすぎないからである」(20) |
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・カルスタとレヴィ=ストロースとの
「異種交配」と表現はいかがなものか? |
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・イデオロギーの強調の意義 |
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・レヴィ=ストロースの解説 |
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・デリダのレヴィ=ストロース批判 |
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・ポスト構造主義は、構造主義という攻
撃対象の衰退で、こちらも衰退 |
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・フーコーの紹介 |
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22 |
・「フーコーは、近代、理性、個人主義
に対する強力な否定的視座を提示した。彼の視点
によれば、個人とは1600年から1850年のあいだに登場した言説の産物ということになり、そ
れは偶発的なものであって、恒久的なものでも普遍的なものでもない。それは、登場したときと同じ
く簡単に消え去ることもある。『言葉と物』(1966年)のなかで、彼は次のように結論づけている。
「私たちの思考の考古学をしてみれば容易にわかるように、人間とはごく最近になって発明されたも//
のである。そして、その終駕が近づきつつあるのだ」。いかなる個人、制度、社会集団も、この言説
ないしは「言説編制」を意図的に創出して操作することはできない。この言説編制という言葉につい
ては、フーコーが『知の考古学』(1969年)のなかで詳細に
論じている。言説編制とは、何が言えるのか、また言えないのかを決定するものとなる。それは真理
のレジームを規定し、したがって、レジームは偶発的なものであり、言説の産物であり、同時にまた
知を産出することになる。真理のレジームが知を産出するのであって、知が真理を産出するのではな
い。真理とは権力の外部にある客観的なものではなく、啓蒙思想で語られたように偏見や迷信からの
精神の解放の産物ではなかったのである。レヴィ=ストロースが構造と体系を強調したことと共鳴す
るが、親族関係の代わりに真理に関心を据える発言のなかで、フーコーが主張したのは、真理という
のは、言説の生産、統制、分配、流通、作用の秩序立てられたプロセスの体系として理解されるべき
ものなのであった。フーコー にとっては、通常の意味での真理などは存在しない。そこには、真理を
めぐる政治学が存在するのみであった(これと対照的に、レヴィ=ストロースは、みずからが親族に
関する絶対的で永遠の真理に到達していると感じていた)」(24-25) |
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23 |
・フーコーによる、真理、理性、人間中
心主義批判は、歴史家に刺激を与える |
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24 |
・ポストモダニズム |
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25 |
・フーコーとデリダの位相から、ギアー
ツの「厚い記述」まで——私(池田)にはかなり牽強付会にみえる。 |
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3.パラダイム批判 ・1960-80年代に四大パラダイムへの批判がおこる。 |
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・墓堀人のリスト 1)ジョーン・スコット 2)ギアーツ 3)ロジェ・シャルチエ、ジャック・ルヴェル 4)ゲイル・ルービン 5)ジュディス・バトラー |
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・フランス革命へのリビジョニズム |
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29 |
・近代化論衰退が(研究者をして)地域
研究に向かわしめる |
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・アナール |
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・アイデンティティの政治への変動、
ジェンダー論 ・「アイデンティティの政治は、とりわけ急激な変化を経験していた。なぜなら、アイデンティティ集 団の歴史は、集団の政治的要求の中心にあったからである。たとえば、女性の歴史を考察してみよう。 女性史家は、支配者、著述家、参政権運動家、賃金労働者、妻や母としての女性の役割についての重// 要な史料を発掘したが、それは、女性たちが過去において重要な役割を果たしていたことを証明する ためであった。しかし、文化理論の影響を受ける研究者は、女性史ではなくジェンダーの歴史を論じ ている。ジェンダー史家にとって問題となるのは、社会的カテゴリーとしての女性ではなく、むしろ 文化的ならびに言説的な手段であって、その手段によってカテゴリー自体が構築されたものとなる。 差異とは意味論的なものではない。女性と男性を差異化するシステムとしてのジェンダー関係は、女 性が何をおこない考えてきたかを研究することによっては把握できない。性を基盤とした相互作用の システム全体に注意が払われねばならないのであって、とりわけ男性が何を語りおこなってきたかと いうことが重要である。要するに、そうした関係性は、文化論的な枠組みのなかで理論化されねばな らないのである。女性自身は、再び背景へと退却していく危険性のなかにいた」(29-30) |
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32 |
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33 |
・地域文化の多様性により、人種、ジェ
ンダー、階級は安定的なカテゴリーではないことが明らかになる(30-31)。 |
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34 |
・E.P.トムソン『イングランド労働
者階級の成立』 |
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35 |
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36 |
・1990年代半ばには文化研究の歴史
学は隆盛をきわめるが、それ以降衰退する(32)。 |
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37 |
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38 |
・ディペーシュ・チャクラバルティによ
る西洋の知のヘゲモニーに対する抵抗 |
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33 |
39 |
・ヨーロッパの歴史家は、それ以外の地
域の歴史家や作品は無視できるが、第三世界の研究者はヨーロッパ史学の作品を読まざるをえない状況がある(33)。 |
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40 |
・チャクラバルティの指摘にも関わら
ず、(ヨーロッパ起源の)文化理論はそれでもなお、ヨーロッパ中心主義には抵抗してきた(34)。 ・サイードの事例 ・「知が権力に奉仕するのであって、真理を語ることが権力に奉仕したり、権力から解放したりするわけではない」(35) |
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41 |
・ヨーロッパを相対化するトレンドが
1990年代にはあったし、ヨーロッパは(もはや中心ではなく)世界の一部を構成する要素になった。 ・「文化理論に対するポストコロニアル理論の影響は、広範なものであった。事実、一九九二年にチャ クラパルテイが西欧の歴史学の権威性を告発する書物を刊行したときに、潮目は変わり始めていた。 いまや西欧の歴史家たちは、非西欧の歴史を読み、みずからの作品に影響を与えうるような史料やア プローチを発見するのを期待している(チャクラパルテイの作品は、最良の事例となる)。彼らがそうせざ るをえないのは、ヨーロッパの諸問題がグローバルなコンテクストに埋め込まれていることによる。 ちょうどそれは、もはやフランスを六角形=ヘキサゴン(フランス本国はその形によって、そう呼ばれる)の境界までの 国と認識できないのと同じであった。旧植民地が何百年にわたってフランスの歴史の一部を構成して おり、脱植民地化のあともそうであり続けているからである。もはやヨーロッパ史は、単にヨーロッパ についての歴史としては認識できない。何世紀にもわたって、ヨーロッパは、中東、アジア、アフ リカ、アメリカとのモノ・人・思想の交換に関与してきた。サイードが考えるように、ヨーロッパは ほかの地域との比較のなかでのみ、ヨーロッパとなるのである。アイデンティティは関係性の産物な のであり、固有の本質なのではない。アイデンティティは同一性なのではなく、ほかのものとの差異 から構成されている」(35) |
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36 |
42 |
・ステファン・ハーバーの批判 ・「経済史家のステファン・ハーバーは、メキシコ史に対する文化論的アプローチについて論評し、とりわけ「客観的な事実の存在に 対するポストモダン的な曖昧さ」に異議を唱えていた。ハーバーは、新しい文化史は知識についての 「根本的な欠陥をもった」主観的アプローチに依拠していると主張した。さらにいえば、ポストモダ ニズムの実践者の政治的目的は、ラテンアメリカ史の場合には「反資本主義で、社会主義的で、革命 的志向性」をもっていたが、それらが必然的に彼らの分析をゆがめている。彼の見解では、政治的バ イアスと結合したポストモダニストの相対主義は、新しい文化史の主張を致命的なかたちで毀損して いることになる」(36) |
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37 |
44 |
3.批判的転回 ・歴史学者からの「文化」概念に対するバックラッシュ ・「歴史学における文化論的アプローチを開拓してきた一人で あるウィリアム・スーウェルは、まさに「文化」という用語によって、あらゆる特徴を失う危険にさ らされると示唆した。「学問世界での文化への熱狂者」が多くの人類学者をうんざりさせているのは、 絶えず文化を語ることによって、研究している集団を異質化したりステレオタイプ化したりするから だった。文化史家は、そのような妥協的な概念を使い続けることができるのか。スーウェルは使い続 けられると考えたが、そこではいくつかの重要な問題に注意を払う必要があった」(37) |
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45 |
・「文化は過剰に解釈上の重荷を背負っ
てしまっている」(37) ・文化理論もひとつの文化表象だ(38) |
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38 |
46 |
・「たとえば、文化理論を用いる歴史家
たちは、次のような多様な批判にさらされてきた。すなわち、
政治を無視している、研究を政治化している、人間の主体性に無関心である、特異な個人の主体に注
意を払いすぎている、言葉一般に原因を求めすぎており、具体的な社会的・経済的・政治的文書の特
定の言葉に対しては十分ではない、などの批判である。そうした批判は、メリットがなかったわけで
はないが、文化に言及することの修辞学的で政治的な性質を看過している。文化理論は、常に文化を
何かほかのものに還元しようとするパラダイムに異を唱えるために、文化を強調したのだった。文化
理論や文化史の提唱者は、文化(あるいは言語、または言説)をひとつの意味に集約させることには同意
していない。しかし、率直にいって、定義について合意がないこと自体には、さほど懸念をしていな
い。彼らは、文化を経済的諸力や社会的立場による自動的な副産物とする見方を拒絶することに関心
を抱いているのである。たとえば、ミッチェルの提言は、ほとんどマルクス主義者の文化の見方に分
類されるものとなる。ミッチェルは、マルクス主義の文化理解を「権力や利害の名において」用いら
れるものと見なしていたからだった。文化理論は、文化を何かほかのものに還元することを拒絶して
いる。権力や利害そのものが、文化的表象を基盤としているのである」(46) |
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39 |
47 |
・ジョーン・スコット『ジェンダーと歴
史学』1988 ・「彼女 の著作である『ジェンダーと歴史学』(一九八八年)は、この分野では最も引用される機会の多い書物と なる。なぜなら、理論的総括と、ポストモダニズムが歴史家に史料の新たな読みをどのように促しう るのかについての具体的な事例とを、その著作が提供しているからである。それはまた、ポストモダ ニズムの相対主義を賞賛するものでもあった。スコットは、「急進的なフェミニズム政治(そしてより 急進的なフェミニズム史学)は、より急進的な認識論的枠組みを必要としているように思われ」と 主張した。彼女がとりわけ注目するのはジヤツク・デリ、ダとミシェル・フーコーであるが、それは二 人の思想家が権力と知を結びつけ、彼らの作品が「あらゆる学知というものを相対化する」からであ った」(39) ・スコット=女性は言説に構築された概念だ・ |
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48 |
・スコット批判→「スコットが言語と言
説に焦点を当てたことは、多くのフェミニストや女性史家を困惑させた。スコ
ットの仲間のフランス史家であるローラ・リー・ダウンズは、女性が単なる言説的な構築物であると
する考えに大きなフラストレーションを抱くことになり、批判論文に次のような題名をつけた。「もし女性が空虚なカテゴリーだというのならば、どうして私は
夜一人で歩くことを恐れるのだろうか」(39) |
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40 |
49 |
・ラテンアメリカが、オリエントと同様
に単なる(知と権力による)言説構成体になるのは、まずいわけだ。 |
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50 |
・理論はもはや研究者を興奮させる代物
にならず(41) |
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41 |
51 |
・「残されたのは文化を研究すること」
だけか?(41) |
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52 |
・文化概念に傾斜するのは、多国籍金融
業のうごきへの関心を失わせてしまう——本当か?(池田) |
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53 |
・リオタール |
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43 |
54 |
・聖フーコー的な評価 ・「フーコーは、ポストモダニストのなかでも、歴史に対するポストモダン的パラダイムを明示的にす ることにおいて孤高の存在であった。フーコーは、人間中心主義と解放についての近代的物語を批判 するだけではなく、独自の対抗的物語を設定した。フーコーによれば、近代史は、資本主義、性的解 放、民主主義や人権などの勝利によって牽引されていたわけではない。むしろ、近代性が意味するの は、規律社会の登場であった。そこでは、学校、工場、軍隊、監獄などが、心と身体を改造すること によって統制するのである」(43) |
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55 |
・再度(アンコール!!!)フーコー ・「フーコーの対抗的言説は、マックス・ヴェーバーの近代の「鉄の艦」や官僚主義的合理性の説明と かなり似通ったものとなる。しかしフーコーはさらに進んで、近代の官僚制そのものが個人のアイデ ンティティの感覚を創出することを示そうとしている。フーコーは「監視と刑罰』(1975年)のなか で、「18世紀の二大発見である社会の進歩と個人の起源」は、分割し、分類し、分刻みで全時間を 利用する「とりわけ時間の管理の新技術という」、「権力の新たな技法と結びついていたのである」。 したがって、社会や個人についての学知や存在そのものが、権力の新たな技法によって生み出された ものである。個人は、監視と〔価値の〕内面化の効率的な結節点にすぎず、自己意識的な行為を通じて 世界を変革することができる認識主体ではなかったのである。フーコーが代替的なパラダイムを構築 するのに成功したことにより、彼の作品が歴史家にとって実りあるものとなっていった。なぜなら、 歴史家たちは、フーコーの作品を批判の対象とするか、それに依拠しながら研究をおこなうことがで きたからであった。本書の最終章で、私はフーコーへの異議を唱えることになろう」(43) |
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56 |
・フーコー流レトリックは、歴史学の文
化派を守り神のようになった ・「フーコーの近代解釈に異議申し立てをすることは、文化理論が結局は、それが転倒させようとして いた諸パラダイム自体と共有していた諸前提を全般的に批判することを必要とする。文化と言語を経 済的・社会的要因に還元することを問題視する一方で、フーコーのような文化理論家は、自己、身体、 情動や理性までもが、言語、言説、文化の産物であると論じるからだ。それらは文化によって決定さ れるもので、したがって文化的には相対的なものである。たとえば、『フェミニズム理論百科事典』 (2000年)への寄稿者たちは、次のように断定的に述べている。「ジェンダーのように、人種は、白 人が支配する文化においては、……ほとんど抑圧的な社会的構築の産物である」。文化理論の支持者 は、言語、言説、文化が、自律性と独自の論理をもっと主張する一方で、経験、情動、個人やアイデ ンティティの感覚は、それらを覆い隠す意味によって決定されると考えていた。個人は言語や文化の ヴェールを通じてのみ、世界を観察してそれに対応できるのである。自己とその経験は、自律性など もっていない。文化のみがもっているのだ」(44) |
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58 |
・「文化理論は、フーコーのような例外
を除けば、パラダイムの領域を放棄することによって、マルク
ス主義、近代化論、アナール学派、アイデンティティの政治などが、ほかのパラダイムにとって代わ
られる道を聞いた。次章で私は、グローバリゼーションがそのような新たな研究のア
ジェンダを含ん
だ包括的物語のひとつにすぎないと論じるであろう。歴史家は、文化理論のもつ限界には留意しつつ
文化理論によって提出された道具立てを利用して、グローバリゼーションが主張する領域に異議を唱
えることが求められているのである」(45) |
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文献
その他の情報
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