かならず読んでく ださい

グローバリゼーション

Globalization

池田光穂

グローバリゼーションとは、地球(グローブ)におけ る距離の圧縮現象に伴う文化的・社会的変化のことをいう。とりわけ、モノ・人・情報の大規模な流通が、もたらす影響について考え、その制御や権利(=法や 正義)を考え、そして、その未来のあり方について考えるのが、グローバリゼーション研究のテーマになる。

ウィキペディア(英語)では次のように書いて、1つ の出典を明記している。

"Globalization (or globalisation; see spelling differences) is the increasing interaction of people through the growth of the international flow of money, ideas and culture. It involves goods and services, and the economic resources of capital, technology and data" - Globalization

Albrow, Martin and Elizabeth King (eds.) (1990). Globalization, Knowledge and Society. London: Sage. ISBN 9780803983236

●グローバリゼーションのあり方をめぐる、論争の特徴に「(1)西洋的秩序の世界的拡散か?」あるいは「(2)それに対応するさまざまな意味での現地的対応か?」を強調する2つの立場がある。

前者は、西洋的秩序が地球の隅々まで及ぶことで世界 の均質化がはじまっていることを強調し、後者は、グローバリゼーションは現地との関わりのなかで今後とも多様な展開をとげつつあるに着目する。前者の、単 純仮説を信じる代表はサスキア・サッセン『グローバル・シティ』の議論であり、彼女は、世界のなかには、共通した特徴をもつメガシティが存在しており、そ れらの都市の性格は似通っており、そこを橋頭堡として、世界の均質化が今後とも進むだろうという見方をもつ。これは、広義のネオ近代化論ともいえる。後者 の多くは、都市と農村の関係性を追いかけている文化人類学や社会学の専門家であり、グローバリゼーション状況のなかでの自分たちのフィールドが、比較研究 を通して、多様な変化を遂げている動態を強調する。

●ネオ近代化論の変種としてのグローバリゼーション(派)について

グローバリゼーションが、近代化の帰結であると論じ る論者は、近代化論と同様に、世界の人々の「文化的側面」がどんどん均質化するプロセスとして理解する。他方、グローバリゼーションを、現地の応答プロセ ス ということを重視する人たち(=先住民研究をおこなう我々)は、 グロバリゼーションは、世界の多元化と多様化に貢献し、仮に近代化論の枠組みに組みしてもなお、均質化のプロセスを能天気に論評する気持ちになれない。

さまざまなグローバリゼーションのサブクラス

グローバリゼーション

経済的グローバリゼーション


技術的グローバリゼーション


社会的グローバリゼーション


政治的グローバリゼーション


軍事的グローバリゼーション


文化的グローバリゼーション


法のグローバリゼーション


近代医療のグローバリゼーション


(無限の連辞符が可能)


●グローバリゼーションを社会現象の変化の説明の 「理由」にするようになったのは1990年代から——グローバリゼーションの実態とそれへの「意識」

「書名に『グローバリゼーション』を含む英語の書物 数(WorldCatによる)」リン・ハント(2016:48)

「1990年代に登場した唯一の新 たな要素はインターネットの拡散であったが、当時は主として すでに発展した世界に影響を与えただけであった。2000年 には、世界人口のわずか5%がインターネットを利用していたにすぎない。だが、2010年には34 %に達している。インターネットは世界のさまざまな地域に浸透して相互に結びつけ、グローバリゼーション のひとつの推進力となっていることは間違いなかろう。しかし、1990年代に始まった インターネットの急速な拡大によっては、90年代が始まろうとしていたときにグローバリゼーション への関心が突然に増大した事実を説明することはできない。// ……1990年代にグローバリゼーションが発生し、その時に根本的に異なった形態を取る ことになったという理由によって、グローバリゼーションが突如として注目を集め始めたわけではな い。現実に起こったことは、ソビエト連邦の解体と冷戦の終鷲であった。グローバリゼーションは、 資本主義と共産主義という冷戦による分断の終鷲によって醸成されたイデオロギー的な空白を埋めた のだ。ソ連が解体して共産主義が不可避の問題として存在するのをやめたときに、世界の秩序は不安 定なものとなっていった。そこでのグローバリゼーションは、ひとつの確かなものに見えた。さらに いえば、グローバリゼーションはソ連の凋落を説明してくれた。もはや国家主導の産業は、1980 年代に勃興した電子化されたグローバル経済に対抗できなかったのである」(リン・ハント2016:48-49)

● リン・ハントの文献(第2章)を手がかりにし て、グローバリゼーションと先住民の関係について考察する


パラグラフ

グローバリゼーションと先住民
47
1
1.グローバリゼーション
・歴史家がグロバリゼーションを発見した のは最近だ(47)


2
「書名に『グローバリゼーション』を含む 英語の書物数(WorldCatによる)」リン・ハント(2016:48)

「2000年 には、世界人口のわずか5%がインターネットを利用していたにすぎない。だが、2010年には34 %に達している。インターネットは世界のさまざまな地域に浸透して相互に結びつけ、グローバリゼーション のひとつの推進力となっていることは間違いなかろう」

「日本と海外を研究対象地域として、先住民が実践している (1)「遺骨や副葬品等の返還運動」、博物館における先住民による文化提示の際の公開禁止や返還要求といった(2)「文化復興運動」、および先住民アイデ ンティティの復興のシンボルとなった(3)「先住民言語教育運動」という、3つのテーマの現状を探る。この現象は、世界の均質化が引き起こすグローバル化 現象とは異なり、グローバル化現象が先住民をして自らのアイデンティティを再定義し、国民国家が求める同化政策に抗して、言語的文化的独自性とその多様性 を担保しつつ、国家との連携や和解を求める動きとして捉えられる。グローバル文脈のなかで多数派や抑圧者を指し示す「名指し」行為のエージェンシーとして 先住民を捉えれば、国家領域のなかで自らの権利回復をめざす少数集団と[多数派]の新しい連携関係の形態も可能となる。そこでは実践者としての研究者が先 住民との研究倫理的枠組みも当然変化するはずである。先住民による先住民ための学としての新しい「先住民学」の教育の場をデザインできるようなカリキュラ ム開発とそれを実装可能にするような大学院教育課程のモデルつくりも可能になるはずだ。グローバルな文脈の中で多数派を「名指す」という実践を把握するた めに文献的資料、各種メディアによる二次情報資料ならびにフィールドワーク調査に基づく一次資料の収集をおこなう。(1)「遺骨や副葬品等の返還運動」、 (2)「文化復興運動」、(3)「先住民言語教育運動」に着目し、このような情報を収集する。最終的には、人類学を含めた人文社会科学の脱植民地化のため のプロジェクトとして本研究課題を位置づけ、個々の研究プロジェクトを総合する」

3
・ソビエト崩壊と冷戦の終結
・「冷戦構造」と先住民
冷戦Cold War)あるいは冷戦構造とは「第 二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国のアメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、東側諸国のソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義 陣営との対立構造。米ソ冷戦や東西冷戦とも呼ばれる」-冷戦.

4
・1980年代以降の新自由主義


5
・「歴史家たちは、グローバリゼーション を関心の対象として取り上げるのが遅かった。歴史家がそれ を無視したのには、独自の理由がある。歴史家のあいだでは、国民国家中心的な在であったからだ」(50)


6
・「大学レヴェルでの専門化は、専門職の 歴史家と彼らが研究する国民史のあいだの絆を強固にした」(51)


7
・「専門化は、歴史学やほかの社会科学や 人文学の領域が自然科学を模倣する傾向から派生したものだ った。専門家であるということは、研究領域をマスターし、検討すべき適切な問題を設定し、それに 対する調査を実行、その発見を出版するということだ。かくして、ある種の悪循環が続くことになる。 大学側が専門家としての実績の提示を要求するにつれて、出版数は増加する。出版書の数が急激に上 昇すれば、対象とする領域が以前にはなかったほどに狭陸化して定義されていく」(51)


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53
10
・「1990 年代後半、ヨーロッパ議会の通達第2183号によって、ヨーロッパ連合内の学校では、そのシラパ スに「ヨーロッパ全体の歴史、すなわちヨーロッパのアイデンティティをかたちづくってきた主要な 政治的・経済的事件と哲学的・文化的運動」を含めるように勧告している」(53)


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・アイデンティティ強化への反省
・「旧ユーゴスラビアの解体のあと、国連とヨーロッパ 歴史教育協会が、ボスニア、クロアチア、セルビアの歴史を民族集団のあいだでの敵対心をこれ 以上悪化させない方法で教えることを目的とする国際セミナーを開催した。歴史学は、その動員力を 失っているわけではない。グローバリゼーションの志向性をもつ歴史は、自国の国民的帰属意識だけ ではなく国際的市民性の感覚を掴養するために役立つであろう。しかし、その効果は、現実のものと いうより、期待値の段階にとどまっている」(12)


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・「フェーヴルやクルーゼが60年前に論 じたように、ヨーロッパ内のフランスでさえ、 もはや明らかにフランス的なものと見なすことはできない。たとえば、フランス最初に設 立されたのは、17世紀のパリで、アルメニア人の商人によるものであった。多くランス人は、 19世紀の後半までフランス語を話すことはなかった。グローバル・ヒストリーは、ナショナリズム が塗りつぶした過去の背後に蠢いているものなのである」(55)


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・「グローバリゼーションは人類史を貫流 する長期的なプロセスとして見なすことができる。だが、グローバリゼーション に関するほとんどの論者は、ここ2、30年に焦点を合わせている。この短期的 視点からは、経済的なグローバリゼーションは、金融制度、交易ネットワーク、( 多国籍、トランスナ ショナル資本主義といわれる)生産循環の世界規模での浸透となる。技術的なグローバリゼーションは、 広範にアクセスできる航空旅行、中央集権化された運輸、コンピュータの拡大、それにともなうイン ターネットへのアクセス、ごく最近では、GPS 衛星、無線通信などを通じての時間と空間の圧縮に ある。社会的グローバリゼーションは、固から国へ、そして農村部から都市へ、とりわけグローバル// なメガロポリスである上海、メキシコシティ、ニューヨークへの移民の増大が原因となっ ている。政治的グローバリゼーションは、軍事(合衆国)や軍事的抵抗(テロリズム)を通じた世界覇権の 確立の試み、大規模な政治単位の影響力の増大(ヨーロッパ連合、世界貿易機構、国際連合)、人権などの 政治討議のグローバルな枠組みなどを含んでいる。文化的グローバリゼーションは、アイデンテイテ イや日常生活の行動のグローバルな形態の発展である。混交的で離散民的(ハイブリッドデイアスポラ)なアイデンティティが、よ りいっそう重要になっている。アニメ、ビデオゲーム、コーヒー、コカ・コーラ、空港ラウンジなど が世界規模で散見しうる。たとえば、イスラームや福音主義的プロテスタンテイズムなどの宗教運動 は、そのアイデンティティを国際化に依存するようになっている。多くの場合、生物学的形態の グローバリゼーションは否定的なものとなる。国際的な旅行が、ごく短期間に地球規模での流行病の拡散 を可能にしているからだ」(56-57)


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2.トップダウン


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・「モダニティはグローバル化する傾向を もつ」(21)


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・ウォーラスティン


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・従属論


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・アパデュライの「グローバルエスノス ケープ」(62)


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・アニーバル・キハーノ
・「ペルーの社会学者アニーバル・キハーノは、グローバリゼーションの起源について別なかたちでの反 ヨーロッパ中心主義的な歴史解釈を提示している。彼が強調するのは、「アメリカ」(アメリカ大陸)に よって演じられる重要な役割である。「アメリカは、最初の近代的でグローバルな地政文化的アイデ ンティティである。ヨーロッパは二番目のものであり、アメリカのアイデンティティの帰結として形成されたのであって、その逆ではない」。近代的な形態の ヨーロッパとは、先住民、黒人、メスティ ーソに苦役を課すことで形成されたのであり、そうした人びとは「鉱山業や農業における発達した技 術」や、金、銀、ジャガイモ、トマト、タバコのような重要な材料を食卓にもたらした。そのことに 関しては、ヨーロッパでもなく、「東洋」でもなく、南北アメリカ大陸が、因果関係上の引き金を引 いたことになる」(66)
Aníbal Quijano (17 November 1930 – 31 May 2018)
・《ラテンアメリカは政治学的テリトリーの概念である》というのは、もともと、ナポレオン3世時代のフランスの外交官の意識だから、アニーバル・キハーノのように「近代的でグローバルな地政文化的アイデ ンティティである」という主張は、前者の意識を転倒させたらそうなるわ。

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3.ボトムアップ


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・ボトムアップ論文


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4.普遍性と多様性
・「グローバリゼーションのような普遍的概念は、本質的に西欧的なものではない。なぜなら、それら は普遍的であるからだ。ウオルター・ミニヨロは、普遍主義的立場を拒否するもののひとりである。 なぜなら、普遍主義は、西欧文明の覇権の再強化を意味するものにほかならなかったからである。彼 が唱導するのは、「多元性で、それは、普遍性に対するオルタナテイヴであり、正義、平等、人権 認識論的多元性などの名前のもとで、グローバリゼーションと地球規模で対時するネットワークのも たらす可能性を提示している」。感情的には反ヨーロッパ中心主義を賞賛しているかもしれないが、 ミニヨロは、何が正義、平等、人権、認識論的多元性を正当化するのかについては説明していない。 多元性を希求することさえも、それ自体が普遍的な主張ではないのか。グローバリゼーションを批判 するほかの多くのものと同じく、ミニョロはそれを所与のものとして、また一枚岩的なものと見なし ている」(77)


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文献

その他の情報


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